命知らず/責任追及
「あのよ、大志」
午前最後となる四限前の休み時間だった。
梓に誓って授業を寝まいと奮闘したが健闘虚しく机に撃沈していた俺を起こしたのは、緊張気味な声で話しかけてきた憲武である。
顔を上げるのも億劫だったが、憲武の醸し出す空気がそこはかとなく普通では無かったので頑張った。
褒めて。
「何だ、その褒めて欲しそうな顔は? 腹立つぞ」
「授業寝ないよう頑張ったんだぞ。寝たけど」
「そっか。聞く気ゼロで寝た俺よりは偉いな」
憲武に褒められても嬉しくれない。
それより、憲武こそ様子が変だ。
いつになく強張らせた顔で俺を見てくる。
これは、よく見る告白前の面構えだ。なぜ俺にそんな表情をするのか分からないが、どうやらいつの間にか彼の中で友情は更なる先のステージへと一歩階段を上がった絆を紡いでしまっていたらしい。
「憲武。すまんが、お前の気持ちには応えられない」
「何も言ってないんだが? 何の返答だソレ」
急に白けた顔になってしまった。
俺のこと褒めてくれないどころか笑ってすらくれないとなると救いようが無い。
だが、そんな憲武でも俺は見捨てないぞ。
「それで何だよ、俺は忙しい」
「寝てたヤツのセリフかよ」
「これからまた寝るんだよ!!」
「ムキになって言い返すことじゃねえ。………大志、実はさ」
「?」
「その、生徒会長が血祭りにされたって知ってるか?夜柳雫非公認のファンクラブに叩き潰されたって」
「ファンクラブに?」
憲武から告げられた内容は凄惨だった。
まず穏健派。彼らは夜柳雫をただ崇めるだけで、特に本人に直接アプローチしたりせず、イエス夜柳ノータッチを心がけている。
次に過激派。こちらは内外を問わず本人への直接干渉はご法度で、彼らに雫との交流を目撃されると闇に葬られるとか何とか。
俺も昔、その派閥に消されかかった。
隣の家だからって調子こくな、とか死ね、とか色々と言われた記憶がある。
たしか、あのときにお尻を叩かれる快感を覚えたんだ。
意外と鞭って凄いぞ。種類の数だけ刺激の形も色も異なる。あれは少し追及する必要性を感じさせられた。
しかし、夢のような時間だったが、途中で雫が助けに来た事で中断されたんだっけ。
『へえ、命知らずって本当にいるんだ?』
とか言って、その場にいた過激派を血祭りにしていた。
あのときの雫は修羅じみていて流石の俺も怖くて思わず抱き着いてしまった。
必死で彼女を止めて家に帰り、腫れたお尻を消毒した後に湿布を貼って氷枕に乗せるという謎の処置をしたっけ。
それ以来、過激派は俺に関わって来なくなった。
まあ、彼らはまだ可愛かった方だ。
むしろ、怖いのはあの事でさらに心配性になった雫の状態である。
あらゆる事を生活で制限され、酷い時は外出すら禁じられた。
『大志、どうせ怪我するなら家にいて。後は私の帰りを待ってるだけで良いから』
俺は思わず「オーケー!」って言いそうになったが、考えるとまだ義務教育の途中なので渋々と断った。
第一、雫しか見えない人生とか幸せすぎて嫌になる。
目の保養にはなっても心は満たされない。
ともあれ、そんな過去を思い起こしてはっとする。
「生徒会長は生きてるのか?」
「血祭りって言っても、黒歴史の暴露やら無い噂も立てられて家を出れない始末らしい」
「へー、でも何で雫のファンクラブに攻撃されたんだ?」
俺が訊くと、マジかって顔で見られた。
「そりゃ、交際の噂があったからだろ」
「噂っていうか付き合ってたんだろ?」
「いや、本人が流布してただけで事実無根だったんだよ。命が惜しいから皆言わなかっただけなんだけど…………やっぱウチの男子校って命知らずなアホがいるよな」
感慨深いと言いそうな顔で憲武は頷く。
それにしても、雫と生徒会長は交際していなかったのか。
ならば、なぜ雫は俺に嘘をついたんだ?
意図が全く読めない。
「うーん? んで、その話を何で俺に?」
「やっぱり夜柳様と付き合えるのはオマエくらいだろうから、早く貰ってやれって話をしたくてな」
「俺が雫を?」
「何度目かの遣り取りだけどさ、恋愛感情とか本当に無いのか? ドキドキしたり、一生美姫様といたいとか」
「まず恋愛感情ってのが分からん。女の子と遊びたい気持ちは有り余ってるけど、それは違うんだろ?」
「おう、それは単純な性欲だな。………ほら、夜柳様を相手に何か興奮したりしないのか? あんなにスタイルいい人が傍にいたら理性なんて蒸発するだろ普通」
「しないぞ」
「本当にしないのかよ?」
それは勿論。
雫は美人なのだから、傍にいれば邪な考えは湧かない。
例えば頬を抓りたいとか、持ち上げて振り回してみたいとか、露出された肩を見たいとか。
俺にだって欲望はあるし、雫に何も思わないことは無い。
「雫の肩っていいよな」
「…………肩? 鎖骨とかじゃなくて?」
「いやあ、昨日も一緒に風呂に入ったんだけど、やっぱり肩はイイよな」
「ちょ、まて。情報量が多すぎて処理が、え、風呂、フロ?」
今でも鮮明に思い出せる。
俺たちがしっかり大人に近付いている事を実感させられた。
あんなに可愛かった雫が美人になったのだ。
何も変わらない俺と違って、どんどん綺麗になっていく。
だから、俺は雫の隣に立つ自分というのを想像できない。
雫が俺の傍に仕方なくいてくれる未来は分かるが。
いずれは雫が離れていく。
その時が、俺たちの絆の終わりだろう。それまでに自立し、立派な人間にならなければならない。
雫離れをしなくては――と。
「コイツを忘れていた」
俺はカバンから朝のパンを取り出す。
丁寧にパンを包装するラップを剥がし、早速かじりついた。
「美味い…………やっぱ雫パンだけは一生食べてたい」
あれ? 何の話してたっけ。
そうだ、雫離れだっけか。
うーん、まあ、もう少し後にしよう。
雫も恋人がいなかったというのが発覚したし、俺も急ぐ必要無し。
もう少しゆっくり。
「大志、オマエは夜柳様と付き合いたいワケじゃないかもしれんが、相手の方はわからんぞ」
「ええ?」
「夜柳様、実は結構オマエの事が好きだと思うんだよ」
「いやー、それは無いと思うぞ?」
「まあまあ、騙されたと思って確かめてみてくれよ」
「たしかめる?」
意図が分からず首を傾げると、憲武が真剣な顔で俺を見てくる。
「試しで良いんだ。――夜柳様を放課後、俺の指示通りデートに誘ってみてくれ」
「デート?」
「多分、面白い物が見られるぞ」
にやりと憲武が意地の悪い笑みを浮かべる。
笑顔が汚い。
※ ※ ※ ※
「雫ちゃん、あの話は聞いた?」
四限の授業前に設けられた休憩時間を、私は読書に費やすつもりだった。
それを邪魔したのは、クラスメイトの声。
この教室では、唯一わたしに媚び諂うこと無く接する人間で、相森梅雨という名前だ。
去年は怪我で棄権してしまったが、彼女はバドミントン部で県大会の本戦にまで出たらしい。
私とは違って、親しみやすい人柄だ。
美人だと評判で、学校内でもよく話題に上がる。
その専らが彼女を『イケメン』と称していて、彼女を相手に理想の恋愛を妄想する人間もいるらしい。
普段は麻色の髪をそのままにしているが、ポニーテールになった瞬間が本気になる合図で、そこからは性格が豹変する。
体育の授業で戦った時、確かに雰囲気は別人だった。
普段は春の陽気のような女なのに。
それを見て、皆が王子を連想するんだとか。
「あの話って?」
私は面倒臭く思いながらも微笑んで会話に応じる。
同級生なだけであって友達ではない。
正直、胸の中が大志で充実している私にそういう人間は不要だった。
「雫ちゃんと付き合ってるって法螺吹いてた隣の生徒会長さんが不登校になったんだって」
「何か事件?」
「表向きには何も無いけど、雫ちゃんのファンクラブの仕業だろうね」
またアイツらか。
町で暮らしている以上は仕方無しと野放しにしているが、末端とはいえ大志を傷つけた連中なので許していない。
大志が止めていなかったら、今頃は………。
「へえ、そうなのね」
「うわ、反応薄い。これだから、可愛い幼馴染がいる子は男にも興味がないんだね」
「可愛い………大志が?」
「実はこの前さ、小野くんが公園の水で顔洗ってるところ見たんだけど…………びしょ濡れになってるのが犬っぽくて可愛かったんだよね。濡れてる髪が貼り付いてオールド・イングリッシュ・シープドッグみたいでさ」
「…………」
この女…………趣味が悪い。
大志は自分に無頓着で、私が髪を切らなきゃそのままにしている。
でも私が生活管理をしているだけあって健康的なので、髪以外の身嗜みは不潔とは程遠い。
昔から、あのボサボサな髪さえ直せば二枚目くらいにはなるのは知っている。
別に大志よりもイケメンは沢山いる事は知っている。
ただ、大志のあの顔は私だけが知っているんだと考えると、何よりも特別に感じる。
大志はゲームをする時は眼鏡を外す。
そして集中する時の顔を、横から盗み見るのが私の趣味だ。だから好きでもないゲームにも付き合うし、勝つほどにその時間が延長されるから頑張った。
「光る原石は案外、近くに転がってる物よね」
「何の話?」
「別に」
私が優越感に浸っていると、隣でにんまりと悪い笑顔が咲く。
「雫ちゃん、小野くんと付き合ってないんでしょ? なら梅雨にちょっとだけ摘まみ食いさせ――」
「良いよ」
「え、即答?」
そう、別に大志をあげても良いよ?
何処の金髪女だろうと、後輩という立場を使って甘えた声ですり寄る猫だろうと。
でも。
「その時は相森さんが人生に飽きたんだなって思うことにするわ」
相森の耳元でそう囁くと、彼女の顔が引き攣る。
悪いけれど、笑顔で取り繕える話ではなかった。
手を出すなら敵、それ以外の何者でもない。
あの後輩猫も消すし、可能性の芽となる金髪も遭遇の確率を徹底的に排除する。
私の努めてオブラートに包んで放った警告に対し、相森が顔を引き攣らせる。
「雫ちゃんに愛されて、小野くんも大変だねー」
「今朝も私無しじゃ生きられないって大胆な事も言ってたわ」
「い、命知らずだね…………」
「話はそれだけ?」
「あ、小野くんの件で思い出したけど…………これ」
相森が私に対して、チケットを差し出して来る。
内容を見ると、近くの水族館のイルカショーが観れる物らしい。
こんな物をどうしろと。
「話を聞く限りだと、いっつも二人で家にいるんでしょ? たまには誘って外出したら?」
………………は?
「私が?」
「うん」
「大志と?」
「うん」
私はチケットに視線を落として考える。
別に今までデートを考えていないわけではなかった。
ただ、外は敵が多いので避けていたのだ。
水族館、デート。
「…………」
「要らない?」
「ありがたく頂くわ」
ここだけは相森に感謝をしておく。
デート…………大志と、デート。
口角が上がるのを感じたので掌で口元を隠した。
大志は不運だと思うし、不幸だと思う。
私に会わなければ、こんな風に目をつけられる事は無かった。
自分でも厄介な女だって思っている。
大志が女の子に憧れているのも、私に生活力を依存していてズボラなのも、全て私の誘導だ。
私に会わなければ、もっと違った未来があったかもしれない。
「大志と、デート…………ふふ」
でも、会ったからには一生傍にいて貰う。
責任取って、大志。
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