ロックオン
永守梓と商店街を歩いていく。
放課後の用事とは、買い物だったらしい。
高校で勉強は将来を考えて良い成績を取るべく、参考書を買って早速予習に励みたいそうだ。何と勤勉な事だろうか、普段の俺が見習うべき一面である。
でも二週間後の新作のゲームの予習で俺は忙しい。
学力試験なんかは雫に教えて貰えば良いのだ。
「付き合って貰ってすみません、先輩」
「いいよ、俺も暇だったし」
「えへへ、有り難うございます」
「永守梓は勤勉だ」
「呼び方、梓で結構ですよ」
「梓ちゃんは勉強得意な方?」
「いえ。でも、学べば学ぶほど結果が出るので、楽しいとは思います」
「おお……俺の学校の連中に聞かせたい台詞だ」
感動して思わず彼女を二度見した。
こんな眩しい笑顔でどうしてこんな偉い事が言えるのだろうか。
マイナスイオンが出てるようなイメージだ。イオンって何だっけ?
「先輩は、勉強お好きなんですか?」
「好きな時と嫌いな時がある」
「そ、それはどういう?」
「興味のあるゲームとか遊びが無い時は勉強が楽しいけど、最近はバンバン新作が発売されてて嫌いかな!」
「あはは、人生楽しそうですね」
お蔭で高校一年の時は苦労したものだ。
義務教育の中学生は留年の危険性が皆無だが、高校となればその規定外、自主性を重んじるので致命的な成績不審だとどれだけ出席していても先生に爪弾きにされてしまう。――という内容の説教を雫から受けた。
俺的にはそうなんだぁ、って感じだけど。
初回の学力試験が全て赤点だった俺に、雫がニ週間後の再試験に向けてキレ気味だけど丁寧に教えてくれた。
あの時の記憶は、もう二の腕に当たった雫の胸の感触しか覚えて無い。再試験は全て百点満点だったから良かったけど。
「ところで、校門前でご一緒だったのって夜柳雫先輩ですよね?」
「あれ、知ってるの?」
勿論!と食い気味に梓が答える。
「我が校の現生徒会長なんですよ」
「へえ、そうなんだ?……あれ、二年生初めで生徒会長なの?」
「いえ、何か前年度に支持率が圧倒的過ぎて異例の就任となったそうです。完全な伝統無視ですね」
「流石だな。空気を読まない」
「カッコいいですよね。クールで人を寄せ付けない感じで、しかも凄く綺麗で」
「ふーん?」
そんな印象、あるかな?
いや、バリバリあったな。俺以外は羽虫、俺は子犬の感じに世界が見えてるような目をしている。恐らく能力的にも対等な人間に会った事が無いのだろう、哀れな。
そう思うと俺に愛想を尽かさない時点で人格的にも神様か、本当に同等なヤツっているのかよ。
「先輩は夜柳先輩とご友人なんですか」
「幼馴染だよ。家が隣なんだ」
「えっ、そうなんですか!?」
「いつも世話になっててさ、今朝だって朝食作ってくれたし、弁当だって雫の手作りで、きっと今晩も俺の飯を作ってくれてるんだろうな」
「え? え? え?」
「ん? あ、俺の家が共働きでな、料理が苦手な俺の代わりに雫が作ってくれるんだよ」
話を聞いて梓は混乱していた。
そりゃそうだ、普通に考えてみれば可怪しい。
どうしてあんなに料理が上手いんだ!?
「普通、おかしいよな」
「じ、自覚があるんですね」
「何であんなに美味いんだろ」
「ええ、そっち!? いや、普通「何でただの幼馴染にそこまでしてくれるんだろう」みたいに考えませんか?」
「え? いや、雫って俺の事を哀れな子犬みたいに見てるから、放っておけないんだよ。何だかんだ優しくて心配性だし」
「そ、そうなんですかね」
納得いってない顔だな、俺もだよ。
哀れな子犬って、俺は犬じゃないのにさ。
「でも、先輩が犬っぽいって分かるかも」
「ええ!?」
「だって、今朝のバスだって知らずに乗っちゃうくらいですよ。きっと興味ある物に付いて行っちゃったり、すぐ転んで泥だらけになってそう」
「よく分かるね?」
「やっぱりそうなんですね。――先輩ってカワイイ」
何が面白いのか、梓は笑った。
俺の不幸を嗤っているのかとも思ったが、カワイイって言ってくれたし良しとしよう。可愛い女の子の笑顔が俺の不幸話で買えたのなら少しの損も無し。
話している内に書店に到着し、二人で参考書を並べる棚へと足を運ぶ。
一冊ずつ手に取る梓の隣で、俺も興味本位に数学Ⅱの参考書に目を通す。うん、俺の理解は今授業で何処をやってるかも怪しい。
しかし、これ何かカバーが赤いし大学名とか載ってるし、やたら難しい内容だ。ああ、高校二年ってレベル高ぇや。
「先輩、それ赤本ですよね」
「赤本って、いつも雫が解いてるやつか。……何が違うの?」
「大学入試に必須なアイテムで、その大学の過去の入試問題などを記載してるんです」
「へー」
「入試問題の傾向が分かるので、いいですよね」
「梓ちゃんは行きたい大学とかあんの?」
「S女子大ですね」
「あ、知ってる」
昔、その女子大の前を通りかかった時にキャンパス内を行き交う綺麗な女性たちに見惚れていたら隣を歩いていた雫の掌底を食らって意識を失ったんだっけ。
なんでも、蚊が留まってたとか。
流石は幼馴染、俺が吸血されると焦って力加減をミスるほど心配してくれたみたいだ。……と、話が脱線したな。
それにしても、そんな所を目標にしているとは、梓ちゃんは何と向上心の高い子なのだろう。
「入試か。俺は将来、雫が心配しない職に就けるレベル目指さないとな」
「夜柳先輩が心配しない?」
「アイツ、彼氏ができたのに未だに俺の世話してるくらいだし……このままだと結婚しても俺の面倒とか見そうでさ、流石に自分の時間を大事にして欲しいから頑張ろうと思ってるの」
「先輩、偉いですね」
「調子のっていい?」
「駄目です。夜柳先輩を安心させてあげて下さい」
「うへぇ」
梓も厳しい所がある。
そういうところは雫に似ているかも。
雫は基本的に俺に厳しいが、何故か俺が膝枕したり肩揉みしたり、他にも一緒にゲームやらないか誘うと表情には出ないが機嫌が良くなる。
俺の膝って意外と柔らかいのかと思って試してみようとしたが無理だった。人体って不思議。
「先輩、私お会計して来ます」
「了解、俺ここで参考書見てるね」
「はい。じゃあまた後で」
何冊か手にして梓はレジへと向かう。
あれを今日から活用していくのかと考えると、頭が上がらない。一年の内から努力するとは、俺には無かった思考だ。
俺だってゲームの勉強をしているが、彼女ほど努力している自信がない……もっと励もう。
「大志、ここで何してるの」
不意にそんな声が隣から聞こえた。
振り向くと。
「雫、今日は何処にでも現れるよな。もしかして神様か?」
「参考書を見に来た。……アンタは、デート中だっけ」
「そうそう」
「あっそ。じゃあ、あの子と食べて帰って今日は晩ごはん要らない感じなのね」
「いや、家で飯食いたいから帰るぞ」
「……ふうん」
「でも今日は一人登校できた日だからな、自分へのご褒美に北海道風味噌カップ麺をたらふく食いたい。だから雫、今日は飯作らなくて良いぞ!」
膝を蹴られた、何故だ。
いつもご飯を作って苦労させているから、今日だけでも浮かそうという配慮もあったのに。
この高度な気遣いはまだ雫には早かったか。
「デート、楽しい?」
「まだ始まって直ぐだけど最高、可愛いな梓ちゃん」
「……あの子の名前、梓って言うんだ?」
「そう、永守梓」
「…………永守梓、ね。憶えた」
何か空気が冷たくなったな、ここの空調壊れてるのかな。
「大志、今度私とデートする?」
「雫と?」
「そう」
「いや、生徒会長としろよ」
「予行練習を大志でする」
「どういう感じの?」
「そうね、例えば」
不意に伸びた雫の手が俺の顎を撫でる。
ぞわり、とする撫で方だった。
それから優しく包むように顎を掴むと、親指のでついと下唇をなぞるように触れられた。
「――――キスの練習、とか」
雫の囁き声が耳に溶けていく。
キスの練習か、俺もあんまり経験が無いから自信が無いな。割と転んでるから地面とはよくしてるけど、人間相手はあまり心得がない。
「俺もあんま自信無いけど」
「なら、これを機に練習すれば良い。私もアンタも上手くなれる」
「おお、なるほど……実にケンセツ的だな。ん?セイサン的?」
「そうね。少し上達したら、もっと深いのも練習しないとね」
「深いの?」
「上級者向けのキスとか、他にもイロイロ」
ほう、雫は勉強熱心だな。
いや、それほど生徒会長にゾッコンなのだろう。鍛え上げた技を実践したいという達人めいた気風を感じる。
少し羨ましい、俺も早く恋人を作って上級者向けのキスとかしてみたい。
「よし、お互い頑張ろうな」
「…………」
「あれ、何で同意してくれないんだよ」
「先輩、会計終わりました……って、夜柳先輩!?」
戻ってきた梓が、俺と雫を見て素っ頓狂な声を上げる。
その声を聞いた雫の顔が一瞬だけ険しくなる。
「アレ、か」
雫は冷たい声で小さく呟いた。
それから振り向くと同時に笑顔を作って梓に一礼した。
アレか、って惜しいな。梓とは一文字しか合ってないぞ。
「ごめんなさい。普段は大志が来ないような珍しい場所で見かけたから話し込んでしまって」
「そ、そうなんですね!」
「デートの邪魔だろうし、私はここで失礼するわね」
「で、デート!? いや、そんなんじゃないですよ!」
「短い間の苦労かもだけれど私共々……宜しくね、永守梓さん?」
雫が笑顔のまま立ち去っていく。
俺たちはそれを呆然としたまま見送った……アイツの作り笑いって、やっぱり何か。
「か、カッコいいですね」
「気持ち悪い」
「え?」
「え?」
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