待ちあわせ/私だけの物



 俺は放課後が待ち遠しくなっていた。

 先の予定に楽しみがあると、それまでが途轍もなく長く感じるというが、まさか本当だとは思わなかった。寝てたら一瞬だった。

 偶然乗り込んだバスで一緒になった永守梓なる後輩女子と連絡先を交換し、それどころか放課後一緒に出かける程に仲良くなってしまっている。

 これは、もう――恋人までトントン拍子か?


 正門前で集合とあり、俺は急いだ。

 きっと門の片隅で健気に俺を待っている小柄で愛くるしい女の子の御姿を見る事が出来るのだ。

 憧れたシチュエーションの一つであり、これを現実の幸福として享受できる自分の状況に心から感謝した。

 意気揚々と門を出た俺は、道路を挟んで向かい側にある女子校の正門を確認する。

 そこに永守梓は――――いない。

 念入りに確認するが、姿形も見当たらない。

 まさか、やっぱり幻だったのか?

 あの通話も俺の幻聴だったのか?

 いよいよ心配になって途方に暮れていると、後ろから肩を叩かれた。

 まさか、永守あず――!


「……遅い」


「何で雫?」


 振り返ったら、そこに雫が立っていた。

 望んでもない超絶美少女幼馴染の登場に、俺の心臓が高鳴って落ち込む。

 おかしい、俺は永守梓を所望していた。

 見飽きた美しい雫を望んでいたわけではない。


「ネクタイ緩んでる」


「苦しいから緩めた」


「しゃんとして。一緒にいる私まで変な目で見られるでしょ」


「雫はいつも変な目で見られてるだろ」


「は?」


「美人だから」


 一瞬空気が冷たくなった。

 まだ初春だもんな、油断ならない時期だ。夜はお腹をちゃんと温めて寝ないと。


「あっそ。じゃあ、一緒にいるアンタには良い事でしょ」


「いや、注目されるのも嫌だから外を一緒に歩きたくはない」


「……それが一人登校したいって理由?」


「それもある」


「まだ他にあるの?」


「雫と俺が付き合ってるって誤解を受けるからな。そしたら俺は一生リア充になれないし、交際中の雫に不倫疑惑が付き纏うのはマズい」


「人生私で充実してるでしょ」


 自信満々に断言する雫の態度は兎も角、そろそろ永守梓が来ても良い筈だ。というより、通話内容からすれば彼女の方が早く学校が終わって先に待機している口ぶりである。

 俺は再び周囲を見回して探した。


「どうかしたの」


「今朝、連絡先を交換した女の子と放課後にデートする事になっ――」


「は?」


「デートする事になった」


「……じゃあ、私は邪魔なんだ?」


「雫を邪魔だと思うなんて、ゲームは一時間だけって電源ブチ切られた中学三年の時以来無いぞ。多分」


「邪魔なんだ?」


 雫が舌打ちし、俺の爪先を踏む。

 俺の靴に目障りな虫でも乗り上げていたのだろうか、酷い事をする。あと痛い。

 それにしても雫の機嫌が悪いな。

 もしかしたら、朝の一人登校を俺が見事に成し遂げてしまったからかもしれない。或いは、意中の生徒会長と喧嘩でもしたか。



「先輩、お待たせしました〜!」


 遠くからの声に、俺の全神経が反応する。


「来た!」


「……ふうん」


「じゃあな、雫。帰ったらプリンよろしく!」


 俺は雫に背を向けて、颯爽と遠い永守梓の影に向かって走り出した。

 その後すぐに校門前で警備員のおじさんに止められてしまったので、ちゃんと待った。










  ※   ※   ※   ※








 私――夜柳雫は、幼少期から何事においても思い通りだった。

 大抵の事は教えられずとも人がやっているのを見れば出来たし、愛想笑いを振り撒けば容易く皆は私を信用する。

 幾ら私が罪を犯そうと、頼めば喜んで誰かが濡れ衣を着てくれた。

 大抵の事が何もかも思い通りだった。

 それでも、能力に胡座を掻く事はせずに独力で万事を処理できる様に努力してあらゆる事に手を出した。

 幸か不幸か、私は天才肌というらしく殆どは直ぐに習得できた。

 すべてが簡単に出来てしまう。

 だから、普段から日常を退屈に思っていた。


 ただ、思い通りにならない事……というより人はいた。

 幼稚園の年中の時、私は砂場で孤独に遊ぶ少年を見つけた。

 先生が集合の号令を掛けているのに、全く応じる素振りすらないので、私が仕方なく呼びに行った時だ。


「先生が呼んでるよ、早く行こ?」


「呼んでた?」


「うん、だから行こ」


「ホントか〜? おまえ、胡散臭いぞ。母さんが笑って嘘つくヤツはザギンの師ースー?って言うんだって教えてくれた!」


「……それ詐欺師だよ」


「また嘘つきやがって」


 この少年は、小野大志。

 私の隣に住んでいる子だが、これが初めて会話した時だった。

 私の作り物の笑顔を一発で見抜かれた。

 いや、実際に先生の号令については嘘では無いので思い返せば間の抜けた返答なのだが、その時は虚飾の笑顔を見抜かれた事にただただ驚いていた。

 その後もだった。


「センセー、瓶を割ったのはソイツですよ! 人のせいにするな!」


「おい、コイツの事だから玩具返さないぞ。貸さない方が良いって、絶対」


「スゲー、大人を手玉に取ってやがる!」


 事あるごとに私の嘘を看破して糾弾したり、何故か尊敬の眼差しを向けられたりする。

 私や他人の嘘の機微については目敏いくせに、自分の事は無頓着で直ぐ怪我をしたり、怪しい大人に連れて行かれそうになったりもした。

 隣の家という縁もあるし、当時は厄介な存在と認識していたせいで彼の事が気になってしまい、やむを得ず何度も助けた。


 関係は気づいたら小学校まで続いていた。

 その頃には、もう隠す必要も無いので大志には本音で対応していた。


「大志、学校に遅刻するから早くして」


「何で雫と一緒じゃないといけないんだ」


「私が面倒見ないと大志はすぐに怪我するから、大志のお父さんたちに頼まれてるの」


「怪我してもへっちゃらだぞ」


「私と登校するのが嫌なの?」


「そりゃ勿論」


 小学生になろうと失礼極まりない。

 本当に殺してやろうかと思うくらいにイライラするが、親ですら見抜けないような本当の私をそのまま見てくれる大志の存在は、私にとって無視出来なかった。

 障害ではなく、大切な隣人だった。

 才能も、容姿も、性格も特に私と並ぶこともない。

 でも、私と対等にいられる人物。


 大志は私と違って偽らず素面で他人と対する。

 その言動が災いして大抵の人間に敬遠されるが、心根の優しさを知った者や好奇心を切欠に彼の魅力を知った者が自然と周囲に集まる。

 それ自体は別にいい。

 私にとって大志がどんな交友関係を結ぼうとも、大事に至らなければ問題ない。

 そう思っていた頃だ。


「大志くん、放課後に校舎裏で待ってます」


 偶然、廊下でそんな声を聞いた。

 大志にそう告げた女子生徒が走り去っていく。

 取り残された大志はうん?と小首を傾げる。

 本人は分かっていない様子だが、絶対に内容は告白である。あの女子は、確か大志と早々に仲良くなってよく一緒にいるところを見かけていた。

 仲良くなっていく過程で、淡い恋慕の感情でも芽生えたのだろう。

 それは別にどうでもいい。

 大志は私の隣人だが、私だけの物ではない。

 だから、誰かと一緒にいたって……。


「大志」


「見てたのか、雫。あの子に校舎裏に呼び出されたんだけど要件って何だと思う?」


「告白、じゃない?」


「マジか……あれ、告白を期待して良い反応?」


「告白だったら大志はどうするの?」


 絞り出した声は乾いていた。

 肺の奥がきゅう、と締め付けられるような苦しさと焦燥感が体を支配する。

 大志が、誰かと一緒にいる。

 大志は昔から女の子には甘いところがある。きっと恋人になったら、絶対にその子の虜になるだろう。


「いや、昨日買ったゲームの攻略したいから断るよ。俺は一途なんだ」


「…………」


「あ、よかったらその子も誘って放課後に一緒にやろうかな。これが二兎追っても二兎得れる……だっけ?」


「それは死ねばいいと思う」


「死……ちゃんとゲームは一時間だけにするから。そんな酷いこと言うなよ」


 大志が断るという回答を口にした時、私は心底からほっとしていた。

 バカなものだ。

 大志がどんな交友関係を築こうが構わない、と斜に構えて傍観者を口にしておきながら、結局は大志が誰かの物になるのが怖い。


「雫、どうしたんだ安心したような顔して」


「どんな顔」


「いつもより可愛くて綺麗な感じ」


「そう」


「でも、そういう顔する時の雫ほど邪悪って言葉が似合う物無いよな。あはははははは痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い」


 自分の気持ちを自覚した。

 それ以来、大志に女の影が寄り付く度に危険に感じて裏で色々と工作した。お得意の処世術を使って周囲を欺き、操ってバリケードを作る。

 それから。


「大志、どこを受験するの?」


「この高校」


「ここから遠いからやめときな」


「でも、俺の学力でも行ける数少ない高校だぜ?」


「なら、この男子校とかどう?」


 私は男子校へと大志を誘導し、女から隔離した空間に保護することにした。

 こうして、大志が関わる女子は私のみになるような環境を作った。

 相変わらず憚らない言動にイライラさせられるが、彼は私だけを見てくれるし、私だけが彼を見つめる事ができる。






 そう、思っていたのに。

 今、大志が喜んで後輩の女子高生と合流して楽しげに会話している。


「ふざけるな」


 思わず拳を強く握り込む。

 爪が皮膚に食い込んで、血が溢れた。

 抜かった。

 予て理屈を捏ねていつか署名させようと用意していた契約書に大志がサインした事で気が緩んだ。あれには、確りと私との結婚を遠回しに強制する条件を含ませてある。あの大志なら、仕方ないと従うだろう。

 たった一瞬の油断なのに、大志にまた別の女が寄っている。


「考えなきゃ」


 私は大志を見つめて、今後の方針について思索した。




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