第27話 助けあい、護りあう

 オーガが火魔法を放ったとき、カイは地面に転がったままで目をつぶりそうになった。もうだめだ。これで終わりだろうと。

 だが、その瞬間ときはまだ来なかった。


 オーガの放った火球は飛ぶ間に急速に小さくなった。カイが必死に顔の前に上げた手の甲にぶつかると、そこに火傷を残して消えた。飛び散った火の粉がカイの髪を焦がしたが、それだけだった。オーガもすでにかなり消耗していて、火球の威力がカイのいる所まで保たれないのだ。


 火球が虚しく消えるのを見るや、オーガは怒りの咆哮を上げ、再び魔核を明滅させた。だが、今度は左手に火は宿らない。魔力が込められたのは泥に捕らえられた右手だった。

 自分の体に接していれば、魔力を最大効率で発揮できる。

 泥は熱を帯び、煮立ち、湯気が朦々と立つ。水分があっという間に失われていく。やがて生焼けの煉瓦のようになった泥土は、オーガが右腕に力を込めるとひび割れ、粉々の破片となって飛び散った。


「グオーッ!」


 オーガが勝ち誇って雄叫びを上げる。

 再び魔核が明滅し、今度は右足が地面から抜け出た。オーガが動いた拍子に、その背後にいたディートの姿が見えた。まだ寝転がったままだ。顔はこちらに向き、眼を閉じたままでいる。


 三度目にオーガの魔核が明滅した。

 カイは寝転がったままでなけなしの魔素を練り、魔力を振り絞って「飛礫キーズヴェルフェン」とつぶやきながら手から石礫いしつぶてを飛ばした。もう尖らせることもできず、小石ともいえない小さな石粒を、何とか届け、当たれと祈りながら送り出す。


 オーガは一瞬顔を歪めたが、カイが必死に飛ばしたその礫が自分の横を通り過ぎると、嘲笑を顔に浮かべた。もう敵の魔法使いは狙いを定められないほどに朦朧としているのだと。そして罠からの脱出と勝利を信じてカイを見下してまたわらい、空を見上げ、高らかに何度も咆える。唯一泥に捕らえられたままだった左足に火の魔力を集める。


 最後の泥沼が干上がる。オーガが力を入れる。泥土にひびが走り拡がり、オーガの声がまた上がる。


 だがその勝ち誇った咆哮は、オーガの腹部から突然放たれた紅蓮の閃光とともに途切れた。


 眩しい赤光しゃっこうにカイが眼を細めると、閃光はオーガの総身を包み込んだ。そして数度激しく明滅した後に、再び突然消え去った。


 そこに姿を現わしたオーガは、何が起こったかわからない、信じられないという驚愕を顔に表し、開いた口から大量の唾液を垂らしたまま、その巨体が始めはゆらりと揺れ、やがてゆっくりと、そして勢いよく前に倒れた。

 激しい地響きと土煙が起こる。

 それらが鎮まった後にあったのは、オーガの背中に深々と突き立ったカイのナイフと、肩で大きく息をつきながらオーガを見下ろすディートの姿だった。


「カイをやらせるわけにはいかない」


 そう言った後に強張った笑顔をカイに向けた。


「これだけ時間を作ってくれれば、『ここだ』と光る、止まっている的を背中から狙うぐらい簡単だ」


 そしてディートはかなり離れた所に落ちていた自分の剣を拾いに行った。手に取ると油断なく構えながら、倒れたオーガに再び近づき、その背中からナイフを力任せに引き抜く。カイの前に回ってきて背中に庇い、オーガの動きを見守った。

 魔物は巨躯と四肢を力無く蠢かせていたが、やがてそれも止まった。


 ディートは倒した相手の開いたままの眼の光が消えたのを確かめて、カイに振り返った。


「もう大丈夫だ」


 そう言った後に自分の剣を地に置き、ナイフの刃を確かめると、そこについた魔物の紫色の血を足元の草でぬぐい去ってから折り畳んでポケットにしまった。そして剣を拾って鞘に納めようとしたが、うまくいかない。


「ちょっと曲がってしまったようだな」


 言いながら、何とか納めようとするが、鞘の途中で突っかかって入らない。

 カイはその様子をぼんやりと見ながら安堵とともにぐったりと仰向けになって地面に全身を預けた。


「カイ! 大丈夫か!」


 ディートは抜き身の剣を手に下げたままで慌てて駆け寄った。


「起きられるか?」


 カイの背中に手を回して力を強く込めて、上半身を起こそうとする。


「いててて…… もうちょっと優しく起こしてくれよ」

「それはこっちの台詞だ」


 文句を言うカイに、ディートが自分の赤くなった額を指差しながら応えた。


「まさか石礫で起こされるとはな。もし貫通したらどうしてくれるつもりだったんだ」

「他に手がなかったんだよ」


 カイが最後に放った飛弾は、オーガを狙ったのではなかった。ディートに当てて、目を覚まさせるためのものだったのだ。


「痛かったぞ。死ぬかと思った」

「気がついたのなら、なんで逃げなかったんだよ。それこそ本当に死ぬところだったんだぞ」


 カイはふらつく頭を振りながら、友をなじる声を絞り出した。

 もしオーガが背後のディートの動きに気づいていたら、ディートの一撃が魔核を外していたら、今ごろは二人とも命はなかっただろう。それどころか、二人してオーガの胃の中で仲良く混ざり合って、形すら残っていなかったかもしれない。

 カイが必死になって命懸けでオーガを引きつけ、足止めをしたのが無駄になっていたかもしれないのだ。

 だが、ディートの返事は謝罪でも言い訳でもなかった。


「それもそっくりそのまま返させてもらおう。俺を置いて逃げるべきだったのはお前だ。勝てないかもしれない強敵が相手のときには、後ろの魔法使いを先に離脱させるために、剣士が前で盾になるものだろう。貴重な魔法使いを守り、逃がすのが最優先だ」

「そんなことをして、お前を死なせるわけには行かない」

「またこっちの台詞だ。お前こそ死なせてたまるものか」


 結局のところ、二人とも考えたことは同じなのだ。そんなことはお互いにわかっていた、友を置いて一人で逃げるつもりなどこれっぽっちもなかったのだ。


 二人は顔を見あわせると、笑い出した。一度笑い出すと緊張のたがが外れて、止まらなくなった。ディートもカイの隣に寝転がって、心の底から笑った。何が可笑しいのかわからなかったが、心ゆくまで大声で笑い続けた。

 笑うだけ笑うと、カイが口を押さえながら転がり、体を横に向けた。何度も「うっ」とえずいている。

 ディートは慌てて声をかけた。


「おい、カイ、本当に大丈夫なのか」

「ああ、大丈夫だ。魔素切れを起こしただけだ」

「それだけのはずがないだろう!」


 オーガの拳を避けるために必死で地面を転げ回ったカイの体は擦り傷だらけで、あちらこちらから血が流れている。体術を訓練しているディートとは違って受け身を知らず、青あざが浮き出てきているのも一か所や二か所ではない。手の甲にもオーガの火球を受けた火傷が残り、髪もあちらこちらが焦げてちりちりになっている。

 それでもカイは体中のあちこちから響く痛みをこらえて答えた。


「骨が折れたところはないと思う。お前こそ大丈夫か?」

「俺は問題ない。打ち身は何か所かあるが、それだけだ」

「俺も、魔力切れが回復したら、起き上がれる……たぶん」

「たぶんって! 本当に大丈夫なのか?」

「ああ。ディート、一人で先に行って保安官に知らせて来てくれないか? お前たちが戻ってくるころには俺も回復してるだろうし」

「何を言っているんだ。お前を置いて行けるわけないだろう。親父が言ってたじゃないか。『絶対に離れるな』って」

「じゃあ、悪いけど、背負ってもらえるか? 何とか動けるぐらいには、すぐになると思うから」

「いいとも。もちろんだ」

「魔法で体を浮かせられるようになるまで待っててくれたら、楽に運べるけどな。何年かかるかわからないけど」

「冗談を言っている場合か。いいか、起こすぞ」

「ああ、頼む」


 ディートはカイの背中を支えながら引き起こした。親友の両脇の下に腕を入れて力を込めて立たせると、背負い投げをするように大きな体を丸めてカイの下に潜り込み、自分の背中に乗せてゆっくりと立ち上がった。


「すまん、世話になる」

「気にするな。お前と俺の仲じゃないか」


 明るく返事をすると、背中からしみじみとした声が返ってきた。


「ディート」

「なんだ?」

「お前と一緒でよかった。助けあえるお前でよかった」


 カイがそう言って、ディートの目の前に右の拳を力無く突き出した。

 ディートは静かに答えた。自分の左拳をそっと合わせながら。


「ああ、俺も同じ気持ちだ。互いに護りあえるお前でよかった」


 その言葉にカイが満足そうに腕の力を抜き、目を閉じる。その呼吸の音が規則正しく続いていることを確かめて、ディートは森の中を、保安官が待つ牧場を目指して静かに歩いて行った。

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