第21話 入牢者の晩餐

 カイは地下牢に一人取り残された。牢の中には、硬そうな木の寝台と粗末な毛布、片隅に排便用の容器が置いてあるだけで他には何もない。鉄格子も一応端から端まで調べてみたが、緩んだり錆びて傷んだりしている場所は見つからなかった。


 もっとも、カイには脱走する気はなかった。


 毛布を折りたたんで牢の寝台に敷いて座ると深く考え込んだ。

 冷静に考えてみれば、保安官の言うとおりだ。何もしていないのだから、調べを恐れる必要もない。

 保安官はディートが尊敬する父親だ。証拠や証言をでっち上げて自分を罪に落とすようなことはしないと信頼してもいいはずだ。


 それに仮にここから逃げ出られたとしても、もし住民に見つかって捕まえられたら、牧場主に引き渡されかねない。そうなったら人知れずに袋叩きにされるのが目に見えている。ヒツジ三匹は彼等にとっては、たぶん俺の命より重いのだ。


 確かに今はここにいるのが最善だ。

 ひょっとすると保安官は、取り調べよりも俺を保護するためにここに入れたのかもしれない。そして、ディートに、自分の息子に、俺に縄を打つように命じたのも何か考えがあってのことなのかもしれない。


 カイは「ふぅーっ」と大きく息をして天井を見上げた。漆喰塗りの粗い仕上げの模様を眺めながら、また考えを巡らせる、


 それにしても、ヒツジを盗んだのは、そして俺をはめようとしたのは誰なんだ。誰が、何のために。

 犯人の野郎は、罪に落としても誰も文句を言わない相手は俺しかいないとでも思ったのか。いや、違うだろう。この町には、小作人のような身分の連中は俺以外にも何人だっている。それこそ、そうするのにもってこいな流れ者だっていないわけじゃない。

 じゃあ、俺の父親のせいか。いや、父親のことをバカにしてとやかく言われたことは数えきれないが、父親への恨みで嫌がらせを受けたことはない。

 そうすると、たぶん、俺自身を狙ってのことなのだろう。

 では、何のために? 誰が?



 カイはさらに深く考えに沈み、そしてしばらくの時間が経った。長かった壁の蝋燭も半分以上が燃えたころ、地下牢への階段を誰かが降りてくる音がした。


 誰だろうか。

 カイが顔を上げると、そこにいたのは二つの木製のトレーを持ったディートだった。階段を降り切ったところで、立ったまま何も言わないでいる。


「よう」


 カイが声をかけると、ようやくディートはためらいがちに近づいてきた。


「夕食だ」


 ぼそっと言うと、食器が載ったトレーの片方を、鉄格子の下の隙間から滑り込ませるようにして牢の中に入れてきた。


「ありがとよ」

「粗末だが、我慢してくれ」

「わかってるさ」


 カイは申し訳なさそうに言うディートにそう返して、トレーを取り上げた。その上には、レンズ豆と根野菜のスープの大椀と黒パンの木皿、杏子が一個、そして葡萄酒の入った小さなカップが乗っている。それを見て、カイは思わず動きを止めた。


「どうした?」

「いや、何でもない」


 不思議そうにするディートに返事をしながら、カイは叔父の家でいつもあてがわれている食事を思い出さずにはいられなかった。

 あれと比べて、スープは量が多く中身も豊富だ。普段は浮かんでいる野菜や豆がひと目で数えられるぐらいだが、目の前の器の中身の具は、両手どころか両足の指も手伝わせても足らないだろう。パンも何割増しかの大きさだし、果物など、半ば悪くなったものや虫の食い残しのようなもの以外には食卓で食べたことがない。カップの中身もカイがいつも与えられている薄いエールや渋くて酸味の強い葡萄酒とは香りからして違っている。


「(こんなことなら、ずっと牢に入っていようか)」


 カイは口の中一杯に湧いた唾液をゴクリと飲み下しながら心の中でつぶやいた自分の冗談に笑い出しそうになったが、何とかこらえてトレーを持って寝台の方に戻ろうとした。

 すると、ディートはもう一方のトレーを牢の前の床に置き、それに向かってあぐらを組んで座り込んだ。


「何やってんだ?」


 カイがトレーを持ったまま尋ねると、ディートは顔を上げずに目の前の自分のトレーからスープの大椀と木匙を取り上げながら答えた。


「俺も今日はここで食う。お前と同じものをだ」

「は? なんでだ?」


 カイが問いを繰り返しても、ディートは自分の食器から視線を上げない。

 具を何もすくえていない木匙を見ながらぼそぼそと喋り出した。


「すまなかった。お前はこんなところに入れられるべきじゃない。それを止められなかった。お前が罰を受けるなら、俺も受けるべきだ」

「いや、何を言ってるんだ? お前は何も悪くないだろ。保安官の命令に従っただけじゃないか」

「それとこれは別だ」

「でも、俺はヒツジ泥棒の容疑者だぞ」

「いいや。お前が言ったとおりだ。お前はやってない」

「なんでわかるんだ?」

「わかるさ」


 そう答えると、ディートはきっぱりとカイを見上げて正面から見た。


「お前は俺に嘘を言ったことがない。だからだ。なのに、俺はお前を捕まえてしまった。俺は俺が許せない。俺の気がすまないんだ。本当に申し訳ない」

「……そうか」


 カイは自分の顔に血が昇るのを感じた。慌ててうつむく。

 自分のトレーを鉄格子を挟んでディートのトレーと向きあわせて置き、友と同じように座り込む。なぜだかぼやけてよく見えない木匙と椀を取り上げた。

 叔父の家での味のしない料理とは違うスープに、塩味を強く感じたのはそこに落ちた何かのせいだったかもしれない。黒パンをちぎり取り、スープにひたして口に入れる。しばらくの間、二人とも黙ってもそもそと食べ進めた後に口を開いたのはディートだった。


「やっぱり不味まずいな」

「いやいやいやいや。俺が普段食ってる飯は、もっと不味いぞ。量も少ないし」


 カイが被せるように言葉を返すと、ディートは驚いた。


「本当か? これよりも? 嘘だろう」

「お前に嘘を言ってどうするんだ。俺を信じてくれるんじゃなかったのか?」

「いや、それはそうだが。肉も魚も無いんだぞ。これよりか」

「ああ? 何言ってんだ。肉や魚なんて、祭りの日にしか食ったことがないよ。教会の司教様にお目に掛かるより珍しいぜ」

「そうなのか…… すまん。俺、悪いことを言ったな」


 ディートが目を伏せて謝罪の言葉を口にした。


「いや、全然気にしてない」


 そう返しても目を上げず、自分が口にした言葉を随分と後悔しているのを見て、カイはわざと声を潜めた。


「なあ、相談なんだが」

「何だ?」


 やっと顔を上げた友人に、さっき考えついた悪だくみを打ち明けてみる。


「俺、保安官の取り調べには、思わせぶりなことを適当に言ってはぐらかしたほうがいいかな? そうすればここに長くいて、この飯を食い続けられると思うか?」

「おいおい、何を言い出すんだよ」


 ディートの慌て声に、カイはケラケラと笑ってみせてから、今度は明るい声で付け加えた。


「それに、ここにいる間はずっと、お前が飯に付き合ってくれるんだろ? 一人で食う上等な食事より、はるかに美味いさ。話もたっぷりとできそうだしな」

「それはいいが、この飯が美味くなるような面白い話をしてくれるんだろうな?」


 ディートの声も明るさを取り戻した。


「悪いけど、それは保証できないな。俺にはもう十分に美味いし。……それに」

「それに?」

「俺を信じてくれるお前に、嘘八百のほら話はできないから」


 二人は顔を見あわせると、同時に「プッ」と噴き出し、声を揃えて大笑いした。

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