第20話 入牢

「ディートフリート、お前がカイレムに縄を打って連行しろ」

「ですが、父さん」

「愚か者!」


 抗弁しようとしたディートフリートは、父親の厳しい一喝にびくりとすくみ上った。


「父親ではない。今は保安官として助手見習に命じているのだ! 上官の命に直ちに従えなくて、保安官が務まるか!」

「……」

「さっさとしろ!」

「はい」


 厳しく命じられて、ディートフリートはやむなく捕り縄を持ってカイの前に出た。


「カイ、両手を後ろに回して向こうを向くんだ」

「ディート、俺はやっちゃいないぞ」


 カイはディートフリートの指示に従って背中を向けながらも、冷えた声で言い放った。それを聞いて、周囲を囲んだ牧童たちがまた怒りに満ちた唸り声を上げながら詰め寄ってくる。

「そんなわけねえだろ!」「このヒツジ泥棒めが!」「三匹分の弁償だけでは済まないぞ!」と方々から声が上がる。

 ディートフリートは肩をびくりと動かしたが、保安官の命令は絶対だ。カイに静かに応じた。


「それは後で聞く。いいから、今は保安官に従うんだ」


 カイは肩をそびやかしたが、もう何も言わなかった。背中を向けたままで、ディートフリートの言うように両手を後ろに回して縛られるのに任せる。

 そこにバイスも戻ってきた。カイを縛った縄をディートフリートが持っているのを見ると驚いた顔をしたが、すぐに保安官に向かって報告した。


「保安官、行ってきました」

「御苦労。どうだった?」

「ヒツジ泥棒の証拠になりそうなものは何もありませんでした」

「そうか」


 保安官は無表情で返事をした。だが、バイスは「ですが」と右手に持っていたものを差し出した。


「こんなものが床のあちこちに落ちていました」


 バイスが見せたものは、白く長い毛だっだ。人の髪には見えない。保安官はそれを受け取ると目の前に持ち上げてしげしげと見た。


「これは、ヤギの毛のようだな。他に、ヒツジの毛は落ちていなかったか?」

「いいえ、これと同じようなものだけでした」


 バイスが首を横に振りながら言うのを聞いて物問いたげになった保安官に、横からミエリが口を出した。


「カイはうちのヤギの世話もしてるのよ。毛が落ちてるのは当たり前でしょ。ヒツジと何も関係ないじゃない!」


 だが、牧童の内で年かさの者が言い返した。


「ああ、ヤギは関係ない。だがな、ヤギの面倒を見ているということは、家畜に慣れているということだ。昨夜、ヒツジは変な騒ぎ声は上げなかった。家畜に不慣れな奴が来たら、ヒツジは驚いて騒ぐんだ!」

「そんなの、カイでなくたって同じじゃない! ヤギを飼ってる家が町に何軒あると思ってんのよ!」


 ミエリがさらに言い返したが、保安官は「二人とも、いいから静かにしろ」と言ってどちらにも取り合わなかった。

 バイスが保安官に静かに言った。


「まあ、誰が犯人だったとしても、ヒツジの毛を自分の部屋のそこかしこに落とすような間抜けな真似はしないでしょう」

「そうかもしれんな」


 保安官は少し考えた後に、カイとディートフリートに向き直った。


「では行こうか」


 保安官は声をかけると先に立って歩き出した。その後をカイ、カイを縛った捕り縄の端を持ったディートフリート、そしてバイスが続く。

 牧場主と牧童たちも大声で不満を言いながらついてきて、その様子に気づいた付近の住民が近寄ってくると自分たちの主張を言いふらす。それを真に受けた住民たちの中からカイを小突こうとする手が伸びたが、保安官が振り返りざまに素早くそれを払った。


「やめてもらおうか。怪我でもさせたら、こちらの取り調べの邪魔になる。捜査妨害でカイレムと一緒に牢に入りたいなら、別だがな」


 それでも我慢ならないと、声にならない怒りの声が周囲のあちこちから起こると、保安官は一同をじろりと見回して宣言した。


私刑リンチは許さない。何があってもだ。私の管轄区域の中で私刑を行ったものは、全員が処刑台にぶら下がることになる。漏れなくだ」


 そう低い声で脅すように言うと、カイに伸びてくる手は消えた。

 この保安官は普段は温厚だが、一度刑罰を宣言したら、嘆願があろうが脅されようが、すべて相手にせずに必ず処断する。町の皆がそれを知っているのだ。


 保安官が歩き出すと前方の人垣が割れた。その間を四人は歩く。牧場主たちや住民たちもなおもぶつくさと何か不平の言葉を洩らしながらついてくる。ぞろぞろと後ろに人々を引き連れて、妙な行列は町の通りを進んだ。



 保安官は自分の事務所に着くと、人々に宣言した。


「カイレムの処分が決まったら町長に報告する。それまで身柄は私が預かって取り調べを行う。わかったら解散しろ!」


 そしてカイの背中を押して事務所の中に入らせた。慌てて後を追うディートフリートから縄を受け取ると、バイスに命じてカンテラを灯させて受け取った。


「お前たちはここにいろ」


 そうバイスとディートフリートに言い残して地下にある牢にカイを一人で連れて行った。



 階段を降りると一番手前の牢の鉄格子の扉を開け、カイを入らせ、床に座らせてから縛っていた縄をほどいた。

 カイは両手首についた捕り縄の跡を代わる代わる揉みほぐしながら、肩越しに首だけで振り返って保安官を睨んだ。


「俺はやっちゃいないぞ」


 恨みがましい低い声での宣言に、保安官は平静にあっさりと応じた。


「そうかもしれんな。お前が犯人だという確たる証拠は何もない」

「じゃあ、なんで俺を捕まえたんだ!」


 カイは振り返り、噛みつかんばかりの剣幕で咆える。

 保安官は、立ち上がろうとするカイの両肩を大きな手で強く押さえてまた座らせた。


「落ち着け」


 そして変わらない静かな声で諭した。


「牧場主たちはお前がやったと決めつけている。あのまま放っておいたら、お前は今ごろ、袋叩きにされてあの世行きだろうな。ここなら、取りあえず安全だ」

「だからと言って、無実の俺を捕まえるのかよ!」

「無実かどうかは、これから私が調べる」

「俺はやってない! 俺を信じないのか?」


 カイはまた食ってかかろうとした。だが、被せるようにすぐさま帰ってきた保安官の言葉に、唖然とした。


「ああ、信じない」

「……」


 保安官は、口を開いたままでいるカイを気に留めずに言葉を続けた。


「私は、人の話は聞く。告発者も、被害者も、容疑者も、証言者も、すべての話を聞く。すべてだ。そして証拠を捜す。集められるだけ、できるだけ多くだ。そしてそれらを考えあわせて、辻褄のあう話を組み立てる。できるだけ多くの証言や証拠を矛盾なく組み込めるようにだ。誰かを、誰かの言ったことを無条件に信じたりはしない。それが私の仕事だ。だがら、息子の親友であっても信じないのだ」

「……親友」


 カイが言われた言葉を繰り返すと、目の前のディートの父親は片眉を上げた。


「違うのか? ディートフリートは、お前の話になると顔が柔らかくなる。お前が辛い目に遭ったら哀しそうに、お前にいいことがあったら、嬉しそうにしている」


 カイは驚いた。驚いて尋ね返した。


「あいつ、俺の話をあんたにしているのか?」


 保安官は上げていた眉を下ろすと、今度は両肩を軽くすくめて答えた。


「私というより、妻に、だな。夕食のときに妻がディートフリートにその日の出来事をよく尋ねるのだが、同じ年ごろの仲間の中では、いや、というより、他の誰の話よりもお前の話が多いな。カイレム、お前、最近、何かとてもいいことがあったようだな」

「……」


 カイは黙り込んだ。

 保安官が言っているのは、たぶん、自分が魔法を使えるようになったことだろう。たとえディートの父親であっても、町の保安官であっても、それを知られるわけにはいかない。だが、ディートが話してしまったのだろうか。

 カイは口を固く閉ざしたままで上目遣いに保安官の顔を探った。その様子を見て、保安官は「ふっ」と笑いをこぼした。


「安心しろ、私の息子はお前の秘密を漏らすような男ではない。たとえ私や妻にであってもな。ここしばらく、ディートフリートはお前の話になるととても真剣な顔をして『あいつは凄い。母さん、あいつは凄いんだ。粘り強くて、頭が良くて』と繰り返して言っている。『あいつに負けないように、俺も頑張らないとな』ともな。それだけだ」

「……」


 無言のままうつむいたカイをそのままにして、保安官は立ち上がった。


「私が調べを終えてお前の無実が明らかになるまでは、ここにいてもらう。逃げ出そうなどと思うなよ。もしお前が何もやっていないなら、逃げ出す必要などない。脱走するならそれなりの理由が何かあるはずだ。もっとも可能性が高いのは、お前が犯人だから、ということだからな」


 そう言うと、保安官は牢の外に出た。


「これも言っておく」


 保安官は語り続ける。牢の錠前に鍵を掛け、ろうそくにカンテラから火をうつして壁に穿うがたれた穴の燭台に立てながら、とても静かな声だ。


「ディートフリートはお前を信じている。だから、私が命じてもすぐにはお前に縄を打とうとしなかった。お前を信じたのだ。何の証拠もなくてもな。確かな根拠があるなら、『信じる』必要などない。何もなくても、周囲から見ればどれほど疑わしくても、お前は自分に嘘を言わないと思い込む。『信じる』とはそういうことだ」


 語り終えると階段へ向かった。だが、その最初の段に足を掛けたところで立ち止まると振り返った。


「カイ、後でディートに食事を持ってこさせる。そのときにあいつと話し合えばいい」


 そう言ったのは、さっきまでの保安官の顔とは違う、柔和な、優しい顔だった。

 カイは、まだ酒に溺れる前の自分の父親の顔を思い出して、またうつむいた。


 ゆっくりと階段を昇っていくディートの父親の足音だけが、地下牢の石壁にカツン、カツンと反響して、消えていった。

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