第19話 ヒツジ泥棒
「カイ、動くな!」「捕まえろ!」「絶対に逃がすな!」
男たちが口々に叫ぶ声が聞こえる。
何のことか、何が起きたのかもわからずにカイがただぼーっと突っ立っていると、男たちは我先にと門から入り、こちらに向かって走ってくる。
よく見ると、町はずれでヒツジ牧場を経営している牧場主とその雇人の牧童たちだ。その中に、保安官と助手のバイス、それにディートフリートもいる。家の中からも、何が起きたのかとカイの叔父やギエリが出てくる。
叔父が男たちに向かって「何だ! 勝手に入ってきて、どういうことだ!」と怒鳴ると、牧場主がいきり立って怒鳴り返した。
「どうもこうもあるか! ヒツジ泥棒だ! カイの野郎が、俺のヒツジを盗み出した! 三匹もだぞ! どうしてくれるんだ!」
何のことだ?
カイが呆気に取られる間にも、牧場主を先頭にした男たちはカイを取り囲んだ。怒気に駆られた牧場主がカイに詰め寄って胸倉をつかもうとするところを、横から保安官が割り込んでその腕を押さえた。
「待て。勝手なことをするな。取り調べは私が行う」
だが、牧場主は承知しなかった。
「取り調べの必要なんかない! うちの連中が、昨日、こいつがうちのヒツジをじろじろ見ているところを目撃しているんだ! 三匹だぞ! どうしてくれるんだ!」
「俺はそんなこと、やっちゃいない!」
たまらずカイが言い返すと、保安官が二人の間に割って入った。
「二人とも落ち着け!」
そう言いながら両者の胸を押し離してカイの前に立った。助手のバイスも間に入り、牧場主を「まあまあ、おやっさん。俺たちに任せてくれ」となだめている。バイスは保安官助手になる前は牧童で、この牧場主に雇われていた。よく知った顔になだめられて牧場主が少し落ち着くと、保安官はカイに尋ねた。
「カイレム、お前は昨日の夕方、どこにいた?」
カイはわけがわからないままに答える。
「どこって、ティーヒ池のところだ」
保安官はそれに被せるように矢継ぎ早に問い続けた。
「何をしに?」
「呼び出されて、人に会いに」
「誰だ?」
「わからない」
「わからない?」
カイはありのままを答えたが、保安官の顔は疑わし気になった。
「『わからない』とは、どういうことだ?」
「昨日、出かけて帰ってきたら、家の前にハンスがいてこれを渡された」
カイはポケットを探り、そこにまだ入っていた紙片、名前も書かれていない呼び出し状を保安官に渡した。
「ハンスがか……」
保安官が眉根を寄せた。ハンスはまだ小さな子供だし、喋れず読み書きもできない。事情を尋ねるのは難しい。
保安官はまたカイに尋ねた。
「それで、誰が来た?」
「誰も来なかった」
「誰も?」
「ああ、誰もだ。陽が落ちるまで待ったけど、誰も現れなかった」
「まったく誰も見なかったのか?」
「そこの牧場の人たちがヒツジを連れ帰るのは見た。けど、それ以外は誰も。暗くなりそうになったから、そのまま帰った」
「嘘だ!」
牧場主がまた口を挟む。
「いい加減なデタラメを言っているんだ! そのままそこに潜んでいて、夜更けに忍び込んでうちのヒツジを連れ出したんだろう!」
「そんなことはしていない! そのまま帰った!」
「嘘だ!」
「黙れ!」
保安官が、いきり立って言い合う牧場主とカイを一喝した。そして牧場主に厳しく命じた。
「取り調べは私がすると、さっきも言った。黙っていられないなら、ここから離れてもらうぞ」
「……わかった」
牧場主は、悔しそうに唇を噛みながらも引き下がった。
保安官はそれを見てカイへの尋問を再開した。
「池からの帰り道で誰かに会ったか?」
「いや、誰にも。もう暗くなっていて、誰も通っていなかった」
カイが顔を横に振りながら答えると、保安官はカイの叔父とギエリに向いた。
「昨日、カイレムはいつごろに帰ってきた?」
叔父はギエリと顔を見あわせると、カイの顔をちらりと見てから答えた。
「わからない」
「わからない? わからないのか? なぜだ?」
「ああ、わからない。カイは納屋で寝起きをしている。母屋には顔を出さずにそっちへ直接に入れば、わしらにはいつ帰ったかがわからないのだ」
「夕食は? 一緒に取らないのか?」
「ああ。カイの食事は台所に用意している。それを勝手に持って行って勝手に食べて、片付けも自分で勝手にやっているから、夜は顔を合わせないことが多い」
「そうか」
保安官の顔に深い影が差した。
カイが叔父の一家から疎外されていることは察していても、食事も一緒にしないほどとは思っていなかったのだろう。だが、そのことは口にしなかった。
「カイのねぐらを調べてきましょうか」
助手のバイスが保安官に進言した。保安官が「うむ」と応じると、バイスは早足で納屋に急いだ。
保安官は今度はギエリに尋ねた。
「ギエリ、お前はどうだ? 昨夜、何か気づかなかったか?」
その言葉に、場の全員の目が一斉にカイの従兄に向く。
ギエリはその勢いに怯えるように肩をすくめて身を反らした。だが、カイの視線を受け止めると、口を歪めた。その顔を赤くしながら鼻息を「フンッ」と鳴らしてから答えた。
「俺は知らない。というか、俺が起きている間は、何の物音もしなかったと思う。きっと、夜遅くまで帰っていなかったんじゃないか」
「ギエリ!」
カイが叫ぶ。だがギエリも大声を返した。
「何だよ! 俺は嘘は言ってないぞ!」
「俺は帰ってた! 夕食も食った!」
「それがいつだったかはわからない! 明け方に帰ってきてこっそり食ったのかもしれないじゃないか!」
ギエリが言い返すと、牧場主たちも周囲から「そうだ!」「そのとおりだ!」と叫ぶ。
一方ではミエリが父親に訴えている。
「お父ちゃん! 何とかしてよ! カイが夜中に帰ってきたら、誰かが気づくはずよ! このままじゃ、家から縄付きが出ちゃうわよ!」
だが叔父は何も言わず、ギエリが妹に怒鳴る。
「ミエリ、黙ってろ! わからないものはわからないだろ!」
周囲の牧童たちもギエリに続いて「そうだ!」「子供は黙ってろ!」と口々にミエリを非難して場が騒然とし始めたところを、保安官が制した。
「いいから、皆静かにしろ! ギエリ、もういい。お前が何も気づかなかったことはわかった」
そして今度はカイに向いた。
「カイレムも黙れ。お前は取り調べを受ける立場だ。勝手にしゃべるな。私が何かを尋ねるまでは黙っているんだ。迂闊なことを言えば不利になるだけだぞ」
「……」
カイは不服そうにしながらも口を閉ざした。
保安官は顎に手を当て、人差し指で口髭をいじりながら考え込んだ。なかなか動こうとしないその様子を見て、牧場主たちがまた騒ぎ出した。
「保安官、いい加減にしてくれ! カイがヒツジやヒツジ小屋の様子を窺っていたのをうちの連中が見ている! その後は誰も怪しい奴はいなかった! カイが家に帰った証拠はない! だったら犯人はカイに決まっているだろうが!」
牧場主は保安官を押し退けようとしてさらに叫ぶ。
「あんたが何もしないなら、俺たちがやる! ヒツジを三匹も盗んだんだ、棒打ち三百だ! いや、辛い思いをさせるより、いっそ、ひと思いに楽にしてやろう。うちの牧場に吊るして、見せしめにしてやる!」
雇い主の宣言を聞いて、牧童たちも一斉に前に出てカイを捕まえようとする。
保安官は両腕を広げて彼等を押し留めた。
「だめだ!
そして脇にいた保安官助手見習に命じた。
「ディートフリート、カイレムに縄を打て」
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