第16話 父の壁
カイが魔法の発動に成功してから十日ほどが経ったある日、ディートフリートは父親の道場の鍛錬場所である広場で木剣をひたすらに振っていた。
この道場では、町の各地区の保安官や保安官助手、あるいは商店や酒場の用心棒たちがディートフリートの父親に弟子入りして、剣術や体術の鍛錬をしている。
今日も防具を身に着けた多くの門人が稽古用の木剣を振っている。誰も彼もが逞しい体つきをした、腕に自信のある連中だ。
その中でも、ディートフリートは目立った存在になってきている。
体が弟子たちの中でもひときわ大きいだけではない。武術の技も、同年代のものでは敵う者がおらず、大人たちとも互角以上になっている。
父親の保安官助手であるバイスには、二年ほど前に初めて剣術の立ち合いで勝った。その後もディートフリートの伸びは著しく、すでに十回に九回は勝つようになっている。バイスは負けだした当初は悔しそうにしていたが、今では、少なくとも言葉では「流石は保安官の坊ちゃんです」とディートフリートを持ち上げるようになっている。内心では対抗心を激しく燃やしているのかもしれないが。
それほどにディートフリートの上達は目覚ましいのだが、父親である保安官のデーニスには、いまだに勝てないでいる。ただの一度もだ。
デーニスは、自ら道場を開き弟子たちに指導をするほどの腕前なのだ。この町では誰も勝てる者はいない、町民の全員がそう思っている。
もちろんディートフリートもそう思っていた。彼が物心がつき父親の道場で修行するようになってこの方、父親が剣術の手合わせで敗れるのは見たことがなかった。父親は彼にとって、英雄だった。父親に憧れ、父親のようになりたいと思っていた。その一方、心のどこかで、自分は父親ほどには強くなれないだろうとも思っていた。
だが、今は違う。カイがあの日に言った言葉が、心の中でずっと響いていた。
「俺やおまえの父さんより強くなってやる」
初めて聞いた言葉だった。カイだけだった。ディートフリートの父親を超えることを口にしたのは。最初は驚いたし、親父が負けるわけはないと、反発心も沸いた。だが、すぐに思い返した。いや、ひょっとしたらカイならできるかもしれない、この町では誰もできない魔法を発現させたカイなら、と。
あれからもカイは毎日魔法の練習を続けている。最初にやってのけた砂の魔法以外にも、水を出すことにすでに成功している。
カイは、『たぶん、毎日の水汲みや畑の水やりで嫌って言うほど見てるから、水は具体的にイメージしやすいんだと思う。沼にもはまったしな』と、赤ん坊の頭ぐらいありそうな水の球を空中にぽよぽよと浮かせながら笑って言っていた。その後に『まだ水瓶を一度に満たすほどの水は出せない。魔力切れでかえって辛いから、井戸から汲んだほうがましだ』と付け加えた後にその水の球を沼に向かって飛ばしてみせた。そしてその水球が徐々に小さくなりながら飛んで行き、沼の真ん中あたりにばちゃんと落ちて丸く波紋を広げるのを見ながら、『ちょっとばかり魔法ができるようになっても、人生は簡単には楽にならないな』とまた笑って言っていた。
『ちょっとばかり』どころではない。はた目にも友が急成長しているのがわかる。使える魔力の量も日に日に増えているようだ。あいつなら、いつかは大魔法使いになるかもしれない。
だが、カイにできるのならば、自分にもできるかもしれないとも思った。今よりさらに真剣に取り組めば。あの強い親父を超えることが。
そうなりたいと、ディートフリートは初めて心から思えたのだ。
体が十分に温まったところで素振りを終えると、ディートフリートは父親を目捜しした。
父親は少し離れた場所で、他の地区の若い保安官助手に指導していた。近づくと、剣の構え方と体の重心の置き方を教えるのが聞こえた。
「君は剣の重さに負けて、肩に力が入りすぎている。そのせいで重心が安定しないのだ」
そう言うと、若者の剣を持っていない左の肩を押した。くっと軽く力を入れただけで、若者の体が大きくぐらつく。
「こういうことだ。剣に負けないように、素振りの量を増やしなさい。軽く扱えるようになるまでは、左手を使って体のバランスを取ることにも意識を振り向けるようにしなさい。そして斬り掛かるときには、剣だけでなく自分の体重も相手にぶつけるつもりで、重心から動き始める。いいかな?」
「はい、師範、有難うございます! やってみます」
「うむ、励みなさい」
若者への指導に一区切りつけたところで、師範は近くに立ってこちらを見ていたディートフリートに顔を向けた。
「ディートフリート、何だ?」
師範の問いに、ディートフリートは背筋を伸ばし姿勢を正して大きな声で望みを告げた。
「保安官、俺と立ち合ってください」
「道場では『師範』とよびなさい。稽古をつけろということか? 全員の指導がひとわたり終わってからにしなさい」
「はい、師範。いえ、稽古ではなく、勝負して欲しいのです」
「ほう?」
「疲れで全力が出せなくなる前にお願いします」
「勝負か。そう言うからには、私の全力に勝てる自信があるのだな?」
「はい」
「面白い。お前がそういうことを言い出すとはな。いいだろう」
周囲の門人たちがディートフリートの宣言にざわつく中、師範は嬉しそうにうなずいた。
そして周囲の者たちに下がるように命じ、中央にできた大きな空間の真ん中に向かい合って立つとディートフリートを促した。
「望みどおり、手加減無しで相手をしてやろう。思う存分に掛かってきなさい」
「はい」
ディートフリートは木剣を右手に持って前に出して構えた。両手持ちにもできる重みのある剣だが、力のあるディートフリートは片手でも軽々と扱える。すっ、と右足を前に出して両膝を軽く曲げる。左肩を少し後ろに引き、軽く曲げた左手を横に上げてバランスを取る。
師範も同じように構えた。切っ先同士は三ヤードほど離れている。
「お願いします」
「うむ」
立ち合い開始の挨拶が済むや否や、ディートフリートは送り足でするすると前に出て距離を詰めた。師範はじっと構えたまま動かない。
切っ先が触れあいそうになるのを捉えて、ディートフリートが鋭く突きを放とうとした。だが、その瞬間に師範が一歩引く。間合いから逃げられ、突き出しかけた剣を止めたときに、師範は逆に大きく前に踏み込んで、ディートフリートの剣を下に押し下げようとした。ディートフリートは反射的に押し上げ返しそうになるのをこらえて、大きく後ろに飛び退いた。その前では、師範の剣が小さく回って剣先が上を向いている。
もし下がらずにいたら剣を巻き上げられ、大きく開く胴を突かれていただろう。師範がよく見せる技の一つだ。その手には乗らない。
再び剣をまっすぐ構えて前に出る。あと一ヤードの所で速度を上げて一気に間合いを詰めようとすると、師範はさっと跳び下がり、軽々と間合いから出た。仕切り直そうとして下がると、逆に一気に前に出て距離を詰め、右上から切りつけてくる。こちらは下がっているので突き返す勢いが出せない。受けに回らざるを得ない。剣を上げて防ぐと跳ね返った師範の剣はそのまま右下からディートフリートの剣をかいくぐろうとする。剣を下に返して何とか受けると、師範はすすすっと下がった。そしてニヤリと笑って剣先でちょいちょいと招く。『どうした、その程度か』と煽っているのだ。
ディートフリートはかっとしそうになったが、冷静を失っては師範の思うつぼだ。一歩下がって間合いを広げ、深く息を吸って呼吸と気持ちを調えた。
また前に出る。今度は切っ先が交わる前に切り掛かろうと剣を小さく振り上げると、それを予期していたかのように、師範の剣が鋭く伸びてきた。膝に力を溜めた姿勢はそのままだ。目の前にいきなり現れた切っ先に、ディートフリートの勢いが鈍る。だが中途で剣を止めては、その隙に飛び込まれて突かれてしまう。ディートフリートは相手が突き出している右手を狙って剣を振り下ろした。
だが、その剣は空を切った。師範は膝に溜めた力を解き放って跳び下がりながら、右手を外に開いて振られた剣を交わしたのだ。そして下がった勢いをまた膝に溜めている。ディートフリートの剣が勢いで下がり切るところへ勢いよく詰めてくる。
ディートフリートはとっさに体を沈めながら横にひねった。その上を師範の剣が通過する。体を起こして切り上げようとしたときには、師範はもうディートフリートの横を走り過ぎて入れ替わり、こちらに向き直るところだった。
ディートフリートも急いで立ち直り、剣を構え直した。
周囲の門人たちのざわめきと、「師範の技は、相変わらず凄いな」「御子息も師範の技を三度かわすとはなかなかやるじゃないか、さすがだな」という声が聞こえる。
ディートフリートは唇をかんだ。
冗談じゃない、何が『さすが』だ。俺は辛うじてかわしただけじゃないか。『なかなか』どころか、こちらはまるで何もできていないのだ。
いや、だめだ。周囲の声が聞こえるということは、集中できていないということだ。『一意専心』、意識のすべてをこの立ち合いに集めるのだ。
だが、親父の剣は相変わらずの鋭さだ。こちらの動きを読んで先手先手と立ち回られ、付け入る隙が見当たらない。
ディートフリートが構えたままで逡巡していると、師範が防護面の中から声をかけてきた。
「どうした。何をしている、ディートフリート」
そしてまた、ニヤリと笑う。
「来ないなら、今度はこっちから行くぞ」
言うなり、突き出していた剣を体の前に立てて、するすると進んでくる。
ディートフリートは気圧されて半歩下がるが、師範は構わずさらに間合いを詰めてくる。牽制するために左右に振った剣を上から叩かれ、さらに大きく飛び込みながら上から剣が振り下ろされる。必死に剣を上げてすんでの所で何とか受け止めると、ガード同士がぶつかり合う鍔(つば)迫(ぜ)り合いとなった。
単純な押し合いの力比べならば負けないが、技巧ではまだまだ師範のほうが優っている。油断をするとガードをからめられて剣をひねり落されてしまう。
ディートフリートは無理やりに剣を押し込み、大きく跳び下がって師範の間合いから離れた。
急いで木剣を構え直す。肩で大きく息をして、何とか呼吸を調えようとする。
父親のほうは、とくに呼吸を荒くするでもなく、表情も変えない。汗一つもかいていないようだ。
何の力みもなく、木剣を構えもせずに片手にだらりと下げ、自分の前に悠然と立つ父親が大きく感じる。ともすればどんどんと大きくなり、上から見下ろされるようだ。
今は何とか受けられたが、同じことを繰り返したら今度はやられるだろう。
このままではだめだ。これまでと同じだ。いや、負けることを考えていても仕方がないのだ。
ディートフリートは用心深く構えながら思い出した。
この手合わせを思い立った日からずっとやってきたことだ。心の中に父親と自分が闘いそして自分が勝つ姿を創り上げる。カイが魔法を使うためにやったように、できるだけありありと、具体的に。
その想像の中では、父は、師範はこれほど大きくなかった。
そうだ、今はもう体は自分のほうが大きい、それを活かすのだ。
大きく息を吸った。少し心が落ち着く。その心の中でカイがこちらを見ている。『どうした、ディート。お前はそんなもんじゃないだろう。お前は強い、お前ならきっとできるぞ』と励ましてくれている。
ディートフリートは師範の姿を見まわした。頭のてっぺんから足の先まで。
師範は剣をまっすぐに構えている。だが、向こうから仕掛けてこない。相変わらず、こちらを試そうとしているのだろうか。
いや、違う。師範は、返し技が得意なのだ。相手に動かせ、先手を取ったと思い込ませて、実はその機先に乗じて相手の剣を押え、空かし、あるいは受け流す。そうやって隙を作らせる。焦った相手はその隙を打たれまいと動き、かえって別の大きな隙を作る。それを繰り返すことで追い込んでいき、完全に態勢が崩れたところを打つ。だから、余裕のある鮮やかな打ち込みが決まるのだ。
だとすれば、普通に技を交わしていたのではこちらに見込みはない。
師範の予想を超えることをやってみせなければ勝てない。
ディートフリートは心を決め、もう一度大きく息を吸った。
そして半身に近くなっていた体を師範に正対させ、バランスを取っていた左手で剣の柄を握って両手持ちにした。右手は少し緩め、肩の力を抜く。
ディートフリートの構えが変わったのを見て、師範は一歩下がった。何をしてくるかを見極めようというのだろう。
だが、ディートフリートは構わず前に出た。
剣同士が深く交わる間合いに入るのを待たずに剣を小さく振って師範の剣先を叩く。剣を下げてかわされるのは予想の内で、両手持ちの剣は簡単には流れない。上がってくる所を逆側から叩く。受け止められながらも前に出て突こうとすると、師範は剣を丸くひねって受け流そうとした。その流れに逆らわず、逆側に回った剣を横殴りに振ると、師範は体を折ってかわしながら、体を入れ替えた。逃れようと下がるところに、続けざまに剣を振り下ろす。一打一打が受け止められるが、下がりながらの態勢では両手持ちの剣を弾き返すほどの力は出せない。ひたすら打ち続けると、五打目は体を回してかわされた。剣が下まで流れるところを打たれないように体をぶつけに行くと、師範は身を捩りながら横っ飛びをして逃げられた。だが、こちらに技を出してはこない。その場で構えて肩で息をしている。
師範に休む暇を与えてはならない。若い自分のほうが息は続くのだ。
ディートフリートはすばやく足を送って小さく剣を振った。狙いは師範の剣を持つ右手だ。
師範は下がりながら右手を外に逃がしてディートフリートの剣を空かす。だが、読みどおりだ。左手をしっかり握れば剣は下に流れない。素早く振り上げて目の前にさらされた師範の頭を打つ。そうはさせじと、師範はさらに一歩下がったところで踏みとどまり、剣を振り上げてディートフリートの剣をはね上げた。そしてぶつかって跳ね返る剣の勢いそのままに旋回させて、大きく開いた胴を払ってくる。
だが、ディートフリートはそれに構わなかった。
はね上げられた衝撃は緩めておいた右手で緩衝し、剣の勢いを手首に吸収する。それを力として一気に振り下ろし、見えていた頭を真っ向から叩いた。
二人の剣が閃き、体が交錯して行き違う。周囲の門人たちからわっという声が上がる。
どちらが早かったのか。
ディートフリートが振り返ったとき、そこにあったのは師範が天を仰ぎ、打たれた頭を手で押えながら立っている姿だった。
周囲の声が歓声に変わる。
師範が剣を左手に下げ、すたすたと歩み寄ってくる。
ディートフリートが剣を下げて待つと、目の前まで来て立ち止まった。
「お前の勝ちだ」
真面目な顔でそう言う。そして自分とよく似た端正な顔は、一つ上下に振られた後に満面の笑みに変わった。
「ディートフリート、よくやった。壁を乗り越えたな。これからも精進しなさい」
その声に周囲が再び騒然となる。
だが、その後にさらに続いた父親の誉め言葉も周囲からの歓声も、ディートフリートの耳には入らなかった。
「(やった、やったぞ。カイ、俺もやったんだ)」
叫んでいた。心の中で。そして、そこに思い描いたカイの姿が向けてくる拳に自分の拳を思い切りぶつけていた。
「(カイ、お前のおかげだ、ありがとう)」
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