第15話 砂の魔法

「ディート! 来てくれ! 今すぐだ!」


 カイがいきなり大声で叫ぶのを聞いたディートは、まさかまた沼にはまり込んだのかと、慌てふためいて走ってきた。ところが、カイは沼にはまるどころか、興奮して両手を振り回しながら跳ね回っている。

 魔法の試しすぎの悪影響で気でも違ったのではいないかとディートは不安になった。


「カイ、どうした? 大丈夫か?」


 友をこれ以上興奮させないようにと、つとめて平静に尋ねたが、カイに落ち着く様子はない。応じる声は相変わらず大きく高い。


「大丈夫? 大丈夫だ。いや、大丈夫じゃない、たいへんだ」

「一体どうしたんだ。落ち着け」


 何とか冷静にならせようと、ディートはカイの両肩をつかんだ。

 だが、帰ってきた返事を聞くと、ディートの声も跳ね上がった。


「これが落ち着いていられるか。できたんだ!」

「できたって…… まさか?!」


 カイの肩をつかむ手に力がこもる。


「そのまさかだ! ……って、お前、俺を信じてなかったのか?」


 カイも手を伸ばしてディートの両肩を思い切りつかみ返してきた。


「いや、そんなことはないが……って、お前のほうこそ、そんなに興奮するということは、できると思ってなかったってことじゃないか」

「そういうことじゃない、って、ああ、もういい! とにかく、できたんだ!」


 普段は冷ややかなぐらいに冷静なカイがこれほど興奮しているということは、きっと本当なのだろう。


「できたのか! 魔法が!」

「そうだ! できたんだ!」


 カイの興奮がディートにも感染うつり、二人は飛び跳ねながらぐるぐると回り出した。


「やったのか!」

「おう! やったぞ! ヨッホー! やったんだ!」

「そうか! 凄いな、カイ! できたのか! ヒャッホー! やったな!」


 二人は意味のないことを口走りながら、しばらく跳び続けた。

 跳ね回るのに疲れてようやく止まると、ディートは右の拳を偉業を果たした友に向かって突き出した。


「やったな、おめでとう、カイ!」

「おう、ありがとう」


 カイも応じながら拳を出す。力強くぶつけ合った後に、ディートがカイに頼んだ。


「よかったら、俺にも見せてくれないか?」

「もちろんいいとも。見てろよ」


 横でディートが固唾かたずを飲んで見守る中、カイは再び魔法を発現させようと、沼のほうに向き直った。

 冷静さを取り戻すために、二度、三度と大きく深呼吸を繰り返す。さっきと同じように体を巡る魔素が冷えて固くなるのを待ち、細かい砂の感触を思い出す。

 足元で崩れていく砂、そして手の中に握った砂。右手を握り締め、その中に砂が満ちていく心象イメージを思い定めたところで右手を振ると、今度はさっきよりもさらに多くの砂が煙となって広がり、音も立てずに落ちていった。

 カイは両手を握り締めて跳び上がった。


「やったぞ! まただ!」


 そしてディートを振り返る。


「見たか? どうだ? 凄いだろ!」


 だが、ディートは複雑な顔をしていた。


「お、おう」


 その顔のまま、おそるおそる、カイに尋ねる。


「カイ、間違いじゃないよな? 手とか袖とかに着いていた砂が飛んだだけとかじゃないよな?」


 ディートの疑うような科白に、カイはむっとした。


「当たり前だろ! あんな沢山の砂が着いてるわけがないだろ! それとも、俺を疑っているのか?」


 ディートは慌てて取りなし声で応じた。


「いや、すまん。そういうわけじゃあない。ただ、あれだ。予想と違っていて驚いたからだ。……お前、練習していたのは火の魔法じゃなかったのか? 砂を出すというのは、土の魔法だよな?」


 投げかけられたもっともな疑問に、カイはぐっと詰まった。だが、友に取り繕っても仕方がない。正直に打ち明けることにした。


「実を言うと、火は全然うまくいかなかった。第三の条件の『具体化』がうまくできなかったみたいなんだ。でも、砂は、さっきの沼に落ちかけたのと、ここで思い切り握り締めたのとで、感覚が心に焼きついたんだと思う。それを思い浮かべたら、自然に発動していたんだ」

「なるほど、そういうものか。確かに、さっきは結構危なかったからな。うん。それに、お前は畑仕事で普段から土に馴染んでいるし、土魔法が合っているのかもしれないな。うん」


 ディートはうなずきながら相槌を打った。だがその後に、遠慮がちに、言いづらそうに、おそるおそる言葉を続けた。


「だが、カイ、こんなことを言うのは凄く悪いんだが」

「何だ?」

「怒るなよ?」

「ああ。何か気がついたことがあるのなら、構わないから言ってくれよ」

「その魔法、何の役に立つんだ? 手に握れるぐらいの砂を出せるだけだよな? それなら、この足元の砂を拾えばそれで済んでしまうんじゃないか? 袋に入れて持ち歩いても、大した重さにはならないだろうし」

「……」


 カイは絶句した。

 確かにディートが言ったとおりだ。魔法ができた、それ自体は物凄いことだが、役に立たない魔法では何の意味もない。町から町を回る大道芸人のほうが、もっと人々を驚かせるだろう。でも。

 カイは少し考えた後にディートに答えた。


「この程度ならそうかもしれない。でも、もっと量が増えれば違うだろ」

「できるのか?」

「思い描く規模を上げればいいんじゃないかと思う。魔法を発動できることはもうわかったんだから、自信もあるし」


 そう言って視線を下げて少し考えてからおもむろに顔を上げた。


「ディート、少し離れてこっちに向かって立ってみろ」

「こうか?」


 返事をして一歩下がったディートに「もっとだ」と指示を出し、5ヤードほど離れたところで「そこでいい」と止まらせた。

 カイはその友に向かって立ち、ふたたび精神を集中させた。より大きな魔力を出せるように、深く心を沈ませる。さっきまでの砂煙を思い出し、その像をより濃く、より厚く塗り変えていく。そしてさらに具体的にするには……身振りと呪文だ。


 ディートがまた固唾を飲んで見守っていると、カイは両手を頭上高くにゆったりと上げ、頂点で止めた。


「濃霧のごとき砂の幕、立ちはだかって我が姿を隠せ! 隠覆砂煙アブデクサントラウフ!」


 そう叫ぶとともに腕を両側に鋭く振り下ろす。その瞬間、振られた腕の軌跡から上下左右に、分厚い砂の幕が朦々もうもうたる砂煙とともに広がった。


「うぉっ!」


 ディートは思わず叫んで跳び退すさった。自分の背よりも何フィートも高い砂の壁がなだれ落ちて襲ってくるかのように見えたのだ。

 薄茶色のその壁は二人の間に立ちはだかり、カイの姿がまったく見えない。もしもカイが敵で、この煙の中から剣を突き出してきたら、避けることはできないだろう。剣士としての本能が、ディートを大きく跳び下がらせたのだ。


 声もなく見守るうちに、砂の幕は崩れてさらさらと静かに地面に落ちていく。あたりに立ち込めていた砂煙もやがて消え、ディートの前の空気が澄んでいく。

 そこに、ディートが想像していた、カイの喜ぶ姿はなかった。

 驚くべき魔法の使い手は地面に突っ伏して倒れていた。その全身には砂が積もっていて、ぱっと見には地面に人型の盛り砂をしたかのようだ。


「おい、カイ! 大丈夫か?!」


 ディートは慌てて駆け寄り、カイの上半身を引き起こして大声をかけた。

 カイは何とか身じろいだ。頭や背中から砂が流れ落ちる中で、「ごほっ、げほっごほっ」と激しい咳を際限なく繰り返す。


「しっかりしろ!」

「……気持ち悪い。口、口を洗わせてくれ…… くほっ、けほっ」


 カイがまた激しく咳き込む。ディートが腰に着けていたエールの革袋を渡すと、何度も口をすすいで入り込んだ砂を吐き出した後にようやく何口かを喉に下し、かすれ声を発した。


「あ、ああ。……大丈夫……だと思う」


 か細い声の返事は、大丈夫そうには到底思えない。顔色も真っ青になっている。


「そうは見えないぞ。いったいどうしたんだ」

「魔力切れだと思う……。あの魔法書に書いてあった……。体内の魔素を使い切ると、動けなくなるって……。たぶん、少し休めば、大丈夫だ」

「そうか」


 カイは地面に仰向けに寝転んだ。ディートもその横にどっかりと座り込んで友の様子を見守っていると、時間が経つにつれて呼吸は落ち着き、顔色にも赤味が戻ってきた。

 ディートはほっとしながら、カイがさっき使ってみせた魔法のことを考えていた。

 しばらく前までは叔父の家の厄介者として周囲から蔑まれていた。誰にも教わらずに何日間か書物を読んだだけで魔法を習得し、今日、初めて成功したばかりなのに、あっという間にこちらを脅えさせるぐらいの術を発現させてみせた。今は自分の横でもぞもぞと動き始め、上半身を起こして体中の砂を払い落とそうとしているこの恐るべき魔法使いの雛に、何と言えばふさわしいのかわからない。


「カイ」

「ん? なんだ?」

「やったな」


 しみじみとそう言いながらカイに向かってまた右の拳を突き出すと、カイも自分の拳を嬉しそうにぶつけながら答えた。


「おう。ディート、お前のおかげだ。ありがとうな」

「いや、お前自身の力だ。カイ、お前、頑張ればそのうちにお前のおふくろさんよりも強くなれるかもしれないな」


 ディートは、まだ気持ち悪そうに頭や体の砂を右手で払い、腹を左手でさすっている生まれたての魔法使いを励ますつもりで言った。だが、帰ってきたのは、思いもしない決意の言葉だった。


「ああ、やってやる。いつかな。母さんだけじゃない、俺やお前の父さんたちよりも強くなってやる。それが、俺を魔法使いにしてくれたお前への礼だ」


 カイはそう言ってディートに嬉しそうに笑ってみせた。何の屈託もなく、自分の未来を心から信じる、開けっぴろげの笑顔だった。


 ディートは無言でうなずきを返した。そして、まだ腹をさすり続けている友に言った。


「ところで、踊りの練習はどうする?」

「すまん、今日は無理だ」

「だろうな」

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