第14話 流砂のごとき人生
「ここなら大丈夫だろう。じゃあ、思い切りやってみろよ」
沼から少し離れると、ディートはカイにそう言った。
「ああ。お前はどうするんだ?」
「俺は俺で、あっちで一人稽古をする。俺のことは気にしなくていいから、魔法の練習に集中すればいい。くれぐれも、沼には近づきすぎるなよ」
「わかった。そうする」
カイの返事を背に聞きながら、ディートは離れていった。互いに邪魔にならない距離を取って、剣術の練習をするのだろう。
カイは沼に向き直って、書物で読んだことを頭に思い浮かべた。十回、二十回と繰り返して読んだので、もう、一言一句をそらんじられるぐらいだ。
「一に魔素の量、二に魔素の純化で魔力へ変換、三に魔法への具体化、だよな」
原理を口に出して確認する。
後は実践だ。幸い、魔素は魔法として放出しなければ、浪費されることはないとも書いてあった。であれば、できるまで何度でも繰り返せるはずだ。
何の魔法からやってみるか。
「やっぱり、まずは火の魔法からだよな」
カイはそうつぶやいた。
何と言っても、魔法と言えば火魔法だろう。見た目に派手で華があり、威力も高そうだ。
二度、三度と深呼吸をして心を鎮め、気合を入れる。
最初の壁の『魔素の量』は、量ることができない。もしも何をどうやっても魔法にならなければ、たぶん『魔素不足』ということになるのだろう。その場合は諦めるしかないが、今から気にしても仕方がない。十分な量の魔素がこの身の内にあると信じることにする。
二番目は魔素の純化だ。自分自身の心の内を見つめ、一つ一つの感情を取り出して眺めまわし、自分の本当の気持ちを確かめる。それと同じように、体の中を流れる魔素を確かめるのだ。
カイは怒りを感じたときのことを思い浮かべた。
両親のことで心無い連中から酷いことを言われたときのことを思い出すと、怒りだけでなく、情けなさや悔しさ、辛さなどのさまざまな気持ちも再び心の中に蘇って混じり合っていく。
それと同時に、体の中を熱いものだけでなく、冷ややかなものや虚しいものも流れていく気がする。
なぜそのように感じるのかを見つめ、その中の純粋な怒りだけを取り出していくと、体中の熱さが高まっていくように感じられる。
これが、きっと、魔素が純化されて火の元素だけになっていくことだと思う。そう信じると、握った手が熱くなる。
その熱さがこらえられなくなってきたら、最後は具体化だ。
火を思い浮かべる。いや、『火』だけでは具体的じゃない。そう、掌の上に火の塊をふわふわと浮かべることを想像する。握った手をゆっくりと開くとその中から火が生まれ出てきて浮き上がっていく。どんな火が?
今までに見たことがある火を思い出そうとする。ランプの火? ろうそくの火? たき火の火? それぞれ、どんな形だったっけ?
カイはそこまで考えて、灯りとして用いられている火を自分がこれまでにしげしげと見たことがないのに気がついた。
自分が寝起きする納屋にはランプや燭台は与えられていない。夜が来たら眠るだけなのでそれで困ったことはない。もちろん暖炉もないが、冬はありったけの毛布や服を重ねれば自分の体温だけでも何とか過ごせるから気にしたことはなかった。
だが、そのためにこんなことになるとは思わなかった。叔父たちがいる母屋や街中の店の灯りや、夜に街を歩く人が手にさげているカンテラはもちろん知っているが、今、思い浮かべようとしてもはっきりしない。
料理中に台所に行くと叔父の妻の機嫌が悪くなるので、煮炊きの火もほとんど見ないし、染料を作るために草木を釜で炊く作業場にも出入りをさせてもらえない。
とりあえず、ろうそくに灯る火を必死に想像しながら掌をゆっくりと広げてみたが、やはりというか、当たり前のようになにごとも起こらない。
がっかりするのと同時に、カイの熱くなっていた掌も日陰に入った石ころのように冷えていってしまった。
これでは全然だめだ。
カイはしゃがみこむと、足元の砂地に火の灯ったろうそくの絵を指で描いてみようとした。
まずは直線で細くて長い四角形を作る。その上に、楕円形を乗せて炎を表現する。
単純だけど、悪くない。
「これだけでも、どう見てもろうそくだよな」
カイはまたつぶやいた。
でも、自分ではそう思っても、他の人にはそう見えないかもしれない。
試してみるか。
カイは離れたところで剣を振っているディートを呼んだ。
「おーいディート! ちょっと来てくれないか?」
「おう、何だ?」
ディートはすぐにやってきた。
「どうした?」
「これなんだけど、何に見える?」
カイが地面の絵を指差すと、ディートはひと目で即断した。
「人間。随分と背が高くて痩せているな」
「は? いや、ろうそくだよ」
カイが不満そうに応じると、ディートは再び視線を絵に下げた。カイが一呼吸、二呼吸して待つ間、じっと見ている。だが、友の口から出てきたのは、カイが期待した言葉とは違った。
「いや、ろうそくには見えないな。ろうそくには芯があるし、炎は上のほうがとがっているだろう。ろうの上の部分は熱で
言いながら、カイが描いた物体の横に、ディートも指で言葉どおりの絵を描いた。
「……」
カイには返す言葉がなかった。
確かにディートの絵のほうが遥かにろうそくらしい。それに、輪郭も遥かにきれいだった。カイの描線は直線も曲線もあちらこちらにゆがみがある。
「……そうだな」
思わず低く小さくなったカイの声を聞いて、ディートは自分が悪いことを言ったのに気がついた。
「言われてみれば、お前の絵も確かにろうそくに見えるよ。うん。ろうそくに間違いない」
急いで取りなそうとしたが、カイは静かに首を左右に振った。
「いや、いいんだ。本当のことを言ってもらったほうが助かるから。気にしないでくれ。ちょっと練習してみるよ。ありがとう」
「そうか。じゃあな」
ディートは肩を落としている友のそばからそっと離れていった。
カイは「はぁぁぁっ」と深いため息をついた。
でも、落ち込んでいても仕方がない。たぶん、ディートは自分とは異なって、ろうそくを使ったことが何度もあるのだろう。保安官は町でも裕福なほうだし、仕事柄、夜も起きていることが多いのかもしれない。
気を取り直して、ディートの絵を見ながら練習してみることにした。
手本をまねて砂地に指で線画を描き、描いては消してを繰り返す。
何度か描くと、要領が少しわかってきた。手にしっかりと力を入れ、勢いをある程度つけないと、指が砂に負けて線がゆがんでしまう。かと言って力を込めすぎると思ったところで止められずにはみ出してしまう。線の太さも力の込め具合や砂に突き刺す深さで変わってくる。
たぶん、魔法陣を描くのは、これより遥かに繊細で難しいのだろう。
十回も繰り返すと、ディートの絵と遜色がないぐらいになった。
これならば、『これは何の絵だ』と誰かに尋ねたら、十人に八人か九人は『ろうそく』と答えてくれるだろう。
カイは満足して立ち上がると、もう一度火の魔法を試してみた。
心を集中させ、体を流れる熱いものを集め、そこから他の要素を
……だが、やはり何も起きなかった。
たぶん、まだ具体化が不十分なのだろう。十人の十人ともが問われずとも一目で『ろうそくの火だ』と言うような、いや、それよりももっと高い基準、本物かと誰もが見間違うぐらいの像を心の中に描き上げなければ、魔法として結実しないのかもしれない。
カイはまたつぶやいた。
「絵が無理なら、言葉にしてみるか」
少し考えて、口に出してみる。
「えーっと、『ろうそくが燃えている』」
まったく具体的ではない。
「『ろうそくが燃えて明かりを放っている』…… いや、当たり前だろう」
自分で自分に突っ込んで思わず笑いそうになって、はっとした。笑っている場合ではない。
何か呪文らしい言い方をしたらよいかもしれない。
「うーん、『ろうそくの如く明るくあたりを照らす火を我が手にもたらせ』」
口にしていく途中から、カイは自分の気持ちが深く落ち込んでいくのがわかった。
試すまでもない。こんなので魔法が使えるのなら、誰も苦労はしない。魔素さえ足れば、誰でも魔法使いになれるだろう。
魔法書を読んだときにはそれほど難しそうに思えなかった『具体的に』というのが、実はとてつもなく高い、乗り越えるのが困難な障壁であることがカイにはわかってきた。
おそらく、自分は火についての経験が決定的に不足しているのだ。色や形や勢いや、どのように火がついてどのくらいの量のどんな燃料が燃えているのか、そういうことを意識して普段から火を見なければならないのだ。
カイは気落ちした。腰も地面にどすんと落として座り込む。
「はぁっ」とため息をつくと、体を巡っていた熱く滾るものがどんどんと冷えて硬くなり、全身を満たしていくような気がして、さっき、沼にはまり込んでしまったときと同じような感情が湧き上がってくる。
あのときは、何も思わず安易に近づいて足を取られてしまった。魔法も、できると簡単に思い込んで始めてみたが、こうも難しいとは。
沈む心の腹いせに、目の前の、不出来な自分のろうそくの絵を右手で握りつぶす。手を開くと、粉のような砂が指の間から流れてこぼれ落ちていくのが、自分の希望そのもののようにありありと感じられる。
すべてが流れ落ちる前に、沼に向かって投げつけてみた。手を振った瞬間に掌の中に残っていた砂が煙となって視界を遮り、少しの間宙を舞って静かに落ちて消えていく。
その光景はまるで先が見通せない自分の未来のようで、瞼の裏に、頭の中に、心に焼きついて、目を閉じても消えていかない。
「くそっ」
もう一度毒づいて、また手を振る。また同じような砂煙が起こる。
もう一度、また砂煙が現れて流れる。
それが消えるころ、カイの口から声がこぼれ出た。
「あれ?」
何かおかしい。
振った後の掌を見ると、砂はほとんどついていない。それはさっきから同じだったはずだ。
「もしかして」
カイはさっきまで手の中にあった砂の感触と、目の前に広がった砂煙の光景を強く思い描きながら手を振った。
するとまた、砂煙が巻き起こった。
カイはぽかんと口を開いたままに立ち尽くした。ゆっくりと目を落として、振った右の掌を見る。その手がわなわなと震え出し、それが腕に移っていく。ぞっとする感覚が背中を突き動かした瞬間に、カイは我に返って大声で叫んだ。
「ディート! ディート! おい! たいへんだ!」
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