第17話 収穫祭

 収穫祭エルンテフェストの日がやってきた。町民たちの一年間の行いがよかったのかどうかはわからないが、好天に恵まれ、町は朝から湧き立っているように思える。

 とはいっても、家畜や畑の作物にはそんなことは関係ない。カイは朝早くからいつもの作業に取り掛かったが、何とか終わったころには、叔父夫婦や従兄妹のギエリやミエリはもうすでに晴れ着で着飾り終わって出かけるところだった。


「何やってんのよ、カイ。早く支度しなさいよ」


 ミエリの声が掛かる。「ああ」とカイが返事をしたが、叔父の「先に行くぞ」の声とともに、一家は出て行ってしまった。


 冷たいものだが、カイにとっては彼らと一緒に行動するより、一人のほうが気楽でむしろよい。

 納屋に戻り、外出用の服に着替える。

 カイに与えられる服はすべてギエリのお下がりだ。体が大きくなって着られなくなったものや、破れてしまったものとかだ。それをカイは自分で繕い、洗って着ている。一番見映えが良いものでもよそ行きの晴れ着とは到底言えないが、あちらこちらがほつれている野良仕事用の作業着よりは随分とましだろう。


「(それに、どうせ俺の見た目を気にする奴は誰もいないだろうしな)」とカイは心の中で自虐の言葉をつぶやいた。


 町の中心部に向かって歩いていくと、同じ方向に向かう晴れ着の人の数がどんどんと増えていく。多くは家族連れ、あるいは仲間同士で楽しそうになにごとかを話しながら歩いている。スキップする子供が転びそうになり、慌ててその手を引く親。それでも親子ともども、楽しそうに笑い合っている。

 着飾った娘たち、それに付き添う若者。すでにエールを一杯ひっかけたのか、顔が赤い老人もいる。


 カイのように一人きりでとぼとぼと歩いている者はやはり少ない。

「(それはそうだよな)」とカイは思う。

 祭なのだから、誰かと一緒に楽しむのが普通だろう。自分のように一人で見物して満足な者もいるだろうが、そう多くはなかろう。

 そう考えたとき、去年まで自分のように祭に消極的だった若者のことが頭に浮かんだ。


 その男、ディートとは祭の会場である町中心部の大広場で待ち合わせることになっている。

 まさか土壇場どたんばで逃げ出したりはしないだろうが、あいつも一人で歩いていると肩身が狭いかもしれない。友がその大きな体を小さくして人々の間を歩いている姿を思い浮かべると、少し可笑しくはある。


「でも、可哀そうか」


 そう思い直して、カイは差し掛かった四つ角を曲がって保安官事務所、つまりディートの住居の方に向かった。

 祭の会場とは方角が異なるため、通行人はめっきりと減って歩きやすい。

 しばらく歩くと、向こうから見慣れた大きな姿がやってくるのが見えた。……どうやら、相手も同じようなことを考えたらしい。

 カイがにやっと笑って手を振ると、ディートも笑顔で手を振り返して急ぎ足で近づいてきた。


「よう、ディート。方角が違うんじゃないか?」

「お前もな、カイ」


 冗談を言い合って、笑い合う。


「こんなに足が前に進まないのは久しぶりだな」

「できることなら逃げ出したい、か?」

「市場に引かれていく豚は、こんな気分かもな」

「まったくだ。で、一頭で淋しく行くより二頭で慰め合おうと思ってこっちへ来たというわけだ」

「どのみち、食われちまうことには変わりはないけどな」


 そしてまた笑い合ったあとに、ディートが普段と同じ真面目な顔に戻った。


「だが、お嬢さんとの約束を破るわけにはいかないからな。行くか」

「ああ、行こう」


 二人は拳を軽くぶつけ合うと、大広場に向かった。




 大広場は、すでにかなりの人で賑わっていた。

 中心部に大きな空間が空けてあり、その周りにたくさんのテーブルと椅子が置かれている。そのさらに周囲にはたくさんの屋台が出店していて、さまざまな食べ物を売っている。子供相手の駄菓子や玩具を売る店もある。そのうちの一つの店の前で、どの菓子が大きいかと品定めに夢中な子供たちの中に、ハンスが優しそうな兄と手をつないで相変わらずにこにこと笑顔でいるのを見て、カイは胸が温かくなるように思えた。

 飲み物を売っている店もあるが、収穫祭では商人組合のおごりで濃くて良いエールが飲み放題だ。今の所は強い酒を飲んで酔いつぶれている奴はまだいないようだ。


 テーブルも椅子も粗末なものだが、洗い立ての白い布を掛けられて並んでいるところはそれなりに綺麗な眺めになっている。その間を、たくさんのエールのジョッキを持って若い男女が忙しく立ち働いている。商人組合の役員や組合員たちの子弟が手伝いに駆り出されているのだ。


 踊りが始まるまで、まだ少し時間がある。カイとディートがどこかに座ろうかと空いた席を目探ししていると、二人のその様子にエールを運んでいた若い娘の一人が目を留めた。町長の娘のベレニケだ。


「あら!」


 嬉しそうな声を上げると、持っていたジョッキをそばにいた娘に渡して二人の方に急いで近づいきてディートの前に立った。


「ディートフリートさん、本当に来てくださったんですね。ありがとうございます」

「約束しましたから。お嬢さんとの約束を破るわけにはいきません」

「まあ。私などに重きを置いていただき、嬉しいです」


 そう言ってベレニケは微笑んで礼をした。色とりどりに華やかな、腰のところで細く絞られその下でふわりと広がるスカートの裾を両手でつまみ、片足を少し引いて頭を下げる。くるくるとカールした柔らかそうな仔鹿色の長い髪も、肩のところで膨らんだ七分の袖から伸びるやわらかそうな白い両腕も、まるで貴族の令嬢のようだと、カイもディートも思った。もっとも、二人とも貴族令嬢を見たことなどないのだけれど。


 気恥ずかしさに少し頬を赤くしたディートが申し出た。


「お忙しそうですね。もしよろしければ、お手伝いしましょうか」


 その言葉を聞いて、ベレニケは顔の前で両手を合わせて嬉しそうに微笑んだ。


「まあ。本当に積極的に参加してくださるんですね。嬉しいです。では、お願いできますか? エール運びの手が少しだけ足りなくて」

「喜んで。カイ、お前も手伝うよな?」

「ああ、いいとも。ぼーっと座っていても仕方がないしな」

「まあ、カイさんまで。ありがとうございます」


 ベレニケはカイにまで丁寧に頭を下げる。


「カイさんは、最近、よくディートフリートさんと一緒におられるようですね。お二人に手伝っていただけると心強いです」


 普段、人から礼を言われることもなければ叔父の妻やミエリ以外の女性と話すこともないカイは、美人に頭を下げられてどぎまぎした。顔にも赤味が差してしまう。


「い、いえ。で、どうすればいいんですか?」

「あそこのテントでエールをいでいるのが見えますよね? あそこから注ぎ終わったジョッキを運んでテーブルを回り、欲しがっている人に差し上げてください。そして空いたジョッキを回収して、その隣のテントに持って行ってください。あそこで洗ってまた使いますので」

「わかりました。ディート、行こうか」

「おう」


 カイとディートが連れ立って指定されたテントの方に向かおうとすると、ベレニケは「よろしくお願いします」と嬉しそうにまた頭を下げた。

 だが、二人が歩き出す前に、横から声をかける者がいた。


「お嬢さん」

「はい?」


 ベレニケが振り向くと、声をかけてきたのはカイの従兄のギエリだった。


「俺もお手伝いしましょうか? カイなんかよりは、よっぽど役に立ちますよ」

「いえ、それほどまでに手が足りないわけではありませんので」

「でも、多いほどいいでしょう」

「ギエリさんにはお客様の側でいて、エールとお祭りを楽しむほうで盛り上げていただければ。そのほうがありがたいです」

「ですが、カイのような汚らしい奴に飲物を運ばせないほうがいいです」


 ギエリのあまりな言葉に、カイがむっとした。ギエリの方に近づこうとしたが、ディートがすっと前に出てギエリとの間に立つ。それでもカイは何かを言おうとしたが、その前にベレニケがカイとディートに「どうぞ、お手伝いを始めてください」と、この場を去るように促した。


 カイが不承不承ながら、ディートに肩を抱かれなだめられつつテントの方へと遠ざかっていくのを確かめると、ベレニケはギエリに向き直った。その美しい顔は曇っている。

 少し低くなった声でたしなめようとした。


「ギエリさん、そのようなことを言われるべきではないと思います。貴方はカイさんの御家族でしょう? もしカイさんの衣装がみすぼらしいと思われるのでしたら、むしろ貴方が何とかして差し上げるべきでは? 私はみすぼらしいとは思いませんけれど。繕いも洗濯もきちんとされているようですし」

「ですが」


 ギエリがまだ何かを強く言おうとしたとき、「やめなよ」と別の男の声がした。二人が顔を向けると、そこにいたのは警備に当たっていた保安官助手のバイスだった。


「ギエリ、揉め事を起こすのなら、帰ってもらうことになるぞ。それに、お嬢さんはお忙しいんだ。邪魔をして祭の進行が滞ると、手伝って喜ばれるどころか、逆に嫌われるぞ」


 ギエリに向かってそう言うと、片側の口角を上げて薄く笑う。

 相手を馬鹿にするようにも見えるその顔に、ギエリは唇をゆがめ眉をしかめたが、相手は保安官助手なのだ。「わかったよ」と短く言って離れていった。



「ありがとうございます」


 ベレニケが礼を言うとバイスは薄笑いを保ちながら応じた。


「いえいえ、これでも保安官助手ですから。ディートフリートほど頼りにはならないかもしれませんが」

「そんなことはありません。保安官が信頼される助手さんですから。町長も、もちろん私も信頼申し上げております」


 ベレニケも微笑みを絶やさずに言葉を返す。バイスは嬉しそうに両手を広げておどけてみせた。


「こりゃどうも。お任せください、祭の平和は守ってみせますので」

「よろしくお願いいたします」

「それにしても、お嬢さんは人気がありますね」

「そんなことはありません」

「御謙遜を。そのお美しさじゃないですか。ギエリもきっとお嬢さんの気を少しでも引きたくて口がすべったんでしょう。悪く思わないでやってください」

「もちろんです。でも町には私より美しい女性はいくらもいらっしゃいますわ」

「いやいや、御冗談を。今日の踊りでも、男たちがお相手になりたくて殺到するでしょう。中には、お嬢さんのお気に入りもいらっしゃるのでは?」


 それを聞いてベレニケの眉が寄った。微笑みはすでに薄れていたが今は完全に消え、少しつり上がった眉も不機嫌さを表している。


「貴方こそ御冗談を。申し上げておきますが、私は町のどの男性にも特別な感情は抱いておりませんので」

「そりゃ失敬。……よろしければ、私にもエールをいただけますか?」

「お仕事中では? また御冗談ですか?」

「もちろんです。では、警備に戻りますので」


 そう言うと、バイスはまた薄い笑みを浮かべて人ごみの中に歩いて行った。

 ベレニケは小さく肩を竦めたが、祭の場で多くの目がある。すぐに笑顔になってまたエール運びに戻って行った。




 しばらく時間が経つと、どのテーブルもほぼ満席になった。

 ここからが祭りの本番だ。


 町長が広場の真ん中に進み出て挨拶を始めた。

 豊かな実りをもたらしてくれた神に感謝を捧げ、町のために働く人々に感謝を述べ、町に富をもたらす商人たちにも感謝する。

 老人たちの長寿を、夫婦に子宝を、子供たちにはつつがない成長を祈る。

 話が長くなってきたところで周囲から「町長、せっかくのエールの気が抜ける!」という野次と笑いが飛び、町長が頭を掻きながら挨拶を切り上げたところで楽隊が演奏を開始し、いよいよ収穫祭のメインイベントである踊りとなる。


 広場の中央の空間に我こそ踊らんと思う若い男女が次々に出てくる。

 カイとディートも目配せを交わし合い、おずおずとそこに加わろうとした。

 すると、いきなりあちらこちらから「きゃあ」とか「あら」とか「まあ」とかの黄色い声が上がった。毎年は踊りに加わらないディートフリートが出てきたのを見て、娘たちが色めき立ったのだ。


 例年ならば、まず娘たちが大きな輪を作り次に若者たちが相手役を申しこんで踊りの組を作るのだが、今年は逆になった。

 娘たちの輪が乱れ、我先にディートフリートの前へと集まってくる。皆、彼と踊りたいのだろう。ディートフリートの横にいるカイも他の男たちも、それを見てあきれ顔だ。

 その騒ぎを鎮めたのはベレニケだった。


『町長の娘』が肩で風を切って人ごみの中を突き進み、大きな音を立てて咳払いをすると、他の娘たちは脇へ避けざるをえない。堂々とディートフリートの前に立って微笑んでみせれば、ディートフリートもそれにつられて頭を下げ、最初の組み合わせが決まった。

 すると他の娘たちも我に返ったのか、輪を作り始めた。彼女たちの中にも序列があるのだろう、踊りが進んで相手が変わったときに少しでも早くディートフリートと踊れるように、彼の左側に順番に並んでいく。


 カイはディートの右隣だ。その相手役は、踊りの順番ではディートから一番遠い。当然、なかなか誰も近づいてこないだろう。カイが心中で皮肉に笑いながら騒ぎの様子を見ていると、急に前から声がした。


「ちょっと、よそ見してんじゃないわよ」

「は?」


 カイが慌てて前を見ると、そこにいたのは従妹のミエリだった。


「ミエリ? 何だ?」

「『何だ』じゃないわよ。踊りの相手に決まってるじゃない」

「へ?」

「気の抜けた声を出してんじゃないわよ。あんたが輪に入ってくるとは思わなかったわ。でもあんたなんか、どうせ他のたちには嫌がられるでしょ。仕方がないから、最初は私が相手をしたげるわよ」

「そりゃどうも。でも、いいのか? こんなところに並んだら、なかなかディートと踊れないぞ」

「あたしの勝手でしょ。それに、曲が進めば、いつかは順番が回ってくるわよ。それよりも、あたしに相手をしてもらえるお礼は?」


 カイにしてみれば相手など誰だっていいのだが、踊りの礼儀は守ったほうがよいだろう。右手を胸に当ててうやうやしく頭を下げて「お嬢さん、ありがとうございます。よろしくお願いいたします」と言ってみせると、ミエリは「よろしくてよ」と満足そうにした。


 そうこうするうちに、踊りの輪ができあがった。ディートフリートのせいで女性の希望者が多すぎて、あぶれた娘たちは残念そうに周囲に引き下がった。まあ、踊りは一回だけでなく何回も繰り返されるのだから、二回目以降を待ってもらうことになる。


 場が落ち着いたところで楽隊が演奏する曲が変わった。なだらかだった調べのリズムが、テンポの良い三拍子になる。いよいよ踊りの始まりだ。


 組になった男女が互いに一礼をして手を取り合う。メロディーがポンと高く弾んだところで一斉に動き出す。

 右に三歩、左に二歩。内側に下がって手を叩き、外側に出てまた叩く。

 両手を取り合って二人で跳ねるように右回り、左回り。


 輪が今度は外に出ようとしたところで「あっ」という声が上がり、大きな影がぐらついた。ディートフリートが振りを間違えたのだ。後ろに下がるところで前に出てしまい、進んできたベレニケの豊かな胸にぶつかってしまった。

 とたんに、周囲の見物人から「どうしたどうした」と野次が飛び、笑いが起こる。

「役得か?」「やわらかかろう!」「わざとだぞ! 保安官、息子を逮捕しろ!」と野卑なことを叫んでいるのはヒツジ牧場の牧場主と年かさの牧童どもだ。牧童のうちでも若い連中は、踊るほうに回って娘たちの手を嬉しそうに握っている。


 ディートフリートはからかい声に狼狽してタイミングが狂い、またぶつかりそうになる。

 そのときベレニケが小さく声をかけた。


「ディートフリートさん、落ち着いて」


 ディートフリートも小声で返事をする。


「お嬢さん、すみません」

「お気になさらず」


 しかしまだ緊張はほぐれず、リズムに合わせそこなって足がばたつくと、また周囲からからかう声が飛ぶ。


「保安官の息子! それじゃあ町長の娘も犯人も捕まえられないぞ!」


 酒が入った見物のおっさんたちがどっとわく。思わず手を強く握られたベレニケがディートフリートにささやいた


「大丈夫です。周囲の声など耳に入れずにおきましょう」

「はい」


 ディートフリートがささやき返して踊りに集中しようとすると、横で「うわっ!」と大声が上がり、それに「ちょっと、何やってんのよ!」というミエリのなじり声が続いた。

 どうやらカイも踊りを間違えたらしい。


「カイ、エールの飲みすぎか?」「親父みたいに酒浸りじゃあ踊れないぞ!」


 酔っぱらった牧童たちの野次の矛先は、カイの方に向いたらしい。ディートフリートが横目で見てみると、カイは野次の方に向けて大口を開けて笑い、わざと千鳥足をしてみせた。ヤジを飛ばしていた連中もそれを見て大笑いだ。


「どういうつもりなのよ!」

「いや、なんかミエリと踊ってたら楽しくなっちゃって!」


 ミエリの追及にカイが言葉を返すと、からかいの口笛が方々から飛んでミエリが顔を染める。


「何をバカなこと言ってんのよ、楽しければ真面目に踊りなさいよ!」

「はい、お嬢様!」


 ミエリにまた詰られてカイは体を小さく縮めてみせる。それを見て観客がまた笑って野次を飛ばす。

 たぶん、見物人たちに悪気はないのだ。カイやディートだけでなく、輪の他の所でも誰かが間違えるとやはり野次と笑いが起こっている。



 踊りは続く。

 若者たちが上げた腕の下を、娘たちが回ってくぐる。二回回って逆回り。手と手を合わせて、またくるり。


 やがて曲が進むと、娘たちの輪が前にずれて相手が変わる。カイの相手もベレニケに変わった。

 互いに頭を下げ合ったところでベレニケが「よろしくお願いします」と告げてきた。その手を取りながら「こちらこそです」と短く返す。


 彼女は踊りながら、「カイさんは優しいのですね」とディートフリートの方に目を流した。どうやら、見物人の矛先をディートから逸らすためにカイがわざと間違えたのは、町長の娘にはお見通しだったたらしい。

「それほどでも」と答えながらカイも同じ方向を眼だけで見ると、ディートの相手になった少女は顔を真っ赤にして嬉しそうに踊っており、彼もにこやかに相手をしている。

 カイも踊りながら言葉を続けた。


「あいつには何度も助けられて、世話にもなっていますから」

「そうなのですね。でも、そうでなくても助けたのでしょう? いいお友達ですね」

「友達? まあ、そうですね。そう言えるのはあいつだけですね」

「では、たった一人の『親友』ですね」


 ベレニケの言葉を聞いて、カイは少し感慨深くなった。

『親友』か。そうかもしれない。去年までは孤独だった自分に親友ができるなど、考えてもみなかった。

 そのカイの様子を見て、彼女は優しく微笑んだ。


「お互いに助けあえるたった一人の御親友。どうぞ大切になさってくださいね」

「はい」


 カイがうなずく。その真剣な声に、町長の娘はまた微笑みそしてカイと踊り続けた。



 やがてまた踊りの輪が進み、相手が変わろうとしたとき、カイは強い視線を感じた。

 そちらの方向を見ると、ギエリが怖い顔をしてこちらを睨んでいる。たぶん、俺が町長のお嬢さんと話をしながら踊っていたのが楽しそうに見えたのだろう。そんなことに嫉妬しなくても、どうせ踊りがどんどん進めば、お前もお嬢さんと踊れるさ。


 カイはもうギエリのことなど気にせずに踊り続けた。自分のところに来る相手は皆がディートと踊った後で満足そうな笑顔をしている。その余韻のおかげか、普段ははみだし者扱いの自分が相手でも、楽しそうに踊ってくれる。

 カイもなんだが楽しくなってきた。踊る前に一杯ひっかけたエールのおかげかもしれない。最初はぎこちなかったが、頭の中で自分が踊る姿を思い描いてそれを真似すると、体が勝手に動くようになった。まるで練習を続けている魔法のようだ。


 一曲が終わると少しの休憩を挟んでメンバーが変わる。

 ベレニケはディートフリートに「頑張ってくださいね」と言って他の娘たちと一緒に下がっていった。代わりに一回目にあぶれた者たちが今度は自分たちの番だと、いそいそと前に出てくる。目当てはディートフリートなのだから、彼は今回も引っ込むわけにはいかない。町長のお嬢さんに釘を刺されてはなおさらだ。

 そのディートが縋るような情けない眼でこちらを見てくるので、カイとしても親友を置き去りにはできず、おのずと踊りっぱなしになる。


 ベレニケが輪から消えたせいか、ギエリは気がつくといなくなっていた。一方でミエリは踊りが楽しいのか、今回もカイの前に立っている。


 曲が始まり踊りが再開される。もうカイもディートも間違えることはなくなった。踊りに集中するとなんだか面白くなってきた。何も意識しなくても体が動く。

 周囲からの声もからかいや野次は消え、「いいぞ、カイ!」「その調子だ!」「ディートフリート、かっこいいぞ!」と声援や賞賛が増えている。


 曲が終わり、また相手が変わる。カイもディートと一緒に、祭りが終わるまで何度も踊った。もう少々間違えようが、周囲からからかわれようが気にならない。ベレニケともミエリとも何度も踊った。こういうのも悪くないものだなと思いながら。




「けっ」


 楽しそうに娘たちと踊る二人の様子を見て毒づきながらその場を立ち去る者の姿には誰も気づかず、祭は夜まで篝火を囲んで続いた。

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