第二章 魔法使いと剣士

第8話 保安官助手見習

 ディートフリートの父のデーニス・シェールライフは、カイも住んでいる町の南東地区の保安官だ。剣の達人で、武術の道場を開いて師範もしている。門人の中には今は他地区の保安官をしている者も多い。今でも門弟は二十人以上おり、デーニスの下で保安官助手をしているバイスもその一人だ。


 町の各地区の保安官は世襲制ではない。町からの俸給は高く、町民からの尊敬も得られるため、一般の町民からの就任希望者もそれなりにいる。バイスはその口で、元は地区の端にあるヒツジ牧場の牧童をしていたが、デーニスの道場で剣術を習ってから保安官への転身を志して助手になった。

 ただし、助手はともかく保安官に任命されるには武術が優れているだけでは足りず、頭脳も明晰で人柄も良くなければならないので、なかなかの狭き門になっている。


 一方で、保安官の子供が父親に憧れて、剣術や体術などの武術を習い、父親の跡を継ぐことを目指す場合も多い。

 ディートフリートもその一人で、幼いころから父親の道場で武術を習っている。親譲りで素質が良いのかめきめきと上達し、体格にとても恵まれていることも相まって、十二歳になってからはもう大人に交ざって稽古をしている。

 二年前の十五歳の夏には、バイスにも剣術で勝つようになった。バイスは初めて負けたときには複雑そうな顔をしていたが、大きく負け越すようになった今では「やはり保安官の血は争えませんね。坊ちゃんにはかないません」と両手を上げ、手合わせすることも避けている。


 町の誰もが、ディートフリートはいずれ父親の跡を継ぎ、そして父と同じように町民から尊敬され信頼されるような保安官になるだろうと思っている。


 実際にも、まだ保安官助手とまでは認められていないが、助手見習として父親の地区見回りに時々随行している。町の住民からもすでに一目置かれており、扱いも他の少年たちとは異なる存在だ。



 カイに『町長から魔法の本を借り出してやる』と約束した翌日の午前中、ディートフリートは保安官の父に従って地区の見回りをしていた。


 住居を兼ねる保安官事務所を出てあたりをゆったりと見回しながら歩く保安官のすぐ後ろを、ディートフリートは気持ちを引き締めてついていく。

 油断なく両側に目を配り、行く人、出会う人の表情を探って異常はないかを確かめようとする。

 街路をしばらく進んだところで保安官が歩きながら顔だけで振り返ってディートフリートを見た。なにごとかとディートフリートが見返すと、手招きをして横に並んで歩くように促した。

 ディートフリートは急いで歩を進めた。同じ色の、同じ髪型をした父親の横に並ぶと、つい、自分の方が高くなってしまった背を丸めてしまいそうになる。

 保安官は相変わらず緩やかに歩きながら、綺麗に調えられた豊かな口髭をたくわえた口を開いて通行人には聞こえないような静かな声で注意をした。


「ディートフリート、顔が硬すぎる」

「はい?」

「笑顔だ。笑顔を作れ」

「はい、父さん」


 ディートフリートが慌てて返事をすると、そこにまた注意が被せられた。


「『父さん』ではない。見習の仕事中は『保安官』とよべ。公私のけじめは保安官の仕事には何より重要だ」

「はい、保安官」


 返事の声が硬くなるのと同時に、表情もまた強張こわばりそうになる。

 ディートフリートは顔の筋肉を何とか緩めて慣れない笑顔を作ろうとした。なかなかうまくいかないが、口の端を上げるとそれなりに笑顔のようなものになる。

 ディートフリートはその表情を維持しながら、今は上官である父に質問した。


「あの、保安官、なぜですか?」

「簡単なことだ。考えてみろ」


 突き放されて、ディートフリートは思考を巡らせようとした。すると顔がまた難しくなりそうになる。慌てて笑顔を作り直そうとすると、今度は考えに集中できなくなる。


「保安官、すみません。わかりません」

「そうか」


 保安官は立ち止まると、ディートフリートの方を向いた。


「私たちが厳しい顔をして歩き回っていたら、住民は『何か事件が起きたのかもしれない』と不安になるのではないかな?」

「あ…… はい。そうかもしれません」

「保安官が緊張していれば、住民も緊張するだろう。私たちの目付きが鋭ければ鋭いほど、凶悪犯を捜しているのではないかと、より不安になるだろう。違うか?」

「違いません」


 そういうことか。

 ディートフリートは簡単なことに気づけなかった自分を恥ずかしく思った。

 つい、視線が地面に落ちる。

 保安官はその様子を見なかったかのようにまた前を向いて歩き出しながら淡々と続けた。


「私たちは町の平和を守るのが仕事だ。その私たちが原因で住民を不安にさせては、本末転倒だ」

「はい、保安官」

「だから、平時の見回りは笑顔で行うのだ。そうすれば住民は安心し、彼等の平和を守る我々にも親しみを感じてくれるようになる。ひいては、何か事件があったときにも我々に協力してくれるようになる。真に危急のときには、我々が切迫した顔で『逃げろ』というだけで何も聞かずに急いで退避してくれるようになるのだ」

「わかりました、保安官」


 ディートフリートが答えると保安官は「うむ」と力強く応じた。そしてにやりと口角を上げると、道の端を指差して言った。


「理解できたところで、早速出番だな」


 保安官が指さした方から、言い合いをする男たちの大声が聞こえてくる。どうやら酒場の中で何か揉め事が起きているらしい。


「ディートフリート、行ってこい」

「はい!」


 保安官の命じる声に応じてディートフリートが酒場に急ごうとすると、後ろから言い添える声が聞こえた。


「笑顔を忘れるなよ」

「はい」



 ディートフリートは騒ぎ声のする酒場に急いだ。明るい街路から薄暗い室内に急に入るとすぐには目が慣れない。それでも言い合う声のありかはすぐにわかった。

 揉めていたのは、壁際のテーブルを挟んで向かい合っている二人の爺さんだった。

 二人ともカードを手にしており、テーブルには色の濃いエールが少し残ったジョッキが置かれている。午前中からお楽しみとは、結構なご身分だ。

 爺さんたちは二人とも町ではよく知られている。元は腕の良い職人だったが、何年か前に息子たちに親方の座を譲って悠々自適の暮らしをしている。現役のころから仲が良く、仕事終わりには二人で一緒に酒を飲みカードで遊んでいたが、今では朝からともに過ごしていることが多いようだ。

 いつもは楽しそうにわいわいと騒いでいるのだが、今日は何があったのか、口から泡を飛ばして激しくまくし立て合っている。店員は近くにいるのだが、口を挟めずにおろおろとしながら立っていることしかできないようだ。


「ベルンハルトさん、クリストフさん、お静かに。どうしたんですか?」


 ディートフリートが近づいて声をかけると、二人は口喧嘩をやめてこちらを見たが、声の主を見定めると一斉に口を開けてがなり始めた。


「おう、保安官の息子さん、いいところに来てくれた!」「坊ちゃん、ありがたい、わしの話を聞いてくれ!」


 そして口々に自分の主張を訴え始めた。


「こいつと次のエールを賭けて勝負してたんだが、こいつ、汚いズルをしやがったんだ! 俺の手札をのぞきやがった。とんでもない野郎だ!」

「違う、坊ちゃん、わしは何もしていないんだ! こいつが勝負に負けそうになって、根も葉もない言い掛かりをつけてきたんだ!」


 そしてディートフリートをそっちのけにして、言い合いを再開する。


「嘘つけ、さっき、こうやって首を伸ばして、俺の手の内をのぞいたろうが!」

「馬鹿を言え、わしはそんなことをしていない! 負けたくないからって、いい加減なことを言ってごまかそうとするな!」

「何を言ってやがる、いい加減じゃねえ! お前が考えるのが長いからエールを飲みながら待つためにジョッキを取ろうとしたら、お前、体と首をこっちへ傾けたろうが! 俺のカードが傾いて見えそうになったからのぞいたんだ!」

「そんなことをするか! いい手を思いついたから、考えをまとめようと首を振っただけじゃないか!」

「どんな手だよ!」

「お前が四の五の言うから忘れちまっただろうが! どうしてくれるんだ!」


 ディートフリートは頭が痛くなりそうだった。何と言うべきか、本当につまらない争いだと心の底から思ったが、それをはっきり言っては終わりだろう。何とか丸く収めてやらないと。

 二人の肩を軽く叩いて声をかけた。


「それはたいへんです。勝ち負けに関わる重大事ですからね」


 言い争っていた二人はディートフリートの顔を見上げた。


「お、おう。そうなんだ」「そ、そうだとも」

「いいですか、お二人とも、よく聞いてください」

「お、おう」「な、なんだ?」


 ディートフリートは努めて冷静な、落ち着いた声を出そうとした。おのずと調子は低く太くなる。


「この一番はエールの代金に関わる重要な勝負ですよね」

「そうなんだ」「そのとおりだ」

「折角考えついた手を忘れてしまったり、あるいは手札を覗かれて知られてしまったりしたのでは、まともに勝負はできませんよね?」

「そうだな」「そうなるな」

「そもそも言い掛かりをつけるような、あるいは手の内をのぞこうとするような相手では、安心して勝負できませんよね?」

「まあな」「そう言われればな」


 ディートフリートはいきなり前かがみになり二人に顔を寄せた。声も一段と低く厳しくなる。


「では、もう、カードはやめにしては?」

「う」「いや、それは」


 二人は言葉に詰まり、顔を見あわせた。


「どうしたんですか? お互いを信用できないんでしょう? だったらやめたほうがいいじゃないですか。ええ、そうしましょう」

「そりゃ困る」「坊ちゃんそんな殺生な」


 二人は慌てて返事をする。そこを狙ってディートフリートは顔を上げ、きっぱりと宣言した。


「では、この一番は無しにしてやり直しましょう。そうしないともう、勝っても負けても、エールが不味くなるんじゃないですか?」

「わかった、わかったよ」「坊ちゃん、言うとおりにするよ」

「それはよかったです」


 ディートフリートはほっとした。二人は二人でそれぞれに礼やら感謝の言葉やらを口にする。


「間に入ってくれてありがとうよ。保安官の息子さんに真面目な顔で仲裁されちゃあ、年寄りがわがまま言ってられねえな。手をのぞかれたのは気に入らねえがな」「まったくだ。わしたちに厳しいことを言ってくれるのは、坊ちゃんぐらいのもんだからな。家の連中と来たら、わしが何しようがほったらかしだからな。折角の手を忘れちまったのは残念だけどな」


 それでも二人の口調にはどこかとげが残っている。

 すると酒場の戸口に立って様子を見ていた保安官が近づいてきてディートフリートに「よくやった」と言ってから二人に向いた。


「丸く収まってよかった。では、お二人の仲直りの印として、次のエール一杯は私におごらせてもらおう」


 そう言って店員に合図をした。店員は喜んでエールをぎに奥へ行く。

 今まで目を吊り上げて不満顔をしていた二人は顔を見あわせると、口々にすまなさそうに答えた。


「保安官、それは申し訳ない」「けちくさい揉め事をしていたのは俺たちだ」「そうだ、わしらが悪いのに、保安官のふところを痛ませるわけにはいかない」

「いや、構わない。ディートフリートの顔を立ててくれた礼だ。遠慮せずに乾杯してくれ」


 保安官が笑顔で二人の肩を叩くと、二人も笑顔になった。


「保安官がそう言ってくれるなら、そうしておこうか」「そうだな、我らが保安官のせっかくの好意だ。美味しく飲ませてもらおう」


 そう言うと二人は今度はディートフリートに向いた。


「ありがとよ、何から何まで坊ちゃんのおかげだ」「ああ、仲直りできた上にエールまで御馳走になれるとはな」


 そしてまた二人して保安官とディートフリートの顔を交互に見ながら上機嫌で笑いながら言った。


「いい息子だな。さすがは保安官の息子だ」「いい跡継ぎがいて、保安官が羨ましいよ」

「この町も、当分安泰だ」「坊ちゃん、これからも親父さんをよく見習えよ」「ああ、そうだ、できたら親父さんみたいに笑ってもらえるとな」「ああ、年寄りにはきつい顔と声は響くからなあ」


 ディートフリートはそれを聞いてはっとした。二人の揉め事を聞いているうちに、笑顔を取り繕うのを忘れていたのに気がついたのだ。

 おりしも店員がエールのジョッキを持ってきた。二人が「保安官と坊ちゃんの健康に!」「二人が守る町の平和のために!」と声を上げてジョッキをぶつけ合い、ぐびぐびと飲んでから機嫌良くカードを再開したのを置いて、保安官とディートフリートは酒場を離れた。



 再び街を見回りながら、保安官はディートフリートに穏やかに話しかけた。


「よくやった。これでしばらくは、あの二人も仲良くやるだろう」

「はい、保安官」

「来週になればまた揉めるだろうがな。だが、それもこの町が平和なあかしだ。何度でも仲裁してやれ」

「結局、保安官の力を借りることになってしまい、すみません」

「いや、そんなことはない。あのままでも丸く収まっていただろう。お前のことは、皆が認めているのだ。自信を持っていい」

「ですが、知らないうちに笑顔を忘れていました。保安官に言われていたのに」


 ディートフリートは真面目な顔のまま視線を街路に落とした。


「それは気にするな。言われてすぐにできることではないからな。だが、普段から顔や声を思いどおりにできるように心がけておけ。保安官にとっては重要なことだ」

「……はい」


 保安官はまた先に立って歩き出した。

 ディートフリートもその後に続く。返事の後に口からこぼれかかった言葉は飲み込んだ。


「(認められていると言っても、親父の息子としてだけだ。俺一人だけでは何もできないんだ。作り笑顔すらもだ)」


 その言葉は心の中で反芻するだけにして、何とか口角を上げて、表情を取り繕って保安官の後を歩き続けた。

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