第7話 カイとディート

 魔法使いが一人もいない、すなわち習える相手がいないこの町で、どうすれば魔法使いになれるか。つまり、意図して魔法を使えるようになるにはどうすればよいのか。

 カイが投げかけた当たり前の、しかし重大な難問に、ディートフリートはこともなげに答えた。


「本だ」

「本?」

「ああ、本だ。魔法について書いてある本を読んで自分で学ぶんだ」

「そんな本があるのか?」

「ああ、あるんだ」

「どこに?」

「町役場だ。町長が持っているんだ」

「町長さんか……」

「町長が本をたくさん買い込んでいるのは知っているか?」

「ああ」


 カイは短く答えた。

 町長の家は元々はこの町で有数の商家で、本人も商人組合の役員を経て町長の座に就いた。当然のことながら裕福で、町政関連で必要な書物だけでなく、自分の趣味でもさまざまな本を買い集めている。先代以前が収集したものも多い。すべてを自分で読んでいるわけではないらしいが、町民で必要な者には貸し出しもしている。

 カイは、叔父が染物に関する本を町長から借りたことがあるのを知っていた。だが、自分のようなはみ出し者にも貸してくれるものかは疑問である。

 だが、ディートフリートはカイの様子を気にすることもなく話を続けた。


「そうか。以前、この町に魔物が現れたことがあるのは知っているか?」

「ああ、聞いたことがある。俺たちが生まれたのより随分前のことだよな」

「そうだ。それより昔にも何度かあって、町長は対策を立てるために魔物関連の本を王都で買い集めたそうだ。実際には、その後に魔物が現れたことはなくて、今までに役に立ったことはないようだがな」

「皮肉なもんだな。でも、きちんと対策の準備をするとか、さすがは町長さんだな」

「まったくだ。偉い人だ」


 ディートフリートはうなずきを一つ入れてから肝心な話に戻した。


「それで、俺も町長からは剣術や体術の本を借りて読んでいて、それを書庫で探している時に、魔法に関する本も見かけたんだ」

「そうなのか」

「それを読めば、魔法ができるようになるんじゃないか?」

「それは面白そうだな」

「そうだろう? なあ、カイレム、お前も字が読めるようになれよ。俺が教えてやるから」


 ディートフリートは勢い込み、身を乗り出して言った。

 だが、カイの答えは単純だった。


「いや、読めるぞ」

「え? 読めるのか? お前、教室には通えていないだろう?」


 思いもよらない言葉にディートフリートが驚いてカイに問い返す。

 てっきり、相手は字が読めないと思い込んでいた。無理はないだろう。畑仕事や家畜の世話ばかりをやらされている若者に、文字を勉強する余裕があるとは思えない。

 だが、カイはあっさりと答えた。


「ああ。だけど、小さいときに母さんに習った」


 ディートフリートはまた驚かされた。

 カイが母親のことを口にするのを聞いたことがなかったし、自分の父から聞かされていた話からも、カイは母親のことを何も知らないと思い込んでいたのだ。


 ディートフリートは口を開けたままになってしまったが、カイに「どうした?」と言われて我に返った。


「いや、どうって、これまでお前がおふくろさんの話をしたことがなかったから、ちょっと驚いた」

「俺だって、少しは母さんのことを憶えているさ」

「そうなのか。もしよかったら、聞かせてくれるか?」


 ディートフリートは遠慮がちに尋ねる。


「ああ、いいとも。お前は、俺の母さんのことを悪く言う奴じゃないからな」

「もちろんだ」


 だがカイにさらりと応じられてまた驚くと同時に少し嬉しくもなった。力強くうなずいた端正な顔が知らず知らずに緩んでいる。

 そんな相手に向かって、カイはひょいと肩をすくめてみせた。


「もっとも、俺ももう母さんのことはそんなに憶えていないんだ。昼間は仕事で家にいなかったしな。何の仕事かは知らなかった。父さんも母さんも仕事のことは何も言わなかった。まさか、二人とも軍に勤めていたとはな」

「そうだったのか」

「ああ。なぜだったのか、さっきお前が教えてくれたことでわかったよ。母さんが亡くなったときもそうだった。父さんは『母さんは危険な仕事をしに行って、そこで亡くなった。もう帰ってこない』としか言わなかった」

「それも、軍の秘密を守るためだったんだな」

「たぶんな。でも、母さんに字を習ったことはよく憶えている。母さんは俺に、『文字は必ず身を助けてくれるから、頑張って学びなさい』って言ってた。物心つくかつかないかのころから字を教えてくれていたみたいだ。普段は優しかったけど、読み書きを習うときは厳しかった。それこそ、その日の課題を終わらせるまでは夕食にありつけないぐらいにな。父さんまで巻き添えになって、腹を空かせてあきれながら我慢していたよ。俺も飯は早く食べたかったから、一所懸命にやった。だから今でも普通に読める」


 カイは淡々と話す。それでもディートフリートには不思議だった。


「だが、今は本を読む機会とかは無いんじゃないのか?」

「いや、父さんが持っていた本が何冊かあるんだ。それに、ギエリが叔父さんや叔母さんに読めと言われて渡されているのに読まずにそこらへんにほったらかしにしている本もある。字を忘れないようにするために、時間があるときにはこっそり読んでいるから。もっとも、染料の配合だとか染物の手順だとか、そんな本ばっかりだからな。ギエリがつまらないと言って投げ出すのも無理はない」

「へぇ……」

「だから、知っている染色の方法の種類だけなら、ギエリより俺のほうがずっと多いかもしれないぞ。実際に染めた経験はないから、何の役にも立たない無駄知識だけどな」


 カイはそう言ってケラケラと笑った。

 ディートフリートはそれを見ながら感心した。

 こいつは普段は周囲から馬鹿にされても表情を崩さず平気な顔でそらとぼけて、わらわれても一緒に笑うような臆病な間抜けに見せかけているが、受け答えがずれたことは言わない。実は頭が良いのだ。前からそう思っていたが、それにはこんな理由があったのだ。


 口を閉ざしたディートフリートに、カイが笑いをふいに止めて疑問を口にした。


「でも、本を読んだだけで魔法ができるようになるのかな」

「それはわからないさ。難しいだろうとも思う。だが、何もせずにいるよりはいいじゃないか」

「それはそうだな。できるかどうかは、やってみないとわからないものな。今みたいに、何もせずにぼうっとして過ごすよりはよっぽどましだよな」

「そうだとも。よし、じゃあ、話は決まった」


 ディートフリートは力強く相槌を打つと膝を叩いた。太い腿から、低く心地良い音が弾む。

 日は傾き始めて、二人が座っている樹の下にもまた陽光が射してきている。


「俺が町長から魔法の本を借りて持ってきてやる。俺がここで野稽古している間、お前はこの樹の陰ででも、その本を読めばいい」

「本当か?」

「ああ。こんなことで嘘を言ってどうする」

「いや、疑ってるわけじゃないけど。でも、どうして? 見返りに、俺は何もできないぞ」

「別に構うものか。だが、その本を読んで、もし、魔法がどういうものかわかったら俺にも教えてくれ」

「いや、そこは『魔法ができるようになったら俺に一番に見せてくれ』って言ってくれよ」

「ああ、それは期待せずに気長に待つことにしよう」

「言ったな。きっとできるようになってやる。魔法を使えば、お前にも勝てるかもしれないからな。そのときはさっきみたいな手加減はなしで勝負してくれ」


 カイが憤然と宣言する。ディートフリートはカイのその顔を見た。普段の薄笑いとはまったく違う、一文字に閉じられた唇、誇り高い鼻筋、痩せて引き締まった頬。そして向こう見ずで意地っ張りな光をたたえた濃銀色の瞳。

 こいつは、やると言ったらやり通す。魔法もこいつなら本当に習得してみせるかもしれない。

 そう思いながらディートフリートも短く答えた。


「ああ、いいとも。楽しみにしている。カイレム、お前ならきっとできるさ。信じているぞ」


 そう言いながら右の拳を突き出した。

 カイもディートフリートの顔を見返した。いつものただ真面目なだけの仏頂面とは違う、力のこもった真剣な視線。

 やっぱり、こいつのように強くなりたい。少しでも近づきたい。


「ありがとう。きっと、やってみせる」


 そう言いながら自分も右拳を突き出してぶつけ合う。

 そして、少しばかりの気恥ずかしさから、ほわりと赤くなる顔を伏せて上目遣うわめづかいでもう一つの願いを口にした。


「なあ、お前のこと、『ディート』って呼んでいいか? 毎度毎度『ディートフリート』は長くてちょっと呼びづらい。俺のことも『カイ』でいいから」


 だが、すぐには返事が聞こえない。カイはおそるおそる視線を上げた。

 そこにあったのは、驚きと喜びに満ちた、初めて見るディートフリートの満面の笑顔だった。


「もちろんだとも。えっと、『カイ』、もちろんだ。ありがとう」

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