昔の、身分高い人が手紙を書く量は尋常でなかった気がします。それしか通信手段がないから当然でしょうが、外交文書などの内容も、手紙の範疇に入っていたりするのでしょうね。
作者からの返信
三奈木真沙緒先生 御侍史
いつも御愛読下さり有難うございます。
その上、毎回メッセージを賜り、感激でいっぱいでございます。
御指摘の通りで、、イザベラ・デステ侯妃について
「人生の半分を手紙を書くことに費やし、そうして書かれた手紙がマントヴァの地位を向上させた。」
と学生時代に読みました私は、驚嘆致しました。
人生の半分を手紙を書くことに費やした、という事実に。
そして、手紙が国の地位を向上させた、という事実に。
私は、是非見習おうと思いました。
イザベラ・デステ侯妃のお手紙は4万通が現存し、そのため当時の女人としては奇跡的にその生涯が克明に分かるのだと言われます。
今後とも何卒イザベラをお見守り下さいませ。
雪がロマンチックですね
作者からの返信
10年後、同じ雪の描写があります。
その時、イザベラは如何なる運命のさなかにあるのか・・・何卒イザベラをお見守り下さいませ。
編集済
私は美術が好きなので、ダビィンチも死ぬほど好きなので楽しんで読ませてもらっていますが、筆者さまは、モナリザのモデルが、イザベラ・デステの説を推してる感じなんですね? ってここまでしか読んでなくてそんなことを言ってはいけないのですが・・・。
私は、個人的には、リザ・デル・ジョコンドがモデルだと思っています。やっぱり、ジョルジョ・ヴァザーリの「画家・彫刻家・建築家列伝」の記述が私の中では大きくて、リザ・デル・ジョコンドの説を信じちゃってます。
あ、あと、私は、美術は大好きなので、この作品は、最後まで読ませていただきますね。
作者からの返信
まぁじんこぉる様 御侍史
この上ないおすすめレビューと応援コメント、感激のあまり涙がこぼれました。
お礼の申し上げようもございません。
心から、心から感謝申し上げます。
一人でも多くの方にイザベラ・デステ侯妃を知っていただきたい、という思いに突き動かされて、毎日相当過酷でした。
カクヨムを今年4月に始めた頃は、西も東も分からなくて、♡をいただいても、どうしていいのか分からず、
「どうしたらお礼状を書けるのかしら?」
と悩みながら、何も出来ませんでした。
当時はなかなか読者の方が増えませんでした。
PV0の日もしばしばでした。
それでも、どうしたらいいのか分からなかった。
そんな時、ふと
「私だったら、どう思うだろう。
お礼状を望むより、自分の作品を読んで欲しい、イザベラ侯妃を知って欲しい、とそう思うはずだ。」
と気がついたのです。
それ以来、♡やフォローを下さった方々の作品を読ませていただく様にして、♡バックやフォロー・バックに努める様になりました。
読ませていただく量が増え、最近では極端に睡眠時間を削らねばならなくなり、倒れないかと恐怖でした。
でも、
「こんな有難いことは無い。」
と思って無理に無理を重ねて居りましたが、このたび、まぁじんこぉる様がお教え下さいました御蔭で、救われました。吹っ切れました。
きっと、神様が
「馬鹿、倒れるぞ。」
と、まぁじんこぉる様をお遣わし下さったのでしょう。
心から感謝致します。
しかも、イザベラ・デステ侯妃を一人でも多くの方に知っていただきたい一心でやったのに、逆効果になったのでは、侯妃に合わせる顔がございません。
本当に有難うございます。
御作、冒頭を拝読させていただただけで、まぁじんこぉる様の豊かな教養と溢れる才能を感じ、鳥肌が立ちました。
あらすじに「なかなか世に認められず」と拝見し、身につまされる思いが致しました。 私も今、真剣に国政を志していますが、なかなか道が開けません。 身内や知り合いの中から公認候補を選びたいという党の思いが非常に強いからです。
イザベラ侯妃の御蔭でまぁじんこぉる様の様な素晴らしい御方に巡り会えて幸せです。
今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
かしこ
2023年12月24日
稲邊富実代
フランチェスコさんの元にやってきたばかりのイザベラさんは、ホームシックに襲われていましたが、一度心を決めたら最後、彼女はまっすぐにゴンザーガ家の人々と向き合うようになったのですね。手紙でロドヴィコさんとの不仲を解消しようと努めたシーンからも、彼女の決意の強さが窺えます。
そんなイザベラさんが最後に発した「この世を生き抜くには決意が必要だ」という言葉は、とても説得力がありますね。
作者からの返信
world is snow先生 御侍史
素晴しいコメント、有難うございます。
こんなに深くお読み下さり、感激でいっぱいです。
昨日は、大変失礼致しました。
「ありし日の」という表現、その解釈に食い違いが生じたのでは・・・と気がつき、調べてみて仰天致しました。
ネットで検索致しますと、今では一番に出てくるのが、なんとただ単に「過去の」という意味なのですね。
それは、最近の傾向だと思います。
私の認識は専ら「生前の」「生きていた頃の」という意味で、故人に使う言葉でした。
だから、今生きているヒロインに敢えて「生きていた頃の」という意味の「ありし日の舞音」という表現を見た瞬間、戦慄を覚えたのです。
そして、よほどの決意でお書きになった言葉に違いない、と感じたのです。
でも、御返信を拝読し、なんだか違う様な気がして・・・全くそこを素通りなさいましたので・・・そこで、調べて謎が解けました。
素敵な物語、有難うございます。
人生の入口に立ったばかりの才能溢れるヒロインの成長を祈りつつ
かしこ
2024年3月12日
稲邊富実代