第2話

「誰であろうと、罪を犯せば罰せられるべき。しかし、そうではないのが、この現世うつしよ。私には、どうすればよいのか分からず、ただ、こうすることしか」

 奈津奈はそう言って、ただただ、謝っていた。

 奏にしても、それ以上のことを求める気はなかった。

「もう十分です。顔をお上げください。父のために心を痛めてくださり、ありがとうございます」

「無粋だとは存じますが、こんな物しか」

 そう言って、奈津奈は小判の束を差し出した。

「こんなっ」

 恐縮する奏に、奈津奈はなおも言う。

「他に、私で償えることはありませんか?」

「いえ……」

 天上の巫女に頼み事なんて。

 そう思ったけれど、奏の脳裏には過ってしまっていた。

(父さんと母さんを降ろしてほしい)

 あの声を、言葉を、もう一度だけでも、聞かせてほしい。

(でも、だめだ)

 今、呼び降ろしてもらったとしても、虚しくなる。より一層、寂しくなるだけだ。

「……何も、ないです」

 言いながら、人前だというのに、悲しさが込み上げて、奏は涙ぐむ。

「お見苦しいところ、お見せして、ごめんなさい……」

「いえ」

 奈津奈には、かける言葉が見つからなかった。

 本当に、彼は何も求めていないのか。当人を降ろすでもしない限り、心の内を知ることはできない。

 ひるがえせば、奈津奈には知る方法があるということなのだが――

 けれどもゆえあって、彼女はそれをしなかった。

 ふと、奏は溢す。

「巫女様が羨ましい」

「私の力が、でしょうか?」

「いえ……受け継げるんですよね……? 必ず、親から、才能が」

 言われ、奈津奈には思うところがあるようだった。

「才能なんて、受け継ぐべきでは……」

「え」

 困惑する奏に、奈津奈は慌てて弁明する。

「ごめんなさい。巫女の口からこんなこと、皮肉にしか聞こえませんよね」

 奏は見落とさなかった。奈津奈が、傷ついたような顔を浮かべたことを。

「僕の方こそ、嫌なことを言ってしまいましたか……?」

「勝手に気を悪くし、ごめんなさい。お気になさらず」

「……僕は、両親から何の才能も継げなかった。それが、どうしようもなく苦しい。けれど、あなたは違う……?」

 躊躇いがちに、奈津奈は応える。

「……私は、才能を受け継ぐのは、よいことだと思わないのです」

 誰よりも優れた才を継ぐ、巫女の口がそれを言う。

「親と子は、たとえ似ているところがあったとしても、まったくの別人。当然、生まれ持つ才能も違ってくる。天才の子が天才とは限らない。それは……よいことだと思うのです」

「どうして……」

 奏は不思議に思えてしかたなかった。

(僕は、こんなにも辛いのに)

 彼の心境を感じとって、奈津奈は難しい顔を浮かべる。

「確実に才能が遺伝する。そうなれば、優れる者がより優れることになる。人の優劣は明確化してゆく一方となるでしょう」

 この推論じみた言い方は、少々おかしい。

「すでに、巫女様が」

「はい。巫女はその才ゆえに、強大な権力を持ちます。優れた者は、そうでない者を蔑み、虐げる」

 続けて、奈津奈は断言した。

「腐っているのです。約束された才能が、私の一族を腐らせている。滅ぶべきとさえ……思っています」

 彼女は才能を忌避していた。

 だから、使いたくない。

 使わざるを得ないこともあるだろうが――

 何にせよ、天才の子として、奏と奈津奈は状況が真逆だった。

 けれど、境遇は似ている。

 ふたりとも、才能に苦しめられていた。

 彼女の話を受け、奏は考える。

(もし……僕に父のような才能があったら……)

 今の自分とは別人になっていたかもしれない。

 才能に胡座をかかず、人を見下さず、父に恥じない人格を持てていただろうか?

 自信がない。

「親から子へ、才能が継がれないことには意味があります。それこそ、自然なことだと思うのです。人の世を、健やかに保つため」

 これを聞いて、奏は救われた気がした。

「僕は、出来損ないだと言われてきました。生まれてくる親を間違えた、と」

 胸に手を当て、彼の目を見据え、奈津奈は切実に語りかける。

「親が誰だなんて関係ない。あなたはあなたです」

「僕は、間違った存在じゃない……?」

「当然です」

 この瞬間、奏の胸に彩りがさした。

 久しく動くことのなかった、喜びという感情が、胸に流れ込む。

「ありがとうございます。とても、気が楽になりました」

 そう言われることが、奈津奈にとっても救いになった。

「こんな話を喜んでくれるなんて。私こそ、聞いてくれてありがとう。誰にも話せずにいましたから……」

 巫女の一族に生まれながら、巫女は滅ぶべきという考え。

 もしかして、と。奏は心配になる。

「あなたは、とても危険な立場に……?」

「ご心配なく。巫女同士は口寄せできないのです。だから、隠し通せています」

「…………」

 間違いない。

 彼女は孤独だ。

 才能が、彼女の心にどれほどの枷を強いているのだろうか。

 奏は、この子の力になりたいと思った。

 自分にできることといえば、これしかない。

「聴いていってくれませんか?」

 三味線をとって、問いかけた。

「ぜひ」

 と、奈津奈が優しく微笑んでくれる。

 奏は、精一杯、心を込めて唄った。


「とてもお上手ですね」

「父さんは、もっともっと、何百倍も上手かったんです」

「お父上ではなく、あなたの音が好き――という人は、必ず現れると思いますよ。現に、ここにひとり」

 奈津奈の柔らかな笑顔は、奏の痛みを癒す、何よりの励みになった。

「あなたの話を聞けてよかった。会いに来てくれて、本当にありがとうございます」

「私の方こそ。また、聴きに来てもよろしいでしょうか?」

「今度は安くしときます」

 と、奏は親指と人差し指で銭の形をつくる。

「ふふ。ありがとう」

 奈津奈は楽しげに礼を言いつつも、直後には表情を曇らせる。

「ひとつだけお願いがあります。私と出会ったことは、他言無用にお願いいたします」

 天上人には、それなりの事情があるのだろう。ここへ来たのはお忍びというわけだ。

 奏は深く踏み込むことなく納得する。

 が、同時に、不安にもなる。

「……本当に、また会えますか」

「はい。きっと」


 ――しかし


 奈津奈が再び彼のもとを訪れることはなかった。


 巫女を縛れる者はいない。

 ただし、それは同じ巫女を除いて、だ。

 巫女といえど、母親の言うこと――より上位の権力には逆らえない。

 自分を神と信じて疑わぬ者は、すべてを意のままにしようとする。

 娘は、政治の道具のひとつ。

 奈津奈は、神のような力を持ちながら、誰よりも自由がなかった。

 それを、奏は知らない。

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