第1章 青春の1ページ目

第2話 青春の1ページ目

「なんかあった?」


「なんもねえよ」


「いや、絶対なんかあったでしょ」


「なんもねえって」


 普通に嘘を吐いた。


 何もなかったわけがなく、さすがに昨日の帰りに学校のマドンナこと姫野葵に話しかけあろうことか手持ちの折り畳み傘を貸したなんて口が裂けても言えない。


「あやしいー」


「そこまで疑う理由ってなんだよ」


「いや~? 別に~」


「うざっ」


 と、何気ない会話を交わしているのは怜の唯一の級友である白崎渚。


 怜がこの学校で唯一仲良くしているのが彼であり、それ以外の男子やクラスメートとはほとんど話したことがない。


 素直に言えば自分から話しに行ったことがない。理由はシンプル、自分一人の時間が楽しいから。


 渚の話を軽く聞き流しながら廊下の方を見るとそこにはいつもの光景が写った。


「姫野さん今日も囲まれてるね」


「あんなに囲まれて嫌にならないもんなのか?」


「さぁ? 僕たちにはわからないね」


「油断すれば女子に囲まれかけてるやつが何言ってんだ」


「いや~困ったもんだね」


 とぼけるもなにも渚は何と言っても学校の王子とされている。


 そのルックスは男子からすれば妬みの種にしかならない。一時期は怜自身が本当に自分が友人でいいのかと思うほどの整った容姿の持ち主。


 だが、そんな渚が認めるほどの美女がクラスにいる。


 気づけば男女それぞれから囲まれるほどの人気っぷりの彼女。頭脳明晰、スポーツ万能、触れどころのないほど整った容姿に周りの男子は惚れこみ、女子は憧れすら抱いている。


 水色の瞳に藍色にグラデーションカラーを施した綺麗なストレートヘアーには誰もが見とれてしまうほどである。


「あのルックスを持ち合わせておきながら誰にもなびかないんだもんね」


「まあ、あそこまでの美女が誰のものにもならないのは男からしたら唯一の救いなんだろうな」


「それもそうだね」


――――――――――――――――――――――


 自宅のマンションに帰りエレベーターを降り、自宅の前を見ると目を疑った。


 なぜならそこには今日、渚と噂にしていた美女がおそらく怜の貸したであろう折り畳み傘を持って立っているのだから。


 見た感じ制服を着ているため学校から帰った後、すぐ返しに来たのが窺える。


 怜に気付き視線を向けると少し小首をかしげ真っ直ぐな視線を送っている。


「悪いな、あいにく今帰ったところだ」


「いや、まだ帰ってないのに来て待っていたのはすまない」


「遅かったのは俺の方だしお前の謝る事じゃないだろ」


「……そっか、ありがとう。あ、それと借りた傘を……」


「ああ、わざわざどうも」


 これ以上お互いが謙遜して謝り合っていては話が進まないのは目に見えていたので、葵が会話を切ってくれたことには内心感謝した。


 怜は傘を受け取り家の鍵をポケットから取り出すと、ドアを開けて家に入ろうとすると葵がなかなか家に帰ろうとしないことに気付いた。


「何してるんだ?」


「あ、いや、夜狼くんの自宅の中ってどうなっているのかなと思って」


 まさかの回答だった。


 あの高嶺の花とも称されている姫野葵が特に関わりのない男の家の中を気にしたのだから。


 本来ならありえない。ただ傘を貸し借りしただけの関係なのにも関わらず、突如家の中の様子を知りたがるなんて。それだけの理由で異性の家の中を知りたいと思うものなのだろうか。


 一瞬でもどこかに頭をぶつけたのかと思ったが、あまりにもそれは失礼な気がしたため、速攻で頭の中から消去した。


「いや、同じマンションに住んでんだから家の中は同じだろ。 それにゴミ屋敷でもないからな?」


「……そう」


「独り暮らしの男子高校生の家は大体ゴミ屋敷になっているとでも思ったか?」


「いや、そういうわけじゃないよ」


「そうか……」


 真剣な眼差しを向けて淡白に返されたことに若干安堵した。なぜこの状況で安堵したのかは知らない。


「あ、ごめん。 ボクはこれで」


「ああ」


 と、挨拶を交わし、葵は怜の家の隣にある自分の家に帰っていった。


「なんだったんだ」と、怜は一人呟き自分も家に入った。


 その日の夜、怜はベランダに出て外の景色を堪能していた。すると隣の家からベランダの窓を開ける音がした。


 そこから顔を出したのは夕方わざわざ家の前で待ってまで傘を返してくれた、姫野葵だった。


「この景色好きなの?」


「まあな、いつ見ても飽きない」


「……そうだね、いいよねここから見る景色……」


 怜の住んでいるマンションのベランダからはこれまた絶景が見えるのだ。


 決まった時間に綺麗に色づく街並みを決まった時間で眺めるのが怜の日課になっている。


「今更聞くけど夜狼くんはどうしてここで一人暮らしを?」


「野郎の一人暮らしの理由なんて大したもんじゃないだろ」


「ボクの自己満足で聞いているんだよ」


 自己満足でそこまで関わりのない野郎の一人暮らしの理由を知りたいものなのだろうか。


 怜には理解できない事だった。あの高嶺の花の葵がなぜいきなり怜のことについて知ろうと思ったのか。ただの隣人なのだから当然というわけではなさそうなのは確かだ。


 けれど、今の時点で怜はそこまで考えてはいなかった。


「強いて言うなら、学校が近いから」


「はい?」


「いや、シンプルに遠いところからわざわざ手間ひまかけて通うよりも近いところからの方が効率はいいだろ」


「いや、それはそうなんだけどさ……」


 質問に答えたのに疑問形で返されたため、説明が不十分だったと思い補足説明をしたのだが、どうやら説明でもなかったらしい。


 すこし食い気味で考え込んだのを見て怜は「ええ……」と、思わず困惑してしまった。


「それ以外に理由が思いつかないんだが……」


「え、景色が綺麗だったからだとか家賃が安かったからだ、そういう理由は無いの?」


「……ないな」


「うそでしょ……?」

 何がそんなにも驚きなのか。普通に学校に通っているのであればわざわざ時間と労力をかけて通うより、短い時間で無駄な労力を省けるのであればそうするのが当然だろう。


 それ以前に怜はここのマンションの評価を見て決めたため、景色が綺麗なことや、家賃が安いことことなど、様々な評価の末に選んだのだから何の疑問を持つことはない。


 それなのに葵はなぜか疑問を抱いている。そこまで怜が何も考えずに決めたノー天気野郎に見えるのだろうか。


「別に独り暮らしを始めた事にこれといった理由はない。親にも下調べした上で許可してもらったしな」


「意外とその、君って几帳面なんだね」


「独り暮らしするなら当然だろ」


 高校生で一人暮らしするのであれば基本的なことだ。


「そんなに俺って不真面目そうに見えるか?」


「いやさ、これまで何度も会ったりしてるのに一言たりとも会話したことがないから、何かのきっかけになればいいなと思って」


「あー、そういう……」


 葵の言っていることは正しい。


 今の高校に入学したころから隣の家だったため、お互いそこまでの関わっていないのもあって双方印象的なものは学校での様子でしか知らない。


 そして、今になってちょっとした関わりをもったことは否定できない、この状況でお互いのことを知っておくのも間違いではないだろう。


 特に怜からすれば、お姫様と呼ばれている姫野葵がどんな生活をしているのか気になるとこではある。断じて他意はないのだが。


 完璧なのか、はたまた完璧とまではいかないのか。


「そういうお前はどうなんだよ。ちゃんと生活はできてんのか?」


「えっ、ま、まあ」

「怪しいな」


「大丈夫……! 整理整頓は出来てるから」


「まあ口出しはしないけど」


「……」


 本人が大丈夫だというのだから大丈夫なのだろう。にしても妙によそよそしいのが気になるが、それについても何も言わないでおく。


 紳士の気遣いだ。


「ま、完璧超人って言われいるくらいだし問題ないよな」


「……その呼び方辞めて貰えると助かる」

 そう呟いた途端に自嘲された。どうやら完璧超人というのに気に召さなかったらしい。


「私は確かに運動も勉強も人よりかはできるよ。でも、努力したからであって元から完璧であったわけじゃないんだ」


 切実なものであった。誰だって努力してそれが実り実力となる。世界で活躍するスポーツ選手だって元から運動が得意であったから何も練習しなかったなんて言う人はいない。世界に負けないくらいの強さを持つために血の滲むような練習をして頑張ったからこそ、世界に通用する強さを手に入れることができる。


 だからこそ、葵が完璧超人と言われるのを嫌がるのは、そんな努力を元からあったものだと言われて否定されていると思ったからだろう。


「悪い、そういうつもりじゃなかった」


「……あっいや、ボクこそごめん」


「……それもそうだよな」


「え?」


「いや、なんでも。 眠いから寝る」


「あ、うん。おやすみ」


「おう」


 罪悪感を抱きながらも挨拶をして部屋に入った。


 自分はそういうつもりがなかったとしても相手からしたら別の意味で捉えられるのは当然だ。それが努力してる人なら``完璧超人``というのは不愉快そのものだろう。


 だが、少し気になるところがあった。


 彼女の目が怒っているとは思えなかったことだ。


 実際あのようなことを言われて怒るのは当然だが、葵は怒るどころか少し恥ずかしがっているように見えた。寒かったため頬が赤らみ、恥ずかしがっているように見えただけな気もするがそういうわけではなさそうだった。


 別の何かがあるのか、それとも単純に多少の恥ずかしさを覚えただけなのか。


 それは彼女にしか分からない。

 怜はそんなことに考えながら眠りについた。

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