第7話 少女の感謝と幼馴染
どれくらいの間、そうしていたのか。
一瞬だった気もするし、ずっと前から抱きしめてもらっていた気もする。
優しく包み込まれるような感覚に、アリスは夢心地だった。
先ほどまでの苛立ちも、魔熊に襲われた恐怖の残滓も、やっと感謝を伝えることが出来たという満足感も、そのすべてを忘れさせるほどの抱擁。
身体中に安心感が満ちた後、少しずつではあるがドキドキしてきた。
「ふわぁ~…」
思わず声が漏れる。
理由は分からないが、ずっとこうしていて欲しい、とアリスは思っているが、その至福の時間は唐突に終わってしまう。
「何をしているっ!アリスから離れろっ!!」
突然聞こえてきた怒鳴り声に、アリスは身体をビクッと震わせ、それに反応するかのようにアリスを抱きしめていた男はハッとした顔をしてアリスから手を放す。
「ふ、ふvbsrつれろあ!!」
アワアワとした感じで動揺し、何かを言っている男を見て、アリスは思わず笑ってしまう。
「別に嫌じゃなかったわよ!」と言い、なぜそんなことをしようと思ったのかは分からないが、イタズラに微笑みながら男の頬に軽くキスをする。
一瞬、キョトンとした後、輪を増して動揺する男の姿を見て、アリスはどこか満足そうに頷き、男の上から離れて牢の外へと出て行った。
その顔は、遅れてやってきた気恥ずかしさから、真っ赤になっていた。
牢の出入り口付近で、完全に無視された形になった若い戦士は、今しがた自分の目に映っていたことを受け入れられず、半ば無意識に腰に下げた剣に手をかけていた。
~~~~~
若い兎族の戦士ルークは、アリスの幼馴染であり、兄のような存在であり、将来はアリスと家庭を築くであろうと村内で思われている、と思っている男だった。
アリスより2つ年上だが、決して子供の多くない兎族の村で、数少ない歳の近い者同士、幼い頃からどこに行くにも、何をするにも一緒にいて、これからもそれは変わらないだろうと思っていた。
戦士長であるダンクと、治療術が使えるイリスという両親を持つアリスにふさわしい男にならねばと思い、身体を鍛え、狩りに参加し、若くして戦士と認められるほどになった。
もうすぐ成人を迎えるアリスに、彼女の成人と共に婚約を申し込んでみようなどと考えているルークは、魔熊の目撃情報を聞き、(魔熊を倒せばすぐにでも結婚出来そうだな。)などと夢想しつつも、魔熊を刺激せず、奴が去るまで村の防衛に専念すべし、というダンクの指示に特段の不満も持っていなかった。
防護柵を増設しつつ、昨日まで「森の果物は、今の時期にしか食べられないのに!」、「私の足なら、熊が出たって平気だし、村のみんなの分の果物も採ってこれるのに!!」と、村から出ることを禁止され、むくれていたアリスの姿が今日は見えないな、などと思っていたが、さほど気にしてはいなかった。
そんな時、イリスが「アリスを見なかった?」と聞きに来た。
ちょっと不安げな様子で、みんなに聞いて回っているが、誰も見ていないらしい。
自分も見ていないことを告げると、イリスの表情はどんどんと曇っていった。
まさか、昨日言っていたことをホントに実行したのか?と考えるが、アリスならやりかねない、との結論に達する。
ダンクに、もしかしたら、と伝えると、隣にいたイリスは見る間に顔を青ざめさせ、力なく座り込んでしまった。
アリスがいなくなってからどれだけの時間が経っているかもはっきりせず、村の防衛に戦士たちを使っている以上、その長であるダンクはアリスの捜索に出ることも叶わない。
かといって、戦士以外の村人を捜索に出すと、万が一魔熊に出くわした際に、いたずらに被害を大きくすることになってしまう。
「俺が行きます!」
自分は戦士だし、将来はアリスと一緒になるつもりでもある。
アリスを探しに行くなら、自分以外にはいないだろう、と確信している。
ピンチに陥ったアリスを、颯爽と現れて救い出す。
そんなことが起きるかもしれない、と、言い知れぬ興奮がルークの内に潜んでいた。
村から果物のある泉まで行きアリスがいないか探し、万が一魔熊に遭遇した場合には即逃げる、という条件のもと、ダンクはルークに捜索の許可を出した。
(必ずアリスを見つけて見せる!)
強く決意し、剣を身に着け弓矢を持ち、村を出ようとしたその時、森に出る道の先から「おーい!」という聞きなれない声が聞こえてきた。
咄嗟に弓矢を構え、声の主を確認する。
見たことのない人間族の男がこちらに向かってきていたが、ルークの視線はそんな男には一切向かず、その男の腕の中、ぐったりと動かなくなっている少女、アリスのみを見つめていた。
足を包帯で覆われてはいるが、赤いものがにじみ出ている様をみて、少なくともアリスが怪我をしているのは間違いない。
生きているのか、死んでいるのかも分からない。
この人間が敵か味方かも分からない。
とにかく村の戦士を呼ばなければ、と思い、村の中へ「みんな、来てくれ!!」と大声で呼びかける。
そうこうしているうちに男は身動き一つしないアリスを地面に置き、少し後ろに下がってから、その場に座り込んだ。
村の中からダンクを含めた戦士が数人出てきたので、簡単に状況を説明する。
考えていても埒が明かん、と、ダンクがアリスの元へ向かう。
アリスを確認し、傷口の包帯を少し捲った後、こちらに向いて1度頷いた。
どうやらアリスは無事なようだ。
ダンクはルークを呼び、アリスを村の中へと連れて行くように命じた。
イリスのところに連れていけば、大抵の怪我は治療できるので、アリスを抱きかかえて急ぎダンクの家へと向かう。
イリスは怪我をしているアリスの姿を見て、少し取り乱しながらも、アリスをベッドに寝かせるようにルークに言い、すぐに治療術を使い始めた。
その姿を横で見つつ、アリスの無事を願う。
1回目の治療術を使い終えたイリスの表情から知ると、どうやらもう心配なさそうだった。
アリスの傷はそれなり以上には深く、治療術が再度使えるようになる度にイリスは術を使ったが、計4回の治療術を使ったところで、あとは自然治癒での回復を、というところまで癒すことが出来た。
その間、例の人間はどうなっていたかというと、その場に倒れこむように気を失ったらしい。
アリスもまだ目を覚まさず、状況が分かりかねるとはいえ、そのまま放っておくことも出来ないだろうということで、男を引きずり、牢に布団を敷いて寝かせてやる。
しばらくたって、アリスは無事に目を覚まし、ダンクやイリス達に一通り叱られた後で、眠り続けている人間の様子を足しげく見に来ていた。
俺は、というと、牢の見張りをしていた戦士と後退し、今は牢の門番のようになっていた。
とはいえ、ダンクの判断では、必死になって逃げられないように目を光らせている必要はないようなので、ボーっとしながら牢になっている穴倉の出口に座っているだけだが。
アリスの意見ではないが、その人間はちょっと寝すぎではないかと思うほど目を覚まさなかった。
途中で何度も何度もアリスが人間の様子を見に来ていたが、来る度に「まだ起きない!」とイライラを募らせているように見えた。
もう何度目かも分からないアリスの来訪があり、怪我をしてきたときはひどく心配をしたが、こうして元気な姿が何度も見れてうれしいな、などと思っていた。
アリスが牢に入っていってしばらく経ち、今回はちょっと長いなぁ、と思っていると、中からアリスの声が聞こえてきた。
どうやら、助けてもらったお礼を言っているようだ。
ということは、いよいよ人間が目を覚ましたのだろう。
もしもの時に備えて、腰の剣を確認しつつ、人間の様子を見るために牢の中へと入っていく。
そこでルークの目に飛び込んできたのは、上半身を起こした状態でアリスを自らに跨らせ、抱きしめている上半身裸の人間の姿だった。
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