第2話 森の中

驚くほどに何の違和感もなく、世界は変わっていた。


パニックにもならず、期待も不安もないまま。


ただただ世界は変わっていた。


竜人は、目の前にいる2メートル少々と思しき熊のような生き物と、その後ろに広がる青々とした森を、まるで有名な写真家の撮った写真パネルを眺めているかのように見ていた。



~~~~~



少女は痛む足を引きずりながら、森の中を必死に走っていた。


村の大人たちから、魔熊まゆうが近くに来ているから村から出ないように、と言われていたが、その少女は自分の足に自信を持っていたので、たとえ熊が出ても平気だと思っていた。


森の中には、少女の大好きな果物があり、この時期だけの楽しみになっているので、少女は魔熊対策用に村の防護を進める大人に隠れて、森へと入っていったのだった。


果物のなる木がある泉のほとりまできた少女の目に、果物を食べようとしている熊の姿が見えた。


少女は自分の果物は渡さない、とばかりに熊を飛び越え、おそらくは熊に食べられて少なくなってしまったであろう果実を掴む。


足の速さには自信があった少女は、果実を減らされた腹いせとばかりに、ちょっと小馬鹿にしてやろうかとクルリと熊の方へと振り向いた。



そこにいたのは熊であって熊ではなくなったもの、魔熊だった。


魔熊は、突然上等な餌が現れたと喜び、少女へと飛び掛かる。


魔熊のスピードは少女の反射神経を凌駕し、必死に身を躱そうとした少女の足に爪を食い込ませた。


激しい痛みが少女を襲うが、それをも凌駕するほどの恐怖で、少女は走り出した。


魔熊は、面白がるように、まるでより美味しく餌を食べるため、腹を空かせるためのように、少女を追い回す。


「だれかっ、誰か助けてっ!!」と叫びながら、必死に逃げるが、魔熊を避けるように森には誰もおらず、二者の距離はどんどんと詰まっていき、すぐに少女の身体には限界が来た。


流れ出た自らの血でズルッと足を滑らせ転倒する少女。


もはや足は言うことを聞かず、声も出なくなっていた。


そんな姿を見て、まるで笑っているかのように魔熊はゆっくりと近付いてくる。


(もう死んじゃうんだな...)


半ば濁った眼で魔熊を見つめた少女の視界から、一瞬にして魔熊の姿が消える。


代わりに視界に収まったのは、どこから現れたのか、人間族の男と思われる者の背中だった。



~~~~~



魔熊は、狩りの最中にあまりに突然現れた生き物に驚き、怯みはしたが、本能的に威嚇をした。


威嚇のために一吼えしたところで、魔熊はいくらか冷静さを取り戻すことができた。


目の前には、突然現れたことで驚きはしたものの、いかにも弱そうな生き物。


(この生き物は知っているぞ。確か、ニンゲンのオスだ。)


自分よりも、小さく、細く、軽く、遅く、弱い生き物。


そんな弱者が、自分のテリトリー内に突然現れ、あまつさえ怯えた様子すら見せない。


この森を我物にしていた魔熊は、数舜とはいえ驚き、怯えてしまった自分に腹を立てつつ、そうさせた目の前の弱い生き物にその怒りをぶつけようと思った。


目の前の生き物の胴体ほどもある、強きものである自分の腕を振り上げ、目の前の弱い生き物を自分の餌とするために苛立ちと共に振り下ろした。



~~~~~



竜人は何も考えられていなかった。


目の前の大自然パネルに、心の中で「おぉ!」と少し感動しつつも、頭の中はまだ自室におり、鼻の中にはコーヒーの残り香がしていた。


目の前の熊もどきは、自分の知っている熊とは様相がややちがっており、額の部分には短い角が、胸や腕、脚には岩のようなものが張り付いていた。


熊もどきが一吼えし、腕を振りかざしたところでやっと自分が日常とは違う状況であるのかもしれないと感じ始めた。


振り上げられた腕を見上げると、欝蒼と茂った木々の隙間に、きれいな空が見えた。


熊もどきの腕が、見上げた視界を遮るように「ゆっくりと」降りてきたので、竜人はスッと横に避けていく。


(加速するのは、何年ぶりだろうな~。)


そんなことを考えながら、熊もどきの頭上へと軽く跳ね、頭を踏み抜こうとする。


(角、生えてるなぁ)などと思いつつ、角を避けて頭頂部を一踏み。


バキっという感触ののち、熊もどきは体をぐにゃりとさせながら倒れていった。


このあたりになってやっと、竜人は「もしかしたら、大変なことになっているかも!?」と慌て始めるのだった...

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