第17話

 アスタロトは地面に降りると、いつもの調子で私たちに振り向いてから口を開く。

「誰か治療を頼めるものは?」

「…あっ…はい、私で良ければ…」

 ネルが反応する。少し驚いたような間があったのは、おそらくあの変わりようによほど驚いたのだろうと思った。

 彼女はアングに駆け寄ると治療を始める。その姿を見てハルカがアスタロトに苦言を呈した。

「どうして治すのよ。また暴れたら意味がないじゃない」

「僕に逆らったのは殺されると思ったからだろう。あれだけの差がついているのに僕が手加減したと思い知っただろうからもう大丈夫」

「あれで手加減してるの…?」

「…あんなのよりずっと強いやつを相手しなければいけないなんて、よくあることだから」

 そう話す彼の横顔はどこか疲れていた。魔域では実力主義の思想も少なくない。王としての責務にはそういった輩に直接実力を見せつける部分にもあるのだろう、いつか見たあの逆賊達のように。

 ネルから治療が終わったとの呼びかけにアスタロトが反応した。徐にアングの方に向かうと私たちを呼ぶ。

「どうしたんだ急に?」

 ジョージアと昼食の準備を再開していたレンジが言う。他のみんなも不思議そうな視線を送っている中、気づけばまた私だけが役立たずになっていて己を恥じた。

「見ていればわかる」

 そう言ってアスタロトは目の前のドラゴンに手を翳すと、その手に黒いもやが生まれる。続いて何か小さく、歌うように呟くと彼は怠惰な目の前のドラゴンに言葉を放った。

「お前の哀れな吐息にふさわしい姿をやろう」

 アスタロトの手からもやが離れると、それは瞬く間にアングの姿を隠した。その次にもやは収縮していき、両手に収まる程度の大きさになったところで晴れていく。

 もやの先には、小さくなったアングの姿があった。あの巨大さは見る影もなくなり、愛らしい大きさになったドラゴンはやはり肥満で、体に見合った大きさの羽で宙に浮いている。

「わ…かわいいですね…」

「そう? デブなのは可愛くないわ」

「…どうやって飛んでるのかしら、コレ」

 なんて盛り上がっている三人に対して、レンジは目の前の現象に息を呑んでいた。その表情を驚きと畏怖が混ざったようなものに変え、それを隠さずアスタロトに視線を向ける。

「何、簡素な呪いだ。三百年はこの姿だが」

 なんてアスタロトは素知らぬ態度で居るけど、彼も向けられた視線に気付いたのかひとときだけその視線を絡ませ“君たちに敵意はない”と言うように目を閉じた。

 私はそんなレンジの隣に立って話しかける。

「…怖い?」

「少し」

 答えに迷いも躊躇いもなくて、素直な人だと思った。

「少なくとも、俺だけじゃ戦って勝てるかわからないな」

「みんながいれば勝てるの? 随分自信があるのね」

「そこは、俺たちの今までを信じてるから」

「…そう、素敵だわ」

 改めて絵に描いたような、本に出てくるような勇者だと感じる。

 素直で、意志が強くて、仲間との絆があって…こんなまっすぐな人は探して見つかるものではない。さすが神託といったところかしら。

 かと言ってそれが悪い訳じゃない。この人だから、この人たちだから彼の…魔王の元まで辿り着いたのだと心から納得できる。

「でも彼は貴方たちに勝って私の元に帰ってくるわ。必ずよ」

「そっちも随分煽るな」

「勿論」

 彼らの冒険には数々の、様々な色の思い出があるように思う。それは彼らを引き合わせる運命から始まって、絡み合い、馴染み、広がり…そうして経験を重ねてきたんだろう。

 魔物をただ斃すのではなく、時に交渉の余地を見つけ出そうという姿勢は尊敬できるものがある。

 それでも、どれだけ勇者が強くても。アスタロトは勝って私のところに帰ってくる。

「彼は私を遺して死ねないもの」

 彼は負けないんじゃない、勝つ。勝って私の元に帰る以外に価値はないと決めつけている。

 勿論私だって万が一があれば彼一人を逝かせはしないけど、彼は私にそれを望まない。

 結局お互いの願いを叶えるには全てを滅ぼして一緒に死ぬか、精一杯今を生きるしかないと私たちは理解しているから。

「…アスタロトが敵じゃなくて良かったよ」

「あらそう? いい考えだわ」

 未だ盛り上がっている三人をよそに、私と話すレンジををアスタロトが凄まじい怒気と嫉妬を混ぜ込んだ目で見ている。私はそれを横目に「少し時間を頂戴」と言ってからアスタロトを連れて少しだけみんなから離れた。

「なんの話をしていたの?」

「貴方の力に驚いてたから、少し緊張をほぐしてあげただけよ」

「…今は仲間とは言えあまり他の男と仲良くして欲しくないな」

「そうね、少し浅慮だったわ。ごめんなさい」

 貴方の凄さを知って欲しかったんだもの、本音を言えば許してほしい。

 …対話が平和を産むのだから。

「すごく不安になった」

「どうしたら許してくれる?」

「ここでキスしてくれたら許してあげる」

 私は彼の頬をつねった。

「二人とも〜、お昼できたわよ〜♪」

 少し離れたところでジョージアが私たちを呼んでいる。そちらに振り向くと他のみんなも手を振って呼んでくれていた。

「…ほら、行くわよ」

 そう言って彼の手を引く。後ろでついてきてる彼はさぞご機嫌なのだろうと考えると、ここまで計算されているようで少し苛立ちを覚え何か仕返しをと考えてしまう。

 お昼を食べ終わった後、小さくなったドラゴン…アングを連れて村々へ謝りに行った。

 そこで意外だったのは、アスタロトが率先してそれぞれの村に自分のお金を渡していたこと。魔王として責任を感じて行動したのかも知れないけど、どこかそれだけではない気がして…彼が短期間で成長しているのだと実感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る