第9話
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魔域において、アスタロトの旅立ちは大きく祝われた。
なぜか私たちの婚約は魔域では確定してるように扱われたけど、話はこれからなのだと改めてアスタロトには釘を刺す。
彼にとって、仕事上最も信頼出来るのは執事のジャンだ。彼は羊の様な角の生えた人形の魔物で、老齢でありながら他のどんな魔物よりも的確に仕事をこなす。
故に「彼の裏切りだけは無いと思いたい」と、アスタロトも言っていた。方々に顔が効くだけでなく、城の警備や設備、それから彼自身の事にも詳しい。そんな人材故に城を任せるのだ。裏切られたらたまったものではない気持ちは想像に難くない。
広い魔域を越えて最初に立ち寄ったのは付近の村。二日かけて魔域を越えた先、更に着く頃には夕方になってるような時間でも小さな宿屋が私たちを受け入れてくれた。
姫と魔王というあまりにも目立つ身分の私たちが、城を出る前最初に行ったのは変装。幸いアスタロトは翼を出さなければ人間と変わらない見た目をしているので、お互い服の等級を下げるだけで済んだ。
一先ず背格好の似ているハルカとレンジの服を借りて今日をやり過ごす。明日には大きな街に向かってちゃんとした衣服を揃える予定だ。
「それは良いんだけど…」
私は振り返って一つため息。
その視線の向こうにはご機嫌そうなアスタロトの姿があった。
「なんで貴方と同室なの? 普通は女の子だけで固まるものじゃない?」
「ナターシャと居たかったから一室余計にとったんだ。お金はあるし」
「そういう問題…?」
お金の問題なのかしら、私はそうは思わないけど。
「全く…こういうところから人間を知っていくチャンスじゃない。ふざけたこと言ってないで部屋戻してもらうわよ」
荷物をまだ出さないで正解だった。
女将さんに部屋を変更してもらおうとドアに向かうと、その腕を引かれてベッドに座る彼の膝の上に無理やり乗せられる。
「ずっと一緒だって言ったじゃないか…嘘だったの?」
そう話す彼の視線は疑惑的で昏い。そこに一瞬息を呑むけど、私はその顔を押しのけて怒った。
「ずっと一緒だけどこういう行いは許さないわ! 貴方に私が言ったことを忘れたの!?」
私は“人間を知った上で私を選んで欲しい”と確かに言ったはず。それが理解できてないとは言わせない。
「う…」
彼も思うところがあるのか、少し狼狽えた。これはチャンス!
「私のためって言ったじゃない! 貴方のためでもあるけど、それだけじゃないんだからいうこと聞いて!」
「ご、ごめん…」
あら珍しい。素直に負けを認めるなんて。そんなに効果があったのかしら?
「…もう、私も大きな声を出して悪かったわ。わかったら部屋を戻して——」
「それは嫌だ」
「…ごめんなさい、今なんて言ったの?」
「『それは嫌だ』って言った」
私はそこで少し固まる。そこからため息をついて、話を戻した。
「貴方私の話わかったのよね?」
「うん」
「“わかった”のよね?」
言葉をあえて強調する。それにもう一度彼は頷いて、その上で帰ってきた言葉は。
「今日は嫌だ」
「…」
絶句した。
なんて意思の固くて我儘な魔王なのかしら。しかもこの感じは引く気が一切ない時の話し方。話聞いてた? って思うほどに。
「今日は、絶対に嫌」
「…どうして?」
もうため息が止まらない。控えめに問う私に彼は真剣そのものなのがまた困ってしまう。
「ナターシャと同じ部屋が初めてだから」
「…!」
確かに、とは思った。
城ではいつも別室だったし、互いの部屋に泊まるようなこともなく過ごしていたから。
しかしそれでも、とは思ってしまう。
「…それでも、男女が同じ部屋で泊まるのは良くないわ」
「どうして?」
わかってないとは言わせないわよ、とはやはり考える。いい年した男の子がそんなことを考えないなんて、ありえないわ。
「…ど、同衾してると思われるじゃない…」
自分で言ってて照れてしまって彼の顔が見れない。
そんな私をよそに、アスタロトは「あぁ…」と興味なさげな声を出した。
「そんなことするわけないじゃないか」
「え…?」
意外な解答に目を丸くする。手を出すためにこの部屋にしたんじゃないの?
「婚前交渉はしないって決めてるんだ。その方が結婚により価値が出るでしょ? ナターシャが手を出してほしいなら別だけど」
「なっ…」
そもそも価値だなんだとそういう問題でもないのだけど、そんなことを言われて顔を赤くしないわけもなく。
思いっきり彼の顔面を引っ叩いた。
「か、価値って何よ! そもそも一緒にこの部屋にいたらみんながそう思うでしょ! 私女の子の部屋に行くからそこで反省なさい!」
私は荷物を持って部屋から飛び出した。向こうで「…残念」なんて声が聞こえたけど知ったことではない。
そのまま女の子たちの部屋に飛び込んでその日は事なきを得る。なんなら女子会みたいで盛り上がった。
翌朝、早くに彼と顔を合わせた私が赤くならないはずもない。アスタロトはそれを楽しそうに眺めてから、レンジに声をかけられて平然としていた。
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