第2話

 なんだかんだ一分以上はそのままだった。ようやく解放されると私はミノタウロスに連れられて地下牢に戻る。

 地下牢の中はアスタロトの手によって快適にかつファンシーに仕立て上げられていて、地下牢なのに電気が使えるどころか隣の牢をぶち抜いて風呂場まで作られていた。

 ただし見張り番付きだけど。

 専属侍従である夢魔のミドリと共にこの部屋で基本は過ごしている。

「はぁ…」

 机に伏してため息をつく私をミドリが覗き込む。

「ナターシャ様、また失敗なされたのですか?」

「ここにいるのがその証拠よ…」

「そろそろ諦めません? ミドリも寂しいですし」

「いやよ。絶対に正面から堂々と結婚してみせるわ」

 私はその言葉に意気を新たにする。

 そうだ、絶対に正面から結婚して両親にも認めさせて、魔族の権利も勝ち取ってやるんだから。

「そういやぁ姫様」

「?」

 見張り番のミノタウロスが一体、確かノノムラとか言う新人が牢の格子越しにこちらを見ている。

「どうして姫様は魔王様と付き合ってるんだ? オラしらねぇからよ」

「あぁ…」

 その一言にこの一年を振り返る。

 最初は相手の目的も分からなくて怯えたものだと思いつつも、ノノムラに向かって口を開いた。



 ********



 それは一年ほど前のこと。

 部屋からテラスに出て夜風に当たっていると、一羽のカラスが手すりの淵に降りた。珍しいこともあるものだと眺めていると、そのカラスは背格好の良い黒髪の男に姿を変える。男は海のような深い青の瞳でこちらを見ると、驚く私に向かって不敵に笑った。

「ナターシャ姫で間違いないな?」

「そうだけど、こんな時間に急な訪問とは無礼よ。恥を知りなさい」

「ハッ、人の言うところでは僕たち魔物は蛮族だと言う。蛮族が礼儀など気にすると思うか?」

「…っ」

 この急な襲来に身構える。自分はここで殺されるかもしれないとも思いながら一歩後ろに引いた。

「そんなに怯えなくても取って殺したりはしない。ただこちら側に来てもらうだけだ」

 そう言って男は私の顔の目の前に手を当てた。そこから急に意識が混濁して、気がついた時には魔王の城に居たのを覚えている。

 魔王の城での生活で不便をしたことはなかった。基本的には賓客扱いで急に牢に入れられるようなことも無ければ食事も着替えも何もかもがついてくる。服のサイズをどこで知ったのかは知らないけど。

 とりあえず状況を改めて客観視しなければと思い身近な、見張りをしてるような魔物から少しずつコンタクトを取るようにした。相手の話を聞いて、こちらの話は振られたらして、そんなことを繰り返してるうちに城の中なら自由に歩き回れるようになっていた。

 魔物達と話してみて思ったことは、誰も彼も大して人と感情や精神性が変わらないと言うこと。みんな人から離れた能力は持っているし、理解できない文化や慣わしもあるけどそれは人間も同じこと。なら何故人は彼らを蛮族などと言うのだろう、その長である魔王になにか秘密があるのだろうか。

「あの」

 毎夜夕食は魔王と共にする。その中のある日、私は彼に声をかけてみた。

 魔王は初めて会った時の不的な印象とは変わって、城の中では物静かで淡々とした人物と言う印象。

 見た目だって、羽さえ出ていなければ人と何も変わりない。こちらが話しかければ返してくれる。

「…どうした?」

 ほら、こうやって。

「あの、魔物は蛮族って、本当なんですか?」

「君にそう見えるならそうだろうな」

「見えないから訊いてるんです!」

「知っている」

 そう言って魔王は飲んでいたコーヒーのカップをソーサーに戻して私を見た。

「魔物は蛮族などではない。社会性があり、知性があり、理性があり、感情がある。個々の能力差があるのも人と変わりはしない。我々は国民的統治の基にある法治国家であると認め合わなければならない」

「魔王…」

 彼は再びコーヒーに口をつけると、その唇をわずかに綻ばせた。そのまま視線を合わせず言う。

「——アスタロト」

「へ?」

「僕の名前はアスタロトだ。ナターシャ姫、貴方がその質問をしてきたと言うことはこの城の中で多くのものを見てきたのだろう。僕は貴方が公平的で思慮深い方であることに感謝する」

「…」

 その時、少しばかり胸が鳴った。一目でわかる美しい顔立ちが微笑むのは心臓に悪い。

 でも、気になることがある。

「私も」

「?」

 私の声にアスタロトは目を合わせた。

 その目は、少しだけ驚いているように見える。

「私も、ナターシャとお呼びください。私たちは対等であることに意味があるみたい」

「…」

 彼は私の言葉に目を見開いた後、穏やかに笑う。私はまたその微笑みに胸が鳴って顔を背けた。

 私だけ名前を呼び捨てにしてあなたは敬称を付けるなんてフェアじゃないと、そこが気になっただけなのに。

「——あぁ、そのようだね」

 そう言って彼は満足そうに食後のコーヒーを飲み進めた。

 そこから先は暫く友として過ごすことになる。

 共にお茶を嗜み、読んだ本の感想を言い合って、時にはたくさんの魔物も含めて過ごす。

 そうしながらこの城に来て半年が過ぎた頃、彼が花束を持って私の部屋に現れた。

「…これは?」

 私の前に花束を差し出すアスタロトに少し動揺する。彼は顔を赤くして言いづらそうな雰囲気のまま私の部屋の外に立っていた。

「へ、部屋に入れてもらっても良いかな?」

「構わないけど…」

 彼を部屋に招き入れるなり、持っていた花束を再度差し出してアスタロトは言う。

「その、好きなんだ。僕と居て欲しい」

 顔を真っ赤にしてそう告白する彼に私は何度か瞬きをしてから、その花束を受け取った。それに驚いてこちらを見る彼に目を合わせて返す。

「喜んで。貴方といたいわ、アスタロト」

 花束には人間界の花が使われていた。地質の異なる魔界ではここまで色とりどりの花を見ることはできなくて、どう手に入れたのかと考えると嬉しさと呆れが半々で心に生まれる。

「よ、かった…断られると思っていたから!」

 彼は弾むように喜んで私を抱きしめて、私がそれに返すとこの体を包む腕がさらに強く絡みついたのを感じて嬉しくなった。

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