カメラと僕

「...何これ。」

それは、小さなカメラだった。The・昭和という感じで、ちょっと色が剥げている。とても古いため、今もまだ使えるのかは分からない。『F・Takayuki』とイニシャルが入ったカメラは、今は亡き祖父が使用していたもので、無くなる前に僕が譲り受けた。祖父が生きているときは、これで色々なものを撮った、まさに相棒だ。高校に入ってからは、一度も触れることなんてなかったけれど。でもこれには、どうしても捨てがたい、なんとも言えない貫禄があった。このカメラを手に取ると、祖父と撮ったたくさんの風景や、人、生き物、自然が蘇る。幼い僕に、手とり足取り教えてくれた祖父は、もうここにはいない。だけど、このカメラにおじいちゃんが眠っている。そう思うと、やはり手放せないのだ。少々話がずれるが、この世に生まれて18年間、僕はアルバムを見たことがない。卒アルとか、家族のアルバムがあるんじゃないかって?感のいい読者さんや、体験したことがある人はお気づきのことでしょう。そう、先程述べたとおり僕はコミュ障を極めているため、小中高と(幼稚園も含め)ぼっちであったのだ。つまり....自分の映るアルバム又は写真を全て削除しました。はい。分かっています。僕はアホです。人の顔もまともに見られないようになった次は、自分の顔面も直視することができない羽目になったのだ。人のことを見れない=コミュ障悪化。自分の顔面もまともに見れない=元から悪い顔面が更に悪化。この悪循環を繰り返すうち、高校にも行かなくなっていた。中学は頑張って学校に行こうとしていたけれど、女性恐怖症を発症してから、全てがどうでも良くなってしまって、僕は家にこもるようになった。それなのになぜ大学進学を果たすことができたかと言うと、まぁ大人の力である。僕の両親がこの大学の学園長の恩師(本当なのかは謎である)らしい。親のコネってやつだ。話がどんどん重くなっているので、そろそろここらへんで止めておこう。昔の記憶を思い出すと、いつも首の後ろが痛くなる。懐かしい首の痛みを感じながら、僕は眠りに落ちていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る