複雑な家庭事情

 アルド教会に行く前夜、大羽に仕事を貰ったときに、俺は彼女から大まかに駆藤の過去を聞かされた。

 元々駆藤がアルド教会で育てられてたということ。

 当時はまだ名前を持っておらず、教会の連中からは『専用4号』などと呼ばれていたこと。


 そして、ウルフ隊にすらひた隠しにしている、駆藤の出自について。

 そういった、『仕事』に関係しそうな教会と駆藤の関係性を、ざっくばらんに話してくれた。


『本当は、話すべきじゃないんだと思う。でも、それでも』


 大羽は歯噛みして、苦々しくそう言った。

 よほど話したくなかった、ともすれば彼女たちにとって、禁忌とすら呼べる事柄だったのだろう。


 まあ、無理もないだろう。

 流石に俺もこれを聞いた時は、顔にこそ出さなかったが、少し驚いた。


 兎にも角にも、そういった情報を話したうえで、大羽は俺に『仕事』を依頼してきた。

 どういう思惑があってそれに俺を選んだのかは、未だによくわからない。

 ひとつ確かなのは。

 この仕事を遂行しなければ、ライカに累が及ぶ、ということだ。





「荒れてきましたね」


 広く、無機質な白い廊下を歩いている最中、前にいる二人の男たちはそんなことを言った。

 耳を澄ませると確かに、足音とホムンクルスを運ぶキャリーの音に隠れ、ゴウゴウと雨風の唸る音が聞こえる。

 こりゃ霧どころじゃない、嵐が上陸しているらしい。


「ね、ここに留まって正解だったでしょう?」


 男たちは同時に俺たちの方を振り向き、笑顔でそう言った。

 こういう時、大抵のやつはしてやったりな表情のひとつでもするはずなのだが、連中にはそれがない。

 何を喋るにも、全く同じアルカイックスマイルを作り、変わらぬ声のトーンで口を開くだけだ。

 それはどこか、人間離れしているようにも思えた。


「黙ってろ」


 横から、そんな険のある言葉が聞こえた。

 見ると、駆藤が酷く不機嫌そうな顔で、男たちを睨んでいる。


「これ以上、お前らの声を聞くのも苦痛だ。耳が腐る」

「おや、厳しいことを仰る」

「まあまあ、4号も久しぶりの帰郷で緊張しているのですよ。大目に見てあげましょう」


 男たちのそんな返事に、駆藤はただ舌打ちをした。

 それで会話は終わり、少しの間、歩く音と嵐の轟音のみが廊下を響くのみとなった。


 そんな静寂が、時間にして十数秒ほど経った頃。

 いつの間にか、廊下の突き当りに到着していた。

 目の前に、他とは明らかに違う装飾が施された大扉があった。


「さて、こちらです」


 前を歩いていた男たちがぴたりと止まり、かと思えば、片割れが横に付いているブザーを押した。


お父様・・・、巫女様と4号がお帰りになられました」


 男がブザー越しにそう言って、数秒。


「入りなさい」


 そんな声が、スピーカーから聞こえた。

 それを聞くと、男たちはそれぞれドアノブを手に取り、こちらに顔を向ける。


「さあ4号、それにお客人も。我々はアナタたちを、心から歓迎いたします」


 そう言って、彼らは同時にドアを開けた。


 その瞬間、大きな音が空間を支配した。

 とっさのことに、俺は懐にある拳銃に手を添える。


「おかえりなさいませ!」

「おかえりなさい!」

「おかえりなさい」


 一瞬の後、そんな声と共に、その音の正体がわかった。

 拍手の音だ。


 なかなかに広い空間、円形状のホールのような趣のその場所に、数にして百人前後ほどの人間がいた。

 皆一様に白いローブを着て、笑顔を少しも崩すことなく、規則的な拍手を続けている。

 アルド教会の信徒たちなのだろうか。


 ハッキリ言って、酷く異様な雰囲気だった。

 ランバーと相対しているときとはまた違う、気味の悪い戦慄を覚えた。


「ッ……」


 横を見ると、駆藤もこの雰囲気に中てられているらしいことに気づいた。

 どこか怯えているように、拳を握りしめて、目を伏せている。

 先ほどまでにも似たような状態に何度かなっていたが、それが一層酷くなっている。

 まるで、見たくもないものがこの場所にいるような、そんな――。


「4号」


 そんな声がした瞬間。

 ピタリ、と。

 拍手の音が止まった。

 つい数秒前が嘘のような静寂が、場を包む。


 声のした方向に、俺は目を向けた。

 ホールの真ん中。

 白無垢の仰々しい椅子に、その声の主は座っていた。



 死体のようだ。

 それが、目の前にいる老人を見たときの、率直な感想だった。

 座っている場所とその態度からして、恐らくこの教会のトップだろうか。



 老人は、ゆっくりと駆藤を指さして、言った。


「巫女を、私の下へ」


 淡々と、よく透る声で老人は言った。

 周りの人間の視線が駆藤に集まる。


 それに対して、駆藤は動かない。

 いや、動けないのか。

 先ほどから顔を俯かせ、その表情は見えないままだ。


「……ニッパー、頼めるか?」


 顔を俯かせたまま、こちらを見ることなく、駆藤は言った。

 いつもの彼女からは想像もつかない、怯えて、憔悴しきったような声色だ。


「……わかった」


 断る道理もない。

 俺は駆藤が押していた、ホムンクルスのキャリーを手に取ろうとした。


「4号」


 寸前、老人の声。

 それとほぼ同時に、案内人の男の片割れに、手首を掴まれた。


「……何のつもりだ?」

「お父様は、4号に言われたのです。お父様の意思に少しでも外れた行動を取ってはなりません。それがここの教義です」


 片割れの様子が、先ほどまでとは少し変わっていた。

 明らかに声色には怒気があって、ミシミシと音がするほどに、手の力が強くなっていってる。

 とってつけたみたいに怒っているのだ。


「アンタらのルールは知らない。俺たちは届け物を届けに来ただけの部外者だ。それ以上のことはない」

「郷に入っては郷に従えというでしょう?」

「ならさっさと追い出してもらおうか。無理やり従わせるよりかは、ずいぶんと楽なはずだぜ」


 そんなやり取りをした瞬間、周囲の空気がぴりついたように感じた。

 この感覚は、知ってる。

 散々と浴びてきたこの感じ。


 敵意。

 ようやく、少しはマシな居心地になったというところか。



「やめろッ!」



 突然、そんな大声が耳をつんざく。

 声の主は、駆藤だった。


 思わず、彼女の方に顔を向ける。

 酷い有様だった。


 表情は、普段と同じくあまり変化はない。

 だが、感情の変化はそれ以外の部分で表れていた。

 まるで息の仕方を忘れたかのように肩を揺らし、遠目からでもわかるくらいに汗が溢れている。


 考えるまでもなく、平時と様子が違っていた。

 あんな駆藤を見るのは、初めてかもしれない。


「……お父様」


 すると駆藤はそう言って、お父様と呼んだ老人を見る。

 その時、彼女はようやく、俯かせていた顔を上げた。


 ひどく不自然な表情だった。

 まるで涙を流さずに泣いているような。

 泣こうにも泣けないかのような。

 そんな歪な表情。


 駆藤はその場で、老人に礼をしてから続けた。


「ワガママを、言って……申し訳ございません。すぐに、お近くへ」


 そう言って駆藤は俺の近くにくるなり、ホムンクルスのキャリーを掻っ攫って行った。


「おい、駆藤」

「すまん、ニッパー。やっぱり大丈夫だ、大丈夫……」


 まるで自分自身に言い聞かせるかのように、駆藤は大丈夫、大丈夫と繰り返し呟きながら、ゆっくりと歩き出す。

 一歩一歩おぼつかない足取りながら、駆藤はキャリーと共に老人の下へと辿り着いた。


「ご無沙汰、しております……お父様」


 駆藤は膝をついて、たどたどしく老人に挨拶をした。

 老人は何を思っているのか、体を少しも動かさず、ただその目だけは駆藤を見据えていた。


 静寂が、数秒間。

 すると、老人が口を開いた。


「ラヴェルでの生活は?」

「……はい、とても充実しております。仲間達も皆、よくしてくれてますから」

「仲間?」

「ッ……!」


 老人に聞き返された途端、駆藤は『しまった』とでも言うような顔をした。

 彼女は慌てて取り繕うように、言葉を必死に紡いでゆく。


「いえ、便宜上そう呼んでいるに過ぎません。特に、深い意味は……」

「……そうか」


 老人はそんな返事をしたかと思えば、ゆっくりと手招きのような動作をした。

 駆藤に、近づけと言っているのだろう。


「……はい」


 駆藤はそれに何か言い返すでもなく、ただ素直に老人の近くへと歩を進める。

 やはりあの老人と相対してから、駆藤の様子が明らかにおかしい。


 先ほどまでは、少なくとも教会の遣いに、いつも通りの悪態をつくくらいには元気だったはずだ。

 だが、あの『お父様』と呼ばれる老人の名前が出た時から、平時では想像もできないくらいに怯え切っていた。


 ということは、あの老人なのだろう。

 あの老人が、きっと大羽の言っていた……。


「長い間、悪魔の巣にお前を居させて、すまないと思っている」


 言いながら、老人は駆藤の頬に手を当てる。

 悪魔の巣、とはなんだ?

 もしかして、ラヴェルのことを言ってるのか?


「もうすぐだ。巫女も戻ってきた。恐らく、信託もすでに賜っているだろう」


 その言葉に、周りの信徒達が歓喜の声をあげた。

 信託だと?

 なんだ、さっきから。

 なんの話をしているんだ。


「もう間もなく、神の地がここに降りてくる。その時こそ我らの本懐が遂げられるだろう」


 意味深に訳のわからないことを言いながら、老人は仰々しく両手を広げる。

 ただの宗教的な演出か?

 いや、にしては……。


「4号、お前もこれが終われば、真の自由を手に入れられる。リリアと共に健やかに暮らせるだろう」


 リリア。

 老人は確かに、大羽の名を口にした。

 そうして、老人は駆藤の顎に手を添え、顔を上げさせる。


「……はい、ありがとうございます」


 その時に見得えた駆藤の顔は、印象的だった。

 先ほどまでの怯えた表情とはまるで違う。

 とはいえ、平時ともまた違う。


 案内人の男達や、周りにいる信徒どもと同じ顔。



 とってつけたような、そんな笑顔だった。



「あッ……」


 

 そして間もなく、その顔は歪んだ。

 まるで正気に戻ったかのように、元の怯えた顔に戻ったのだ。


「今、私……私にッ……」

「今日は疲れただろう。部屋を用意した。もう休みなさい」


 ーー下がれ。

 老人は駆藤にそう言い放つ。


「ッ……」


 すると駆藤は、何かを言いかけていたその口を閉ざし、再び俺の近くまで戻ってくる。


「ニッパー」


 彼女は俺の方を見る。

 彼女のその目は、揺らいでいた。


「私、さっきなんて言った?」

「なんてって……覚えてないのか?」


 俺がそう言うと、駆藤は目を細めた。

 束の間の静寂。


「お客人」


 すると、老人が俺に対して言ってきた。


「アナタにも部屋を与える。今宵は寛いでくれ」

「……感謝します」


 俺は取り繕うようにそう言った。


「お部屋までご案内します。こちらへ」


 案内人の男達がそう言って、俺についてくるよう促す。


「ちょっと待ってくれ、駆藤は……」

「4号は、まだお父様とお話がございますゆえ」


 男たちのその言葉は、暗に部外者に話すことはない。と言っているようであった。

 大丈夫なのか?

 ここで駆藤を一人にしても。


「……私は大丈夫だ、ニッパー」


 すると、俺の考えていることを察したのか、駆藤がそんなことを言ってきた。

 少しの間のあと、彼女は続ける。


「……部屋に行っててくれ。後で話がある」


 俺にだけ聞こえる声量で、駆藤は言った。


「さ、こちらへ」


 男たちにそう催促される。

 これ以上粘ることも難しいだろうと思い、俺は男たちに着いて行って、部屋を出た。


 部屋を出ると、大扉がゆっくりと閉ざされる。

 扉が閉まる直前に、駆藤と目が合った。

 気のせいだろうか。

 ほんの一瞬、その目は。


 ライカが憑いた時のホムンクルスと、同じように思えた。

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