霧の中にて

 朝が過ぎ、昼に差し掛かる時間帯になっても、今日は霧が晴れることはなさそうだ。

 下手をすれば空間識失調バーティゴが起きそうな、何も見えない濃霧だった。


「そろそろか」


 空に飛び立ってからおおよそ数時間ほど経った頃。

 少なくともレーダー上では横を飛んでいる駆藤が、無線でそう言ってきた。


 出発時よりもさらに霧が濃くなっており目視では目的地を確認できないため、レーダーで座標を確認する。

 確かに彼女の言う通り、着陸地点までは目と鼻の先だ。

 だが、ここでふと気づいたことがある。


「ん……? なあ、ここら辺で合ってるのか? 聞いていたアルド教会の場所より、だいぶ遠い気がする」


 確かブリーフィングで聞いたアルド教会の地点は、現在設定されている着陸地点から数十キロは距離がある。

 何かの間違いか?


「お前バカか? いち教会の支部が滑走路なんて持ってるわけないだろ」


 そんなことを考えていると、駆藤がそんなことを無線で言ってきた。

 まあ、そりゃそうか。


 そういえば地上の広い難民区域には、物資を輸送するための仮説の共用滑走路が建てられてるって話を聞いたことがある。

 この目的地も、恐らくその一つということだろう。

 しかし、となると別の問題が出てくる。


「なら、目的地までの足を確保しなきゃならないな。歩いてホムンクルスを運ぶわけにもいかないだろう」


 駆藤のSUがそのまま使えたならそれでいいのだが、如何せんそれは禁止されている。

 SUは基本的には、それこそランバーが現れでもしない限りは、有人エリアでの使用を許可されていないのだ。

 面倒だが、近隣の施設に車両を貸してもらうしかないだろう。


「いや、癪だがその心配もないだろう」


 と、駆藤。

 彼女は続ける。


「着いたら、教会の連中が車で待機してるはずだ。悪趣味な白いバン。嫌でも目立って、すぐ見つかる」

「そんな話は聞いてない」

「連絡しなくたって来る。きっと、気持ち悪い笑顔で迎えてくるに違いない」

「やけに詳しいな」


 何となしに、俺はそんなことを言った。


「……別に」


 すると、駆藤はそっけなく答えた。

 言い淀んだような間があった気がするのは、気のせいか。


「……まあ、いい。そろそろ目的地領空内に入る。コントロールタワーに連絡を――」

「ニッパー」


 と、俺が管制へ連絡しようとしたところで、駆藤はそう被せてきた。

 彼女は。


「……いや、何でもない。コントロールへ連絡してくれ」


 それだけ言って、無線を切った。

 何を言いかけたのだろうか。

 数秒それを考えて、やめた。


 解の出ないことを考えたところで栓も無い。

 それよりも、目の前のやるべきことをやらなければ。


「第4難民区域コントロール。こちら識別コードJF301D1、着陸指示を請う。IFRフライト。南西10ノット。エンジェル15」


 管制に連絡をし、俺たちは着陸の準備を始めた。





 *





 地上に到着した後は、駆藤の言う通りだった。

 ライカから降り、荷物であるホムンクルスを降ろしてすぐのことだ。

 悪趣味とまでは言わないが、無機質な白いバンがこちらに近づいてきたと思えば、金細工の妙な装飾が施された、白いスーツを着た男二人がそこから降りてきたのだ。


 不思議な男たちだった。

 顔も体格も全くと言っていいほど一緒で、おまけにこちらに近づく動作まで同じと来ている。

 ホログラムで一人を二人に見せてるんじゃないか、と思ったほどだ。


「こんにちは。遠路はるばるようこそお越しくださいました」


 完璧にシンクロして、二人の男は同時にそう言った。

 のっぺりとした貼り付けたような笑顔をした彼らは、俺たちの後ろにある荷物を見た。


「そちらが、巫女様でしょうか?」

「巫女様? このホムンクルスのことで?」

「失礼ながら」


 と、男たちは表情を一切変えず、俺の言葉に食い気味に反応した。


「ホムンクルスという言葉は、我々アルドの民に忌避されております。どうかご配慮願いませんか?」

「そこにおわしますのは、我らに神託を与えてくださる、我らが主の依り代となる、誠貴き巫女様なのです。丁重な扱いをお願いいたします」


 男たちは矢継ぎ早に、実に流暢に言葉を話す。

 そういう回答マニュアルをそのまま音読しているようにさえ感じた。


「それは、失敬」


 とりあえず、そう謝罪した。

 なんというか、人間と話しているような感じがしない。

 何なんだ、こいつら。


「まともに聞くなよ、ニッパー」


 と、駆藤が言ってきた。


「忘れたのか? こいつらはニュースの旬になるレベルのテロリストどもだぞ。鼓膜が腐るような話しかしない」


 そんなことを言いながら、彼女は男たちを指さす。

 男たちは何の反応も示さない。

 ただ、言葉ではなく声に反応したかのように、駆藤の方を見て、そして言った。


「よく来てくれましたね、専用4号。言ってみるものです」

「今日は何て幸福な日なのでしょう。またあなたが戻ってきてくれるとは」


 『専用4号』。

 男たちのその言葉は、確かに駆藤に向かったものだった。


「……荷物を届けに来ただけだ。戻ったんじゃない」


 すると、駆藤は忌々しそうに返した。

 表情は普段と大きな変化はないが、少しだけ、眉間にしわが寄っている。


「4号が再び『家』に帰ってきてくれることに、変わりはありません」

「そうですとも。ぜひゆっくりしていってください」


 男たちは笑顔のままそう宣って、差し出すようなジェスチャーで、バンの方に手を添える。

 乗れ、ということだろう。


 荷物を彼らに預ければそれで終わり、というわけではない。

 この輸送任務は、荷物が届くまでの護衛も含んでいる。

 つまり、ホムンクルスがアルド教会にしっかりと届くまで、俺たちは彼らを含め守らなければいけないのだ。


「車にはSUを装着したまま乗る。それでいいな?」

「もちろんです。そういう契約ですものね」

「起動するのは勘弁してください。シートを取り換えたばかりなのです」


 駆藤は男たちとそんなやり取りをし、バンへと進む。


「ほら、行くぞニッパー」

「ああ」


 駆藤に言われ、俺も続いてバンへ。

 すると、自動でドアが閉まった。


「では、出発します」


 いつの間にか前座席に座っていた男二人がそう言うと、バンはゆっくりと動き出した。

 濃霧のせいか、窓の外は真っ白で何も見えない。

 当然、前のほうも同様、10メートル先も見えていない。


「……さっき」


 動き出したバンに揺られていると、駆藤が口を開いた。


「さっき、私が4号って呼ばれたとき」

「ああ」

「お前、何にも反応しなかったな」

「そうだな」

「変に思わなかったのか? なんであんな奴らと知り合いなんだとか、気色の悪いカルト団体に、気色の悪い番号で呼ばれてるんだとか……」

「どうも思わない」


 俺はただ言って、続けた。


「胡散臭い連中に番号で呼ばれるやつなんて、珍しくもなんともない。そもそも、俺だって28番ニッパーだ」

「……ハッ、それもそうだったな」


 駆藤はそう言って、笑ってみせた。

 いつもの笑い顔。

 表情筋があまり動かない、シニカルな笑顔。

 けれどその笑顔は、どこか疲弊しているようでもあった。


「お前はそうだろうよ、ニッパー。私が何者で、どんな奴だろうと、お前にとってはどうでもいいことなんだ」


 そこから先は特に言葉を交わすこともなく、ただただ目的地まで車の揺れに揺られるだけの時間だった。

 外は真っ白な霧の中。

 中には、空っぽの人形を入れた、大きな箱がひとつ。


 葬送というのは、果たしてこういう感じなのだろうか。

 なんてことを、俺は考えていた。

 だがきっと、これから行く場所は。


 少なくとも、安らかに眠れる場所ではないだろう。





「到着いたしました」


 数十分ほど経った後、前にいる男たちは、二人同時にそう言った。

 車が止まる。

 するとその直後、ドアが開いた。


「どうぞ、お降りください」


 言われるがまま、俺と駆藤は車の外へと出る。

 すぐ近くに白く大きな建物があった。

 入り口付近まではわかるが、遠くの方は濃霧でぼやけている。

 あれが恐らく、アルド教会、その日本支部だろう。


「……陰気な場所だ、全く」


 駆藤はそんな風に呟いた。

 少なからず思うところがあるような、そんな感じだ。


「懐かしいでしょう? 4号――」

「ニッパー」


 男たちに何か聞かれているようだったが、駆藤はあえて無視するためかのように、俺に話しかけてきた。


「とっとと運んで帰ろう。こんなところに、一秒でも長くいたくない」

「……おやめになったほうが、よろしいかと」


 しかし、それに答えたのは俺ではなく、男たちだった。

 駆藤は鬱陶しそうに彼らのほうを見る。


「あ? お前らにそんなこと決める権利なんかないだろ」

「その通り。我々があなた方に出来ることは、決断ではなく推奨です。それに決めるのは――」


 そう言いながら、男の片割れが胸ポケットから携帯端末を出す。


「恐らく、天候でしょう」


 男の片割れはあるアプリケーションを開き、スピーカーモードにした。

 見たところ、ラジオアプリのようだ。


『――続いて運行状況のお知らせです。濃霧による視界不良が著しいため、本日から翌夕方まで第1から第4難民区域の空港では、全航空機の離着陸が禁止されます。また、この影響により、難民への物資搬入に遅れが……』

「……なんだと?」


 ラジオが言っていた内容は、つまるところ、明日の夕方までは帰れないということだった。

 しかし、なぜだ?

 確かに濃霧だが、いくら何でも全飛行機の離着陸禁止にするまででは……。


「……チッ、くだらない。宿を探そう、ニッパー」

「ここは難民指定区域です。ホテルのような気の利いたものなどありません」

「野宿もお奨めできません。夜は、凍死の恐れがあるほど冷えますため」


 男たちは、またしても矢継ぎ早にそんなことを言ってきた。

 まるで返してなるものか、とでも言いたいかのように。

 しかし、駆藤はよっぽど嫌なのか、それでも男たちに言い返す。


「野宿で結構だ。なんなら空港のハンガーで寝てもいい。これ以上――」

「お父様がお怒りになりますよ、4号?」


 と、男たちがそう言った瞬間。

 より細かく言えば、『お父様』という単語が出てきた、その瞬間だ。


「ッ……!」


 駆藤は酷く苦しそうな顔をして、口を噤んだ。

 それを見てなお、男たちは続ける。


「あまりわがままを言うものではありません。お父様がなぜ、巫女様の御迎えに4号を指名したか、言わずともわかるでしょう?」

「そうか、やっぱりアイツが……」


 駆藤は誰にも聞こえない程の声量で何かを呟いた。

 そのまま、下にうつむいたまま数秒。

 すると、彼女はその状態のまま、口を開いた。


「わかったよ」

「おお、素晴らしい」

「では、さっそく巫女様をお運びしましょう。歓迎の準備はできていますから」


 男たちはそう言って、ホムンクルスの箱を抱えて教会へと入っていった。


「で、どうするんだ?」

「今日はここに泊まる」

「いいのか、だいぶいやそうだったが」

「……知るか」


 言葉とは裏腹に、それは怯えている口調だった。

 それ以降は特に話すことなく、彼女はゆっくりと、うなだれながら教会へと入っていく。



 ……ここまで、全て大羽の言った通りの展開だ。

 だが、さて、こっからどうなるか。


 俺はそう思いながら、駆藤のあとをついていった。

 このまま大羽の予想通りの展開が続くのであれば、彼女からの『仕事』を、やらなければならなくなるだろう。

 駆藤の背を見ながら、そんなことを考えていた。

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