君の心まであと何センチ

 雲黒ミモリ。

 目の前で唸って俺を睨みつけている彼女の名は、確かそんなだったはずだ。


 ウルフを除いた学園にいるフェアリィの中で、特に俺に敵意を向けていた記憶がある。

 記憶が正しければ――あまりアテにはできないだろうが――これで会うのは三度目くらいか。


「……どうも、えーと、雲黒さん?」


 出会い頭に唸ってくる相手との会話方法など心得ていないので、ひとまず挨拶だけをしてみた。


「す、すごいニッパーさん! ちゃんと人の名前覚えてる……! 挨拶もしてっ……成長しましたね」

「……レイ、アナタの中のニッパーって5歳児かなにか?」


 傍目で横を見ると、レイと天神が隠れながら何か言い合っているのが少し見えた。

 この距離だと聞こえはしないが、何故だろう、心外なことを言われている気がする。


「ぐぅっ……! 相変わらず人を食ったようなその態度! 随分と余裕そうじゃないですか!」


 と、雲黒は歯軋りをして、より強い怒りを露わにした。

 彼女に挨拶は逆効果らしい。


「やっほ、ミモリちゃん」

「ひぃえ!? お、お疲れ様です、ミサ様!」


 いや、どうやら逆効果なのは俺限定のようだ。

 落花が手を振って雲黒を呼んだ途端、彼女は顔を赤くして、それはそれは綺麗に姿勢を直して応えたのだ。


「こんなとこで会うなんて奇遇だねえ。買い物中?」

「あ、いえ、今日はファンクラブの活動日なので、これからファミレスで打ち合わせをしようと……」

「ふーんそっか。頑張ってね」


 照れるように答えた雲黒に、落花はただそう言った。

 確かに言う通り、雲黒の後ろに何人かフェアリィがいる。

 落花を見てはしゃいでいる奴が数人、俺を睨んでいる奴が数人。

 あれが雲黒の言う、ファンクラブの人間なのだろう。


「……あ、あの、ミサ様。それで、つかぬことをお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 そんなことを考えていると、しかし雲黒はまだ話があるのか、聞き辛そうに落花に言った。


「ん? なーにー?」

「その……なぜミサ様が、そのような男とご一緒になられているのです?」


 彼女がそう聞くと、その後ろにいるフェアリィたちも、ウンウンと頷いて前のめりになった。

 雲黒は言葉を続ける。


「お言葉ですが、その男には無闇に近づかない方がよろしいかと」

「ほほう、そりゃなんでまた?」


 真剣な表情で言う雲黒に対し、落花はどこか面白がってるように聞いた。


「その男は、ウルフ隊の方々を汚い欲望の捌け口にしか考えていません……! ナナ様と恋仲になっているにも関わらず、レイ様をその毒牙にかけて……」

「アハハハ、えーやばー。私とも遊びだったってこと?」


 遊んですらいねえだろうよ。

 と言いたいところではあるが、どうしたものか。

 落花を見るに、おそらく間に受けてはいないだろう。


 とはいえ、これ以上ここで無意に時間を浪費するのは、望むところではない。

 聞き入れてくれるかはわからないが、とにかく雲黒の要件だけさっさと聞いて、解放してもらおう。


「大体、身の程知らずもいいところなんですよ」


 そう考えていると、雲黒が俺を睨みつけて、そう言ってきた。

 彼女は続ける。


「実験戦闘機のテストパイロットだかなんだか知りませんけど、そんな何の役にも立たなそうなアナタがミサ様とデ、デートなんて……おこがましいと自分で思わないんですか?」


 怒りに肩を震わせて、雲黒はそう問いかけてきた。


「それ、どういう意図で聞いてるんだ?」

「は?」


 素直に疑問に思ったことを聞くと、雲黒はそんな声を上げた。


「俺が烏滸がましいと思うと、アンタにどういう関係がある? それを知らないと、アンタの望んだ回答にはならないと思う」

「……本気で言ってるんですか、それ?」

「そうだ。だから教えて欲しい。全てとまではいかないが、なるべくお互いの目的に支障が出ないようにしたい」


 俺がそう言うと、雲黒はどこか、信じられないと言った表情で、俺を見つめていた。

 自分とは全く異質なものをみるような、不気味なものを目の当たりにしたような、そんな目。


 ひょっとして、彼女に質問の意図を聞くこと自体が、間違いだったのだろうか?

 いや、きっとそうなのだろう。

 雲黒の表情を見るに、今の問いでより怒りを買ってしまったのは確実だった。


「何なんですかアナタ……人の気持ちを考えられれば、そんなこと聞くまでもないことじゃないですか?」

「人の気持ちか。そうなんだな」

「何なんですか、馬鹿にしてるんですか!」


 どうやら酷く不興を買ったようで、雲黒は俺に怒鳴ってきた。


「いや、馬鹿にしてるわけじゃ――」

「してるじゃないですか! そんなわかって当たり前のことをいちいち聞いてくる時点で!」

「当たり前?」

「そうでしょうが!」


 雲黒はいったん息継ぎをし、興奮した顔で続けた。


「機械じゃないんだから、人の気持ちなんて考えられて当然じゃないですか!」


 それは、その言葉は、俺にとっては衝撃的なことだった。


「……そう、なのか」


 雲黒の言いたいことは、つまりこうだろうか。

 人間は他者の精神状態……いわゆる『気持ち』というものを、言われずともある程度は察っせられる機能が備わっているらしい。

 それができるからコミュニケーションが取れるし、回り回って今日までの文明を築き上げる土台となっているのだ。


 雲黒が適当を言っているわけではないだろう。

 実際の話、いくつか心当たりがある。


 いやに俺の考えていることを当ててくる天神やレイに、桂木。

 隊員のことをいつも気にかけている落花や大羽や、駆藤。

 誰も彼も皆、他者の気持ちを考え、予測し、適切なコミュニケーションが取れる機能を有している。


 彼女ら特有のものだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。

 人間だから当然にできることで、人間であれば備わって然るべき機能なのだ。


 ――逆に言ってしまえば、その機能を有していない者は、人間の規定値に達していない。

 言わば、人間ではなく、人間の形をした何か、ということになる。


 ――となると、俺は一体何なのだろうか?

 人間でもない、機械でもない。

 となれば、俺はどういう存在なんだ?


 ライカとの距離が、遠い。

 知らなかった。

 確固とした機械である彼女と違って、俺自身という部品は、ここまで規格があやふやなものだったなんて。


「……な、なんですか、黙りこくっちゃって」


 どうやら、しばらく時間が経っていたらしい。

 返答がないことに痺れを切らしたであろう雲黒が、バツが悪そうに俺の顔を覗き込んできた。


「い、言い過ぎだなんて思ってませんからね! 三股もするような最低な人、むしろ言い足りないくら――」

「あれー!? ナナとレイじゃん何やってんのー!?」


 すると、雲黒に被せて、落花が急に大声を出して、ある方向を指差した。

 その方向は天神とレイがいる場所。

 不意に居場所がバレた二人は、しまったと言ったような顔をした。


「え、うそバレた!?」

「……はぁ、結局こうなるのね」


 狼狽えるている様子のレイと、ある程度予測してたのか、諦めたようにため息を吐く天神。


「え、ナナ様にレイ様!?」

「な、何でこんなところに!?」


 その声が聞こえた瞬間、雲黒や他のファンクラブの連中もその方向に目を向ける。

 驚き半分、喜び半分といった感じで、俺と落花以外の全員が、天神たちに視線を集中させていた。


「今のうち」


 不意に落花がそう耳打ちしてくる。

 何のつもりだと思う間もなく、彼女は俺の手を引っ張って、雲黒たちの視線とは反対方向に走り出した。

 逃げようというのだ。


「あ、ナナさん! ニッパーさんたち逃げちゃいますよ!」

「……いや、もういいわ。ミサのやりたいこともわかったし」

「え?」

「それに、ミモリにちょっとお説教もしなきゃだしね」


 後ろの方を見ると、天神たちと目があったが、追いかけてくる様子はなかった。

 このままどこまで走るつもりなのだろうか。

 それはわからないが、ひとまず落花が走るのを止めるまで、追走しよう。

 そう思い、俺は足を速めた。





「はぁ、はぁ……ここまで来れば、大丈夫でしょ」


 そう言って落花が足を止めたのは、走り出してからしばらく経った後のことだった。

 あたりを見てみると、この辺はどうやら、繁華街をすでに外れてしまった場所のようだった。


 やや広めの、人口の芝で一面を覆われた野原だった。

 空き地なのだろうか? ラヴェルにこんな場所があるとは、知らなかった。


 空を見てみると、暗い赤紫に染まっていて、遠くに電灯が灯っているのが見えた。

 すっかりもう、夜のようだ。


「はぁ……ごめんねニッパーくん」


 と、落花は俺に謝ってきた。


「なんのことだ?」

「ミモリちゃんのこと。あの子、なんかニッパーくんを目の敵にしてるみたいでさ」

「あぁ……いや、気にしちゃいない」

「『気にも留めてない』じゃなく?」


 どこか面白そうに、落花は言った。

 どうだろう、本当は、彼女のいう通りなのかも。


「……冗談だよ、ごめん」


 俺を見て何かを察したのだろう。

 彼女は申し訳なさそうにして、再び俺に謝ってきた。


 なるほど、これが察する、ということなのか。

 落花や天神たちにできて、俺にはできないこと。

 人間というものは、俺が思うよりもずっと高性能なんだな。と、思い知らされたような気がした。


「いや……俺こそすまない。このままじゃデートを、完遂できそうにはない」


 そう、もうこの時間では、デートを再開するのは難しいだろう。

 タスク未達成により、ミッション失敗だ。

 残念ながら。


「ああ、いいよいいよ全然。見たいものは見たからさ」


 すると、予想していなかったことを、落花は言った。

 見たいものは見た……つまり、彼女の目的は達成できた、ということ。


「……なあ、聞いていいか?」

「なに?」

「アンタが俺とデートした目的は、なんだ?」


 思わず、俺はそう聞いてしまった。

 何故聞いたのだろうか?

 こんなことを聞いたところで、結果は何も変わらないのに。

 そう思いながらも、俺はしゃべる口を止められなかった。


「最初に言ってた『俺のことを知りたい』という目的であれば、桂木あたりに俺のパーソナルデータを読ませて貰えば済む話だ。でも、こんなことをするくらいだから、もっと別の目的があるんだ。違うか?」

「うーん、合ってるけど、違う」

「なに?」

「デジタルで表せる部分以外の君を、知りたかった」


 落花は振り向いて、俺を見つめる。

 先ほどまでのおちゃらけた感じは消えて、どこか神妙な顔つきだった。


「最初の方は私もさ、ミモリちゃんと同じ考え方してた。なんでこの子はこんなに人の気持ち考えないんだろうって」

「……そうか」

「でも、今日わかった。君は君なりにちゃんと考えてるんだ。けど、考え方が私たちと全く違う」


 なんていえばいいのかな――そんなことを呟いてから、少し間をおいて落花は続けた。


「ニッパーくんは多分、人間を『そういう機械』だと思ってるんだ」

「と言うと?」

「人間と機械と同一視してるっていえばいいのか……人の気持ちとか感情も、特別なものなんかじゃなく、そういうシステムだと考えてるんだ」

「違うのか?」

「ああ、合ってた。やっぱりね」


 どこか呆れたように、落花は俺を見て溜息を吐く。


「間違ってるとは言わないけれど、そのままだといつか、困っちゃうことになるよ。私が、そうだったから」

「……そうか」

「ま、最近はちょっと変わってきたんじゃない? 情緒が育ってきたよ、まだ赤ちゃんレベルだけど」

「赤ちゃん?」

「あははは……ま、前の私よりかは、マシかもね」


 そう言って、落花は笑う。

 ただその笑顔は、自嘲しているような、そんな顔だった。

 ふと、彼女は上を見て、暗くなった空を眺める。


「いい夜だね」


 そう口にする落花の栗毛色の髪が、柔らかい風で靡く。

 確かに、風速も気温も程よく、湿気も少ない。

 いい夜、と言う彼女の言葉には、同意できる。


「……うん、場所もちょうどいいし、いい機会かもね」


 落花は俺の方に向き直り、ゆっくりと近づいてくる。

 何だろうと思っていると、彼女が口を開いた。


「私だけニッパーくんを知るのも不公平だし、そろそろ私のことも、少し知ってもらおうかな?」


 言うと、彼女は俺の隣に腰を下ろした。


「座りなよ、ニッパーくん」


 彼女は俺を見上げる。

 その顔はどこか、優しいような、寂しいような、そんな感じがした。


「少し昔話を、聞いてよ」


 その言葉に、俺は彼女と同じように座ることで、返答した。

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