読めないパターン

 いつまで続くのか。

 というのが、今の俺の心情を最も表した言葉だ。


 流行りの洋楽が静かに流れる、デカいシーリング・ファンを天井につけた洋服屋に連れてこられてから、一体どのくらい経ったのだろうか。

 俺は店の売り物である衣服を試着した状態で、試着室のカーテンを開けた。


 この動作を行うのがこれで五回目。

 すでに五種類の衣服に着替えさせられていることになる。


「お、それもいーじゃん! やっぱ元が良いからなんでも似合うねえ」


 目の前にいる落花が、親指を立てながらそんなことを言ってきた。

 こいつがこう宣うのを見るのも、もはや何度目かわからない。

 違うことといえば、横で事務的な笑い顔を保っている店員が抱えている、先に試着した衣服の量が増えているくらいか。


「いや、うーんでもどうしよっか? さっきのジャケットも捨てがたいし……あ! いっそ冒険してスカジャンとかどう?」

「……まだ新しいのを着るのか?」


 正直辟易していた。

 服がダサいからと落花に洋服屋に連れてこられ、もう長いこと、このやりとりを繰り返している。

 服を買うことに何をそこまで悩むのかわからない。


 しかも彼女のではなく、俺が着る服だ。

 他人が着る服など気にかけるものでもない気がするが、落下にとっては違うのだろうか。


「えー? じゃあニッパーくんも考えてよ。今着た中で、一番のお気に入りは?」

「あー……じゃあこの服?」

「もう! めんどくさいからって適当に決めないでよ。ちゃんと考えて!」


 と、少しムクれたように言う落花。

 このやりとりも、すでに既視感のあるものになりつつあった。

 早く終わらせたいために適当に服を選んでは、落花に今言われたような文句で拒否される。


 どうせ俺が選んで買うのだから、どう選んでも落花に関係ない気がするのだが、違うのだろうか。

 どうにも、俺が知らない法則があるらしい。


「な、なんかカップルみたいなやりとりじゃないですか?」

「そんなことない」

「い、いやだってあれ、どう見たって――」

「そんなことない」

「……え、ナナさん、聞いてます? 現実見れてます?」

「そんなことない」


 そしてなんでアイツらは未だに着いてきてるんだ。

 レイはこういうものに興味を持っているらしいのでまだわかるが、天神に至っては本当にわからない。


 いつもと違って覇気が全くないし、なんなら目を虚にして、じいっとこちらを見つめている。

 得体の知れなさが凄まじい。


「……なあ、アイツら――」

「あ! ほら、これなんてどうよニッパーくん!」


 そう言って、また新しい服を落花は差し出して来た。

 恐らく――いや間違いなく、落花は二人の存在に気づいている。


 面白がっているのか、敢えて知らないふりをしているのだ。

 俺が彼女に天神達のことを指摘しても、先ほどのようにのらりくらりと躱してまともに取り合ってはくれない。


「……ああ、ありがとう」


 まあ、落花が気にしないというなら構わないだろう。

 見たところあの二人、遠巻きに監視するだけでこちらを邪魔するつもりはなさそうだ。


 であれば、わざわざ面倒ごとを増やす必要もない。

 引き続き、このデートを粛々と進めるだけだ。

 そう思って、俺は落下に倣い彼女らをスルーすることに決めた。





 結局、服を買い終えたのはそこからさらに三十分ほど経った後のことだった。


「ありがとうございましたー!」


 そんな店員の声を背にして、店を後にする。

 外に出るなり落花は、俺を見て満足そうに頷いていた。


「ご満足頂けたようで良かったよ」


 なんてことを言ってみる。

 本心だ。本当、良かったと思う。

 心の底から。


「あ、あはは〜……いやあ熱くなっちゃって、つい……」


 と、流石に時間がかかったのは落花も承知の上なのか、バツが悪そうな顔をしていた。


「いやその、男の子を好きに着せ替えできる機会なんて滅多にないから……怒った?」

「……いや、怒ってはいないが」


 確かに長時間拘束されるのは辟易としたが、本当にそれだけだ。

 何か害を為されたわけでもないのだから、特段怒るような理由もない。


「ただ……」


 そう、不可解だとはずっと思っている。

 落花の狙いが見えないのだ。

 俺に服を着せ替えさせたのもそうだが、そもそもこのデート自体、何故落花がリクエストしたのかがわからない。


 『俺のことを知りたい』などと言っていたが、そんなものは桂木にパーソナルデータを見せてもらうよういえば済む話だ。

 それをしないということは、きっと別の狙いがあるのだろう。


 ……いや、そうじゃないな。

 落花の狙いがなんだろうが、俺には関係のないことだ。

 どうであれ、彼女とデートをすると約束したのだ。

 約束した以上、しっかりそれには応えねばなるまい。


「ただ?」


 途中で言葉を区切ったからか、落花が不思議そうに俺の顔を覗き込んだ。


「いや、なんでもない。それより、変に気を遣わせたみたいだな。すまない、謝罪する」

「……どしたの急に?」

「これがデートである以上、アンタを楽しませることが最優先事項だ。となると、先ほどの俺の態度は良くなかった」


 桂木に聞いたところによると、デートの成否は『いかに相手を楽しませたか』というところにかかっているらしい。

 となると、俺の先ほどの杜撰な態度は、このタスクの成功率を著しく損なうものだったに違いない。

 まだ間に合うかはわからないが、今からでもリカバリーしなければいけないだろう。


「それを踏まえて、俺は落下に謝罪するべきだと判断した。すまない」

「……はー」


 と、落花は口に手を当てて、驚くように目を見開いていた。

 呆気に取られているような、そんな感じ。


「なんだよ」

「いや、ニッパーくんに『楽しませる』なんて概念あったんだなって。マジ意外だわ」


 そう言って、落花はケラケラと笑う。

 表情がコロコロと変わるやつだな、と思った。

 ただレイとは違って、こっちは意識的にやってるきらいがあるが。


「ま、これでひとつは、君のこと知れたかな」


 さて――と言って、落花は続ける。


「んじゃ、そろそろ次のところ行こっか?」

「わかった。次は……俺が選ぶんだったか」

「そうそう」

「了解」


 そんなやりとりをして、俺と落花は歩きだした。

 ……レイと天神は、まだついてきてるらしいな。

 アイツら、本当になんのつもりなんだろうか?





 それからは、ひとしきりいろいろなところを落花と回った。

 といっても、別に変わった場所に行ったわけでもなく、いつも一人で行ってる場所に、落花を連れて行っただけだ。


 このラヴェルに来てからたまに行くようになった、本屋やレコードショップ、雑貨屋。

 そういう場所に、ただ落花と行っただけ。

 これでいいのかはわからないが、他にいい場所も知らないので、まあ仕方ないだろう。


「にしても、意外だったなあ」


 ある程度散策して、日が西のビル群に触れ始めたのが見えたころ。

 不意に落花が俺を見て、言った。

 何がだろうか、と思っていると、彼女はそのまま続ける。


「君って、本とか音楽とか好きなんだね。そういうの、興味ないと思ってた」

「ああ、それか」


 そんな返事をすると、彼女は俺が持っているビニール袋をしげしげと見つめる。

 袋の中には、先ほど行った本屋で買った新書や、この時世では珍しい、ディスク形式の音楽レコードが入っている。


「てっきり、ライカちゃん以外のことは興味ないんだと思ってた」

「いや、その認識は別に、間違っちゃいない」

「え?」

「興味があるってわけじゃないんだ。空いた時間の暇つぶしと……あと、桂木の指示でな。人間性を維持するため、なんだとか」


 もう、どのくらい過去の話になるのかわからない。

 確か、俺が研究所に来たばかりの時に、桂木に言われたんだったか。


 昼も夜もわからない研究所で、休みなくずっと実験体として扱われていると、段々と自我が崩壊していくらしい。

 実際、抜け殻みたいな廃人になったやつとか、逆に発狂したやつとかを何回か見たことがあるから、本当のことなんだろう。


 だからなのか、桂木は俺に、積極的に本や音楽、映画といった娯楽に触れるよう指示してきた。

 曰く、人が作った物語にできるだけ多く触れることは、人間性を保つ上で重要らしい。


 人間性は人間という、複雑に構成されたモノを正常に機能させるために必要不可欠なものだ。

 俺が人間である以上、この制約から逃れることはできない。

 ライカのパーツでい続けるには、面倒だがこういうこともしなければならないのだ。


「……いっそ、俺も機械だったら良かったのかもな」


 不意にそんなことを呟いた。

 自分で言ったことに、俺は少し驚いた。


 俺がライカのパーツだ。それは間違いない。

 だが最近、このラヴェルに来てから、不意にこう感じる時がある。


 彼女との距離が、あまりに遠い。

 どれだけ生死を共にしても、越えられない壁があるような、そんな気がしてならない。

 機械と人間。

 彼女に触れれば触れるほど、その隔絶とした思考形式の違いを意識せずにはいられなくなっているのだ。


 ほんの少し前までは、こんなことを考えもしなかった。

 俺もライカも、自分の機能を果たすだけ。

 それが全てだと思っていたし、それでいいはずだった。

 けれど、それは変わってきているのかも知れない。


 中東で、俺が故意に墜落しようとしたのをライカに阻止された時、特にそれを感じた。

 ライカの考えが、わからないのだ。

 俺の死を阻止したこともそうだが、そもそも何故、リスクを背負ってまで、代替可能な自分パーツを助けに来たのか。


 俺はその理由が結局わからなかった。

 むしろ、ランバーである『何か』の方が、よほど彼女を理解しているのかもしれない。

 それがもどかしくて、だから俺はきっと、『機械になりたい』などと思ってしまったのだ。


「……あのさ」


 と、落花は淡々と、俺に話しかけてきた。

 意識を現実に戻し、彼女の方を見る。


 最近何故か見なくなった、久しぶりに見る表情だった。

 宇宙人でも見るような、自分と異なる異物を見るような、そんな目。

 そう思っていると、彼女はゆっくりと口を開く。


「ニッパーくんてさ、やっぱり――」



「あーっ!! あなたは!」



 突然耳に突き刺さる、甲高い、やかましい叫び声。

 流石に予想外だったのか、落花も不意を疲れたような……要はビックリした顔をしていた。


 ……何故だろうか、この状況、ひどく既視感がある。

 嫌な予感を感じながら、俺はゆっくりと声がした方に振り向いた。


「こ、今度はミサ様と一緒に……! どれだけ節操ないんですか、アナタはッ!」


 的中してほしくない予想は、しかし見事に当たった。

 名前は確か……そうだ、思い出した。


 雲黒ミモリが、そこにいたのだ。

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