さよなら中東・後編

 ――誰よりも優秀でいなさい。人の上に立ちなさい。そうすればパパがきっといつか、私たちを見つけてくれるはずだから。


 それがママの口癖だった。

 ママは若い頃、企業の偉い人ととても仲が良くて、その結果生まれたのが私なのだと言っていた。


 ――アナタは私の誇りよ、ナナ。


 そう言って、私の頬を撫でてくれたことをよく覚えている。

 子供ごろ頃にそれが嬉しかった私は、ママの言う通り頑張ろうと思った。


 パパに会いたいと言うのも多少はあったけれど、何よりそれで、ママが喜んでくれるから。


 私は頑張って、いろんなことができるようになった。

 学校の成績はいつも一番で、満点のテストを見せると、ママが喜んでくれた。


 ママは仕事で疲れているから、家のことを全部やると褒めてくれた。

 ママは不思議な仕事をしていた。

 家によく知らない男の人が来て、二人で部屋に入って一緒に過ごしていた。

 ふと気になって何をしていのか聞いたら、叩かれた。

 機嫌が悪かったんだろう。


 小学生になった。パパはまだ来ない。


 高学年に上がる頃にフェアリィの適性があると発覚した時、ママは特に喜んでくれて、特別にご馳走を作ってくれた。

 これでパパも私たちを迎えに来てくれる。

 そう言って、私の頭を撫でてくれた。


 フェアリィとしてラヴェルに入った私は、これまで以上にガムシャラに頑張った。

 誰よりも訓練をして、誰よりも座学をして、誰よりもランバーを倒した。


 その頃から、ママはお酒を飲む量が増えていった。

 そのせいだろうか、前より褒めてくれる回数が減った。

 久しぶりにラヴェルから家に帰ってきた時は、結局酔ったママの介抱をするだけで終わってしまった。


 中学生になった。パパはまだ来ない。


 その頃になると、私のフェアリィとしてのキャリアは大分積み上がっていた。

 最年少でラヴェル内最多のランバー撃破を成し遂げた。


 これでママに喜んでもらえる。そう思って久しぶりに帰省した時は心が躍った。

 けれど、ママは私に空のグラスを投げつけてくるだけだった。

 部屋は酷い散らかりようで、知らない男の人の衣服がそこらじゅうに落ちていた。


 役立たず。ここまで育ててやったのに。あの人が来ないじゃない。

 酔っているのか、そんな繋がりのない怒号をひたすら私に投げかけてきた。


 割れたグラスを片付けて、ぶつかった頭の血を拭きながら、私はもっと頑張ろうと思った

 もっとフェアリィとして優秀になる。。もっと強くなる。もっと敵を倒す。

 

 そうして、いつの間にか私には『最強』の称号がついた。

 フェアリィとして、誰よりも優秀な証。

 次こそはママに褒めてもらえる。そう思った。


 高等部に上がった。パパは来ない。


 次に帰省したとき、ママはやっぱり酔っていて、私に怒鳴り散らすだけだった。

 それだけならいつも通りだったのだけど、私が掃除をしていると、ママはいきなり後ろから、首を絞めてきた。


『む、娘が……』


 ママは焦点の定まっていない目で、ぶつぶつと何か言っていた。


『娘が死ねば、あの人は来てくれるのかしら』


 ママが何を言っているのかわからなかった。

 わかりたくなかった。


 命の危険を感じて、咄嗟にママを振り解いてしまった。

 強くしすぎたのか、その拍子に怪我をさせてしまった。

 あの時の怯えた顔を今でも覚えている。


『化け物』


 ママ――と呼びかけたところで、そんな声が聞こえた。


『お前のせいだ。お前がそんな化け物だから、あの人も怖がって――』


 違うの、ママ。

 怪我させたいんじゃないの。

 私、小さい頃みたいに褒めて欲しかっただけなのに。

 そんな弁明も口に出せないで、私はママの怒った声をひとしきり聞いてから、家を出た。

 結局、それ以来家には行けていない。


 結局パパは来なかった。

 ママの言う通り、私が化け物だから。


 もっと頑張らなきゃ行けない。

 もっともっと、ランバーを倒して、人類を守れる存在になれば、化け物から本当の妖精になれるはずだ。


 そうしたら、今度こそパパが迎えに来てくれて、ママも喜んでくれるだろう。

 今度こそ。

 きっと。





「ウルフ1、応答しろ」


 ふと、そんな声が聞こえた。

 ニッパーからの無線。

 いけない。少し呆けていたようだ。


「ごめんなさいドギー1。何かあったの?」

「積荷が『腹が減った』と文句を言ってる。アンタ、飯かなんか持ってないか?」

「はぁ……もう、しょうがないわね」


 少々うんざりしながら、自分の横を見てみる。

 高高度。まだ早朝だからか、地平線の方はまだオレンジがかっている。

 雲が下に広がり、そのさらに下に海が見えた。

 そんな中を、泳ぐように優雅に飛んでいる、滑らかなフォルムの大型戦闘機がひとつ。


 ライカ。ニッパーの愛機。

 いや、彼の言うところによると、ライカの方がご主人様らしい。

 ライカのハードポイント、真ん中のお腹あたりについている増槽に近づき、ノックのように叩いた。


「ご飯持ってきてくれました?」


 すると、無線越しに声が聞こえた。

 『積荷』――別名アイシャの声だ。


「無いわよ。次の補給基地で何か買ってきてあげるから、それまで我慢しなさい」

「そんな! こちとら怪我人なんですよ、もう少し労わってくれてもいいんじゃ無いですか!?」

「そんな余裕ないわよ。生きて脱出できただけよしとして頂戴」

「うぐ……次の補給基地までどのくらいなんです?」

「ほんの十時間よ。あ、当たり前だけど、ラヴェルに着くまでは増槽から出ちゃダメだから」

「うわぁん! これじゃどっちにしろ死にますよ!」


 そう言いながら、泣き叫ぶアイシャ。

 確かにフェアリィじゃなかったら死んでるわね、なんて思いながら、改めて無理矢理な脱出方法だと思った。


 日が昇らない内に、出発前の点検をしたいという名目で航空基地に入り、空の増槽に細工をして、気づかれないようにそこにアイシャを忍び込ませる。

 それを普通の増槽だと偽ってライカに取り付ければ、あとは出発時刻まで予定通り過ごせばいい、と言うわけだ。


 バレなかったのが不思議なくらいゴリ押し気味な作戦だったと思う。

 帰ったらここまで急な無茶を言ってきた理事長に、文句のひとつでも言ってやろうと心に誓った。


「あの」


 と、再びアイシャ。


「何?」

「ちなみにこれ、トイレは?」

「……オムツ入れてあげたでしょ」

「これやっぱりそう言うことなんですか!? 嫌だぁ! もういっそ殺して!」


 無線越しでも半べそになってるのがわかるくらい、アイシャは涙声になっていた。

 流石に少し可哀想になってきたわね。


「……まぁ、頑張って」


 とは言え、これ以上彼女に何かできるわけでもなく、私はそんな空虚な励ましだけ言って、増槽から離れた。

 形態は再び、ライカと二機編成エレメント


「大丈夫か、天神?」


 すると、ニッパーがそんなことを聞いてきた。


「大丈夫って、何が?」

「いや、アンタが飛んでる最中に呆けてるのは、決まって何か思い詰めてる時だから」

「……そうだったかしら」


 我ながら白々しい。心当たりがないわけがないのに。

 ニッパーは時々、ズルい。

 中東の朝の時もそうだったけど、いつも人の気持ちなんてまるで考えていないような振る舞いなのに、落ち込んでる時に限って気づいてくる。


 彼は彼なりに、私たちのことを知ろうとしてくれているのかもしれない。なんて思った。

 全てがライカのため、という答えには帰結するのかもしれないけれど。


「それより、油断しないで。連中が気づいて追いかけてきても、全然不思議じゃない」


 まるで誤魔化すように、私は話題を変える。


「わかってる」


 ニッパーがそれだけ答えて、それで会話は一旦終了した。

 彼は話を逸らされたことに気づいただろうか。

 いっそのこと、全て話してしまおうか。


 ……話す? 何を?


 わからない。仮に話してどうしようというのだろうか。

 アリムに言われてから、ママのことを頻繁に思い出すようになった。


 褒められたこと、頬を撫でられたこと。

 怒鳴られたこと、グラスを投げられたこと。


 でもそんなことを話して、私はどうしたいのだろう。

 わからない。

 ただ、私は――。


「……ねえ、ニッパー」


 無意識に、彼の名を呼んだ。


「なんだ?」

「私、強い?」

「ああ、そうだな。そうだと思う」

「ダメなの、まだ全然足りない」


 口からは次々にそんな言葉が出てくる。

 わからない。なんでこんなことを口走っているのか。

 けれど、なぜか止まらない。

 洪水のように、次々に言いたいことが出てくる。


「いっぱい勉強して、いっぱい訓練して、全部をランバーを倒すことに注ぎ込んだ」

「ああ」

「でもね、まだまだ全然、足りないみたいなの」


 また思い出す。

 ママの怯えた顔。

 パパが迎えに来ない原因。

 私が化け物だから。


「頑張らなきゃいけない。まだまだ強くならなきゃいけない。全部のランバーを墜として、人類全部を救えるくらいに」


 そうだ、まだまだ足りない。

 このままじゃ私は、まだ化け物のままだ。

 本物の妖精になるんだ。

 そうすれば、ママだって今度こそ、きっと。


 ……きっと?

 あれ、きっと、なんだろう。

 褒めてくれる。

 本当に?

 いや、そうに決まってる。

 じゃなきゃ私、なんのために――。


「天神」


 と、ニッパーが私を呼んだ。

 気のせいか、いつもより幾分か柔らかい声色に聞こえた。

 なぜか私は、その声に少し怯えた。


「……なに?」


 そんな怯えた気持ちを隠したくて、そっけなく答える。

 それにも構わず、彼は続ける。


「俺にとっては、アンタが何を思ってフェアリィをしているかなんて、知ったこっちゃない。敵にさえならないのなら、それでいいと思っている」

「ええ、アナタはそうでしょうね」

「だから、それを踏まえた上で聞いてほしい」


 そう言って、ニッパーは続けた。


「苦しくないのか?」


 それは思ってもみなかった返答で、だからだろうか。


「え?」


 私は、思わずそんな声が出てしまった。


「なんで、そんなこと聞くの?」

「なんとなく、そう思っただけだ」

「……苦しいのなんて、慣れてるわ」

「慣れたからって、消えるわけじゃないだろ」


 そんなふうに、彼は淡々と言ってくる。

 彼は続ける。


「メンタルコントロールは戦士の義務だ、天神。俺でも誰でもいいから、精神的苦痛があるのなら利用して、解消した方がいい」

「わかってる、それだって頑張るわよ」

「頑張ってるだろ、アンタはずっと。大した奴だよ」


 それは、私の心の中に、不意にストンと落ちてきた。


「……そうなのかな?」

「あくまで俺の主観での話だ。アンタ自身がどう思ってるかは知らない」


 ああ、この人は本当にずるいなと、つくづく思う。

 人の心を無遠慮にこじ開けるようなことばかり言って、いざ開いたらあとはもう、興味がないと言わんばかりに、知らんぷり。

 本当にずるい。


 だって、嬉しくなってしまった。

 頑張ったって褒められて、認めてもらえた気がした。

 正直癪だし、悔しい。

 だってそうだ。こんなところで、全く予想していなかった人から、一番欲しかった言葉に気付かされるなんて。


「天神?」


 すると、ニッパーが聞いてきた。

 返答がないことを不思議がったのだろう。


「なんでもないわ――わかったわよ、気をつける」


 声色を平静に保つのに苦労した。


「ああ、了解」


 そっけなく了解、だ。こっちの気も知らないで。

 わかった。アナタがそういう考えなら、こっちだって目一杯利用させてもらう。


 もう、あれだけ醜態を晒したのだ。今更彼に取り繕う必要もないだろう。

 精々、私のメンタルコントロールのために、たくさん使わせてもらうことにしよう。

 覚悟してね、ニッパー。


 最悪の定期交流会だった。

 下品な場所だったし、トラウマを掘り起こされるし、酷すぎるトラブルまであるし、挙げ句の果てには泥棒まがいのことをして帰る羽目になるなんて。


 けれど最後の最後で、いい収穫はあった。

 だからまあ、今回はこれでよしとしよう。


 そう思いながら、さっきよりは少し軽い心持ちで帰路を辿る。

 ラヴェルに帰ったら早速、ニッパーにはコーヒーでも淹れてもらうことにしよう。そう思いついた。


 RTB、帰投する。

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