乙女の悩み

 アレイコムの思惑、急なスクランブル、そしてライカの来訪。

 あまりに密度の濃いトラブルは、しかしそれきり起こることはなかった。


 あれから数日ほど経ったわけだが、あの時までのゴタゴタがまるで嘘だったかのように、定期交流会は非常にスムーズに、スケジュール通りに行われている。

 今のところ、という枕詞は必要だろうが。


 ネットの記事ですぐ出てくるようなランバーの情報を適当に交換し、それ以外は一回か二回ほど天神が模擬戦の相手をした程度。

 これといった問題らしい問題もなく、強いて挙げるとすれば、天神が現地のフェアリィにサインをねだられて、もみくちゃにされたくらいだろう。


 あんな緊急事態があったのだから本当は早く帰らせてほしい――というより、ライカが来た以上さっさと連れて帰りたい――という考えはあった。

 しかしどうやら、アレイコム側は『スクランブルなど起きていない』と宣っているらしく、そのため当然、急な帰投は認められなかった。


 考えてみると、当たり前のことかもしれない。

 フェアリィランバーに操られていました――などと明言できるはずもない、というのは、理由としては妥当だ。

 他に政治的で複雑な理由もあるのかもしれないが、そこまで行くともう、俺が考えたところで仕様のないことだろう。


 兎にも角にも、今の俺がやるべきことはひとつ。

 交流会が終わった後、ライカを無事に俺たちのラヴェルまで連れて帰ること。

 それが最優先事項だ。





「……よし、こんなところね。今日もお疲れ様」


 夕方ごろ、ホテルの自室にて。

 PCのモニターに映っている桂木はそう言って、リラックスしたように息を吐いた。

 ライカが来てからこっち、彼女には連日リモートでライカの様子を共有するようにしている。


 ログデータでも共有できれば早いのだが、フェアリィすらハッキングするような奴がいる以上、ライカの情報を無闇にアップロードするわけにもいかない。

 効率も悪いし不確実だが、重要な情報を避けつつ、俺が口頭で大まかな様子を話すしかないのだ。


「お姉ちゃん、前に貸した漫画どこ――あれ?」


 すると、桂木の後ろに他の人間が映った。

 レイだ。

 いつもの制服姿ではなく、着心地の楽そうなスウェットを着ているが、記憶上の彼女と同じ顔だったので、間違いないだろう。


「に、ニッパーさん!? うわ、お、お姉ちゃん、テレビ通話してるなら言ってよ!」


 どうやら俺がいたのが気に入らなかったのか、俺と画面越しに目が合うなり、慌てて引っ込んでしまった。


「言う前に入り込んできたんでしょうに、まったく……レイがごめんね、ニッパー」

「別に、特に謝られるようなことをされたつもりもない」

「まあ、アナタならそう言うわよね」


 もう慣れたものだとでも言うように、桂木は苦笑いでそう返した。


「に、ニッパーさん……」


 と、画面外からレイの声が聞こえてきた。

 彼女は続ける。


「明日、か、帰ってくるんでしたっけ?」

「まあ、そうだな」

「なんか、しばらく会えてない感じしますね」

「一週間も経ってないだろ」

「そ、そうでしたっけ、あははー……」


 いまいちレイが俺になにを言いたいのかわからない。

 とりあえず、明日俺が帰るか確認した、と言うことでいいのだろうか。


「なに緊張してるのよ、アンタ」

「だっていきなりすっぴん見られるなんて――!」


 と、そうこうしているうちに、なにやら桂木と言い合いを始めてしまった。

 俺はこれにどう対応するべきなのだろうか?

 ライカの報告はもう終わったことだし、これで通話を終了してもいいのだが。


 と、そんなことを考えている最中、コンコンと、ドアがノックされた。

 入っていい? と、短い声。

 天神だ。

 俺は返事をせず、しかしオートロックの扉に近づき、内側から開けた。


「お邪魔します……あら、通話中だった?」

「いや、もう報告は終わったところだ」


 天神が軽くお辞儀をして、画面の向こうにいる桂木に挨拶する。


「やっほーナナちゃん、こないだぶりね」

「え、ナナさん?」


 と、桂木とレイはそれぞれそんな反応をした。

 と言っても、レイは画面に映っていないので、声のみでの判断だが。


「ああ、レイもいるのね。近く?」

「ご無沙汰してます、ナナさん。ごめんなさい、今すっぴんだから、ちょっと……」

「あ、ごめんなさい」


 すっぴんとは、確か女性が顔面に化粧を施していない時に使う言葉だったか。

 レイは今その状態なので、画面に出れないらしい。


 先ほど見た時の顔は、別段普段と変わらなかったので問題ないと思うのだが、レイにとってはそうでもないらしい。

 理解はできないが、まあ、そう言うものなのだろう。


「女の子にはいろいろあるのよ、ニッパー」

「まあ、口に出さなかったのは偉いわよ」


 すると、桂木と天神が示し合わせたように、俺にそう言ってきた。

 だからなんでそう、俺の考えてることを読むのか。

 ひょっとしてライカみたいにモニタリングしてるのだろうか。


 ……いや、ないか。

 そんなことしても、彼女らになんのメリットもないだろうし。


「それより、そっちの様子はどうかしら。ミサはちゃんとやってる?」

「あ、あー、ええっと、ですねぇ……」


 天神の暗にサボってはいないかという質問に、しどろもどろになるレイ。

 天神は当然のようにそれが指し示す答えを察したようで、少しだけ眉を顰めた。


「……レイ、ミサにはいくらで買収されたの?」

「そ、そんなことされてませんよ!? 言っておきますけど、私とリリアさんはちゃんと訓練メニューこなしてますからね!」

「なるほど、ヨーコも一緒にサボっていたと」

「あ……」


 しまった――とでも言うようにレイは声を漏らす。

 それを聞いた天神の心中はどうなっているのだろうか。

 ため息を吐いたので、少なくとも喜んでいないことだけは確かだ。


「……まあ、それは帰ってから、特にミサにはじっくり聞くからいいわ」

「うぅ……す、すいません、私では二人を止められなくて……」

「アナタが責任を負うことじゃないわ。気にしないで」

「……えーっと、すいません。あと一つ、ミサさんから伝言を頼まれてて」


 ひどく言いづらそうに、レイは天神にそう伝えた。

 天神は片眉をわずかに動かす。


「……何?」

「お土産に買ってきて欲しいお菓子リスト送ったから読んどいてとのことで――」

「土でも食べてろって伝えときなさい」

「り、了解しましたぁ」


 レイは大声でそう言って、そしてバタバタと足音を響かせ、去っていった。


「じ、じゃあ私もこの辺でお邪魔するわ。元気でねー」


 と、桂木の誤魔化すようなセリフを最後に、通話の接続は切られた。

 PCの画面に映っているのは、真っ暗な画面。


「ミサったら。サボってるだろうとは思っていたけど、まったく……」


 プラス、それに反射された、天神のむくれた表情だった。


「それで、結局ここには何の用事で来たんだ?」

「ああ、そうね、そうだったわ」


 どうやら本来の目的を思い出したらしく、天神は咳払いをして、俺の方に顔を向ける。


「アイシャのことについてよ」

「……ああ、なるほどな」


 アイシャ。このラヴェルでの、俺たちの水先案内人だったフェアリィ。

 恐らく、今回のライカ襲撃で、最も被害を被った人物だろう。


 なんせ、右腕が吹っ飛んだのだ。

 フェアリィであれば失った腕を再生することはできるが、そうは言えども、生命に関わる大怪我だったのは間違いない。


 それに腕が治っても、身体欠損がきっかけで心的外傷トラウマを発症する可能性も十分にある。

 俺が懸念しているのは、フェアリィを一人傷物にしたということで、アレイコム側がライカを接収する大義名分にするのではないか、ということだ。


 治療費や慰謝料などの請求ならともかく、兵器の接収となると理由としては弱いとは思うが、アレイコムがどんな難癖をつけてくるかわかったものではない。

 だから、芹沢理事長と天神にその情報を報告し、理事長殿には連中の出方に注意してもらうよう言った。


 それから数日後の現在。

 天神が俺にこう言ってきたと言うことはだ。

 連中に動きがあったと見て間違い無いだろう。


「それで、奴らはなんて?」

「『そんなフェアリィはいない』だそうよ」

「……なんだと?」


 予想外だった天神の答えに、俺は思わず聞き返した。

 俺の反応は想定済みだったのだろう。

 それに対して特に何か言うわけでもなく、天神は言葉を続けた。


「理事長の話によると、アイシャ・アハドなんてフェアリィはうちに在籍している記録はないし、過去に居た記録もない。誰かと勘違いしてるんじゃないか――と言われたらしいわ」


 天神は淡々と喋っているが、その実、内容には納得できていないことが、言葉の節々から感じられた。

 当然と言えば当然だろう。

 不自然すぎる。


「それで、奴らは何か求めてきたのか?」

「お咎めなしよ。いないんだからね」


 と、天神。

 あまりに無理矢理な隠蔽工作。

 何かがあるのだ。

 そんな杜撰なことをしてでも、アイシャに接触させたくない、何かが。


 考えられるとすれば、彼女は何かを知ってしまったのだ。

 口封じをしなければならないような、何かを。


「……俺としては、ライカが取られる不安要素がひとつ消えた、てことになるが」

「私もそれだけなら楽なんだけど、そうもいかないみたい。このままじゃ彼女、殺されるわ」

「誰に?」

「アレイコム。昨日まで自分の味方だった人間に」


 アレイコムのことを口に出す天神の顔は、どこか特徴的だった。

 穢らわしいものに触れた時のような、そんな表情。


 まあ、とりあえず、事態はわかった。

 アイシャは知ってはいけない何かを知ってしまい、アレイコムを追放された。

 それこそ、存在ごとなかったことにされるくらい。

 そして、このままでは彼女は殺されてしまい、数日後には海底に沈んでいるかもしれない。

 と言うことだ。


「それで、だからなんなんだ?」

「え?」


 俺が素直にそう聞くと、彼女は思わずと言ったように聞き返した。


「はっきり言って、俺にはどうでもいい。アイシャが殺されようが、それでライカが生き残るのなら、それでいい」

「……本気で言ってるの?」


 天神はそう聞いてきた。

 なぜか、怯えているような、そんな顔だった。


「冗談を言っているつもりはないよ」

「ッ……そう、わかった」


 そう言って、天神は俺から顔を逸らす。

 沈黙が数秒間。

 彼女が再度口を開いた。


「でも、残念ね。アナタも関係なしではいられないわ」

「どういう意味だ?」

「理事長から、追加のオーダーが入ったわ。アイシャのことでね。私たちに拒否する権利はない」

「……そう言うことなら、了解した」


 命令だと言うなら、いやも応もない。

 全うするしかないだろう。


「……アナタって、初めて会った時から変わらないわね……ライカ以外はどうでもいいって、本気で思ってるの?」


 すると、どこか悲しそうな顔をして、天神は言った。

 なにを当たり前のことを聞いてるんだと思った。


「そうだ」

「ライカ以外の誰が死んでも、『そうか』って思うだけ?」

「さっきから、なにを言って――」

「羨ましいわね、ライカって」


 どこかいじけたように、彼女は言い放った。


「そんなふうに誰かに愛されるって、どんな感じなのかしらね」


 まるでそれは駄々をこねて、拗ねている子供のような。

 どうしてかはわからないが、ある種の幼さ、子供っぽさのようなものが、今の天神にはあった。


 あのスクランブルの朝もそうだ。

 確か……そうだ、これは。

 アリムに過去のこと、自分の母親のことを言われてから、天神はこう言う症状が出るようになった。


 トラウマ。

 それに類するものなのだろうか。


「天神」


 このままでは理事長の言うオーダーにも支障が出る。

 そう思って天神をフォローしようとしたが、彼女は俺の呼びかけに応じず、顔を背けて横切っていった。


「場所の目星は大体突き止めた」


 天神のそれは、先ほどまでの震えた声が嘘のように、冷淡な、感情を全く抑制した声だった。

 そのまま続ける。


「行きましょうニッパー、詳細は歩きながら話す」

「……了解」


 俺はそれに何か言い返すこともなく、それだけ言って後に続く。


 ――羨ましいわね、ライカって。


 命令に関係ないはずの彼女の台詞が、いやに脳にこびりついて、離れなかったのは何故だろうか。

 その言葉の意味を知る日など、いつか訪れるのだろうか。

 ふと、そんなことを思った。

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