脳内会議
――同時刻、正確な場所は不明。
窓のない、しかし一見して上等とわかるホテルのプライベートルームにて。
アリム・サレハはグラスを片手に持ちながらソファに座り、ホログラムに映る映像を静かに眺めていた。
グラスの中の氷が溶けかけているが、それを気にかけている様子は無さそうだ。
「……ダメか」
誰に向けた言葉というわけでもなく、アリムは眉を顰めて嘯いた。
彼の中には余裕こそあれ、そこには一片の焦燥もない。
しかしながらその心情を問われるとすれば、不愉快だと答えざるを得ないものだった。
彼が眺めている映像には、アレイコム・ラヴェルの、スラム街付近の様子が映されていた。
治安が悪く雑多だが、人が多く活気のある場所。
今回、『焼け野原になってもらう予定のエリア』だった。
「なかなか、イイ線行ってると思ったんだがね……結局お気に入りの壁紙を無駄にしただけになっちゃったな」
ため息を吐きながら、アリムは今回の思惑を追想する。
あの
そう『彼ら』に言われたから、わざわざここまでおびき寄せて、ちょっとばかりの血を流させてやった。
あとは簡単だ。
自分の相棒を傷つけられた犬コロが怒り狂って、傷つけたやつを殺してやろうとここにやってくる。
そしたら死んでもいいスラムのやつらに罪をおっかぶせて、殺させてやればいい。
そうすれば、いくらやり手の芹沢だろうと庇いきれない。
ラヴェルの兵器が、別のラヴェルの人間を殺したのだから、これ以上の失態などなかなかないだろう。
責任追及という大義名分を手に入れた私たちは大手を振って犬コロを貰い受けて、それを『彼ら』にプレゼントすればいい。
それで全て解決。
飯も酒も美味い、泰平の世が約束される。
そう言う算段だった。
だが、そうはならなかった。
アリムは映像に映った、悠々と空を飛ぶ物体を見つめる。
グレーと白のツートンカラー。
カナードを携えた大型戦闘機。
トラスニク。ライカ。
彼は思う。
あれだけ大慌てでそこまで飛んできたくせに。
パイロットが地上に落ちたら、猛スピードで迎えに降りたくせに。
それが、今はどうだ?
パイロットを自分に乗せた途端、まるで地上のことなど歯牙にもかけていないように、我が物顔で空を飛んでいやがる。
納得いかない。それが素直な感想だった。
直前までは確かに上手くいきそうだった。
スラムの人間に設定したターゲットタグへの明確なレーダー照射を確認できたのだから、犬コロが無実の人間を勘違いして攻撃するまで、あと数秒もないところだったはずだ。
それが、ふたを開けてみればどうだ。
あのパイロットが乗ってた戦闘機が墜落しそうになった途端、犬コロは急に攻撃を中断して、リソースをその戦闘機へのリモートコントロールに配分。
強制的にパイロットを
その後の顛末は、今見ている映像の通り。
もう自分は関係ありませんとでも言うように、犬コロはボーイフレンドを乗せて、我がラヴェルの航空基地へと帰っていった。
「ふぅむ、けれどなんで、爆弾も落とさず帰っちゃったんだろう?」
そう言いながら、アリムはソファにもたれかかる。
グラスに入った酒を口に含むと、氷によってすっかり薄まってしまい、とても飲めたものではなかったのか、彼は顔をしかめた。
グラスを手近にあるテーブルに置いて、彼は考えを巡らせる。
しかし、なぜあの犬コロは攻撃を中断したのだろうか。
パイロットを回収した後でも、スラムの人間を攻撃することはできたはずだ。
攻撃を阻害するような要素も特になかった。
では、なぜ?
「わかりませんか? アリム」
すると、不意にそんな声を、アリムは聞いた。
思わず彼は周囲を見回し、声の発生源を探す。
それを少しして、彼は気づいた。
声は外から聞こえたわけじゃない。
私の内側、まるで脳内に直接響くように聞こえてきた。
そこまでわかって、彼はようやく声の主を思い至る。
「……急にインプラントに繋ぐのはやめていただきたいね。心臓に悪い」
「理解しました。次からは予告しましょう」
冗談じゃない、そうそう何度も接続されて堪るものか。
そうアリムは口にしようとして、やめた。
『彼ら』に下手なことを言って、機嫌を損ねるわけにはいかない。
人類の天敵にして、我らの金の卵。
愛しのランバー達には。
「すいませんね、アナタ方にお力添えしてもらったにも関わらず、こんな結果になってしまって」
「質問に対する回答になってません、アリム。私はライカが攻撃を中断した理由を理解しているか否かについて聞きました」
ああ、これだ。この物言い。
アリムは『彼ら』――自らをランバーだと称する何かの受け答えを聞きながら、うんざりした気持ちになる。
彼らがこういった会話をする度、彼らがランバーだというのは間違いないだろう、とアリムは思う。
こんな、下手くそな人間の真似事のような会話など、到底ランバーのようなエイリアンでなければ無理だろう。
だが、彼はそれを決して口にしない。
まして矯正させようなどとは夢にも思わない。
自分の軽口ひとつで、ランバー共が自分たちを本気で滅ぼしに来るのかもしれないのだから、恐ろしくてできるはずがないのだ。
「さぁ、わかりません。特に中断するような要素もなかったはずだ。アナタは知ってるんですか?」
「中断すべき要素以上に、遂行すべき要素を失くしたからです」
アリムの疑問に、『彼ら』は淡々と答える。
『彼ら』は続ける。
「現在ライカが最優先保護対象としているSIG-T-28……現行パイロットがコクピットに収納されたことを確認した時点で、ライカの行動はよりパイロットの生存に重点を置いたものへと変更されたのです」
「ちょっと待ってくれ。それができないように、あの子の識別コードは弄ったはずでしょう? 他でもないアナタがそう言ったじゃあないですか」
アリムの言う通り、『何か』はライカがニッパーの生存を最優先で行動していることなど、これまでの行動パターンから既に把握していることだった。
尤も、なぜそこまで代替可能なパイロットの生存を優先目的としているのか、その理由は未だ解明できてはいないが。
兎にも角にも、ライカがそう言った行動パターンを取っている、ということは確認済みだったのだ。
無論、アリムもそのことは『何か』から聞かされていた。
だからこそ、ラヴェルへの入場チェック時ニッパーの識別コードをコピーしたうえで、そのコードを一時的に阻害するための疑似コードを付与したのだ。
ライカがアレイコム・ラヴェルに来た時点で疑似コードを起動、識別をかく乱させ、代わりにコピーしたコードを作戦の邪魔にならない場所にいる人間に付与させることで、ニッパーの行動を完全にライカから隠す算段だった。
識別コード――IDがニッパーと同一のものであるならば、ライカは、いや機械は、それをニッパーだと思うはず。
偽造前と偽造後での、モニタリングされた行動に齟齬が生じないように細工もしたのだから、なおさらなはずだ。
アリムはそう考えた。
「今回判明したことのひとつとして、ライカはSIG-T-28を、識別コードだけで判断してはいない、ということです」
「……なんだって? じゃあつまり、虹彩とか顔とか、肉体的なものでも認証していると?」
「いいえ、そう言った肉体的因子も認証が通るようハックしました。虹彩、指紋、行動、考えられるものすべて。それが通らなかった以上、違います」
「では、なぜ?」
「判明していません。我々の知らない要素が、認証に必要なのだと予想できます。パターンで判別していない可能性もあります」
そんなバカな。
アリムはそう言ってやりたい気持ちを必死に抑えた。
IDじゃなく、顔や虹彩、指紋でもなく。
パターンではない何かで、あの犬コロはパイロットを見分けているというのだ。
出来るわけがない。そうアリムは思う。
結局機械が人を判別するために使うものは、大量の01の羅列だ。
その01のパターンが1バイトでも違えば他人、合っていれば本人。
そうやって機械は人を見分けているのだ。
どんなに複雑そうに見えるものでも、機械はアナログをデジタルに変換し、パターンとして識別し、判別しているのだ。
もし、ライカが人を01の羅列ではなく、デジタルに変換するでもなく、アナログのままの人間を識別できたのだとしたら、それはもはや機械ではない。
それでは、まるで――。
「……あり得るんですか、そんなことが?」
「断定は現時点ではできません。しかしながら、SIG-T-28を処分しようとしたことがライカに発覚し、阻止されたことを鑑みたうえで、調査する必要があります」
『何か』の言葉を聞きながら、アリムは参ったとでも言うように額に手を添える。
結局今回の目論見は、謎が一つ増えただけで終わってしまった。
こちらの人的被害はほぼゼロ。
途中で犬コロが木端フェアリィの腕をもいだり、向こうの戦闘機が墜落したりしたくらいか。
一般人ならいざ知らず、フェアリィであれば腕をもがれても、ある程度の期間、集中治療すればSUでブーストした自己再生能力で元に戻すことが出来る。
そうでなくても、本物より精巧な義体パーツなんて珍しくもない。
この時代において『取り返しのつかない損害』というものを、こちらは被っていないのだ。
無理やり犬コロを接収するための交渉の材料としては、正直これではあまりに弱い。
これで相手が凡百のラヴェルの理事長なら立ち回れるかもしれないが、あの芹沢相手にはとても無理だろう。
精々、腕を失ったフェアリィに対して補償が出るくらいか。
そんなどうでもいいものを支払わせることがやっとだ。
いや、むしろあの老獪のことだ。
なんやかんやと口八丁で、墜落した戦闘機の損害を補填させるよう仕向けてくるかもしれない。
……いや、さすがにないかな。
どこか諦観のような心持になりながらも、アリムは思考を切り替えるよう努めた。
「わかりましたよ。とにかく、今回わかったことについては他の三企業にも伝えておきます。事後処理が終わってからになりますが」
「事後処理について、連絡事項がひとつ」
「なんです?」
アリムが聞くと、彼が先ほどまで見ていたホログラムの映像が切り替わった。
こんなところまで勝手にハッキングしてるのか、と彼は思う。
そうしているうちに、ホログラムには一つの画像が映った。
アレイコム・ラヴェルに所属しているフェアリィのプロファイルデータであることが、アリムにはすぐに分かった。
アイシャ・アハド。
名前の欄には、そう記載されていた。
「こちらを処分していただきたい」
と、抑揚なく『何か』は言った。
「構いませんが、一体なぜです?」
「こちらを精神コントールしている最中にライカにカウンターハック、及び攻撃されました」
「ああ、腕をもがれたのって、この子ですか」
「その際に不完全な状態で切断されたため、このハードウェアのマシン・インプラントに記憶痕跡が残っている可能性が高い」
記憶痕跡。
マシン・インプラントに挿入されるデータチップに潜在する、物理的な痕跡である。
基本的にデータチップは機械化した脳の一部であるマシン・インプラントにダイレクトに作用するものである性質上、
データチップの影響下にある脳細胞が多いと、
『何か』が精神コントールを切断する際は、この脳細胞集団を作らせないために処理をしてから切断するわけだが、アイシャの切断のみ、状況によってそれができなかったのだ。
そして、一度データチップによる脳細胞集団が出来てしまった場合は、それを分解することはできない。
該当の人間が死亡しない限りは。
「もし何らかの理由で、アイシャ・アハドのマシン・インプラントを調査された場合、我々が操っている間の記憶痕跡が残っていれば、恐らく不利益となる」
「ああ、なるほど。よくないですねえ、確かに」
「処分していただけますか?」
「無論ですよ」
実際、アリムとしてもそんな爆弾を抱えたフェアリィはとっとと処分したいところだった。
万が一でもフェアリィがランバーを操っているなんて知られたら、スキャンダルどころの話ではない。
フェアリィ一人ごみ箱い気にすることで、企業の安寧が守られるなら、タダみたいなものだ。
アリムはそう考えた。
「そちらは優先的に処分しておきます。終わり次第報告しますよ」
「了解。用件は以上となります。では」
そう言って、『彼ら』は一方的に通話を切り、アリムの脳の中から出て行った。
「……ふう、やっと終わった。アルフレッド翁はよくこんなこと、毎日できるな」
いつぞや会ったマーティネスの会長のことを考えながら、彼はグラスに残っている液体を一気に飲み干す。
薄い、ほとんど水だ。
アリムは考える。
まあ、いい。
面倒ごとは今に始まった話でもない。
早いとこ終わらせて、パブにでも行こう。
そう思いながら、彼は近くにあるキーボードを操作する。
数秒後、アイシャ・アハドの在籍記録、戦闘データ、識別コード。
その存在を証明するすべてのものは、この世から抹消された。
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