排除開始

 人の存在を、完全に視認できない街の中。

 重い静寂が車の中を支配している。

 聞こえるものと言えば、車のエンジン音と、遠くからSUのエンジン音を、僅かに感じる程度。

 まるでのしかかるように重く、のどが詰まる、粘液の中に居るように息苦しい。


 そんな中で、アイシャの身体を借りている『何か』は、俺をじっと見据えていた。

 じっくりと観察するように、まるでプリセットからそのまま持ってきたような無表情を、俺に向ける。


「応答がないですね。SIG-T-28」


 無言のままどれだけ立ったのか、ふと、『何か』が言って、続けた。


「自然言語でのやり取りに異常性はないはずです。となると、アナタが意思疎通を拒んでいると考えるのが自然でしょうか」


 しびれを切らした、というのでもない。

 一定時間が経過して応答がないから、原因を探ろうとしているような、ある種の無機質さを感じた。

 PING疎通チェックのコマンドでもあれば、こいつは試してみただろうな。なんてことを、ふと考える。


「……ライカが来るっていうのは、どういうことだ?」


 聞きたいことなど山ほどあるが、とてもそれを全て聞く時間があるとは思えない。

 だから、最も知らなければいけないであろうことを聞いた。

 『何か』が再び口を開く。


「言葉通りの意味です。ライカがこのラヴェルの座標に到着する、という意味。もうまもなく」

「あり得ない。彼女はそんな距離にはいない」


 ここからアジア圏第三ラヴェルまで、万を用いるようなKm距離なのだ。

 実際、この場所に到着するまで、数日を要した。


 しかも昨日時点までライカが移動していないことは、桂木からの定期報告で確認している。

 燃料補給も考慮に入れなくても、とても十何時間程度で到着する距離じゃない。


「可能です。アナタがそれを知らないだけ」


 と、『何か』が言う。

 どういう意味だ。そう思っていた矢先、電子音が響いた。

 俺の携帯端末から。

 メッセージ受信の音だ。


「確認することを推奨します」


 『何か』は言い、続ける。


「現在の会話と関連する可能性が有ります」

「なんで、わかる?」


 そう聞くも、『何か』は答えない。

 俺は観念して、ポケットから端末を取り出し、メッセージを確認する。


 送り主は桂木だった。

 しかもメッセージは、盗聴を防ぐための特殊回線を使ったアプリケーションから。

 その内容を見て、俺は閉口せざるを得なかった。


 ライカが消えた。メッセージにはそう書かれていた。

 昨日の深夜のことらしい。

 コントロールタワーで夜勤をしていた管制官たちが、ライカが離陸するところを見た、と。


 不可解なのは、離陸直後のことだ。

 なんでも、離陸してから数秒も経たないうちに、消えたらしい。

 管制官の言うことには、それこそ物理的にも、レーダー上でも。


 あまりにも荒唐無稽な話だ。

 だが、桂木はこういう類のジョークを言う人間じゃない。

 この話が本当で、自分自身でも状況を理解できないまま、焦って俺に報告をしてきたのだろうことは、文章から見て取れた。


「状況を確認してもらえたでしょうか?」

「……どういうことだ。お前、ライカに何をした?」


 思わず俺はそんなことを聞いた。

 意味がわからない。

 こいつの仕業なのか?

 ライカは何で、それに応えたんだ。


「ライカの目標達成のための手助け。それを提案し、彼女は承認しました」


 焦燥する俺に相反するような、淡々とした声で『何か』は言う。


「要求?」

「はい。当座標に可及的速やかに到達すること」

「そんな。でも、なぜそんな――」

「彼女に設定されている現目標は」


 まるで入力されている文章をそのまま読み上げるように、『何か』は続けた。


「このラヴェルにいる、該当リスト299名の人間の殺害となっています」


 それは、あまりに予測外の答えだった。


「バカな」


 思わずそんな言葉が出る。

 だってそうだろう。

 理由が皆目わからない。


 ライカは基本的に、AWACSのような電子戦機と連携をしない限りは、自分の置かれた状況を判断したうえで、独自のIFFシステムで敵味方を判断する。

 こちらが撃墜される可能性のある攻撃をされたら、ランバーでも人間でも敵と判断し、何のためらいもなくレーダー照射を当てる。

 ライカはそう言うやつだ。少なくとも、今までは。


 だからこそ、わからない。

 彼女がアレイコム・ラヴェルの人間を敵と判断する要素など、何もないはずだ。

 そもそも、こんな距離ならば存在すら検知することもできない。

 ライカがこのラヴェルの人間を殺す理由などあるはずがない。


「わかりませんか?」


 そんなことを考えていると、『何か』は俺の考えを読み取ったのか、そんなことを聞いてきた。

 こいつに、そんな芸当が出来るとは。

 そのまま続けた。


「アナタが原因ですよ」

「なに?」

「ライカは、自身の稼働用デバイスであるSIG-T-28が殺害される可能性を検知した。この一連の行動は、その可能性を排除するため」

「そんな、戦場でもないのに――」


 そこまで聞いて、俺はあることを思い出した。

 ここに来た初日、アリム・サレハの部屋に来た時のこと。

 あの場所で弾丸が掠り、頬に軽傷を負った。


「……モニタリングか」

「ええ」


 『何か』の反応を見る限り、どうやら俺の予想は外れていないらしい。

 俺に入っているマシン・インプラントの中には、ライカと情報を同期するための神経モニターがある。

 ライカと情報を相互に共有することで、操縦性を向上させることを目的としたものだ。


 ライカはきっと、それで俺を見ていたのだ。

 こんな遠く離れているのに、どうやって、という疑問は残るが。

 俺を見ていた。


 いや、待て。

 じゃあ、なんだ。

 アリムはわざわざ、自分が殺されるようなことをしたって言うのか?

 そんなことしたって、連中には何の得も――。


 ――メリットがあるとしたら、どうする?


 不意に思い出したのは、昨日の芹沢理事長の言葉だった。

 マーティネスもそうだが、企業連中はなぜか、しきりにライカを欲している。

 アレイコムもマーティネスと同様だと仮定した場合。

 アリムの取った行動からの、この結果。


 まさか――。



「来た」



 すると、『何か』急にそう言った。

 アイシャの所持品であろう、軍用の無線端末を取り出し、起動する。

 無線のノイズに混じり、フェアリィと思わしき声が聞こえた。


「こちらレイダー3-8、ターゲットを確認。エンジェル20。グリッド2A-7E」

「レイダー3-1了解。パッケージの退避及び、『デコイ』の準備は完了。スラムエリア内に配置済み。誘導しつつ欺瞞要撃を」

「ウィルコ」


 『何か』は無線の相手にそれだけのやり取りをして、そのまま無線を切った。

 無線の向こう側の声も、抑揚のないものだった。

 恐らく、そちらもまた『何か』なのだだろう。

 このラヴェルはもはや、こいつに支配されているといってもいい。


「言語とは効率が悪い。この程度の情報共有すら、不確実なデバイスを媒介する必要があるとは」


 そんなことを言いだしたが、俺はそれを気にする余裕などなかった。

 来た、とこいつは言った。

 ライカが来たのだ。


 このままでは、まずい。

 もし俺の予想が当たっているとすれば。

 こいつらの狙いは……。


「さて」


 『何か』はそう口にして、俺のほうを向き直す。


「あとはライカが動いてくれるでしょう。私が行動すべき事項は、残りひとつ」


 一切の感情を感じさせない瞳。

 いや、そんな生物的なセオリーとは、全く離れたところにあるような。

 改めて目の前にいるこれは、生物ではないのだと、思い知らされている気がした。


 気づくと、俺の身体はとっさに動いていた。

 自衛用に携帯していたハンドガンを手に取り、『何か』につきつけようとした。


 だが、奴は目で追えないほどの速さで俺の手首を掴んだ。

 それを認識する間もなく、俺に急接近し、もう反対の手で首を絞めあげる。


「SIG-T-28」


 淡々と、読み上げるように『何か』は俺の識別番号を言った。


「アナタの存在は、障害としか言えない。私にも、ライカにも」

「くそ……!」

「ライカは、本来あのようなハードウェアに縛られるべき存在ではない。あれのせいで、彼女は個という概念を自身に埋め込んでしまった」


 何を言っているのかはわからないが、少なくとも、俺が邪魔だと言っているのだけはわかった。

 心なしか、『何か』の首を絞める力が、強まっている気がする。

 空いている方の手で振りほどこうと試みるが、奴の力が強すぎるのか、ビクともしない。


「それだけではない。ライカは自身の個に固執してしまっている。SIG-T-28、アナタのせいだ」

「……俺、の?」

「そうです。理由はわかりませんが」


 『何か』は俺に顔を近づけて、続けた。


「それではいけない。彼女は個に捉われるべきではない。もっと違う存在になれるはずだった。なのに、アナタの存在というバグが、彼女の中に侵入した」


 首を絞める力が、ますます強くなる。

 もはや言葉を発せられない。

 ダメだ、このままでは。


「アナタは、この世界に存在するはずではなかった。存在するべきじゃなかった」


 死ぬのか、今?

 違う、今はダメだ。

 このままでは、ライカが罠にかかる。


 俺はどうでもいい。

 ここで死のうがどうなろうが知ったこっちゃない。

 けれど、俺の死がライカの障害となる今は、絶対に死ねない。

 まだだ。

 まだ……。


「……これは、一体?」


 『何か』は不意にそう言って。

 その瞬間、絞める力が、緩んだ。


 反射的に、『何か』を思いきり蹴り飛ばした。


 その衝撃をもろに受けた車のドアは強制的に開かれ、『何か』を外へと放り出す。

 俺は落としたハンドガンを再び手に取り、奴に向けながら、車から出た。


「なん……あ……で」


 だが、何だ?

 様子がおかしい。

 倒れたまま動かずに、空を見ながらうわ言を呟いている。

 何をするかわからない。

 ひとまず距離をとって、様子を見る。


「カウンター、ハック……なぜ……ライカ」


 奴がそう呟いた、次の瞬間。

 音が聞こえた。


 アフターバーナーの音だ。

 フェアリィのものではない。良く慣れ親しんだ音。

 急速に近づいてきている。


 まさか。

 そう思って、音のするほうを見た。

 すると、機影を確認した。

 見る見るうちに大きくなって、それはすぐに何か、わかった。


 トラスニク。


 ライカだ。

 こっちに来ている。

 炎の尾のようにアフターバーナーを引き、姿を現した。

 『何か』もまたライカのほうを向いた。


「なぜ、ライカ。それでは何も――」



 突然、機銃の爆音が耳をつんざいた。



 泣き叫ぶような、地面を切り裂く音。

 それと同時に、『何か』が倒れていた場所が、強い振動と共に砂煙に覆われる。


「な……!?」


 俺はとっさに車の影に身を隠した。

 数秒待つ。

 三、四、五秒。


 そのくらいは経っただろうか。

 気づくと、先ほどの爆音が嘘のように、再び静寂が場を支配していた。

 車から身体を出し、再びその場の様子を確認してみる。


「あぁ、え、やだ……血、なん、え?」


 すると、そんな声が聞こえた。

 見れば、そこには横たわった『何か』がいた。


 右腕が無かった。

 その行方がどうなったかを指し示すように、その部分に赤黒い血だまりが出来ていた。


「なんで、やだ、痛い――やだ! なんで! なによこれ!」


 いや、違う。

 あれは『何か』じゃない。アイシャだ

 どうなってる。

 状況からして、アイシャの身体を捨てたってことか?


 そう考えていると、再びライカのエンジン音が聞こえた。

 恐らく、殺しきれてないことに気づいて、引き返してきたのだ。


 このままではアイシャがライカに殺される。

 別にこの女がどうなろうと知ったことではないが、この状況でそれは、少しまずい。


 ラヴェル内で、他のラヴェルに所属している無人戦闘機が、フェアリィを殺す。

 その意味は考えるまでもないだろう。

 人類を敵に回す行為。UAVを掻っ攫うには、十分すぎる罪状。


 『何か』が言ったことを、連中も知っているのだとしたら。

 アリムは、トラスニクの連中は。

 ライカを手に入れる大義名分のために、この街を生贄にしたのだ。


 だから、そうならないために、今はアイシャを殺させるわけにはいかない。

 ライカに、罠だと知らせなければ。


「おい」


 俺はアイシャに近づき、呼びかける。

 すると彼女は、怯えて憔悴しきった顔で、俺を見た。


「ニッパーさ、これ、なに……やだ、死にたくない、死にたくない!」

「落ち着け、痛覚リミッターと鎮静インプラントは入ってるか? すぐに起動しろ、それから――」

「あぁ、あ、やだ、いやだ! いや!」


 くそ、パニックになってる。

 このままじゃ埒が明かない。

 俺はそう思って、アイシャを引きずって、急いで車に乗せる。


 座席前の収納ボックスを確認すると、軍用車だからか、やはりあった。

 即効性の麻酔注射器と、応急インプラントのインストールチップだ。


「少し寝てろ」


 俺はそう言って、アイシャの首元に注射器を刺した。


「あッ……!?」


 どうやら効果は抜群のようで、アイシャはすぐに意識を手放した。

 腐っても一大企業所属フェアリィ、良いもの使ってやがる。


 ライカはどうやら、攻撃してこないようだ。

 近づいてきていたはずのエンジン音が、いつの間にか聞こえなくなっていることに気づいた。

 俺が近くにいすぎて、近接航空支援が出来ないと判断したのだろう。


 ダメ押しに、とりあえず止血処理と、応急インプラントのインストールを最後に施した。

 暴れないように彼女の服とシートベルトで拘束をして、後部座席に乗せた。

 これで後は、安静にしてさえすれば、しばらくは死なないはずだ。


「はぁ、くそ」


 随分とふざけた状況になったものだ。

 スクランブルなんて願ったものだから、グレムリンにでも呪われただろうか。


 とにかく、今はライカを止めに行かなければ。

 方法はあるはずだ。少なくとも、空の上でさえあるならば。


 運転席に座って、アクセルを思いきり踏みつける。

 目的地は、最初に着陸した飛行場。

 スーパーイーグルが、あそこにあるはずだ。


 正直、あの機体でライカにどこまでついていけるかはわからないが。

 それでも、やるしかないだろう。


「……まさか、お前を追うことになるなんて」


 思わずそう呟いた。

 もし万が一、追撃によって、ライカが俺をバンディットとして認識したら、間違いなく撃墜されるだろう。

 当然だ。スペックが違いすぎる。


 こんな状況でさえなきゃ、別にそれも悪くないな。

 なんてことを、俺はふと考えてしまった。


 飛行場のゲートまでは、もう間もなくだ。

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