セカンド・コンタクト

 街の散策から帰った俺と天神は、早々にそれぞれの部屋へと入り床に就いた。

 それはいいものの、その日は何故か、妙に寝付けなかった。

 三十分ごとに眠っては覚醒を繰り返し、まともに休めやしない。


 考えるべきことが多いからか、それとも昨日も今日も明日もコクピットに入れない予定に気が滅入り、フラストレーションでも溜まっているのか。

 原因はいろいろ考えられるが、まあ、それは今問題じゃない。

 問題にすべきなのは、俺がこういった状態を解決する方法を、確立できていないということだ。


「クソ」


 のそりと上半身だけを起こし、思わずそう呟いた。

 寝不足だ。あまりいいコンディションとは言えない。


 ゆっくりとベッドから起き上がり、閉めていたカーテンを開ける。

 どうやらここは海辺に建っているホテルのようで、窓から水平線を拝むことができる。

 東の付近の空が、ぼんやりとしたオレンジ色になっているのが見える。

 まだ陽も顔を出してないような時間らしい。


「……ん?」


 ふと窓の下に目を向けると、一人、誰かが砂浜に佇んでいるのが見えた。

 まだ薄暗いはずの世界で、まるで光っているように目立つ、白金のような長い髪が小さく揺れている。


 あんな見た目をしている奴は何人もいないから、すぐわかる。

 天神だ。

 こんな時間に、海辺を散歩でもしているのだろうか。


 ふと、俺もそうしてみようか、という気持ちになった。

 このまま再び床に就いても、ろくに寝れないことは目に見えている。

 一旦、別のことで思考を切り替えたほうが、コンディションの改善につながるかもしれない。

 気分転換、というやつだ。


 とりあえず、ものは試しだ。

 俺はそう思いながら、ラフな服を着て、靴を履いてから、外に出るためドアを開けた。





 ホテルから出て、先程窓から見た砂浜に足を運ぶ。

 時間帯故のことなのか、寄せては返す波の音以外は何も聞こえない。

 こういう状況を静謐、と呼ぶのだろうか。わからないが。


 砂を踏みつける足音すら、波音に隠される。

 足を取られないように、ゆっくりと歩いた。


 この砂浜は、ホテルが占有しているものなのだろうか。

 部屋の窓から見た時よりも、幾分か小さく感じる。


 そんなことを考えて歩いていると、見つけた。

 窓からも見えた、光るような白い髪。天神だ。

 砂浜をじいっと見つめるように、顔を少し俯かせている。


 もう少し近づくと、気づいたのだろう。

 彼女の顔は俺のほうに向いた。

 少し焦っていたような感じがしたのは、何故なのか。


「ニッパー?」


 俺を呼ぶ天神の顔は、予想とは外れていた。

 目を腫らせ、頬には涙の跡があった。


「……寝付けなくてな」


 どうした? と聞くべきなのだろうか。

 わからない。ただ、違うような気がした。

 この顔は、いや今この場所は、彼女だけの領域だったのかもしれない。

 俺はそこに、踏み込んでしまったのだ。

 天神の涙の痕を見ると、そんな気がしてならなかった。


「すまない」

「……何が?」

「何って……いや、そうだな、なんだろう」


 天神の疑問に、俺はまともに答えられなかった。

 何がすまないのだろうか。

 何を思って、俺は謝罪したのだろう。


「何かの邪魔をした気がしたんだ。だから」

「……意外ね、アナタってそんな気遣いが出来るんだ」

「とにかく、失礼したな。じゃあ」


 そう言って、俺は踵を返して、その場から去ろうとした。

 この場にいると、彼女の触れてはならない領域を侵してしまうような、そんな気がしたから。


 すると、片腕に、謎の感触があった。

 何かと思い、腕のほうを見る。

 すると、天神に袖を引っ張られていることがわかった。


「あ……」


 無意識だったのか、天神は消え入るような、そんな声を出した。

 何か言いたげだったが、言いにくいのか、彼女は押し黙ってしまう。

 そんな時間が、数秒。


「ごめんなさい。なんでも、ないから」


 彼女は裾を握る手を放し、目を逸らした。


「……何でもないようには、見えないが」


 そんなことを天神に言ってしまう。

 なんでもないなら、あのまま俺がその場を離れるのを、黙って放っておけばよかったんじゃないか。

 わざわざ引き留めたということは、何か俺に要求があるのではないか。

 そう考えたから。


「言った方が、いい?」


 と、天神が不安そうに聞いてくる。


「どうだろうな。アンタが決めてくれ」

「……ズルいわね。アナタって、結構」


 すると、天神はそっぽを向いたまま、そんなことを言ってきた。

 彼女は続ける。


「どうして、よりによってこんなタイミングで会うのかしら。この時間なら、大丈夫だと思ったのに」

「言ったろう、寝付けなかったんだ」

「そういう意味じゃない」

「なら、どういう意味なんだ?」

「わからない、自分でも」


 そんなこともあるのか。難儀なものだ。

 そう思っていると、彼女は続けた。


「……本当に、何でもないの。夢見が悪かっただけ」

「夢?」

「うん。昔の夢」


 そう言いながら、天神は顔を海のほうに向ける。

 その目は、水平線の向こう側。

 陽が出る前の空へと向けられていた。


「座ったら?」


 彼女に勧められるまま、俺は隣に座った。

 まだ熱を吸っていない砂は、ひんやりと冷たい。


「子供のころの、まだお母さんと一緒にいたときの夢。それを見ただけ」


 天神はどこか寂しそうに呟く。

 俺はふと、アリムの言ったことを思い出した。


 ――やっぱり、お母さんを思い出すから、忍びないかな?


 あれはどういう意味だったのだろう。

 彼の口ぶりと、あの時の天神の態度から察するに、母親に何かあったのだろうか。


「ニッパー」


 天神は視線を水平線に向けたまま、俺を呼んだ。


「アナタのお父さんお母さんって、どんな人だった?」


 と、彼女はそんなことを聞いてきた。

 その質問にどんな意図があるのかはわからない。


「……どんなだったかな。あまり、覚えてない」


 実際のところ、俺は両親のことがあまり記憶にない。

 顔すらもろくに思い出せない。

 きっと、両親の写真を見たとしても、気づけないだろうくらいには。


 そもそもにして、研究所に来る前となると、もう十年弱は経っている。

 覚えていることと言ったら、彼らに殴られたときのためのやり過ごし方と、機嫌の取り方。

 基本的には、家の中で攻撃されないために、安全策を考えながら過ごしていたことが、大部分な気がする。


 ……いや、そういえば、それ以外のことも覚えてないこともない。

 母親が俺をひとしきり殴った後、我に返ったように泣いて謝りながら、殴ってできた傷に絆創膏を貼ってくれたことがある。

 そのくらいか。


「そうだな……もうだいぶ昔のことだからさ。俺にとっては、研究所のやつらが親みたいなもんだ」


 数少ない覚えていることを、俺は天神に伝えなかった。

 わざわざ話すようなことでもないと思ったから。

 すると、彼女は俺のほうを向いて、言った。


「実験体として売られたとき、悲しくはなかったの?」


 彼女は何かに堪えているような顔をしていた。

 なぜ、そんな表情をするのだろうか。


「悲しいって、何故?」

「え?」


 聞くと、彼女はそんな声を出す。

 それこそ、なんでそんなことをわざわざ聞くのか、とでも言うように。


「だって、そうじゃない。愛してくれてたはずだったのに、売るなんて」

「自分たちが生き抜く方法を探した結果だ。それ以上も以下もない」

「でも、だって……」

「それに、愛されたかどうかなんて、わからない。もはや確かめようもないしな」


 もっとも、それを確かめたいとも思わない。

 有ったにしろ無かったにしろ、何かが変わるわけじゃない。

 もはや使用されない変数だ。

 確認するだけ無駄だろう。


「愛されてたに決まってる!」


 すると、天神は突然、張り詰めた声で言った。

 その表情は何だか焦っているようだった。

 彼女は続ける。


「子供を愛さない親なんているわけない! どんなに酷いことをされても、どんなに放っておかれても、ちゃんと理由がある!」


 彼女はまるで堰を切ったように話し始める。

 少し息が上がっている。


「落ち着け、天神。どうし――」

「はたから見たらどんなに理不尽なことでも、ちゃんと親には考えがある! どんな親でも、心の中では子供を大切に思っているに決まってる!」


 その姿は、作戦時の天神とはあまりにかけ離れていた。

 まるで、駄々をこねている子供のようだ。


 俺の言葉に憤ったのだろうか。

 いや、違う。

 彼女は震えている。

 怯えているのだ。

 俺の言葉を否定しなければいけないと、自分を脅迫しているような。


「だって――」


 そうだ、これは。

 自分に、必死に言い聞かせているような。


「だって、そうじゃなかったら、ママはッ……!」



 彼女の言葉は、しかしそれよりも大きな音に遮られた。

 突如、けたたましいサイレンの音が鳴り響く。


「なんだ……?」


 思わずそう呟くと、天神は立ち上がり、空を睨む。

 さっきまでの弱弱しい雰囲気を押し殺し、戦闘態勢へと移行していた。


「ひょっとして、空襲警報……!?」


 天神は誰にでもなく、上を向いて言った。

 もし彼女の言う通りだとしたら、それはすなわち、敵が――ランバーが来たということに他ならない。


 すると、間髪を入れずに、二人共の携帯端末が鳴り響く。

 送り主はアイシャから。

 着信IDは、前に教えられたプライベートなものではなく、一斉送信ができる、緊急連絡用のやつだ。

 つまり間違いなく、このサイレンと関係がある、ということだろう。


「スピーカーにして出て」


 天神も同じこと思ったのだろう。彼女は俺にそう指示してきた。

 スピーカーモードに切り替えて、俺たちは同時に通信に出た。


「こちらアイシャです! 二人とも起きてます!?」

「状況を教えて」

「敵襲です! ランバーが来ました、ボギー1機、機種は不明!」

「不明?」


 アイシャの言葉に、天神はそう聞き返した。

 当然の反応だろう。

 こんなサイレンがなるほど近くに来ているというのに、機種すらわからないというのは、一体どういうことなのか。


「レーダーで判断できないの?」

「わかりません、ノイズがどうとかで……とにかく、あと十分もしないうちにラヴェルに侵入します! すいませんが、迎撃を手伝ってください!」

「……了解。私のSUは?」

「言われた通り、武器ごとホテルのガレージに格納してありますよ。それで出撃を」


 アイシャの言葉を聞く限り、どうやら天神は万一に備えて、このホテルに自分のSUを持ってこさせたらしい。

 SUはその性質故に、非常にコンパクトだ。

 さすがに専門的な整備は無理でも、短い期間であれば、車一台分のスペースに格納し、ホットスタンバイで待機させることが出来る。


「了解。離陸後は?」

「すでに向かってるフェアリィ隊の、エルモア小隊から指示を受けてください。無線コード2-9-L-K-P、そちらのコールサインはエルモア2-7」

「エルモア2-7了解、離陸後は同隊の指揮下に入る」

「ニッパーさん、アナタもエースパイロットなんですよね?」


 ひとしきり天神に指示をし終えたアイシャは、今度は俺にそう聞いてきた。


「申し訳ないですが、アナタにも飛んでもらいますよ。猫の手も借りたい状況ですからね」

「了解した」

「さすがに戦闘機は持ってこれないんで、すぐに迎えに行きます。ホテルの入り口で待機を」


 では――その言葉を最後に、アイシャは通信を切った。

 ……まさか昨日の今日で、言ったことが本当になるとは思わなかった。

 スクランブル。


「気を付けて、ニッパー」


 と、そこか心配そうな顔をして、天神は俺に言った。


「ラヴェルの近くまでランバーが来るなんて、滅多にあることじゃないわ。相当練度が高い敵かもしれない。ただでさえライカに乗れない状況よ。自分の生存を最優先に考えて」

「了解。アンタも気を付けて」


 そう言うと、彼女は頷いて、ホテルのガレージへと走りだす。


「ニッパー!」


 すると、彼女は顔をこちらに向けて、言った。


「幸運を」

「……幸運を」


 俺の返事を聞くと、天神は顔を前に向き直し、そのまま走っていった。

 こちらも急いで指定の場所に向かわなければ。

 そう思い、俺はアイシャに送られた迎えの場所へと、走り出した。

 気が付くと、太陽はもう水平線の向こうから、顔を出していた。





「ニッパーさん!」


 指定の場所に着くと、ちょうどアイシャも来ていたらしく、ジープの運転席から顔を出す彼女の姿があった。


「助手席に乗ってください!」


 彼女の指示に従い、助手席に座る。

 それを確認すると、アイシャは大急ぎでジープを発進させた。


「状況は?」

「いやあ、きついですね。うちの連中はハッキリ言って練度低いから……」


 アイシャはそう言いながらも、どこかあっけからんとしていた。

 天神の言う通り、ランバーがラヴェルにまで来ることは滅多にないという。

 まだこの状況に現実感がないのか。はたまた別の理由か。


 ジープは猛スピードで街を駆け抜ける。

 ホテルがあった場所を起点に、アレイコムの商業エリア、娯楽エリア。

 そして、軍事基地へと。



「……なんだ?」



 だが、だ。

 何か、違和感があった。

 そうだ、違和感。

 昨日まではなかった、街の違うところ。


「どうしました?」


 すると、アイシャはそう聞いてきた。

 先ほどとは打って変わって、落ち着き払ったような声。

 初めて会った時と、寸分たがわないトーン。

 そこで初めて、違和感の言語化が出来た。


「なんで、街に誰もいないんだ?」


 そうだ、さっきから車で走ってきた場所に、人の影が全くなかった。

 歩いている人間はおろか、走っている車もない。

 早朝の時間帯とは言え、あのサイレンが鳴って、騒動のひとつも起きていないとは、あまりに不自然だ。


「……もう避難したんですよ、きっと」


 と、アイシャ。


「サイレンが鳴ってまだ五分も経ってないぞ。そんなすぐに避難が完了できるものなのか?」


 俺はそう言いながら、アイシャのほうを見る。

 すると、突然車が止まる。

 アイシャは俺に顔を向けた。


 普段の、あの貼り付けたような笑顔が、そこにはあった。

 昨日と同じ、まるでコピーしたように、全てが同じ表情。


「動悸が早くなっていますよ。異常ですか?」


 表情を全く変えないまま、アイシャは――『こいつ』は言った。

 そうだ、俺は覚えている。

 この違和感を、この不自然さを。


 あの日、ブラックフットの街の中で。

 この違和感を感じたことを、鮮明に思い出した。


「……会うのは、これで二回目か?」

「その表現は正確ではありません」


 まるで俺の質問など予測していたかのように、『こいつ』は淀みなく答えた。

 そのまま続ける。


「私はあなた方のように一つのハードウェアで完結してるわけではありません。故にその性質上、個という概念は当て嵌められない。それを踏まえると――」


 『こいつ』はまるで切り替えたかのように、急に無表情になる。


「私があなたを認識したことが、これで二回目ということになるでしょう」


 前と口調が違う。アイシャの言葉遣いを学習したのだろうか。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 どれだけ言葉遣いを変えようとも、すぐにわかる。


「ライカの障害として」


 全く抑揚なく、『こいつ』はそう答えた。

 ブラックフットの時に遭遇した、無線の主。

 まさか、人間を乗っ取ることが出来るっていうのか。


「……もうすぐ、ライカが来ます」

「なんだと?」

「少し話しましょうか、SIG-T-28」


 そう言って、『こいつ』は無表情のまま、俺をじっと見据えた。

 ライカがハンガーから消えたと、慌てた桂木から連絡が来たのは、それから間もなくのことだ。

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