夜の向こうへ
日がだいぶ西に傾いた頃の時間帯。
俺たちはレストランで食事を済ませてあと、腹ごなしがてらに街を散策していた。
街の様子を報告しなければいけないし、何より少し、気分転換がしたい――という天神の提案が発端だった。
空港からホテルまでは、成金趣味を絵にかいたような雰囲気だったが、そこから離れたここは、違う顔をしていた。
整然としておらず、雑多で人が多く、入り組んでいる。
ガソリンと砂の熱気と、潮風が混ざったような、そんな匂いが漂っていた。
少なくともアイシャに乗せてもらった車の中や、アリムのビルの中よりかは、幾分か過ごしやすい。
ひとしきり歩いた後、俺たちは近くにあった喫茶店に入った。
二人ともコーヒーを選んで、それはすぐに来た。
湯気につられて窓の外を見ると、街はすっかり夕方と言っていいほど、日が落ちている。
店内の明かりが、外より目立つほど窓に反射している。
青紫が空を覆う、黄昏時。
「……悔しいけど、美味しい」
天神がコーヒーを傾けて、そんなことを言った。
コーヒーの良し悪しなんぞ俺にはさっぱりだが、彼女は気に入ったようだ。
「悔しいって、何がだ?」
俺はふとそんなことを聞いた。
「別に、深い意味はないけれど……ただ、あんな酷いことがあって嫌いになってた街なのに、なんて思ったら、釈然としないというか」
「ふむ」
「コーヒーに罪がないのは、わかってるんだけどね。我ながら身勝手だわ」
そう言って、天神は自嘲するように、コーヒーに目を向けて微笑んだ。
坊主憎ければなんとやら、というやつだろうか。じゃなきゃハロー効果。
人間がネガティブな感情を持つ対象に対して、それに関連するものまで同じ感情を持つようになるという現象。
嫌いなものの周りも一緒に嫌いになったほうが、精神衛生上良いらしい、というのを、昔本で見た気がする。
別に、天神が身勝手だとは思わない。
人間の性質として、そう言ったバイアスがかかるようにできているのだから。
むしろエラーが出ていない、正常動作が確認できていると、評価すべきではないだろうか。
「いいんじゃないか? 人間の性質がそうなんだから。バグってないんなら結構なことだろう」
「……いつも気になっていたんだけど、ニッパーがそういう口ぶりで話すときって、フォローしてくれてるってことでいいのよね?」
「どうだろう」
「自分のことでしょうに」
天神は呆れたような顔をして、しかし俺に向けて笑ってみせた。
しょうがない、と言ったような感じだ。
「まあでも、ありがとう」
彼女はそう呟いて、コーヒーを口に運んだ。
「お気に召したみたいで、何よりです」
と、いきなり席の横からそんな声が聞こえた。
聞き覚えのある声だった。
声がした方向を見る。
声の主は予想した通りだったようで、そこにはアイシャがいた。
「……なんでここにいるのかしら?」
先ほどの表情から一転して、天神は急激に不機嫌な顔をした。
アイシャはそれを意に介する様子もなく、相も変わらず貼り付けたような笑顔をしている。
「偶然ですよ、偶然」
「そう。まあ、私たちはこれを飲んだらすぐ帰るから、ご自由に」
「つれないですねえ。どうせ帰ったら寝るだけでしょう? ねえ、ニッパーさん」
そう言って、アイシャは表情を変えずに、俺のほうを見る。
「……差し支えなければ、教えて欲しいんだが」
「はいはい、なんです?」
「アンタは俺たちに必要以上に接触してくるが、それは理事長にそう命令されたからか?」
そう聞くと、アイシャは動かず、沈黙した。
回答に困っているのか、数秒の間、それが続く。
「どう思います?」
「なに?」
「あはは、冗談ですよ。理事長なんて偉い人が、私みたいな有象無象にどうこう言うわけないじゃないですか」
あっけからんとアイシャはそう答えた。
少し考えた末の回答としては、妙にあっさりしている。
その言葉が本当なのかは怪しいところだが。
そう思っていると、彼女はそのまま続ける。
「ニッパーさんがカッコいいから、おっさん相手よりもテンション上がるってだけですよ。メッセージの返信くれないのは、マイナスですけど」
どうやらブロックはされた側には見えないらしい。
俺は昼に天神にユーザーブロックをされたのを思い出しながら、そんなことを考えた。
「いい加減にして。一度断ったんだから、諦めなさい」
「天神さんには聞いてないんですけどねー」
眉間にしわを寄せて言ってくる天神に対して、アイシャはそれに目を合わせようともせず、つっけんどんにそう言った。
天神がアイシャに敵対的なのはおおよそ気づいてはいたが、どうやらそれはアイシャも同じようだ。
「で、どうです、ニッパーさん?」
「昼にもいったが、アンタを買う気はない。他をあたってくれ」
「えー冷たーい。そんなこと言わずに」
そう言って、彼女は俺の身体に手を回し、頭を肩に乗っけてきた。
香水の匂いが鼻につく。
「ちょっと、こんな場所で」
見ていた天神が、焦るように制止してくる。
とは言え、その言葉とは裏腹に、周囲は俺たちを気にも留めていなかった。
この街では、こういうことが日常的に行われているのだろう。
そんなことを考えていると、アイシャが耳元で囁いてきた。
「どんな服でも着ますし、どんなリクエストにも応えます。サービスしますよ?」
「何度も言うが――」
「……有性生物らしく、生殖本能に従うべきです」
そう宣いながら、アイシャは俺の頬に手を添えてくる。
本当に、なぜここまで固執するのか。
単に金稼ぎだというなら、俺より都合のいい客などいくらでもいるだろうに。
「よせ」
俺は彼女の腕を払いのけた。
ほとんど力は入れていなかったみたいで、少し押しのけるだけで、彼女は俺から離れた。
「ダメですかぁ?」
「再三言った通り、遠慮させてもらう」
言うと、アイシャは唇を尖がらせて、拗ねたような顔をした。
それが本心なのか、対外的にそうしているだけかはわからないが。
「帰ってちょうだい」
すると、天神は低い声でそう言った。
圧を感じさせる口調だ。
文としては要望だが、ほとんど命令と取っていいくらいのトーンだった。
彼女は続ける。
「アナタが交流会の担当者だとしても、うちの人間との不要な接触は控えてもらう」
「わぁ、怖い。そんなに怒ることでもないじゃないですか」
「私は彼の監督責任者よ。規律を乱すような行動を見逃すと思う?」
「……はぁ、わかりましたよ。えぇ、わかりました」
天神の詰めるような言葉に、アイシャは手をひらひらと動かしながら、生返事をした。
「男を取られるのが気に食わないってだけのことを、よくもまあそんなに理屈を並べ立てられ――」
「なに?」
「いえいえ……わかりました。退散しますよ、はいはい」
アイシャは捨て台詞のように天神に言い、踵を返す。
ようやく、諦めてくれたようだ。
「……有性生物らしくっていうなら、他に適任がいくらでもいる。そいつらを相手にしてくれ」
「え?」
すると、彼女はこちらを振り向いた。
先ほどからの貼り付けたような笑顔じゃなく、頭に疑問符を浮かべているような表情。
「なんです、それ?」
アイシャはそんなことを聞いてきた。
「何って、アンタ言ったじゃないか。有性生物らしく本能に……て」
「え、私そんなこと、言いました?」
どうやら本当に心当たりがないようで、アイシャは首を傾げる。
しらを切るつもりだろうか。
いや、それにしたって、こんなことで嘘を吐く理由がない。
無意識に言っていたのだろうか?
そういったことはないこともない……とは聞くが。
「……いや、何でもない。忘れてくれ」
「ふぅん……? まあいいです。どうにしても、明日また会うんですから」
それじゃあ、また――アイシャはそう言って、その場を後にした。
「どうしたのかしら、彼女?」
天神もどうやら俺と同じ疑問を持っていたようだ。
先ほどの不機嫌な顔は鳴りを潜め、毒気が抜かれたような顔をしていた。
「さあな」
「はぁ……また明日もあると思ったら、憂鬱ね」
「いっそ、スクランブルでも起こってくれりゃいいんだが」
天神の意見には、俺も正直同意見で、だから思わずそんなことを言ってしまった。
だって、そうだろう?
またこの街を歩き回って、何を考えているかわからない連中とおしゃべりすると考えたら、堪ったものではない。
戦闘だったら機体接触すら気にしなければいけないくらいの距離なのに、ボギーのまま、敵かどうかもわからない。
地上は、本当にややこしくて不便だ。
敵味方を識別するIFFもない。誰がどこにいるかを教えてくれるレーダーもない。
敵を見つけたとしても、攻撃して堕とせばいいわけじゃない。
晴れているのに、霧の中に居るような気分だ。
空の上は、シンプルだ。
レーダー照射を当ててくるやつが敵で、そいつらを狙って撃てばいい。
そうしていれば、いずれ、自分が堕とされる番がくる。
それが全てだ。
それ以外要らない。
「そんなこと、言うもんじゃないわよ」
すると、天神が窘めるように、俺にそう言ってきた。
まあ、その通りだ。
この場所にランバーが襲ってくればいい、なんて言ってるようなもんなのだから。
フェアリィである天神であれば、当然の反応だ。
「そうだな、失言だった。すまない」
「……別に。私も気持ちはわかるから」
そう言って、彼女は残っていたコーヒーを飲み干した。
「行きましょうか。明日も早いし」
天神が席を立つのに倣って、俺も立ち上がる。
こちらのカップは、既に空っぽだった。
会計をしてみせを出ると、外はもうすっかり暗くなっていた。
周りの店先の灯が光源としての役割をして、それに伴うように、空は何も見えない闇に包まれている。
何も見えない。星も。月も。衛星も。
空に何が飛んでいても、周りの喧騒に紛れて、きっと何も聞こえやしないだろう。
今この瞬間、レーダーを掻い潜った攻撃機が爆撃でもしたら、俺たちはなすすべなく死ぬんだろうな。
なんてことを考えてしまう。
こんなに明るいのに、視界が真っ暗になったような、そんな錯覚を覚えた。
「どうしたの、ニッパー?」
と、天神。
「いや、空が真っ暗だなと、思って」
「え……そりゃまあ、夜だもの」
「……そうだな」
そう返答すると、彼女は何のことやらわからないといったように、首をもたげる。
それを見て、確信した。
彼女は、地上でも『見える』のだろう。
視界の話ではなく、他人との関係性が、という意味で。
IFFが無くても、誰が敵か味方かを判断できる。
レーダーが無くても、敵や味方を判断できる。
堕として殺す以外にも、他人に対する接し方を、彼女は知っている。
だから彼女は見えるのだ。
アイシャが自分にとって敵だということも。
そしておそらく、アイシャからもそう思われていることを、知っている。
機械の判定ではなく、人間の一般的な機能として、そうジャッジできるのだ。
だから、空が真っ暗でも、何も思わない。
その必要がないから。
直感としてわかっているのだろう、この場所に、爆撃なんか来ないと。
地上にある様々な要素から、それを無意識に判断できるのだ。
人間として、普遍的に備わっているはずの機能。
天神や桂木のような奴らにあって、俺は持っていないものが何なのか、少しわかった気がした。
「行きましょう」
「ああ」
天神の言葉に返事をし、ホテルへと歩を進めた。
生物として。
アイシャに言われた言葉を、俺はふと思い出した。
*
ニッパーとナナがホテルへと帰ってから、更に数時間後。
アジア圏第3ラヴェルは、すっかりと夜の帳が降りきっていた。
ラヴェルに設置されているコントロールタワーを見ると、二人の管制官がジュースを片手にスナックを頬張っている。
今日の訓練や任務などのフライト予定は全て終了。全員帰還を確認済みという、日ごろの最も大事なルーチンを終えた彼らに残っている仕事は、簡単な日報の作成と、交代要員への引継ぎ事項のまとめのみ。
それ故に、その場の雰囲気は緩慢としていた。
「たく、毎日毎日、よくもまあ飽きずに騒げるもんだよな」
と、管制官の一人、少々くたびれた様子の、無精ひげを生やした男が、零すように愚痴を吐く。
彼は、ニッパーが最初にこのラヴェルにやってきたとき、誘導を行った管制官だ。
「そう言ってやるなよ」
すると、もう一人、眼鏡をかけた男のほうが、笑いながらも窘める。
「花の女学生だぜ? いつもしかめっ面されてるよりかは全然マシだろう」
「そりゃあ、そうだが。誘導中に関係ないことを話すのはやめて欲しいよ。それで万が一事故ったら、怒られるのは俺たちだ」
「ハハ、なあに、本気で危ない時は、ちゃんと彼女らも言うこと聞くさ」
「どうだか」
「それより、どうなんだ?」
からかうように、眼鏡の男が無精ひげの男に問いかける。
それを見て無精ひげの男は、鬱陶しそうに眉間にしわを寄せた。
「どうって、何が?」
「とぼけるなよ。前からお前にアプローチしているフェアリィがいるじゃないか。今日だって――」
「やめろ」
そう言いながら、無精ひげの男は思い返す。
最近、妙に自分に話しかけてくるフェアリィがいる。
離陸やアプローチを自分が誘導するときは、露骨にテンションが上がり、挙句の果てには休み時間にわざわざ休憩室に入ってきたこともある。
その時に弁当を渡された。
久しぶりに食べた卵焼きが美味かったのが、男は印象に残っていた。
しかも安い培養無精卵ではなく、ちゃんと鶏が産んだ本物だった。
色にケミカルチックなグリーンが少しもないことが、その証拠だ。
「羨ましいね。このご時世に手作り弁当だなんて。あやかりたいくらいだ」
「お前も作ってもらうよう、頼んでみればどうだ?」
「いい嫁さんになるぜ、あの子。弁当の素材から見て実家も太そうだ。今のうちに唾つけときゃどうだ?」
「ふざけんなよロリコン野郎。14のガキだぞ。冗談じゃない」
そんなことを言いながら、無精ひげの男は無造作にスナックを口に運ぶ。
「ま、だろうな」と、眼鏡の男はにやけながら答えた。
彼らにいつも通り。
交代直前にやる、よくある雑談のひとつだ。
しかし今日に限っては、早く話を切り上げたいと、無精ひげの男は切に願った。
早く交代が来ないものかと思いながら、彼は何の気なしに、外を見た。
「……ん?」
すると、何か、滑走路で動いている物があることを発見した。
「どうした?」
眼鏡の男も、無精ひげの男の反応が気になったのか、そう聞いた。
「おい、あれ見ろ」
無精ひげの男はそう言って、滑走路のほうを指さす。
その先にある物体は、ライトをつけておらず、誘導灯の光が作る影をもって、ようやく視認できるていどだ。
航空機くらいの大きさ。
それが滑走路を悠々と進んでいる。
「レーダーを確認しろ。俺は通信を試みる」
「了解」
無精ひげの男がすかさず指示を出し、眼鏡の男は即座に実行した。
そこには、つい先ほどまであった緩やかな空気は、微塵も残っていない。
「こちらコントロール。タキシング中の機へ、応答願う」
数秒待つ。
応答なし。
無精ひげの男はさらに問いかける。
「貴機の発進はフライトプランにない。直ちに離陸を中止し、現在位置で待機せよ。ホールドポイント2-9-5」
応答なし。
航空機は構わずに移動を続ける。
「聞こえないのか? リードバック。ホールドポジション。ポイント2-9-5」
応答なし。
無精ひげの男はしびれを切らし、眼鏡の男を見る。
「どうなってるんだ? スクランブル?」
「いや、あり得ない。警報もないのに――」
そう言いかけたところで、眼鏡の男はレーダーに映ったものを見て、目を見開いた。
「こいつは……」
「なんだ、どうした?」
無精ひげの男がレーダーを覗くと、眼鏡の男と同じ反応をした。
「バカな……だってあの子は、今」
AFX-78
Doggy-1
レーダーは、滑走路に存在する航空機に対し、そう表示していた。
直後、航空機の様子が変わったのを、無精ひげの男は見た。
暗闇に光る、アフターバーナーのオレンジ色。
「まずいぞ、離陸する」
彼が言った瞬間、機体が急加速。
アフターバーナーの炎が、斜めに傾く。
それは離陸したことを示し、それは見る見るうちに遠くなり。
そして、消えた。
「……消えた?」
「嘘だろ……レーダーから、ドギー1の反応消失」
「そんなバカな」
眼鏡の男の言葉に、無精ひげの男はそう返す。
だが、それに反論する言葉を、彼は出せなかった。
当然だろう。自分はその肉眼で、しっかり見てしまったのだから。
いくら暗くても、離陸した直後の機体がどこにあるかは、彼の長年の管制官としての経験上、手に取るようにわかることだった。
だからこそ、わかってしまった。
あの機体は消えた。
空の上で、まるでテレビのチャンネルでも変えたように。
何の脈絡もなく、ふっと消えた。
出来の悪い手品でも、見せられているような気分だった。
「理事長に報告だ」
「了解。まだ起きてるかな?」
「知るか。寝てたら叩き起こせ。一緒に怒られてやるよ」
そう言って、無精ひげの男は内線電話を手に取った。
「……直前になって面倒なこと起こしやがって」
交代まであと3分の時刻を指す時計を見ながら、彼に誰にでもなく、そう悪態をついた。
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