ようそこ中東へ
出発してからの旅は、単調極まりないものだった。
これといってランバーのような敵に出くわすこともなく、定期的に計器をチェックし、目的地へと向かうだけ。
途中途中の中継箇所で燃料補給や休憩を挟みながら、そんなことを丸2日、繰り返していた。
とは言え、退屈で死にそうだったかといわれると、それほどでもなかった。
空を飛んでいるときの、形容し難いが心地の良いあの感覚に、ずっと浸れるというのは、存外に悪くないものだ。
スーパーイーグルのテストがてら、軽いマニューバを試してみたり。
それを見た天神に、『遊ばないで』と言われたり。
それに伴って、彼女といろいろと雑談をしたり。
そうしていると、思っていたよりも、時間が早く過ぎて行った。
そう言った経緯を経て、現在。
ディスプレイ上のマップに映る自分たちの位置が、目的地の座標にいよいよ迫ってきていた。
「ニッパー、そろそろ」
「ああ、見えてるさ、勿論」
天神の言葉に、俺はただそう答えた。
今、俺たちの眼前には、巨大な『都市』があった。
巨大で歪なそれは、一見陸地のようにも見えたが、それの下から無数に伸びている、海面に突き刺さった柱が、それを否定する。
「あれが、中東圏第1ラヴェルか」
あの巨大なメガロポリスにも見える海上プラントこそが、俺たちが招待された場所であった。
全ラヴェルの中でもトップクラスの巨大さなのは事前に聞いていたが、いざこうして目にすると、予想以上だ。
「成金の街……とも呼ばれているらしいわ」
と、無線越しに天神が言った。
どこか気に入らないといった口ぶりだ。
彼女はそのまま続ける。
「もともとアレイコムが作った巨大歓楽施設らしい。一見豪華絢爛な都市だけど、その実その恩恵を受けられるのは、
天神の言葉を聞きながら、俺は過去に少し調べた、この場所のことについて思い出していた。
彼女の言う通り、中東圏第1ラヴェル――通称アレイコム・ラヴェルは、もともとアレイコム自身が観光事業を目的として作った海上プラントを、そのままフェアリィ用施設だけ増設して、そのままラヴェルとして運用されている場所だ。
なぜ、わざわざ海上プラントまで使って、そんなものを海の上に建てたのか。
これが出来たのは、俺が天神が生まれるずっと前。まだ国家が機能していたころ。
となると、理由は簡単だ。
自分たちで買った、どこの領海でもない海上に建てれば、何者からも文句が出ようはずもない。
どんな物もどんな人も、そこにある限り企業が好き勝手にできる。
地獄の外側。天国の底。
そんな場所を、何故ラヴェルとしたのかまでは、わからないが。
「こちらコントロールタワー」
知らない声が聞こえた。
とは言え、何者かはわかってる。ラヴェルの管制官だ。
「レーダー上で貴機を確認した。会長から話は聞いてる」
「であれば、話は早い。アジア圏第3ラヴェルの天神ナナ及び、ニッパーです。着陸許可をお願いします」
「滑走路は空いているから、いつでもアプローチしてくれ……ところでキミ、今夜は暇かい? 美味い牡蠣料理を出すレストランがあるんだが――」
「聞いた通りよニッパー、アプローチに入って」
そんな管制官の話をぶった切り、天神は俺に先に降りるよう促した。
なにやら急に不機嫌そうだ。
特に断る理由も無いので、それに従う。
「コントロール、こちらニッパー、アプローチに入る」
「こちらコントロール、了解。誘導を開始する。なんだ、彼氏がいんのかよ」
管制官の言葉を聞き届けた後、俺はそれに返答することなく、そのままアプローチに入った。
言葉の最後のほうが、何を意図するものかがわからず、返答に困ったから、というのもあるが。
「……あ、相手にしないで、ニッパー」
と、一旦咳払いをして、天神。
管制官には聞こえない、別の回線での通信だ。
「ああいう手合いは、ふざけたことを言って、揶揄って愉しんでるだけ。真に受けちゃダメよ」
「ネガティブ。彼の言うことは、今のところは真に受けても問題ないと思う」
「え……それって、どういう――」
「下手に疑って、着陸をミスしたくはない。向こうもわざわざ滑走路が塞がっちまうような、馬鹿な真似はしないはずだ」
天神の猜疑心も理解できる。
この定期交流会、アレイコムが腹に一物抱えているのは、容易に予想できる。
そんな怪物の腹の中に、二人だけで入っていかなくてはいけないのだ。
ここにいる限り、自分たち以外信じられないというのは、ごく自然なことだろう。
とは言え、さすがに管制官の指示まで全て疑っていては、着陸すらできない。
逆に変に指示に逆らって、万が一敵対行動を疑われては、それこそ面倒なことになる。
ずっと飛んでいるわけにもいかないのだから、管制官の指示に従うしかないだろう。
「天神、油断できないって言うことは理解してるつもりだが、さすがに――」
「そういうことじゃない」
と、彼女はどこか拗ねたような口調で、そう被せてきた。
「え?」
「……ううん、何でもないわ。早く着陸しましょう」
それを最後に、天神は通信を切った。
まただ、この感じ。そういうことじゃないのならば、どういうことなのか。
聞いたところで、きっと彼女は答えてはくれないだろう。
レイの時もそうだが、やはり俺は、まだまだ彼女たちのことが理解できでいるのだ。
いつか、分かる日が来るのだろうか。
そんな疑問が思考の中で渦巻いていたが、一旦振り払い、管制官の航空誘導に集中した。
兎にも角にも、降りなければ。
無事に基地に降り、格納用のハンガーまで到着したことで、十時間ぶりにキャノピィを開けることが出来た。
ラダーを伝って床に降りる。
開いているゲートのほうを見ると、蜃気楼で揺れた地上の上に、ダークブルーの空があった。
暑く、乾いている。
宇宙が降ってきたような、不思議な空気だった。
「長旅、お疲れ様」
そんなことを考えていると、横から天神がそう言ってきた。
SUはすでに脱いでいるようだった。
「お互いにな」
「私は大丈夫よ、このくらいなら」
確かに、今の天神を見ても、体力を消耗しているようには感じない。
この暑さの中で、僅かに汗をかいている程度。
あんな華奢な身体でどうしてここまでのタフネスを持つのか、もはや不可思議なほどだ。
「おぉい、そこの二人」
すると、少し遠くの方から、そんな声が聞こえた。
俺と天神がそちらのほうを見ると、手を振りながらこちらに向かってくる女性が一人いた。
ウェーブのかかった黒髪に、褐色の肌の、同年代の少女。
そして、アレイコムの社章が入った制服を着ている。
現地のフェアリィとみて間違いないだろう。
いやに肌の露出が多い着崩し方をしているのは、そういうスタイルなのだろうか。
とは言え、恐らく話で聞いていた、案内人には違いなさそうだった。
「やあやあ、遠路はるばるご苦労様です。道中は大丈夫でしたか?」
「ええ、問題なく」
「それは何よりです」
人当たりのよさそうな笑顔で、彼女は天神とそんなやり取りをした。
通り一辺倒の、まるでフォーマットでもあるかのような会話だ。
「しかし……」
そう言いながら、案内人はしげしげと天神を眺めている。
天神もそれを不審に思ったようで、訝しんだ表情をして、口を開いた。
「……何か?」
「ああ、すいません――その、大変失礼ながら、ご年齢は?」
おずおずといった様子で、そう聞く案内人。
「……16です」
それに対して天神は、唇を尖がらせてそう答えた。
「いや、そうですよねー! 安心しました! 高等部生と聞いていたので――」
「手違いで初等部の子が来たんじゃないか……と懸念を抱いたと? ご安心を、合ってます」
「あ、あははー……」
そう聞く天神の声のトーンは、やけに低かった。
案内人のごまかしの笑いも意に介さず、眉を顰めて睨みつけている。
先回りして答えたということは、天神がこういった扱いを受けた経験が、過去にもあるのだろう。
まあ、確かに、天神の体躯は小柄と言って差し支えないだろう。
別に戦闘には何の支障も無いので気にしたことはなかったが、彼女自身にとっては、そうでもないらしい。
この反応を見る限り、天神に対して、体格の話は極力しないほうが無難とみた。
またよくわからないまま、不機嫌になられるのは、出来ればごめんこうむりたい。
先だって実証してくれた案内人には、感謝すべきだろう。
「あ、すいません、ご紹介が遅れました。私、案内人のアイシャと申します。よろしくですー!」
そう言って、再び表情を笑顔に戻し、案内人のアイシャは敬礼をした。
俺と天神は敬礼を返す。
「聞いてるとは思いますが、天神ナナです」
「ニッパーです」
「ありがとうございます! では、早速行きましょう。理事長様がお会いしたいそうです」
そう言ってアイシャは、自分が乗ってきた車に手を向け、暗に乗るように言ってきた。
俺たちはひとまずそれに従い、二人並んで後部座席に乗った。
来客用のものだろうか。いやに上等な車だった。
中は相応に広く、清潔で、冷房が効いている。
こういう場所は快適ではあるが、慣れていないからか、どうにも気が休まらない。
戦闘機のコクピットの中のほうが、よほど居心地が良い。
「ニッパー、さっきの話だけど」
と、アイシャが来る前に、横に座ってる天神が、そんなことを言ってきた。
さっきの話……体格の話だろうか。
そう思っていると、彼女は睨みを効かせて続けた。
「ニッパーは、私が小学生に見えることが、一回でもある?」
「……ないよ」
嘘は言っていない。
誰がどう見えるかなど、ほとんど考えたこともないのだから。
それに何となくだが、ここはこう言わなければいけない気がした。
「本当に?」
「いやに突っかかるじゃないか。俺がアンタをどう見てるかなんて、アンタにとっちゃ、別にどうでもいいことだろう?」
「そんなことない」
やや強い口調で、天神はそう言った。
しかしそれは彼女自身、無意識のうちに出てしまったもののようで、すぐにしまったとでも言うような表情をした。
「……いや、だから――」
「すいません、お待たせしました! 行きましょー!」
と、再び言葉を発しようとした瞬間に、アイシャが車に戻ってきた。
天神は完全にタイミングを逃してしまったようで、結局そのまま押し黙ってしまう。
「……あれ、何かありました?」
車に流れる妙な空気を察したようで、アイシャは不思議そうに聞いてきた。
天神はそれに、どこか気まずそうに目を逸らした。
「いや、なんでもありません」
とは言え、説明する義理もない。
それだけ答えて、流してもらうことにしよう。
「ではよかったです。では気を取り直して、シートベルトを付けてください」
そう言いながら、アイシャは運転席に座りドアを閉めた。
俺たちがシートベルトを締めた直後に、車が走り出す。
基地のゲートを抜けて、ほんの少しの間道路を走っていると、すぐに街に入った。
街の様子は、一言で表すと、派手だった。
過剰に装飾された大きな建物たちの横に、ネオンを携えた看板が建っている。
今は昼下がりだからそうでもないが、夜になるとネオンが光り、月すら見えないほどの明かりを焚くのだろう。
そんな中に居る自分を想像して、身震いした。
考えただけで、気が狂いそうだ。
街の明かりは、空から遠目に見るくらいが、丁度いい。
「すごいでしょう! ここら辺、ラスベガスみたいじゃないですか? 何だったらカジノもありますし」
すると、アイシャがそう聞いてきた。
彼女には申し訳ないが、ラスベガスという場所にはいったことが無いので、答えることはできそうにない。
「……高級そうな車ばかり走ってるわね」
すると、天神はそんなことを言った。
見ると、ひどく冷めた目線を、外の景色に向けている。
気に入らない、とでも言いたげな表情だ。
「あ、わかりますー? ここら辺はアレイコムの重役の人とかもたくさん住んでますからねー。そうだ、この辺は美味しいお店もたくさんあるんで、夜にお二人で行ってみては?」
「そうですね」
しかし、それを知ってか知らずか、あっけからんとそんなことを言ったアイシャに、天神はそれだけ答えた。
天神も、この街の不自然さに気が滅入っているのかもしれない。
確かに、全てが綺麗で、豪華な街だ。
不都合なものを全てゾーニングしたような、そんな綺麗さ。
「……まあ、他にも楽しいことはたくさんありますよ、この街は」
アイシャがそんなことを言って、バックミラー越しに俺のほうを見てきた。
「ニッパーさんでしたよね?」
「ええ、何か?」
「ぶっちゃけ聞きたいんですけど、天神さんとはお付き合いなされてるんですか?」
「え、は……!?」
彼女の質問に答えたのは、しかし俺ではなく天神だった。
とは言え、到底答えと呼べるようなものではなかったが。
「それは恋愛的な関係にあるか――という質問で?」
「そうです、そうです」
「では、違います」
言われた質問には、簡単にそれだけ答えた。
アイシャはそれを聞くと、表情を変えず、笑ったまま頷いた。
「な、なんでそんな質問を、そちらには関係ないことじゃないですか!」
天神がフリーズから戻ったようだ。そんなことをアイシャに聞いた。
確かに、こんなことをわざわざ聞くのは、何のためだろうか。
人間関係から弱点でも見つけようとしたのか。
あるいは――。
すると、車が止まった。
前を見ると、信号が停止指示を出しているのが見えた。
「あちゃー、長いんですよね、ここ――じゃあ安心して誘えますね、ニッパーさん」
と、天神の問いには答えず、アイシャは再び俺に目を向けた。
今度はバックミラー越しではなく、その目が、直接俺を捉えていた。
そのまま、彼女は続けた。
「私のこと、買いません?」
「……なんだと?」
「なん……!?」
胸元のボタンを一つ外して言う彼女に対し、俺と天神はそれぞれそんな反応をした。
買う――とは、言うまでもなく、まあ、そういう意味だろう。
「この辺はあんまりランバーも来ませんから、ぶっちゃけ私みたいな雑魚フェアリィは暇持て余してるんですよねー。だからたまにこうやって、お小遣い稼ぎでもしなきゃ――」
「ふ、ふざけないで!」
アイシャの誘いにどう断ろうかと考えていると、天神が彼女に被せてきた。
横を見ると、今にも噛みつきそうな眼で、アイシャを睨んでいる。
こんなふうに余裕のない天神は、珍しいかもしれない。
「えー、でも付き合ってないんでしょう?」
「そういう問題じゃない! フェアリィがそんなことをすべきじゃないって言ってるの」
「あ、今時職業差別になりますよ、そういうの。良いじゃないですか、私弱いから、ランバー退治もお鉢が回ってこないんだし、暇なんすよ」
「自分で弱いとわかっているなら、訓練でも何でもして、強くなったらどうなの? 少なくとも、やるべきこともやらないで、こんなことでお金を稼ぐ方法は間違ってる」
にべもなく、まるで説教でもするように、天神はアイシャにそう言った。
それに対し、アイシャは特に変わらない。
人当たりのいい笑顔を顔に張り付けたまま、特に感情の動きは見られなかった。
「固いっすねー、どう思います、ニッパーさん?」
と、アイシャはおもむろにそんなことを聞いてきた。
どう、と言われても、どうでもいい、というのが正直な感想だ。
アイシャがフェアリィに対してどういう理念を持っていて、どういう方法で金を稼いでいても、俺には何も関係ない。
天神の立場からはまた違うのかもしれないが、少なくとも俺は勝手にすればいいと思う。
彼女がどう生きてどう死のうが、俺にとっては知ったことではないのだから。
「俺にも天神にも、アンタのポリシーに介入する権利はない。別に気にせず、好きすりゃいいと思う。ただ、誘いは遠慮させてもらうよ」
「あらら、残念」
伝えると、アイシャはそれだけ言って、前に向き直した。
ふと視線を感じて横を見ると、天神が実に不機嫌そうな――あるいは、不安そうな顔でこちらを睨んでいる。
どうやら、こっちにお鉢が回ってきたようだ。
「……ニッパーは、私の言うことのほうが間違ってると思うの?」
「さあな、わからん。誰が正しいかなんざ、どうでもいい」
「そうね、アナタはそういう人よ」
そう言って、天神は拗ねたように窓の外に顔を向けた。
「……まあ、しょうがないですよ、ニッパーさん」
すると、アイシャが俺にそう言った。
前を向いているから、彼女の表情は見えなかった。
そのまま彼女は、続ける。
「わかる必要ないんですから。ランバーだけ相手にしてりゃいい温室エリートのお子ちゃまが、私たちのことなんて」
と、先ほどと全く変わらない口調で、彼女は言った。
思わずといったように、天神の顔が前の彼女のほうに向けられる。
やはり、その表情は窺えない。
「……あ、ようやく青になりましたね」
そう言って、アイシャは車を発進させた。
向かう先はこのラヴェルの理事長、アレイコム会長、アリム・サレハの元。
これ以降、目的地に着くまで、車の中では何か言葉を発するものは、一人としていなかった。
やはり、この車の中は居心地が悪い。
それは俺という人間の性故なのか。
それとも、別の何かのせいなのか。
その答えを知るすべを、俺は知らない。
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