気を付けてね

 意識が茫漠としている中で、聞き慣れた電子音が鳴り響いた。

 数秒ほどして、それが目覚まし時計のアラームだということに気づき、目を開ける。

 カーテンから漏れ出る光はあるものの、しかし毎朝見慣れているそれよりは暗く、部屋の灯代わりとするには十分ではない。


 起き上がって、時計を確認すると、いつもより一時間ほど早かった。

 なぜ俺は、こんな時間にアラームを設定したのか?

 それを考えて、また数秒。

 そして理由を思い出し、ようやく意識が覚醒した。


 そうだ、今日は中東のラヴェルに出張しなければならないんだ。


 理事長殿から中東圏第1ラヴェル――アレイコムのお膝元に、定期交流会の名目での出張を命じられたのが、10日前。

 今日はその交流会への、出発日だった。


 と、それを思い出した矢先に、ドアがノックされた。

 時刻はまだ6時を回る前だというのに、誰だろうか。


「ニッパー、起きてる?」


 ドア越しで姿は見えないが、その声で天神だということがわかった。


「ああ、起きてる」


 こんな朝早くに、どうしたのだろうか?

 そう思いながら、ベッドから降りてドアに向かい、開ける。

 当然ながら、そこには天神がいた。


「どうかしたか?」

「どうって……起こしに来ただけよ」

「……そうか」


 用というものはなく、ただ単に、直接モーニングコールをしに来ただけらしい。

 別にそんなことしてくれなくても、起床することに介助など不要なのだが。

 寝起きについては、あまり信用されていないのかもしれない。


「朝に会うときは、アナタずっと眠そうな顔してるから」


 と、俺の考えを読んだかのように、彼女は淡々と言った。

 時々思考を読んだかのような受け答えをされるのは、何なのだろうか。


「アナタ、自分で思ってるよりも、考えてることが顔に出てるわよ」

「なんだと?」

「今だって、すごく不思議そうな表情してた。なんでわかったんだ――とで思ったんでしょ?」


 天神がそう言って、少し微笑む。

 なんだか、どこか揶揄ってるような笑みだ。


「ほら、起きたのなら早く準備して。出発まで、あと一時間くらいしか無い」

「わかってる」


 一時間もあれば十分だと思うが、どうやらそう思っていたのは俺だけらしい。

 事実、目の前にいる天神は、既に準備が出来ていた。

 制服の上にアウターを身に着け、足元には大きなボストンバッグが置かれている。

 これが彼女の、長距離飛行用の装備、というわけだ。 


「すぐに行く、先にハンガーで待っててくれ」

「え、あ……」


 俺がそう言うと、天神はなにやら困ったような顔をした。

 何か問題があっただろうか。


「どうした?」

「どうせなら、一緒に行かない? その……集合場所。そう、集合場所、間違えられても困るし」

「ふむ……」


 まあ、確かに。

 一緒に行った方がそういうミスを防げるのは間違いないか。

 特段断る理由も無いので、彼女の提案に乗ることにした。


 それにしても、途中でなにやら閃いたような、思いついたような顔をしたのは、何なのだろうか。

 特段興味も無いので、問いただすようなことはしないが。


「わかった、少し待っててくれ」

「うん」


 そんなやり取りを終え、一旦部屋に戻る。

 10分ほどで着替えと身繕いを終え、用意していた荷物を持ち、部屋から出た。





 準備を整え、天神と共にハンガーへと向かう。

 外を歩くと、今日は遠くの方が、少しだけぼんやりと霧がかかっている。

 とは言え、風はあまりない。

 フライトに支障はないだろう。


「ナナ、おはよう」


 すると、そんな声が聞こえた。

 ハンガーのゲートの前に、人影が一つ。

 大羽だ。


「リリア、おはよう。お疲れ様」


 大羽に呼ばれた天神が、そう返事をする。

 近づくと、折りたたまれた翼と、ロングブーツのようなユニットが見える。

 SUを装着しているようだ。


「ニッパーも、おはよう」


 大羽は俺にも挨拶をしてきた。


「おはよう。飛んでたのか?」

「哨戒任務でさ、今日は私が当番。ようやく寝れるよ」


 そう言いって、大きくあくびをする大羽。

 聞きながら、そういえばそういう話を聞いたな、というのを思い出した。

 大羽のようなAWACSの役割を持つフェアリィは、定期的に夜間にラヴェルの周辺を飛びながら、辺りに異常がないかを見張っているらしい。

 基本的にはUAVを何機か連れてはいるが、万が一敵機等を発見した場合は交戦せず、即時撤退。

 仲間と合流したうえで再度出撃――という流れらしい。


 とは言え、ラヴェルの周辺海域まで気づかれずに飛べるランバーなど、滅多にいない。

 ほとんどは眠気を堪えながら、退屈な時間を過ごしているとのことだ。

 大羽の様子を見るに、今日の哨戒任務もそんな感じだったのだろう。


「今日が出発日なの思い出してさ。帰る前にお見送りしとこうと思って」

「別にいいのに」

「一応、ミサとレイも見送りには来るって言ってたんだけど……いないみたいだね」


 そう言いながら、辺りを見回す大羽。

 俺たち以外にこの場から見えるのは、警備員が数人と、監視用のドローンくらい。

 言わずもがな、両名の姿は確認できなかった。


「まだ夢の中みたいだね」


 大羽はそんなことを言って、しょうがないとでも言うようにため息を吐いた。


「どうするナナ、呼ぶ?」

「別にいいんじゃないかしら。わざわざ起こすほどのことでもないし」

「まあ、じゃあいいか」


 その二人のやり取りを最後に、一旦会話は終了し、ハンガーの中へと向かった。

 中に入ると、戦闘機がひとつ、飛行可能状態で鎮座していた。

 ライカではない。彼女は奥の方で眠っている。


「ニッパー」


 すると、声が聞こえた。

 桂木だ。気怠いような足取りで、こちらに近づいてくる。

 少し目に隈があった。


「おはようございます、桂木博士」

「おはようございます」


 と、天神と大羽が挨拶をする。

 桂木は少し照れ臭そうに、頭を掻き始める。


「博士っていうのやめてよ、柄じゃないわ」

「じゃあ、先生とか?」

「普通に『桂木さん』とかにしてよ。じゃなきゃニッパーみたいに呼び捨てにするか」


 桂木にそう言われた天神は、俺の方を向いて、物言いたげな目をしてきた。


「……仲良しよね、桂木さんと」

「そりゃ、まあ、信用してる」

「はいはい、ありがと」


 俺の回答には、天神ではなく桂木が、すっかり慣れているとでも言うような返事をした。

 天神の言う『仲良し』の定義はわからないが、言った言葉に嘘はない。

 信用に足る能力を持っていないものに、自分の身体を、ましてやライカを、触らせなどするものか。

 開発者である彼女を信用せず、誰を信用できるのか、という話ではあるが。


 さて、雑談はそろそろ終わりにしたいところだ。

 フライトの時間まで余裕はあるが、いろいろ確認したいことがあるのだから。


「今日のやつの調子は?」

「バッチリよ、見ての通り」


 俺の質問に桂木はそう答え、目の前にある戦闘機を指さした。

 あれが、今日ライカの代わりを務める機体、というわけだ。


「にしても、スーパーイーグルが使えるなんてね。理事長さんは太っ腹だわ」


 桂木はそう言いながら、その機体を感心したように眺めている。

 確かに、この機体を回してくれるとは、桂木の言う通り豪勢だ。

 もう少し、型落ちのやつを渡されると思っていたが。


 MRF-15S 通称スーパーイーグル。

 有人戦闘機が主力だった数世代前のものながら、その設計の秀逸さから、近代化改修を繰り返し、果てはそのままUAV用に転用された後も、尚第一線を張っている、という機体だ。

 運動性能やシステム面での高性能さはもちろんだが、特筆すべきはその安定性からくるタフネスだろう。

 何と言ったって、主翼の片方を失っても尚、基地まで飛んで帰れるというのだから、舌を巻くばかりだ。


 その見た目は、要所要所は違えども、旧世代――まだ国家というものが機能していたという、昔々の時代の戦闘機、F-15に酷似している。

 設計の元となったのだから、当然と言えばそうなのだが。


 とにかく、こいつを使えるおかげで、いろいろな問題がスムーズに解決できた。

 もともと有人機だから、俺が乗るためには、UAVだったこいつを元の仕様に戻せばいいだけだったし。

 そのおかげで、ある程度だが習熟することもできた。


「さ、じゃあそろそろ、行きましょうか」


 天神はそう言って自分のSUを装着し、起動していた。

 戦闘機と違い、あっという間に空に行けることができるというのも、SUの大きな利点のひとつだろう。


「あの手軽さだけは羨ましい――とか思ってる?」


 と、俺を見て察したのか、桂木はそんなことを聞いてきた。

 天神といい、そんなに俺は考えてることが顔に出ているのだろうか?


「そんなことは、ないさ」

「アハハ、まあいいわ――それはそうとニッパー、行く前に、ひとつ耳に入れといてほしいことが」

「……ライカの話か?」


 少しだけ顔つきが神妙になった桂木を見て、過去のやり取りを思い出す。

 10日前のことだ。

 俺が件の話から帰ってきて、桂木と合流した時。


 その時の彼女の話曰く、ライカにいつ入力されたかわからないコマンドが存在していた、というのだ。

 命令はただひとつ。

 10日後――つまり、今この時間に、システムが自動的に起動すること。


 俺も桂木も、何かしらのバグだとは思っているが、どうにも何か、違和感のようなものを感じていた。

 桂木の目に隈が出来ているのは、スーパーイーグルの調整のせいではなく、このライカの不可解な事象を調査していたからだった。


 俺の問いに、桂木は無言で頷く。

 そのまま言葉を続けた。


「つい昨日、ようやくログデータに、関連性のあるものを見つけたの。あのコマンドを誰が入力したかを示すものよ」

「で、誰が打ったことになってる?」

「ライカよ」

「なんだと?」


 彼女の話に、俺は思わずそう返した。

 それを予想していたのか、彼女はより詳細を話し始める。


「ライカに入力したコマンドには、入力者の名前がログに残るわけだけど……件のコマンドの入力者の名前が<localhost>自分自身になっていたの。つまり――」

「コア・コンピュータ――ライカがコマンド入力インタフェースに介入して、勝手にシステムに命令したってことか?」

「信じられないけど、それだと辻褄が合う」


 桂木が信じられない、というのも無理のない話だ。

 それはシステム上、あってはならない話だから。


 ライカは……正確に言うと、ライカの脳であるコア・コンピュータは、様々なことを考え、パイロットに対して提案及び補助を行う存在だ。

 しかし、それはあくまで補助止まりであって、決定権はパイロットに依存する。

 どれだけ火器管制を管理しようと、アビオニクスに干渉しようと、最後にボタンを押すか否かを決めるのは、パイロットというわけだ。


 これは、万が一の暴走を制止するための処置だ。

 AIがランバーに汚染されたときや、自己判断を誤ったとき、ミサイルが人間に向かないための安全策。

 もし桂木の仮説が本当だとするならば、その安全策が綻びを見せている、ということに他ならないだろう。


「しかし、何だって急に?」

「わからないわ……とにかく、アナタが帰ってくるまでには、可能な限り調査しておくから」

「すまないが、頼む」

「いいのよ。帰ってきたら、手伝ってね」

「了解」


 それを最後に、桂木との会話を終了した。

 ハードポイントに付いた、カーゴの中に荷物を固定して詰め込み、出発準備を整える。

 そういえば、天神は荷物はどうするのだろうか。


「天神」

「何?」

「荷物はどうする? 自分で持ってくか、こっちに入れるか」

「じゃあ、お願い」

 

 彼女はそう言って、ボストンバッグを俺に手渡した。

 とても軽い。

 本当に最低限のものしか入れていないようだ。


「……何?」

「いや、随分軽量だと思ってな」

「観光に行くわけじゃないもの。お菓子やぬいぐるみを持ってくわけにもいかないでしょ」

「観光だったら持ってくのか、それ?」

「……うるさい、早く乗って」


 なにやら、不興を買ってしまったようだ。

 天神の言う通りに、俺は黙って彼女の荷物をしまってから、スーパーイーグルに乗り込んだ。

 大羽が苦笑いをこちらに向けているが、どういう意図なのだろうか。


「じゃあナナ、ニッパー。気を付けてね」


 と、大羽は手を振った。


「そっちもよろしくね、リリア――主にミサの監視を」

「隊長代理がいつどこでどうサボっていたか、きちんと報告するよ」

「サボらないようにしてくれるともっと助かるんだけど……」

「まあ、うまいことね」


 などという会話を終え、天神は、SUのスラスターのエンジンに火を入れる。

 SU独特の、どこかファンタジーを思わせる音が、スラスターの青い光と共に鳴り響いた。


「じゃあ、ニッパーも!」


 桂木もまた、聞こえるくらいの大声でそう言って、俺に手を振る。

 俺はそれに、ジェスチャーで応えた。

 キャノピィを閉める。すでにこちらのエンジンには、火が入っている。

 出発前の最終点検をしながら、ふと、ライカがいるほうを見た。


 ライカは何も変わらない。

 何にも関心が無いように、ただ静かに眠って、次飛ぶ時を待っている。

 いつも通り、そのはずだ。


 点検を終え、いよいよ出発する。

 ランバーのEMPを避けるために、天神の管制下に入る必要がある。

 天神のSUとリンクをするために、メインディスプレイを見た。

 すると、ある文字が表示されていた。


<I WATCH OVER YOU>


 アナタを見守ってる――そんなことが書かれていた。

 そういえば最近のUAVは、起動したときにこういう謳い文句を表示させることがよくあるらしい、というのを、前に何かで見たことがある。


 スーパーイーグルも例に漏れず、謳い文句は何種類かあって、ランダムで表示される。

 実際に、習熟期間に何種類かを見た。

 このメッセージは見たことがなかったが、恐らく、出現率の低いやつなのだろう。


 こういう部分が妙に手が込んでいるのは、グレムリンの飴のような、これもそういうゲン担ぎの一環みたいなものだからなのだろうか。

 なんてことを考えながら、俺は特にそれを気にすることもなく、着々と準備を進めた。


 向かう先は中東圏第1ラヴェル。

 パスポートは要らない。

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