旅行に行くの?
――用がある。理事長室に来てくれ。
ある日の夕方ごろ。
携帯端末にそんなメッセージが来たのが、日課のメンテナンスとトレーニングを終え、ライカの整備に向かっている途中のことだった。
芹沢理事長殿が急な呼び出しをするのは今に始まった話でもないが、端末に直接メッセージが来る、というのは、今までになかったかもしれない。
出撃命令にしても、『用』とはあいまいな表現だ。
なんだろうか。
「どうしたの、ニッパー?」
ハンガーに向かう途中の廊下。
俺の前を歩いていた桂木シズクが、振り向いてそんなことを聞いてきた。
彼女に持っていた端末の画面を見せる。
「お呼ばれだ。理事長殿から」
「あら、急ね」
「すまない、先に始めててくれ」
「残念」
桂木は肩をすくめて、仕方がないとでも言うように笑った。
「ついでに休日、レイたちと何してたか、聞こうと思ってたのに」
「報告すべきこともない」
「ふぅん? レイがやたら上機嫌だったから、ひょっとしてと思ったんだけど」
――まあ、いいわ。
そう言いながら、彼女は自分のタブレットを取り出した。
ぶつぶつと呟いている内容を聞くに、自分のスケジュールを確認しているようだ。
「……うん、よし、今日は整備の後は用事もないから、あとで聞かせてくれる?」
「構わない。どうせすぐ終わる話だ」
「どうかしら? 私はコーヒーを片手に、じっくり聞かせて欲しいところね」
「飲みすぎじゃないか? 今更だが」
「砂糖とミルクでバランスとってるわよ」
何のバランスだというのか。
普段は聡明な彼女だが、ことカフェイン摂取が関わる話になると、随分と論理が破綻したことを言うようになる。
中毒になるのは桂木の勝手だが、それで死なれても困る。
ライカの整備をする奴がいなくなるのは勘弁だ。
「ホットミルクにしとけよ、用意する」
「えー……もう、わかったわよ」
「じゃあ、また後で」
口をとんがらせて拗ねる桂木に、別れを告げる。
小さく手を振ってハンガーに向かう彼女を見送り、理事長室へと向かった。
廊下の窓から、夕暮れの日差しが差し込んでいる。
外を見ると、見事に澄んだ、赤紫色の空があった。
夜の足音が聞こえてくるようだ。
一回、任務を抜きに、こんな空をライカで飛び回ってみたいもんだ。
そんな詮無いことを考えながら、俺は歩いて行った。
理事長室の前に着き、扉をノックする。
間隔を開けず3回。
「誰だ?」
扉の向こうから理事長の声が聞こえた。
当たり前だが、ちゃんと居るようだ。
「ニッパーです」
「入れ」
入室を許可をもらい、改めてドアを開ける。
中に入ると、理事長は当然だが――もう一人、別の客が応接用のソファに座っていた。
「ニッパー、お疲れ様」
天神だ。
けれど、他のウルフ隊はいない。
彼女一人だ。
「お疲れさま。アンタだけか?」
「ええ、訓練が終わったら来るようにって、理事長に言われたのだけれど……」
そう言いながら、天神は座っている理事長殿のほうを見る。
この様子を見るに、どうやら彼女も俺と同様、何の用で呼ばれたか聞いていないようだ。
彼女と同じく、俺も理事長のほうに顔を向ける。
すると、彼はゆっくりと立ち上がり、そばにある棚へ向かった。
ティーポットと、カップが数個置いてある。
「お前も座れ、ニッパー……それと、二人とも、よければ茶でもどうだ?」
今日の理事長殿は、珍しいことを宣うものだ、と思った。
いつもは用件だけ伝えたら、それだけで終わらせるというのに、今日のもてなしぶりはどうだ?
言われた通り、ソファに座る。
向かいに理事長が座ることを想定して、天神の隣に座った。
横を見ると、彼女はなにやら、物言いたげな目で理事長を睨んでいた。
「……言いにくいこと、なんでしょ?」
天神が言った瞬間、理事長の茶を入れる手が、ぴたりと止まった。
少しの静寂。
すると、彼は背を向けたまま、口を開いた。
「まあ、なんだ……話が早くて助かる」
その言葉を聞いて、天神はやっぱりか、とでも言うようにため息を吐いた。
テーブルに人数分の紅茶が置かれ、理事長殿が席に座る。
いつも通りの無表情だが、心なしか、どこかバツが悪そうに見えるのは、気のせいだろうか。
「意外だな、アンタに言いにくいなんてことがあるとは」
「無ければ、楽なんだがな。お前のようにはいかんさ、ニッパー」
理事長はそう言いながら、持ってきた角砂糖を一つだけ、紅茶に入れた。
「要るか?」
「結構」
彼の質問にそれだけ答え、カップを口に運んだ。
温かい。美味いと言って差し支えないだろう。
「で、用件は? 大方察しがつくけど……」
半ばあきらめたように、天神が言った。
どうやら彼女には、ある程度予測がついているらしい。
過去にも似たようなことがあったのだろうか?
「そうだな」
理事長殿がカップを置いて、一息つく。
少し間をおいて、続けた。
「最初に要望だけ言う。お前たち、数日間、アレイコムのラヴェルに行ってくれないか?」
彼の口から出たのは、そんな予想していないことだった。
「……理由を聞いていいか?」
「定期交流会、でしょう?」
俺が聞いた質問は、しかし理事長ではなく天神が答えた。
何の話だと思って彼女を見ると、察したようで、言葉を続けた。
「ニッパー、世界中にラヴェルがあるのは、知ってる?」
「ああ、ここ以外は見たことがないが」
「そのラヴェル間で、定期的に別のラヴェルからフェアリィを招集して、戦闘技術やランバーの情報を共有するっていう行事があるの。それが定期交流会」
説明を聞いて、なるほど、と思った。
要はラヴェル間での連携を目的としているわけだ。
「……と、ここまでは表向きの話」
少し声のトーンを落として、天神はそう言った。
「そこで実際にお出しされるものは、ニュースサイトの見出しをクリックすれば、すぐ出てくるようなお話ばっかり。理由は――まあ、わかるでしょ?」
まあ、だろうな。
バックに企業がついている以上、予想できることだ。
戦闘技術やランバーの最新の情報を教えることなど、ラヴェルのスポンサーである企業群にとっては、あまり好ましくないことだろう。
それもそうだ。
天神が言ったような情報は、運用さえ間違えなければ、大きな利益を生むことになるのは間違いないだろう。
それを利益追求を本懐とする企業連中が、競合他社がスポンサーのラヴェルに、わざわざ教えたりするだろうか?
ない、と言って差し支えないだろう。
そんな、ともすれば利益を損なう行為を、ああいった連中が黙認するはずもない。
どんなにそれが人類に有意な情報だろうと、それひとつでランバーを一気に後退させられる情報だろうと、独占した方が金になるのなら、決して教えたりしない。
結果、その交流会とやらで手に入るのは、靴を磨いてる子供でも知ってるような、手垢のついた情報のみ、というわけだ。
「なるほどな」
「全く、大人ってどうかしてる……人類全体が滅びかかってるのに、お金のことなんか気にしてる場合かしら?」
どこか不満そうに、天神は言った。
彼女の言わんとすることも、わからないでもない。
天神のような、ランバー殲滅のために命かけているフェアリィからすると、納得のいく話でもないだろう。
だが事実として、彼らはそう言う生態系をもって生きているのだ。
でなければ、今の世界はこんなふうになってはいない。
「まあ察しの通り、この交流会が制定されたときの目的は、既に形骸化している」
と、理事長。
「今ではやる意味もないが、痛くもない……いや、一物抱えた腹を探られないために、馬鹿らしくも続けられている、というわけだ」
どこか呆れたように、理事長は紅茶を飲む。
なるほど、定期交流会がどういうものかは、まあ分かった。
――が、今のところそれがわかっただけだ。
「理事長、聞いても?」
「ああ」
「なぜ俺が、それに参加しなきゃいけないんだ?」
そう、定期交流会の話があったとして、俺にそのお鉢が回ってきた理由が、全くわからない。
天神が選ばれるのは、まあ分かる。
形骸化しているとはいえ、曲がりなりにも外交の場だ。
天神という最強のフェアリィを持ってくるのは妥当だろう。
天神一人でここに呼ばれたということは、恐らく彼女が、このラヴェルの代表として行くことは予想できる。
ラヴェルにも、面子や体裁というものがあるのだろう。
彼女本人がどう思っているかは置いておいて、セラフ章という、これ以上ない拍のついた天神を引っ張り出してくることは、理にかなってはいる。
だが、俺は?
以前、俺は対外的には、『フェアリィと有人戦闘機の連携を試すためのテストパイロット』という名目で、
であれば、そんな一介のテスト要員なんぞに、交流会に参加する資格なんてないはずだ。
「私もそこが疑問。ニッパーが参加する理由が見当たらないわ」
当然、天神も俺と同じ疑問に至ったようで、理事長に聞いた。
「ふむ、だろうな」
当の理事長はそう言って、カップにある紅茶をグイと飲み干す。
空になったカップを置く。
どこか辟易したような顔は、飲んだ紅茶が苦いからではなさそうだ。
「アレイコムの会長――つまり、お前たちが向かう中東圏第一ラヴェルの理事長が、名指しでニッパーを指名してきた」
そう言って、彼は俺に顔を向けた。
「え、なぜ?」
まるで俺の困惑を代弁するように、天神が聞く。
「さあな、きな臭いのは確かだ」
「……ライカか?」
「確証が無いが、その可能性もある……そうだな、あの狡猾な男のことだ。腹に一物抱えてると考えた方がいいだろう」
中東圏第一ラヴェルはよく知らないが、今話に出てきた、アレイコムの会長の話は、聞いたことがある。
アレイコム・サイエンス。
現会長の名前は、アリム・サレハ。
入社してから凄まじいスピード出世を遂げたらしい。
周りからの人望も厚く、30代にして前会長の遺言で、ついに会長に押し上げられた男だ。
だが、後ろ暗い噂話も多数聞く。
麻薬カルテルを立ち上げたことで、今の地位を築いた。
今の地位に就くために、邪魔になる他の会長候補を暗殺した。
エトセトラ。
ゴシップ誌に載るような話なので、信ぴょう性はたかが知れてるが、全て本当だとしても何も不思議なことはない。
第一、ひとたび人間の裏側を覗けば、グロテスクなものが蠢いていた――などという話は、別段珍しくもなんともない。
生きるための機能なのだ、きっと。
「断ることは、出来なかったの?」
と、天神は聞いた。
それに、理事長は静かに答える。
「たかだかテストパイロット一人の都合すらつけられないのか――などと公言されてみろ。対外的にこのラヴェルは資源がないと言っているようなものだ」
「結局面子の問題ってこと? くだらない……」
「大人というのは、くだらないことに必死にならなきゃならん。面倒だがな」
理事長にそう言われると、天神は拗ねたのか、彼からそっぽ向いた。
それを気にも留めず、理事長は姿勢を直して、俺たちのほうを見る。
「出発は10日後だ……さて、やってくれるな?」
「嫌だといっても行かなきゃなんでしょ?」
理事長の言葉に、天神は投げやりに答えた。
まあその通り、どうせ嫌だといっても行かねばならないのだろう。
この男がわざわざ理事長室まで呼んで、お願いで済ませるはずがないのだ。
だから、俺も別に行ってもいい。
だがひとつ。
ひとつだけ、聞き入れてもらわねばならないことがある。
「理事長殿、代わりと言っては何だがひとつ、要求を言っていいか?」
「聞こう」
「ライカは、連れて行かない。別のやつに乗ってく。それでいいか?」
「え?」
すると、天神がそんな声を出した。
まさに思わずといったようで、こちらを見て、目を見開いで驚いている。
「なんだ?」
「い、いえ、だって……アナタからそんな言葉が出るなんて、考えられなくて――でもどうして?」
「そんな得体のしれない連中に、ライカを近づけさせたくない」
当たり前のことだ。
ただでさえ最近、ライカの周りには妙に彼女を狙うやつらがいる。
遠いラヴェルに行くとなると、どうしても現地での補給やメンテナンスが必須になってくる。
となると当然、その得体のしれない奴らに、ライカを触らせなくちゃいけない。
そんなのは、ごめんだ。絶対に。
「……訂正、凄くニッパーらしい理由だわ」
すると、天神はどこか呆れたような目を俺に向けた。
俺らしいとは、どういうことなのか?
わからないが、特に聞かなくても支障は無さそうなので、スルーすることにした。
「で?」
「ああ、俺もそう指示するつもりだった。向こうもトラスニクで来いとは言ってないからな――それはそれで、また不気味だが」
理事長の言うことも一理ある。
だが、疑っていたらきりがない。
ひとまず、これでライカに危険が及ぶことはないだろう。
それだけ確認出来たら十分だ。
「よし、では10日後までに、各自引継ぎを行っておくように。以上だ」
彼はそう言って、彼は自分のカップを片付け始める。
「では、失礼する。行きましょう、ニッパー」
彼女はカップの残りを飲みきるなり、席を立ってそう言った。
自分も残りを飲み干すことで了解の意を唱え、同じく席を立つ。
「カップはそのままにしておけ。片付けておく」
「紅茶ありがとう。じゃあ」
「失礼します」
天神と俺はそれぞれそう返事をし、理事長室を後にした。
暖色の灯が廊下を照らし、窓の外はもうすっかり黒色に塗りつぶされている。
夜を帳と例えるが、よく言ったものだと、ふと思った。
「はぁ、面倒くさい……」
ドアを閉めて、理事長室から離れるなり、天神がため息を吐く。
「ミサに引継ぎの話して、いない間の訓練スケジュール作って……もう、急に言うんだから」
「いつものことだ」
「まあね……ところでニッパー、アナタ、ライカの代わりの足はどうするの?」
「決めてない、姉の方の桂木に相談するさ」
「そう……あー」
すると、天神はどこか落ち着かないように、頬を掻きだした。
何かに気づいたようだ。
「気になることでもあるのか」
「え、いや……私たち二人で行くのね」
「そういう話だったろう?」
確かに俺も、二人だけというのは、有事の際の戦力的に少々不安が残る。
とは言え天神がいれば、万一のことがあっても戦力不足ということにはならないだろう、と思ってはいるのだが、彼女は違うのだろうか。
「天神?」
「ん……ごめんなさい、なんでもないわ」
彼女はそう言って、やや足早に俺の前を歩く。
気づけば建物の十字路に着いて、ここで俺の寝床と天神の寮へのルートが分岐することになる。
「とにかく、よろしくね」
「ああ」
それだけ言って、俺は天神と別れた。
さて、ライカの代わりの乗り物はどうするか。
天神にぶら下がるわけにもいかないし、何とか桂木に都合をつけてもらわねば。
「に、ニッパー」
と、少し遠くからそんな声が聞こえた。
つい先ほど別れた、天神の声だ。
何かと思って振り向くと、彼女が少し離れた距離で、俺のほうを見ていた。
「なんだ?」
「……その」
「ん?」
「……じ、じゃあね」
そう言って、彼女は小さく手を振った。
そういえば、別れの挨拶をしていなかったか。
とは言え、わざわざ改めてまでやるとは、律儀なことだ。
「ああ、じゃあ」
そう言って、手を振り返す。
どうやら満足してくれたようで、彼女は頷いて、そして去っていった。
……さて、兎にも角にも、ハンガーに行かなければ。
*
――同時刻、ハンガー内。
桂木シズクはニッパーを待ちながら、ライカのメンテナンスを続けていた。
「……思ったよりかかってるわね、ニッパー、ねえ?」
と、彼女はライカの方を向いて、そう聞いた。
無論ライカがそれに答えることがないことは、シズク自身知っている。
では、つい話しかけてしまうのは、何故だろうか。
「……あら?」
シズクはコンソールでライカの状態を見ていると、ある異変に気付いた。
そこにあるのは、ひとつのメッセージ。
ライカが、命令コマンドを実行した際に出力される、ログテキストだ。
<complete:Scheduled for auto engage>
このメッセージはつまり、システムが自動で起動するための、時間が入力されたということだ。
確かに、時間指定でオートパイロットモードを起動する機能はある。
しかしシズクは、この命令を入力した覚えはないし、ニッパーからも聞いていない。
「なにかしら? ログファイルは……」
今まで、覚えのないコマンドが入力されていることなど、一度もなかった。
長いこと診れなかったために、新しいバグでも出てきたのだろうか。
シズクはそう考え、一回しっかりと時間を取って精査しなければと思い至る。
「うーん、実行中になっちゃってるか……仕方ない」
そう言いながら、ひとまずキル・コマンドで入力されていた命令を削除する。
待機コマンドの一覧を確認し、コマンドがキルされたことを確かめると、次は生成されたログファイルをあさった。
「これか」
該当するログファイルを見つけ、それを開いてみる。
シズクはそれを見て、こりゃあ本格的にバグだな、という結論に至った。
コマンドが入力されたのは、ちょうど今日。
起動する時間は、10日後に指定されていた。
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