お話しましょ
無言のまま車で揺られて、どれくらい経っただろうか。
そんなことを思い始めた矢先、車が止まった。
前のほうを見てみると、フロントガラス越しに、大きな格子でできたゲートが見えた。
アイシャが車の窓から身を乗り出し、ゲートの横に付いているインターホンらしき機会に何やら話している。
聞き慣れない言語だった。
標準公用語じゃない。恐らくこの地域の主要言語だろう。
「お待たせしましたー、こちらです」
彼女が言うと、それに合わせたようにゲートが開いた。
ゆっくりと車が入る。
目の前に真っ白で、巨大なビルが見えた。
それを引き立てるように、大小さまざまな、いくつかの建物が佇んでいる。
周りには、これ見よがしに銃を装備した警備兵と、大げさなほど重装備の大型ドローンがそこかしこに闊歩していた。
セキュリティは万全なわけだ。
ランバーではなく、人に対して。
ランバーよりも、人に注意しなければならないエリアということだ、ここは。
車がビルのロータリーに入り、止まった。
アイシャが操作したのか、ひとりでにビル側のドアが開く。
「さ、着きましたよ」
彼女の言葉を聞き、俺と天神は車を降りた。
天神は何も言わない。
その表情は、どこか物憂げだった。
「これを」
そう言って、アイシャは車の窓越しに、小さいチップのようなものを渡してきた。
『ホロカード』だ。
簡単なアプリを好きな形式で起動することができる、ごく一般的な、大量生産されたやつ。
「フェアリィとパイロットなら、脳にマシン・インプラントくらい付けてますよね? 直接頭に差せば、理事長室までのルート情報が入っているので」
そう言ってアイシャは、自分の首の後ろ側、付け根部分にある差込口らしき部分を、見せびらかすようにとんとんと叩いた。
『マシン・インプラント』は、脳の一部分を機械化し、コンピュータなどへの接続を可能にするための技術だ。
この世界の多くのフェアリィや企業所属の兵隊などは、作戦を円滑に進めるために、即座に全体へ情報共有ができるマシン・インプラントの取り付けが義務化されているところも多いと聞く。
という話を、聞いたことがある。
そのくらい、世界が企業主体になってからは特に、ありふれた技術だ。
俺も例にもれず、ライカとの情報共有や、それぞれのコンディションの同期などに、このマシン・インプラントを使用している。
だが――。
「一応私の連絡先も入れといたので、気が変わりましたら是非に――」
「生憎だけど」
と、アイシャが何か言いかけたのをぶった切って、天神はそう答えた。
俺が受け取ったカードをかすめ取り、アイシャにそれを差し出す。
「うちのラヴェルは、体内埋め込み式のインプラントが禁止されているの。だからこれは要らない」
「えー、そんなことあるんですか? 不便ですねえ。それで戦えるんですか?」
「少なくとも、アナタよりはね」
「……ああ、そうですよね。なんたって、セラフ章の持主なんですから」
そんな応酬をした後、アイシャは天神に再びホロカードを渡した後、諦めたように車の中に引っ込んだ。
「まあ、どの道これがアクセスキーなんで、持っといてください」
「了解」
「場所はエレベーターで最上階まで言ったら、あとは嫌でもわかりますよ――私は車を戻さなきゃいけないんで、これにて失礼します」
そう言って彼女は車を走らせ、その場を離れた。
少しだけ、静寂が走る。
周りの音が妙に遠くに感じた。
「……見た? さっきの彼女の顔」
天神は振り返って、俺の顔を見上げた。
珍しい表情だった。
自嘲してるような、そんな顔。
「化け物でも見るみたいな顔だった。まあ、無理もないかもしれないわね」
彼女は小さくそう呟いて、踵を返す。
「久しぶりかもしれないわね、この感じ」
「天神?」
「何でもないわ。行きましょう、ニッパー」
それを最後に俺たちは、お互い無言でビルの中に入っていった。
天神の顔は、普段の冷静沈着を体現したような無表情に戻っていた。
だが、何故だろう。
いつもよりも揺らいでいるような、不安定さを感じてならなかった。
エレベータで最上階まで登ると、広いロビーのようなところに出た。
客の待合も兼ねているのだろうか、大きいソファにテーブル。
ソファの横には、円柱状の何やらよくわからない機械があった。
近づくと、『シャンパンはいかがですか?』なんてアナウンスが機械から流れてきた。
素面で仕事をすることに耐えられない奴が、飲んだりするのだろうか?
まあつまり、なるほど、おもてなし用のロボットなわけだ。
あの筒の中にいろいろ入っているのだろう。
「必要ない。天神は?」
「未成年。アナタもでしょうが」
「というわけで、結構」
ロボットにそれだけ言うと、『残念です』と返ってきた。
それは断られたときの定型句なのか、それともこいつの人工知能が独自に導き出したコミュニケーションなのか。
どちらかは知らないが、それを聞くと、柄にもなく『悪いことをしたな』などと思ってしまった。
そう思わせるような声質に設定されているのだ、きっと。
意識をロボットから外し、進行方向にあるドアに向ける。
見るからにセキュリティが重苦しい自動開閉式のドアの横には、呼び出し用のインターホンがあった。
「ニッパー、準備は良い?」
「ああ」
天神がそれを聞くと、インターホンに近づき、押そうとした。
だが、その直前。
「あ……」
ドアが開き、目の前に知らない女性が現れた。
アイシャと同じ制服で、同年代の見た目なことから、フェアリィだろう。
ただ、衣服が酷くはだけており、息遣いも荒く、顔が上気している。
独特な臭いが、鼻に刺さった。
彼女が何をしていたのか、察するには十分すぎる情報量だ。
「なん、な……!?」
天神もわかったようで、顔を真っ赤にして固まっている。
これまでの傾向を見るに、どうやら彼女はこういった性的な事柄に関して、著しく平常心を乱すらしい。
不思議なことだ。少なくとも、ランバーよりは危険性はないはずなのに。
「アリム・サレハ氏から招待されたものです。いらっしゃいますか?」
このままでは話が進まないと思い、部屋から出てきたフェアリィにそう聞いた。
彼女は状況についていけてないようで、目を白黒させるだけだ。
俺たちの話は聞いていないのだろうか。
「あ、その――」
「やあやあ、待っていたよ!」
彼女が回答に困っていると、部屋の奥から声が聞こえた。
男の声だ。
その声の主は、すぐに俺たちの目の前に姿を現した。
「ニッパーくんに、ナナちゃん。遠いところから、ようこそお越しくだった」
シャツのボタンを締め直しながら、その男はニヒルに笑ってみせた。
薄めに整えられた顎髭に、清潔感を持たせるようにセットされた金髪が、その男の全てを隠すかのように目立っている。
彼こそが、アリム・サレハ。
LAMYのひとつ、アレイコムの会長。この場所の王だ。
「ああ、君はもう行っていいよ。ありがとうね」
「あ、はい。失礼、します……」
「うん、またよろしくね」
アリムとのそんなやり取りをして、フェアリィはそそくさとその場を後にした。
「やあ、悪かったね。止め時がわからなくなってしまって」
そんなことを、彼は笑いながら言ってきた。
別に興味もない。仕事に支障がないのならば、なんでもいい。
「さ、入りたまえ」
そう言って、アリムは俺たちを部屋の中へ招き入れた。
ふと、天神のほうを見た。
「……最低」
そばにいた俺以外には聞こえないような、そんな小さい声量で、彼女は呟いた。
苦虫を嚙み潰したような顔をしながら、重い足取りで、彼女は部屋の中へと入る。
俺もそれに続いた。
「改めまして、ようこそ私のラヴェルへ」
アリムは部屋にあるソファに座りながら、自信ありげにそう言った。
それに答えることもなく、天神と俺は彼と対面する形で座る。
とは言えそれを気にした様子もなく、アリムは続けた。
「いや、一度会ってみたかったんだ。セラフ章を取った史上最強のフェアリィと、凄腕と噂のエースパイロット」
「……どうも」
天神はアリムの言葉に答えて、続ける。
不愉快そうな顔は、どうにも繕いきれていない。
「お呼びいただいたのは、定期交流会のための打ち合わせ……という認識で良いでしょうか?」
「そんな固くならないで。ただせっかくだから、親睦を深めようと思っただけさ」
どうにも食えない。
柔和に笑う彼を見ながら、そんな風に思った。
腹の底で何を考えているのか、俺たちに何をさせるつもりなのかが、まるで読めない。
「で、どうだい? この街は気に入ってくれたかな?」
「着いたばかりなので、なんとも」
「まあ、それもそうか。そっちの色男くんは、どうだい?」
アリムはそう言って、俺のほうを見た。
「彼女と同じです。まだ到着して間もないので」
「そうかい? 案内役のアイシャって子がいたろ?」
彼がアイシャの名を出すと、天神の眉が少しひきつった。
アリムを睨むように、彼女は目を細めた。
「彼女はタイプじゃなかったかい? もしよければ、別の子を君の部屋に呼んでも――」
「あの、一体何なんですか?」
とげのある声色で、天神はアリムの言葉に被せてきた。
彼女は続ける。
「さっきの子もそうでしたけど、ここはフェアリィに、あんなことを強いているんですか」
「おや、あんなこと、とは?」
「ふざけないでください。わかっているでしょう?」
まるで汚らわしいものを見るかのように、天神の目は一層高圧的になる。
なるほど、彼女がさっきから不愉快そうな顔をしている理由が、ようやくわかった気がしてきた。
つまるところ、ここのフェアリィが不当な扱いを受けていると感じて、それに憤りを感じていたのだろう。
だがどうにも、それだけじゃない気がする。
少なくとも俺の知ってる天神は、ただの正義感だけで、ここまで感情的になる人物じゃない。
俺の知りえない何かが、彼女の神経を逆なでしているのだろうか。
「ああ、そこは心配しないで。彼女たちは自分から進んでやってくれてるんだ」
「そんなはず――」
「あ、もちろん、ナナちゃんにはやって欲しいなんて思ってないから、安心してくれていいよ」
「そういう問題じゃありません!」
彼女は大声で、アリムの言葉を否定した。
やはり、違和感があった。
これは憤りじゃない。
どちらかというと、怯えている。
天神の反応は、恐怖による虚勢を感じるものだった。
「……ふーむ、となるとやっぱり、見るのも嫌かい?」
しかしそんな彼女の様子に全く動じることもなく、アリムは顎に手を添えて言った。
表面上は困ったような顔を張り付けて、アリムは睨んでくるを天神を眺める。
そうしたまま、数秒。
彼は再び笑顔になって、こう言った。
「やっぱり、お母さんを思い出すから、忍びないかな?」
「……は?」
その瞬間、天神の顔が青くなった。
アリムの言葉を受け入れられないとでも言うように、目を見開き、言葉を失っている。
「なに、なんで……?」
「……最近連絡してあげてないみたいじゃないか。お母さま、寂しがってるらしいよ?」
「なんで、そんなこと、知って……」
「なんでって、そりゃあもちろん、彼女が――」
「ニッパー」
アリムの言葉を全部聞くことなく、彼女は急に俺の名を呼んで、席を立った。
顔は俯いていて、表情が見えない。
ただ、汗をかいているように見えた。
「ごめん、少し気分が悪くなったから、あとは任せるわ」
「大丈夫か?」
「うん、少し休めば、多分」
「……了解した。構いませんか、アリムさん?」
アリムにそう聞くと、彼は笑顔を崩すことなく、頷いた。
「もちろんだよ。長旅で疲れが出たのかもしれないね……よければ、ホテルまで送るよう手配しようか?」
「いいえ、それには及びません。失礼、します……」
天神はそれを最後に、部屋の外へ出て行った。
初めてだった。
あの強靭な精神力を持っている天神が、言葉一つであそこまで弱るところなど、今まで見たことがなかったのに。
「……さて」
すると、アリムはこちらに向き直し、足を組んで姿勢を直した。
先ほどとは、どこか雰囲気が違う。
「すまなかったね、どうやら知らないうちに、ナナちゃんのトラウマを踏んでしまったようだ。彼女への非礼、お詫びするよ」
「それは、どうも」
「ふむ、まあ、好都合ではあるけれどね」
アリムは俺を見据え、にやけた顔でそう言った。
その顔とは裏腹に、その声はひどく淡々としていて、情動の変化を感じさせないものだった。
まるで、全て狙ってやったとでも、言うように。
「……で、天神を追い出して、何の話を?」
「ははは、人聞きの悪いことを言わないでくれよ、デリカシーが欠けてただけの事故さ。薄い壁のモーテルでヤッてる部屋の隣に、家族連れが泊まっちゃうような、よくある話だろう?」
彼は言いながら、机に置いてあったタバコを取り出し、火をつける。
煙を上に吐いて、再び口に咥えた。
「……美人だよなあ、実際」
ふとそんなことを、アリムは言った。
彼は続ける。
「遊び心のあるツートンカラーを携えて、カナードを自在に操り、身をよじるように美しく飛ぶあの姿……君があのロシアの犬コロに夢中になる気持ちもわかるよ。あれは上玉中の上玉だ」
そこまで聞いて、彼が何のことを言っているのか、ようやくわかった。
別に驚きはなかった。
俺を呼ぶ理由など、『彼女』のこと以外にないのだから。
むしろ、存外に早く、正体を現したものだなと思った程度だ。
「それで、ニッパーくんよ……ええと」
アリムはなにやら、机の引き出しを開けて、何かを探していた。
しかしそれはすぐに見つかったようで、「あったあった」と言いながら、彼はそれを手に持って見せた。
拳銃だ。
レトロな、リボルバー式のシングルアクション。
それを、こちらに向けてきた。
弾は入ってると見ていいだろう。
「早速本題に入りたいんだが、いいかな?」
「ええ、どうぞ」
それだけ答えると、彼は笑って、こう続けた。
「ライカ、いくらなら売る?」
そんな、わざわざ答える必要すらないことを聞いてきた。
なんてセンスのない質問なんだろうか。
誉め言葉と銃のセレクトは、なかなかのものなのに。
向けられたリボルバー銃をしげしげと眺めながら、俺はそんなことをふと、考えていた。
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