サルベージされたあるログ:タイムスタンプ無し
――時刻不明、米国内、マーティネス本社にて。
どこかしらの会議室と思われるそこは、しかし妙に暗い場所だった。
ぼんやりとした間接照明と、大きなテーブルに表示されているホログラム・ディスプレイのみが光源となっており、どこか重々しい雰囲気を漂わせている。
ホログラムの可視性を高めるための措置であろうそれは、まるで会議の秘匿性を表しているかのようだ。
テーブルの末席にいる、マーティネス・コーポレーション本社執行役員のヘレン・メイヤーズは、そんなことを考えていた。
それも当たり前かもしれない、そう思いながら、彼女は座っている他の面々を見る。
その目に映る大半の人間は、しかしそこに実際に座っているわけではない。
それはテーブルに映っているもの同様、ホログラムでしかなかった。
一か所に集まるリスクを鑑みてのことか、どこか遠い場所から、厳重に管理された専用のネットワークを使って、自身の姿を投射しているに過ぎない。
しかし、だとしても、ヘレンはその座っている面子を見て、心の中で戦慄していた。
マーティネスのCEOだけではない。
欧州圏を拠点としている多国籍企業、『ローレライ・インダストリー』。
中東最大手である、『アレイコム・サイエンス』。
大陸にルーツを置く『
そしてヘレン自らが所属しているマーティネスを含めれば、形骸化した国家の代わりに、世界を調停していると言われる四大企業のトップ全てが、この場に集結していることになる。
世間では頭文字を取って
ヘレンは思う。
この様はまるで、日本のお伽話に出てくるモンスターの大群、ヒャッキヤコウのようだと。
「例のトラスニクに積まれたAI、捕獲に失敗したらしいな」
と、ローレライの役員が口を開いた。
「ライカ、とか言ったか」
「悲劇の犬コロか。スプートニクに郷愁に捉われた輩でもいたかな」
すると、それに乗っかって話をするものが一人。
アレイコムグループの会長だ。
30代くらいの男性。
その地位に対して、あまりにも若い。
他の面子は老人が多いのも相まって、ヘレンには余計にそう見えた。
「悪くないセンスだが、わからんね。なぜ彼らは、あんな時代遅れを躍起になって欲しがるんだ?」
「わからんさ、ランバー共の考えることなんぞ。こちらの言うことも、奴らどこまで理解しているのか――」
「”我が諸々の想いを知りたまえ。我に悪しき道の有無を見、とこしえに導き給え”――とでも、お願いすればいいさ」
からかうようにそう宣うアレイコムの会長を、ローレライの役員は睨んだ。
「……あのエイリアンどもを神だとでも?」
「そのエイリアンのおかげで、私もアンタもここにいるんだ。神様に祈るよりかは、金になるとは思うがね」
「なんだと――」
段々と剣呑な雰囲気が作られてゆく。
敬遠な信徒でもあるローレライの役員からすれば、アレイコム会長のからかいは憤るに十分なものだった。
「そこまでだ」
しかし、彼らのやり取りを諫めるように、老人の一声が場を支配した。
見るとそれは、月星工業の会長が、腕を組んで彼らを見据えている。
彼は続けた。
「貴様らの宗教観なぞどうでもよい。問題は、未だにあのような時代遅れひとつ、まともに捕らえられんということだ」
「それはまあ、そうだな」
老人の言葉に、アレイコムは同調する。
そしてそれを待っていたと言わんばかりに、彼は
「どうなんだい、マーティネスさん? 聞けば、アンタらが支援してるラヴェルに居座ってるって話じゃないか」
その言葉に、ヘレンの隣にいる、現マーティネスコーポレーションCEOである、アルフレッド・バラサムは何も答えず、沈黙を貫いている。
その姿はもはや車椅子に乗っていて、往年の覇気はなく、疲れ果てた老人のそれだ。
それを見て、アレイコムは続けた。
「既にケージの中に入っている犬すら捕まえられないとは、理屈に合わんね。アンタらが一声かければ、ノシを付けて渡すだろうに」
「……それに関しては、私の方からご説明させていただきます」
口を開こうとしないアルフレッドの代わりに、ヘレンが席を立ち、そう言った。
「現在対象であるAFX-78トラスニク『ライカ』は、ご周知の通り、その所有権がアジア圏第3ラヴェル最高責任者である、芹沢理事に帰属している状況です」
「そこまでわかっているなら、早く接収すればいいだろう。多少強引にでもできるはずだ」
ヘレンの説明にそう返すローレライの役員に、彼女は首を振った。
「それが、この芹沢という人物がなかなかの難敵でして、こちらが強硬しようとすると事前に察知し、あの手この手で逃げていき――」
「なるほど、つまり老人一人御せん言い訳を連ねている、という認識でいいかね?」
ヘレンの話に、月星の会長がそう口を挟む。
言われてしまったヘレンはそれに対し、何も言えなかった。
ただ黙って目を下にやり、唇をわずかに噛んだ。
「いやあ、あの美女の言い分もわからないでもない」
と、アレイコムの会長は軽薄そうな笑みを浮かべる。
「芹沢の名は私も知ってる。トップクラスのラヴェルを創った稀代の名将、フェアリィの生存率100%を維持する天才、かの悪名高きギルバート・ロッソの盟友――あの老獪に手を焼くのは、無理からぬことだろう」
その話を聞きながら、ヘレンは以前の芹沢との通話を思い出し、心の中でのみ舌打ちした。
芹沢の経歴は謎な部分が多い。
ただもともとは国家の諜報機関に所属していたらしく、その時に造った人脈でラヴェルに就任した、という話があるくらいだ。
彼のラヴェル、主に日本エリアで活動しているアジア圏第3ラヴェルは、世界でもトップの戦力を誇ると言われている。
何より他と飛びぬけているのは、先ほどのアレイコム会長の話にあった通り、設立されて以来ずっと、フェアリィの生存率が100%ということだ。
確かに、最近はランバーへの情報が集まり、フェアリィが死亡することはほとんどないと言っていい。
それでもランバーが出現したばかりの7、8年前は、生存率の年間アベレージが高いラヴェルでも80%を切り、特に低い場所では50%未満という始末だった。
生存率が跳ね上がった今ですら、どのラヴェルでも年間2、3人ほどは死亡しており、100%をたたき出したラヴェルは、今のところ第3ラヴェル以外ない。
芹沢の妖精は必ず帰還する。
故に勝てねども、決して敗れない。
誰かが芹沢を無敗の天才と呼び、それが世間からの芹沢の評価だった。
「しかし、なんでその芹沢は、そんなに犬コロを後生大事にしてるんだ? マーティネスを敵に回してまで守るメリットなんざないように思えるけどね」
ヘレンが芹沢を思い出し、その悔しさに耽っているところに、アレイコム会長がそう聞いた。
「あ、ええと……」
ヘレンは少しだけ遅れて気づき、すぐにその質問に答える。
「申し訳ございません。そこにつきましては、未だに判明しておらず、目下調査中です」
「ふん、急いでほしいものだな。ランバー共、こちらが見返りを渡さないとなると、いつこちらに牙をむくかもわからんぞ」
ローレライの役員にそう言われながら、しかしヘレンは何も言わず、ただ頭を下げることでそれに対するレスポンスとした。
「……現段階で報告できる情報は、以上となります」
彼女は言い終えると、再び席に座った。
いったん自分の役目が終わったことに息をつきながら、ヘレンはあること思い出す。
そう、あのローレライの人間が言う通り、いつまでもあの戦闘機を渡さないとなると、ランバーは協定を破ったとみなし、今度こそ全力で人類を滅ぼしに来るかもしれない。
それだけは防がねばならない、何としても。
四大企業とランバー達の間では、ある協定が結ばれている。
それは、四大企業の損失になるような破壊は避ける、ということ。
今日ランバーが襲っている場所は、そのすべてが四大企業にとって何の痛手にもならない場所ばかりだ。
企業関連の場所が攻撃されたとすればそれは、政治的な措置が行われたに過ぎない。
そういう約束が、どういうわけかランバーとの間で成されているのだ。
それも、その話を最初に持ち出したのは、ランバー側だと言う。
マーティネスの執行役員に上り詰め、初めてこの話を聞いた時、ヘレンは、自分の耳を疑った。
ランバーは今まで、人類の敵だと思っていた。
いや、最初は本当にそうだったのだろう。
しかし、今やそれは違うのだ。
ランバーがいれば、当然のごとくフェアリィ関連の商品が飛ぶように売れる。
彼らとの戦争というお題目は、恐ろしくなるくらいに儲かるのだ。
それも、他企業との関係を壊すこともなく。
ランバーはもはや、企業支配を助長するための存在。
我々企業に繁栄をもたらし、それはつまり企業に所属している人間の、裕福な生活を保障してくれるというわけだ。
協定が結ばれてから、苛烈を極めていたランバーの攻撃は、しかし世間に気づかれない程度に、徐々に緩やかになっていった。
世間はランバーの情報が増え、その分フェアリィが強くなったのだと考えているが、そうではない。
ランバーが、手加減をしているのだ。
企業はランバーに攻撃されても構わない
それですべてが安泰であり、企業にとって、世はことも無しも同然だ。
しかし、わからない。
ヘレンは思う。
なぜそんな協定を、ランバーが持ち出したのか、誰もわからないのだ。
自分は当然のこと、ここにいる四大企業のトップたちですら、なぜ彼らがそのような取引を出してきたのか、誰もわからないまま、彼らと契約している。
不気味だが、するしかなかっただろう。
そうしていなければ、人類はランバーによって滅ぼされていたかもしれないのだから。
だからこそ、ここに来て初めて出された、彼らの要求には、何としてでも応えねばならない。
そうしなければ、彼らは手の平を返して、この資本主義の上に成り立った平和を、崩しかねないのだ。
「焦る必要はない」
静かに、しかし会議室中に響き渡るような、ゆっくりとした声。
全員が声を発した主を見る。
それは、今まで一回も発言していなかった、アルフレッドからのものであった。
「……どういうことだ、アルフレッド」
月星の会長が、アルフレッドにそう聞く。
すると彼は、ゆっくりと口を開いた。
「先ほど、彼らから『交信』があった」
交信――。
アルフレッドに限らず、企業人の上層にいる者たちは、脳の一部をブレイン・マシン・インタフェースに置き換え、機密性の高いデータなどをそこでやり取りしている。
この言葉は、ランバーからきたときにアルフレッドが言う、彼独自の表現だった。
「ライカと接触したらしい。その結果、今は彼女の意思を尊重するそうだ」
「放っておけと?」
「今のところはな」
アルフレッドは彼らの意思を伝え、月星の質問にもただそれだけ答えた。
「どちらにしろ、対策は考えておく必要があるな。来るべき時のために」
「まあ、彼らの意見が聞けただけでも、今回は良しとするか」
と、ローレライの役員とアレイコムの会長は、それぞれ呟く。
「そろそろいいかね? こちらも暇ではないのでな」
月星の会長はそうアルフレッドに聞いた。
アルフレッドはそれにただ、無言で頷く。
「では、また」
それだけ言って、月星の会長のホログラムが、その場から消えた。
その場所には無機質な、『LOGOUT』のホログラム文字が浮いているだけとなった。
「じゃあ、私もこれで。女の子を待たせていてね」
続いて、アレイコムの会長がログアウト。
「いいか、いざとなったら破壊しろ。先方はそれでもかまわないと言っているんだからな」
最後に、ローレライの役員がそう捨て台詞を吐いて、ログアウトした。
機体は堕としてもいい、
とにかく、ライカを手に入れろ。
それが、ランバーの言い分だった。
これでこの場に残っているのは、生身であるヘレンとアルフレッドだけとなった。
しばしの沈黙。
すると、アルフレッドがテーブルを2回、指でゆっくりと叩いた。
これは、ヘレンに車椅子を押すように指示しているのだ。
「かしこまりました」
ヘレンは何度も履行して、すっかり慣れたようにその命令を聞き入れる。
タイヤの固定を外し、車椅子の取っ手を引っ張って、テーブルから離す。
すると、会議室のホログラムは消え、その代わりとでも言うように、照明がついた。
「やはり、ブラックフット程度では捕らえられんか」
すると、アルフレッドがそんなことを呟く。
その内容は、今回のライカ捕獲の件。
キール・セルゲイに依頼したものだ。
「事後処理はどうだね、ヘレン君」
「はい、ログは全て改ざんが済んでおります。今回の件は、キール・セルゲイ個人の暴走ということで決着がつくように、各関係者に話も付けてあります」
「そうか、あれはそんな名前だったか」
まるで興味がないことを示す、冷淡な口調。
ヘレンはそれを聞いて、ゾッとした。
「で?」
「……はい、キール氏の死亡も、『彼ら』が確認済みです。情報が洩れる心配は、今のところないかと」
「そうか、ならばいい」
ヘレンは身震いしそうになるのを必死で耐え、車椅子を押す。
キールのような最期が、いつ自分に降りかかってくるからわからない。
それを突き付けられたような気がしたから。
ヘレンは思う。
私は決して、キールのようなヘマはしないと。
あらゆる汚い手を使って、いざとなれば男たちの汚らわしい欲望にも嬉々として答え、この年齢でこの地位まで上り詰めたのだ。
いつ死ぬかもわからない、資源の大半を企業が独占しているこの世界で、不自由なく生きるためには、企業に入り成り上がっていくしかないのだ。
キールのように口封じで殺されようが、よっぽどマシだ。
ランバーに無差別に虐殺されるのを待つより。
パン切れひとつも食べれずに、飢え死にするのを待つより。
よほど、よほどましだ。
だって、毎日暖かい布団と美味しい食事に、ありつけるのだから。
だから、このまま上っていくしかない。
一生を安寧に、贅沢に過ごすためには、この世界ではそれしかないのだ。
このままでは終われない。
どんどん成り上がって、勝ち組のまま、老婆になるまで生きるんだ。
だから、あの戦闘機は何としてでも捕まえる。
人類の平和のために。
そして、私自身の安寧のために。
ヘレンは何とかそう自分を鼓舞することで、恐怖心を紛らわせ、何事もなかったかのように、スムーズに車椅子を押していった。
ヘレンとアルフレッドが会議室から出て、自動でドアが閉まる。
すると、全ての照明が落ち、部屋は完全な暗闇へと変貌した。
彼らの会議は、全て記録が残らないように細工されている。
そのため、その場で誰かが話し合っていた事実は、暗闇となった瞬間、完全なる抹消を遂げた。
サルベージも困難であろう。
できるものがいるとすれば、それは恐らく、アナログ世界に身を置く現代の人類の技ではない。そう言えるほどだ。
ただ、スタンバイ状態となったホログラム投射機のみが、稼働後の余熱を、僅かに放出しているのみであった。
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