お休みの日
あの作戦が終わって、数日が経った頃だろうか。
懐かしい、今はそんな気分だった。
仰向けで、硬い手術台に寝転がりながら、そんな感傷を抱いている。
部屋の周りには、大小さまざまなコンピュータ。
それらが所狭しとひしめいていて、稼働していることを表すように、静かに点滅している。
天井に吊るされた、手術に使うような大きな照明。
コンピュータのファンの音と、時折聞こえる、金属音。
ふと、寝ている自分の身体を見る。
そこにあるのは、普段の姿とは少し違っていた。
様々な部分が切られ、開かれ、大量のケーブルでコンピュータに接続されている。
改造された部分を、調整している真っ最中だ。
「どうしたの、ニッパー?」
と、横から、俺の身体を調整している本人が、話しかけてくる。
桂木だ。
桂木シズク。
「いや、なんでもない。久しぶりだったから、つい」
「ならいいけど……痛かったら、すぐに言ってね?」
「ああ、わかった」
「そういえば、初めてかもね。ニッパーが”久しぶり”なんて言うのは」
桂木はそう言って、表情を少し綻ばせた。
そうだったろうか。
とは言え確かに、ノスタルジーに浸れるような記憶もないから、そうなるか。
なぜ桂木がここにいるのかというと、簡単なことだ。
あの作戦の後、結果的に桂木は、マーティネスを退職し、正式にラヴェルの配属となったのだ。
とは言え彼女曰く、やはりと言うかなんというか、退職するときはひと悶着あったようだが。
無理もないだろう。
なんせ彼女は、『フェアリィ達を意図的に攻撃しました』なんていう、マーティネスの致命的なイメージダウンに繋がりかねない事件の、関係者の一人なのだ。
そんなどんな情報を持っているかもわからない人間を、社員という命令できる立場に留めておきたいと考えるのは、企業側としては当たり前かもしれない。
しかし最終的には、芹沢理事長がいろいろと便宜を図ってくれて、無事退職できたとのことだった。
なぜ理事長がそこまでやってくれるのかは、桂木もわからないらしいが。
単純に、彼女の能力を買ってのことだろうか。
はたまた、何か別の狙いがあるのか。
まあ、俺としては、理事長殿がどんな画を描いていようが、どうでもいい。
結果として桂木はラヴェルに来て、俺とライカは、こうして再び彼女にチューニングしてもらえるようになったのだから。
彼女が来たおかげで、俺たちはいつでも、最適化して飛ぶことが出来るようになるのだ。
文句の付けようもないだろう。
「……これは、思ってた以上にガタガタね」
桂木が俺の身体を見ながら、呟いた。
だろうな、と思った。予想通りだ。
「
「あの加速は、やっぱり使ってたのね……あの時は仕方ないにしても、元々有人飛行のテストはできてないんだから、あまり無茶しちゃダメよ?」
桂木はそう言いながら、PCのモニタを覗く。
そこに映っているのは、リアルタイムでチェックされている俺のバイタル情報だ。
この膨大な情報と睨めっこしながら、移植されているインプラントの調整を適宜しているわけだ。
「でも、それだけじゃないわ。長いことメンテできてなかったから、いろんなところでズレが出ちゃってるのも大きい」
「直せるか?」
「誰に言ってるの」
そう言いながら、桂木は少し得意げに笑った。
「ちゃんと責任をもって、ラヴェルに来た時よりも、良くしてあげるわよ」
「助かる」
そう言って、彼女は無言でうなずき、再び作業に戻った。
会話は一旦、それで途切れた。
部屋に静寂が訪れる。
時たま聞こえる、工具の硬い音や、電子音が静かに鳴り響いている。
子守唄に、ちょうどいいかもしれない、なんて思った。
実際には、子守唄なんてものは聴いたことがないから、これといった根拠はないが。
そんなことを考えながら、時間は果たして、どれくらい経っただろうか。
顔を横にして、備え付けの時計を見ると、数十分ほど針が進んでいた。
「……そういえば」
と、桂木が話しかけてきた。
なにやら神妙な顔をして、続ける。
「レイに話したわ。私が研究所で、何をやってきたか」
どうやら、あの夜に俺に言ったことを、実行したらしい。
「もう言ってよかったのか? まだ公開されてない情報のはずだろう」
「理事長さんが、ウルフ隊の子たちだけには、話したらしいわ。ショッキングな内容だけど、彼女達もいい加減、無関係ではいられないだろうし」
それを聞いて、なるほどな、と思った。
確かに、もはやマーティネスと戦った彼女達に、別段隠す必要もないだろう。
あまり大っぴらに喋れる内容でもないが、彼女達は曲がりなりにもベテランのフェアリィだ。
作戦内容に関係があることを、言いふらすような連中ではない。
であれば、変に隠すよりも、ある程度そういう情報は開示したほうが良い。
正確な情報を多く共有するほど、連携はスムーズになるのだから。
「……それでなんだけど」
すると桂木は、静かなトーンで俺に言った。
「聞いてくれる?」
「ああ」
彼女ら家族のことについて、俺が別にどうこうできることはない。
だからそんな報告を受けても、意味がないとは思う。
しかし、桂木にとっては違うのだろう。
他人に話すと言う行為そのものが、思考や感情の整理に役立つということを、何かの本で読んだことがある。
これは、恐らくその一環なのだろう。
あくまで、予測でしかないが。
「……結局ね」
その言葉を皮切りに、彼女はポツリポツリと話を続ける。
「すっごく怒られたわ。当然よね、実の姉が犯罪に手を染めてたんだから――私が謝ったとき、レイなんて言ったと思う?」
「なんて言ったんだ?」
「”謝る相手が違う”って――言われて、ようやく気付いたわ。結局のところ、私がやってることって、罪悪感を誰かに押し付けてただけだったのね」
そう言う桂木は、話の内容に違わず、お世辞にもポジティブとは言えない表情だ。
しかし、何というか、そう、ただ曇っている、というのでもない。
それはどこか、抵抗することをやめたような。
前に会ったときに感じた、何かを振りほどこうとしている、足掻きみたいなものを感じなくなったというか。
なかなか言葉にするのが難しいが、そんな、何かを受け入れたような顔つき。
「それで、でもね……ひとしきり怒った後――」
話を続ける彼女は、ほんの少しだけ柔和な雰囲気になった。
研究所でこんな顔をしていたのを、思い出した。
「”それでもお姉ちゃんの味方だから”って、言ってくれたの。いつの間にか、あの子、あんなに強くなったのね」
その口調は、寂しそうだが、柔らかい。
そうだ、思い出した。
研究所でも、レイの話をしたとき、桂木はこんな感じだったっけか。
「私もいい加減、逃げるのをやめなきゃね。自分の過去を背負って、やるべきことをやるしかない」
そう言って桂木は、静かに微笑んだ。
「アンタのやるべきことってのは、何だ?」
「決まってる」
俺のその疑問に、彼女は淀みなく答える。
「アナタとライカを、飛ばすことよ。誰よりも、遠くまで。レイ達を守ってもらうためにね」
それを聞いて、俺は内心、安堵した。
これで死んだ実験体に対して、贖罪しながら生きていくなどと宣ったら、どうしようかと思っていたが、杞憂だった。
実際のところ、彼女の言い分には、俺もおおよそ同意できた。
例えばここで、桂木が罪の意識に苛まれて、贖罪に一生を捧げる選択をするとしよう。
その場合、彼女はどうするべきか。
死んだ実験体の連中は、俺含めて遺族なんてもんもいないから、償う者なんていないだろう。
では、仮にいたとして、どうするのか。
彼らを悼んで、一生賠償金でも払いながら、喪に服しでもすればいいのか。
それとも、自殺でもしろというのか。
金なら別にいい、いくらでも、桂木が満足するまで払えばいいだろう。
だが、贖罪で研究をやめたり、ましてや自殺などしようというなら、俺はあらゆる手段をもって止める。
当然だろう。
だって、そうなっては誰がライカを調整してくれると言うのだ。
ライカを最高の状態にできるのは、俺の知る限り桂木しかいないのだ。
俺は別に、いくらでもスペアの人間を造れるだろうからどうでもいいが、ライカは違う。
彼女が十全以上に飛ぶためには、桂木が必要なのだ。
極端な話、桂木が悩んでいる遠因であろう倫理観や罪悪感など、俺にはどうでもいい。
ライカの存続の障害となるのであれば、そんなものは無視してほしいとさえ思う。
だから俺にとっては、桂木はいい落としどころで、自身の悔恨にケリをつけてくれたと言える。
結果として、ライカのサポートに力を入れてくれさえすれば、こちらとしては万々歳なのだから。
「なんにせよ、悩みが解決したみたいで、何よりだ」
「これでライカに専念してもらえるから――でしょ?」
なぜか桂木は俺の思考を読んだかのように、そう答えた。
「よくわかったな、言ってもないのに」
「ニッパーが私で喜ぶことといったら、ライカ関連に決まってるわ。研究所の時からそうじゃない」
そう言われて、そう言えばそうだったかと思い直す。
研究所時代では確かに、彼女の話で喜ぶときは、ライカの話のときだけだったか。
本当にそうだったか?
確か、それ以外の話でも――ダメだ、ライカ関連以外に、彼女と何を話したかいまいち思い出せない。
「ニッパーはいつもライカ、ライカね……ねえ、女の子に興味とかは、ないわけ?」
と、桂木はそんなことを聞いてきた。
先ほどまでの重苦しい雰囲気は鳴りを潜め、どこか面白がっているような感じだ。
「興味?」
「例えば、ウルフ隊で気になってる子とか、いないの? かわいい子ばっかりだし」
「恋愛的な観点で――という意味か?」
「そう」
「ないな、考えたこともなかった」
と言うと、桂木はため息を吐いた。
「まあ、ニッパーはそうよね……よしっと」
と、桂木は持っていた手術用具を片付け、俺に着けられているセンサ類を外す作業に移った。
メンテナンスが終わった、ということだ。
「メンテ終わり。どう?」
全てのセンサを取り外してから、桂木はそう聞いてくる。
台から起き上がって、腕や手を動かしてみる。
次に立ち上がって、足の感覚、動きを確認する。
異常なし。
いや、それどころか、重りが外されたかのように体が軽い。
さすが、というべきか。
「好調だ。ありがとう」
「どういたしまして」
言いながら、彼女は体を伸ばし、一息つく。
さて、今日はこの後は、特にこれといった予定もない。
メンテナンスも終わったことだし、ライカのオーバーホールでもやるか。
なんてことを考えていると、部屋に電子音が響いた。
部屋に備えついている、インターホンの音だ。
誰か来たのだろうか。
「どうぞ」
「え、待ってニッパー、服――」
と、桂木が何か言う前に、部屋の自動ドアが開いた。
「お邪魔するわ。ニッパー、いるかしらッ――!?」
入ってきたのは、天神だった。
それは良いのだが、何やら俺を見るなり、目を見開いて絶句していた。
「あれ、ナナさん、どうし――うわ!?」
と、続いてレイが入ってきた。
が、天神と同じく、俺を見てフリーズ。
二人とも顔が赤い。
何があったというのか。
「に、ニッパーさん、服! 服着てください!」
「……ああ、なるほど」
レイに言われて、自分の今の格好を思い出した。
つい先ほどまで体をメンテナンスされていたわけだから、必然的に服を脱いでいるわけで。
つまり言うと、今の俺は下着一枚以外、何もつけていない状態だった。
天神達はその状態がお気に召さないらしい。
「桂木、俺の服どこ?」
「ほら、これ。もう、しっかりしなさい」
呆れながら桂木が、ジーンズとシャツを渡してくる。
「すまない、お目汚し失礼した」
渡された服を着ながら、俺は天神達に謝罪する。
一体何にこんな狼狽しているのかは皆目わからないが、何かしら気に障ったのだろう。
動揺っぷりを見る限り、それも相当。
「い、いや別に、私は……嫌じゃないと言うか――」
「な、ナナさん!?」
「いや、ちがッ!」
しかし、何やら場はまだ収まっていないようで、天神とレイが何か言いあっている。
結局、何の用なのだろうか?
「ふむ、良い身体じゃないか」
と、また別の声が聞こえた。
声がしたほうを見ると、そこには駆藤がいた。
見ると、落花と大羽もいる。
ウルフ隊が全員だ。
「はえー、本当に改造人間なんだね」
俺の身体を眺めながら、落花が感心したように言う。
そういえば、研究所のことを聞かされたのか。
「意外か?」
「いんや、むしろ納得かな。生身であんな変態機動に耐えてる方がホラーだよ」
まあ、落花の言う通りだ。
生身でライカの動きに対応できる人間がいたら、そいつはもう人間じゃないだろう。
もっともな感想だ。
「……あのさ、話進めない?」
と、ある程度静観していた大羽が、ため息をついてそう言った。
「ほら、そこの2人も」
大羽が、未だになにやら言い合っている天神とレイに呼びかける。
すると2人はようやく気づいたようで、大羽のほうを見て、バツが悪そうにしながらも、会話を中断した。
「……で、用件は?」
服を着終わった俺は、手術台に腰を下ろして、聞く姿勢をとった。
「え、ええ、それなんだけど――」
と、天神は一旦咳払いをして、続ける。
「買出しに、ニッパーも一緒に行かないかな、と思って」
「買出し?」
「そう」
天神の言葉に疑問を持っていると、落花が割り込んできた。
代わりに回答してくれるようだ。
「いつも休日お部屋かガレージに引きこもってる、かわいそうなニッパーくんに、特別に私たちとデートする権利をあげよう――ていうリーダーからの粋な計らいだよ」
「……そうなのか、天神?」
「ミサ、黙ってて」
天神の様子を見るに、全然違うらしい。
ため息を一回はいて、彼女は続けた。
「近日中に、フェアリィ訓練生の修了記念パーティーを行うんだけど、それの飾りつけとか、パーティーグッズとかの買出しに、今日行こうと思ってて」
「ふむ」
「それで、良ければニッパーも一緒に、どうかなと思って」
「俺が行っても役に立つか?」
「いや、役に立つ立たないじゃなくて、ええと……」
なにやら天神は言いあぐねていた。
何だと言うのだろうか。
「仲間をショッピングに誘うのに、特別理由もいらないでしょ」
「それに、荷物持ちにもなる」
「こら」
大羽と駆藤が、天神の代わりとばかりにそう補足した。
なるほど、要は、彼女たちなりのご厚意、ということか。
天神はそれに何か反論するでもなく、どこかやりづらそうに、顔を少し附せ、上目で俺を見る。
しかし、その厚意を無碍にするようで申し訳ないが、今日はライカのオーバーホールをしようと思ってたのだ。
彼女らには悪いが、この話は断ろう。
「これからライカの整備をするんだ。すまないが――」
「いいじゃない、行ってきなさいよ」
すると、桂木がそんなことを言い出した。
なぜかと思っている俺をよそに、彼女は続ける。
「ニッパー、ライカのオーバーホールをするつもりなら、今日は無理よ。一回診断プログラムにかけなきゃいけないから、それまではお預け」
「いや、しかし――」
「仲間と交流を深めることは、空を飛ぶうえでも有効よ。巡り巡って、それがライカのためにもなるはず」
「……そういうものか?」
「そうそう」
と、柔和な笑顔で言う桂木。
なにやら言いくるめられてる気がしてならなかったが、桂木はこと研究に関しては嘘は言わない。
彼女が言うなら、まあそうなのだろう。
「わかった、同伴しよう」
「え、チョロ……」
「お姉ちゃん、手慣れてない……?」
なにやら落花とレイがぶつぶつ言っているが、特に反応しなくても問題なさそうな内容だ。
「で、どこに行くんだ?」
「よくぞ聞いてくれました!」
そう言うと、落花はどこに持っていたのか、紙切れを一枚取り出して、こちらに見せてきた。
チラシだ。
内容は、だいぶ端折って説明すると、少し前にラヴェルに大型ショッピングモールが開店したというものだった。
かなり大きな施設だ。ラヴェルというものの広大さを、改めて実感する。
ただ――。
「『ドッグランド』! ここで決まり!」
その名前はどうなんだ?
というのは、口には出さず、思うだけに留めておこう。
はしゃぐ落花を見ながら、そう決めた。
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