見知った顔
コロニー作戦から何日か後。ライカの修復も終わって間もなくのことだ。
コクピットに乗り、日課のシステム・メンテナンスを行っているときに、メインディスプレイに通知が入った。
こうした通知機能は、何者かがライカに対して何らかのデータを送った際に発されるものだ。
通常はトラスニクのシステム・アップデートだったり、新しい機能が欲しい際に、それら用のソフトウェアを開発元などから受け取るために使われることが多い。
桂木との試験でも、これは頻繁に目にしたので、よく覚えている。
とは言え、今のところそんなソフトウェアを依頼した覚えはない。
何かと思い、メンテナンス用に接続しているコンソール用PCから、メインディスプレイに視線を移した。
通知が一件。
それを開いてみる。
<DataRecieved:from [SIT-2134-KATSURAGI]>
それは予想だにしないことだった。
この名前は、それこそ、研究所でテストをしているときに、飽きるほど見た識別名だ。
桂木シズクだ。
「桂木?」
「呼びました?」
急に横から出現した声に、俺は驚いて、少しだけ体が動いた。
反射的に声がしたほうを見ると、そこにはレイがいた。
ラダーを登り、コクピットの淵にのしかかって、こちらを見ている。
「今の動き、猫みたいですね」
からかうように、笑いながら彼女は言った。
故意にやったのなら、心臓に悪いのでやめて欲しいところだ。
あの日、泣いているレイと話したとき以来、彼女はちょくちょくここに来るようになって、ライカの整備を手伝ってくれるようになった。
わざわざ彼女が手伝う必要はないのだが、何故かこれは誰に命令されたわけでもなく、彼女自身の自由意思でやっていることらしいので、となると俺には断る理由がなかった。
恐らく、厚意というものだろうか。
自分にそれが有るかは置いておいて、人間には、そういう相互扶助を行うための精神がデフォルトで備わっている。
社会性と言うやつだ。
彼女のこれも、その一環と言えるだろう。
「それで、何かあったんですか?」
と、レイは改めて俺にそう聞いた。
一瞬だけ何のことかと思ったが、そういえば彼女は、俺に名前を呼ばれたのだと思っていたことを思い出した。
「いや、すまない。アンタのことを呼んだわけじゃないんだ」
「え?」
彼女は俺の答えに納得いかないようだった。
この場に『桂木』の名がつく人物はレイしかいない。
ではその名を呼ぶことに、他に何の意味があるのか、と言うのは、至極当然の疑問だろう。
「これだよ」
そう言って、ライカのメインディスプレイを指さす。
レイは指す方向の示す通り、視線をそれに向けた。
「これって……?」
「今、データを受信したんだ。桂木――アンタの姉からだ」
「え……!?」
レイは少なからず動揺を見せた。
無理もないだろう。
音沙汰がなかった親族からの連絡なのだから。
「な、何が送られて来たんですか!?」
彼女は前のめりになって、メインディスプレイを食い入るように見る。
レイの頭でディスプレイがほとんど見えない状態になってしまった。
「確認したいからどいてくれ、桂木」
「え、あ……ごめんなさい」
桂木はそう言って、少々バツが悪そうに、自分の位置を調整した。
とは言え、彼女の行動も理解できる。俺も少々驚いているところだ。
改めて、送られてきた通知の中身を見てみる。
まだプレビューでの確認のみだが、それは数キロバイト以下の小さいファイルだった。
通常ライカに転送されるデータは、データリンクシステムに取り込むために、それ専用のファイル形式で送られるのだが、これには拡張子すら設定されていない。
いや、それどころか、簡単な暗号化もされていないのだ。
桂木がこういった形式のデータを送ってきたことは過去に一度もない。
彼女の性格上、このような未完成なものを送ることはないはずだ。
もしそれでもなお、彼女がこれを送ってきたのだとしたら、よほど切羽詰まった状態ということになる。
「ニッパーさん、これ、見てみることはできないんですか?」
「少し待ってくれ」
第三者からの
PCの接続をライカから外し、ウイルスチェックを行った後、オフラインモードでファイルを起動。
最悪の事態になったら、すまないがこのPCにだけは犠牲になってもらうほかない。
拡張子が無いので、ひとまずテキストエディタにてファイルを見てみる。
文字化けをしていたので、何回か文字コード変換を試す。
すると、読める文字が表示された。ビンゴだ。
『ニッパー、今どこにいる?』
それは、日本語で表示された。
ところどころ文字化けが残っているところもあるが、読むには支障のない範囲だ。
まだ下にも文が続いている。
『もしまだ生きていて、このファイルを読める環境にいるのなら、聞いてほしい。ライカがマーティネス社に狙われている。理由はわからないけれど、彼らは何としてでも、ライカを手に入れようとしているわ』
書かれている内容は、突飛ながら、しかし心当たりのあるものだった。
俺とレイは、顔を見合わせた。
思い出すのは、コロニー作戦で出現した、
「ニッパーさん、これって……」
レイは何か言いたげだったが、思いつかなかったのか、その先の言葉を口にはしなかった。
続きを読んでみる。
『彼ら、木端微塵になった残骸でも構わないと言っている。お願い、辛いのはわかるけど、ライカを捨てて、逃げて。間違っても、企業に立ち向かおうなんて、馬鹿な真似は考えないで』
それは警告だった。
彼女は、俺がラヴェルにいるということは知らない。
どこぞの無人エリアに流れ着いて、ライカを隠しながら生活しているとでも思っているのかもしれない。
確かに実際、そうなるところではあったのだが。
『こんなことを言ったら、アナタはまた怒るでしょうね。それでいいわ。生みの親が言うのもなんだけど、私はライカよりも、アナタに生きて欲しい。私の優先順位では、そうなっている。何を犠牲にしてでも、アナタは生き延びて。それが私の望みよ。さようなら』
さようなら、その言葉で、桂木からのメッセージは締めくくられた。
その下には、旅客機用の電子チケットの詳細と、それにアクセスするためのIDとパスワードが記載されていた。
これを使って逃げろ、ということだろう。
「お姉ちゃん……」
レイは絶句した様子で、ファイルの文章を見直している。
無論、これが桂木ではなく、第三者からの罠である可能性もある。
とは言え、現状ではどちらと断定するにしても、その判断材料があまりにも少ない。
「ニッパーさん!」
そう考えていると、レイは俺のほうに振り向いた。
「お姉ちゃん、今どこで何しているんですか。こんなメッセージ送ってくるなんて、絶対普通じゃないですよ!」
ふむ、それについては、俺もおおむね同意見だ。
杜撰なファイルに、書きなぐったかのようなメッセージ。
もしあれが本当に桂木が書いて寄こしたものならば、相当に焦っていたことが予測できる。
つまりそれは、焦らなければならない事態に陥っている、ということで。
何かしらの危険が、彼女に迫っている、ということになるだろう。
「電話は繋がるか試したか? 連絡先は知っていたな」
一応、レイにあれから電話したかを聞いてみる。
こういった事態になった以上、感情的な理由での連絡拒否は、一旦目をつぶってもらう必要がある。
いざとなれば、俺が出ればいい。
「……ニッパーさんに言われたあの日から、何回かかけてるんですが、一向に繋がらなくて」
どうやら既にレイは試していたようで、その表情は曇っていた。
しかしこれでかからないとなると、いよいよ桂木に何かあったと考えるのが自然だろう。
キール・セルゲイに連れられて行ったので、今頃は合併したマーティネス社と働いているのかとも思っていたが、どうやらそれほど単純な事態でもないらしい。
「ニッパーさん、お願いがあります」
レイは言いながら、PCに映っているメッセージを指さした。
「このメッセージを、理事長さんに見せて欲しいんです。あの人の協力が得られれば、お姉ちゃんを見つけることが出来るかもしれません」
「理事長に会いに行くの?」
と、不意に第三者の声が聞こえた。
俺とレイは、その声がした方向に顔を向ける。
すると、そこには大羽がいた。
駆藤も一緒だ。
「探したよ、レイ。まさかニッパーのところにいるなんて。メッセージも返信ないし」
「え……? ほ、本当だ! ごめんなさい!」
レイは端末を確認し、慌ててラダーを降りた。
大羽は、それを確認して言葉を続ける。
「あの人に用があるんならちょうどいいや、緊急招集だよ」
「何かあったのか?」
そう聞くと、大羽は首を振った。
「まだ何も聞いてないんだ」
「ふむ」
「場所はブリーフィングルームだ。一緒に行こう」
「了解した」
俺はコクピットから降りて、大羽達に追従する。
すると、大羽はなぜか、横目で俺のほうを見た。
「……レイは最近、よくここに来るの?」
「たまにな」
「ふうん」
それは俺ではなくレイに聞くべき事柄ではなかろうか。
そう考えていると、当のレイは、どこか落ち着きがない様子を示していた。
突然の姉のメッセージに、まだ困惑が残っているのだろうか。
「ネンゴロなのか?」
すると、駆藤がそんなことを聞いてきた。
その言葉を聞いた瞬間、レイが謎に驚いていた。
「違うが」
素直にそう言った。
「なんだ、つまらん」
「へ、変なこと聞かないでくださいヨーコさん!」
レイが駆藤に激昂している様子を見ながら、そういえば、駆藤がこういった質問をすることは意外だな、と感じた。
とは言え、駆藤のことは――と言うより、他人の人間性など把握できるほど俺は賢くないので、意外も何もないが。
「はあ……ほら、行くよ」
そんな光景にため息を吐きながら、大羽は歩を進める。
とは言え、レイはまだ姉のことが気がかりなようで、その顔から、不安は拭い去られてはいなかった。
「来たか」
場所はコロニー作戦でも使ったブリーフィングルームにて、理事長は既に来ていた。
「やっほー!」
落花と天神も同様に、椅子に座っていた。
落花は手を振って、天神はあいさつ代わりに頷いて、それぞれ対応していた。
「遅くなってすいません――それで、用件は?」
大羽が椅子に座りながら、集められた理由を理事長に聞く。
すると部屋が暗くなり、正面のモニタに映像が映った。
「……マーティネス社から、緊急の依頼が入った」
その言葉に、周囲は静まり返る。
恐らく皆、同じものが頭に浮かんでいるのだろう。
理事長は映っている画面を切り替えて、続けた。
「本日未明、マーティネス社のアジア圏支社が、ランバーの集団に襲撃を受け、占拠された。これの撃退、及び支社に残っている社員の救出が、今回の主任務だ」
「聞いていい?」
説明された作戦に対して、手を上げて、発言を要求する。
「ランバーの他に、敵性勢力はいないの?」
その言葉は、暗に先日のUAVのような、いきなりこちらに不意打ちをかけてくる連中はいないのか、ということを聞いているに等しかった。
「察しがいいな」
と、理事長。
「その通り、そういう存在がいる――と言うより、ある」
「どういうこと?」
落花が続けて質問すると、理事長は再度モニタの画面を切り替える。
そこには、マーティネス支社、及びその周辺にある街を、ドーム状に囲んだような図が表示されていた。
「今映っているのは、マーティネスが独自開発した自動迎撃システム『ブラックフット』の防衛ラインだ。この中心のマーティネス社からおおよそ150平方Kmに入った瞬間、大量のミサイルと機銃、
ブラックフット。
前に何かの本で読んだことがある。
製品としては売り出しておらず、マーティネス社が自社のみで運用している、特別製の防衛装置だ。
守り方は今理事長が言った通りで、これのおかげで、ランバーはともかく、敵対する企業や、テロ組織などの襲撃を切り抜けてきたらしいが。
「それが何なの? 相手がランバーなら、意味ないじゃん」
そう、ランバーはコンピュータを無効化する特殊な電子攻撃を行う。
落花の言う通り、いくらブラックフットが高性能だからと言って、動かなければ意味がないだろう。
「いや、動いている」
「……どういうこと?」
「稼働しているのだ。『ランバーの味方』としてな」
その言葉に、ウルフ隊の面々は少しざわついた。
「つまり、ブラックフットがランバーに掌握されて、今度はこちらを狙ってきている、ということね」
と、天神は今までの情報を統合して、そう結論付けた。
「恐らくだけどランバーは、人類の兵器をハッキングして、味方につける方法を学んだと考えられるわ」
「ウッソ……厄介だなあ」
天神のその考えに、落花は辟易した表情でそう返した。
「じゃあ、前のUAVも……」
「……そこまではわからないけど、どうにしろ、今まで自分たちを守ってきたものが牙をむいてくる、ということは、間違いないはず」
大羽の問いに、天神はそう答えた。
どこか、納得いってないような顔をしているのは、気になったが。
「まだある。救出対象はどれだけいるんだ? それでどう動く関わってくるぞ」
と、駆藤。
「そう焦るな、今見せる」
「焦ってない、そっちが遅いんだ」
気に食わなかったのか、駆藤は頬を膨らませて理事長にそう抗議した。
そんな彼女のことを無視して、モニタの映像は切り替わる。
「商業地区とは言え、有人エリアには変わらないからな。かなりいると思っておけ」
そう言いながら、理事長はモニタに映った、マーティネス社員や、そのビル周辺にいる住人の顔写真付きプロフィールをスクロールする。
すると、その中に、見覚えのある顔があった。
「あ……!」
レイの声だ。
そう、その顔は、どこかレイと似ている。
顔写真の名前欄には、こう記されていた。
桂木シズク。
「お姉ちゃん」
「え?」
レイが思わず言ったその言葉に、天神も声を漏らす。
他のやつも同様に、皆驚いた顔でレイの方を見た。
「……その通り、救出対象の中には、桂木の姉でもある、桂木シズク殿がいる」
「な、なんでですか! なんでお姉ちゃんが、こんな――」
「落ち着け」
理事長の低く、しかし部屋中によく通る声。
それに気圧されたのか、レイは途中で言葉を止めた。
それを確認し、理事長は言葉を続ける。
「救出対象に知人がいようがいまいが、お前達がやるべきことに変わりはない。ランバーを倒し、人質を全員救出し、生還しろ」
それを聞いて、レイは落ち着きを取り戻すことが出来たのか、静かに席に座り直し、姿勢を正した。
「さて」
そう言うと、理事長は俺のほうを見た。
「喜べ、ニッパー。今回も出番があるぞ」
それは皮肉か。あるいは本心でそう言っているのか。
知らないが、それはどうでもいい。
命令ならば、やるだけだ。
何も変わらない
「今度はブラックフットの兵器群を潰せ、ということでよろしいか?」
「いや、もっと効果的で、確実なやりかたがある。可能であれば、だが」
「なんだって?」
どういうことだ?
ブラックフットは野放しにできないはずだ。
いくらフェアリィと言えど、ブラックフットの猛攻の中で飛ぶなど、自殺行為もいいところだろう。
ランバーに掌握されているとなれば、内側からそれを止めることもできない。
仮に司令塔みたいなランバーがいたとして、そいつを潰せばいいと言っても、そういうやつは十中八九、ブラックフットの奥で引きこもっているはずだ。
そう考えると、兵器群を先のコロニー作戦のように潰すしかないと思うのだが。
「作戦の内容は――」
……その内容を聞いて、理事長以外のその場にいる全員が、驚いたような、はたまた呆れたような顔をしてみせた。
無理もない。
こんな作戦、よく思いつくものだ。と感心する。
良くも悪くも、だが。
だが。
確かに可能だ、ライカなら。
いや、ライカがいなきゃ、これはできない。
彼女レベルのスペックを持った戦闘機でなければ、この作戦は成立しない。
かつ、これができるのであれば。
確かに、ちまちまブラックフットを攻撃するよりも、よっぽど効果的だ。
「――以上だ。どうだ、出来るか?」
理事長のその問いに、俺はただ黙って頷いた。
彼はそれを見ると、了解した、とでも言うように、モニタを切った。
「作戦は本日2330時、各自、装備の換装を急げ」
それを最後に、ブリーフィングは終わった。
これで、今日の夜の予定が決まったわけだ。
真夜中の、クルージングである。
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