楽しい通話

 芹沢はデブリーフィングを終えた後、しばらくしてから理事長室に戻り、部屋の扉に鍵をかけた。

 窓の外を見ると、日が水平線に沈みかけている。

 理事長室の窓からは、乱立する建物の奥に太平洋の美しい海原が見えるのだ。

 それを眺めて景色を美しいと思うか、またはそれすら考えられる暇がないかを、芹沢は自身の精神安定性のバロメータとしているわけだが、今回は後者であった。


 芹沢は席に座り、備え付けの通信端末を起動した。

 傍聴対策に幾重もの暗号化システムを過剰なほど搭載したそれは、彼という人間が、普段どのようなものを相手にしてビジネスをしているのか、それを如実に表していると言えるだろう。

 彼は連絡先の一覧を表示し、目当てのものを選ぶ。


 『マーティネス・コーポレーション執行役員 ヘレン・メイヤーズ』


 通話ボタンを押し、コールをかける。

 4コールほどしてから、接続が確認された。


「これはこれは、お久しぶりです。ミスター芹沢」


 端末から、平淡なトーンの女性の声が聞こえる。

 芹沢はその声を聴いて、ため息が出そうになるのを耐えた。

 彼にとって、彼女との会話は億劫なものだったのだ。

 またこの、大人になりきれない女と話さなければいけないのか、と思うほどには。


「お電話の内容は、先ほどメールで頂いた件でしょうか?」

「そうだ」


 ヘレンの問いに、芹沢はそれだけ答えた。

 芹沢がメールで送った内容。

 デブリーフィングにてナナから聞いた、マーティネス社製UAVの暴走についてだ。


 あれについては、不可解な点が多い。

 なぜライカを狙ったのか、最初にコンタクトを取ろうとしたのはなぜか、フェアリィも敵と認識したのはなぜか。

 そして何より、UAVがあの空域を悠々と飛ぶことが出来た、その理由だった。

 戦闘ログを確認したところ、周辺にいたランバーは、指向性EMPを全く発していなかった。

 つまり、そもそもUAVを堕とそうとすらしなかった、ということだ。


 そう言った不明瞭な部分を少しでも明かすべく、芹沢は渋々ながら、この通話をせざるを得なかった、というわけだ。


「そちらの商品のせいで、うちのフェアリィが一人、死にかけた。説明してもらいたい」

「ええ、ええ、聞き及んでおりますとも」


 トーンの変わらない、まさにマニュアルでも読んでいるかのような返事だった。


「それで、原因はなんだ?」

「原因と申されましても」


 と、ヘレン。

 彼女はため息を吐いて、言葉を続けた。


「言いづらいことではありますが、そちらが最近接収した有人戦闘機、それが原因ではないのですか?」


 言葉とは裏腹に、ヘレンの言葉は淀みがなかった。

 まるで、待っていたと言わんばかりだ。


 芹沢は数週間前のことを思い出す。

 ラヴェルにてライカとニッパーを受け入れてから間もないころ、マーティネス社にスプートニク研究所の顛末を話した。

 その中でライカという有人戦闘機と、テストパイロットであるニッパーのことを伝えざるを得なかったわけだが、それに対してのマーティネス社の回答は以下の通りだった。


 曰く、『研究所にそのような兵器はない。そもそもあの場所はそういったものを研究する機関ではない。調べたいので、こちらに引き渡すように』

 とのことだった。


 その回答は、これまでのマーティネス社にはない、強引さを芹沢は感じていた。

 焦っているように思えた。

 まるで、ライカという存在を決して他人に知られたくない、とでもいうような。

 それに違和感を感じた芹沢は、こちらも取り調べをする必要があるので、引き渡しは一旦保留する。という返答をした。


 ライカを収容してからのマーティネス社の態度は、それからも同じようなものだった。


 なぜまだこちらに渡さないのか。

 あの戦闘機に対して、一切の解析を禁ずる。


 というような、半ば命令とでもいうようなものもあった。


 それに対して芹沢は、のらりくらりとそれらを躱し、ライカの引き渡しを拒んだ。

 それもあって、今回のUAVの一件は、マーティネス社がしびれを切らしたのだと、芹沢は見当をつけていたのだ。


「自分の言っていることがわかっているのか? 『我が社のUAVは、敵と味方の区別がつけられません』と、そう聞こえるが」

「言葉には気をつけなさい」


 すると、ヘレンは先ほどの淡白な印象とは一変して、不機嫌そうな声を発した。

 彼女は続ける。


「そもそも今回の件は、あの戦闘機を発端に起こったそうではないですか。こういった事態を招くことになるのですから、早急にあれを引き渡した方がよろしいのでは?」

「……狙ってやったとでも言うのか?」

「さて、どうでしょう」


 彼女はイラついた声色で、煽るように言う。

 こういった感情の制御がまだ甘いのは、若くして上層役員になったことの弊害か。

 と、芹沢は思った。


 兎にも角にも、芹沢は今のやり取りで確信した。


 なぜランバーからEMP攻撃を受けずにいられたのか、という疑問は残る。

 とは言えあれは、UAVの故障や、ランバーによるハッキングなどではない。

 企業が意図してやったことだ。


「なぜそこまで、時代遅れの有人飛行機に固執する?」


 と、芹沢。


「アナタがその理由を知る権限はございません」


 それに対し、ヘレンの答えはにべもなかった。

 だが芹沢からすれば、その答えは予測済みだった。


「そうか、わかった」

「引き際を弁えている方は好きですよ、ミスター芹沢。それで、有人飛行機引き渡しの件ですが――」

「それに関しては、申し訳ないができなくなった」

「……は?」


 ヘレンは、芹沢の答えに、あっけにとられたような声を出した。

 芹沢はヘレンから数秒言葉が聞こえないことを確認し、補足するため言葉を続ける。


「つい先日、原因不明の爆発があってな。接収した有人戦闘機がそれにモロに巻き込まれた。パイロットは無事だったが、機体は木端微塵になってしまった」


 荒唐無稽なことを、芹沢はやや芝居がかった口調で話した。

 無論、ライカは爆発してなどいない。

 これは芹沢の、あまりに大雑把な嘘だ。

 それはヘレンも理解している。

 怒りで震えたような声が、スピーカーからした。


「ッ……そんな言い訳が通用するとでも?」

「信じるか信じないかはそちら次第だが、どうにしろ、引き渡す機体はもうないのだ。残念ながら」

「今日のコロニー作戦のログに、ハッキリと映っていたでしょう!」

「あれは、ラヴェルで先日、試験的に配備した、別の戦闘機だ。そういえば、接収した機体も同じトラスニクだったか。間違えるのも無理はない」


 芹沢のその答えに、ヘレンは何も言わなかった。

 もし彼女の顔が見れるのならば、憤りを感じ歯ぎしりをしているその表情を拝むことが出来ただろう。


 実際のところ、芹沢はヘレンがこの話を信じるとは少しも思っていない。

 重要なのは、この話を裏付ける公的な記録がある、ということだ。


 ライカはスプートニク研究所にて開発されてはいたが、それはあくまで実際のところは、という話だ。

 スプートニク研究所は非合法の実験を数々行っておいた。

 そのため、スプートニク社に汚点を残さないために、記録改ざんや文書偽造と言った行為は日常的に行われていたのだ。


 ライカもまた、同じ扱いだった。

 ライカ、つまりトラスニクをベースとした実験戦闘機が存在することを証明するものは、実は記録上どこにもない。

 マーティネス社は当然のこと、スプートニク社にも、ライカを示すものは何もないのだ。

 改ざんされ、全てなかったことにされているのだから。


 芹沢はそこに目を付けた。

 ライカとニッパーは、存在を示す記録がどこにもない、あるいは抹消された幽霊のような存在だ。

 誰のものでもなく、それはつまり言い換えると、誰でも所有権を主張できる状態にあった。


 芹沢は早速、各方面に根回しをし、ライカとニッパーに新しい立場を与えた。

 接収した戦闘機が爆発した事故の記録、ライカを購入したことにする公的文書などを作成し、名実ともにライカとニッパーを正式にラヴェルの配属とした。

 トラスニク自体は既存の戦闘機であることも幸いし、購入したことの証明や、それに関する手続きの記録を偽造することも容易であった。


 つまり、どういうことかというと。

 今この状況において、マーティネス社がライカを奪う大義が、潰えてしまったのだ。

 いくらマーティネス社がスポンサーであったとしても、ラヴェルが買った兵器を接収できる理由など、どこにもない。


 ヘレンは考える。

 仮に強引に奪い取ったとして、このタヌキ爺はすぐさまそれをジャーナリストあたりにリークさせ、こちらの悪者に仕立て上げるだろう。


 企業のイメージダウンに繋がりかねない行為はできない。

 まして相手が、あのアジア圏最大の戦力を統括する芹沢理事長とあっては、なおさら世論はあちらを味方することが目に見えている。


 ヘレンは実験機の所属証明を発行しなかった過去の関係者を恨みながら、憤って温まった頭を何とかクールダウンさせる。


「……いいでしょう、アナタのその目に余る態度は、スポンサーに対する誠意がなしと判断します。場合によっては今後の支援も考えさせていただきますので、そのつもりで」

「執行役員殿が独断で決めれることなのか?」

「議題として、上層部に掛け合います」

「それはいい、是非そうしてくれ。どうせこの会話も録音しているのだろう? 信頼できる大人に相談するがいい」


 芹沢の最後の発言は、ヘレンがようやく冷やした頭を再び茹で上がらせるに十分だった。

 まだ子供なのだと、言われている気がしたのだ。


「ッ……失礼します」


 それだけ言って、ヘレンはログアウトした。

 スピーカーから、接続を切る音が部屋に響く。


 ああは言っていたものの、もはやアジア圏でトップの戦力と、それに伴った広告効果を持つこのラヴェルを、マーティネス社は簡単に切れないだろう。

 万が一切られたとしても、その時は俺のポケットマネーを使えばいいだけだ。

 芹沢はそう考えながら、息を吐いた。


「ふう……」


 ようやく終わった。

 芹沢はそれを感じ、目頭を手で押さえる。


 厄介な難物が来たものだ。

 と、芹沢は思う。

 正直なところ、なぜ自分があそこまで、あの戦闘機を守らねばならないのか。


 いや、その理由は知っている。

 あれは、我々の悲願を成就しうる存在だ。

 可能性は限りなく低い。

 だが、それでも、賭けるに十分な何かを、あれは持っている。そう感じた。


「あれこそが、天使を殺すもの足りえるのか。お前だったらどう思う? ロッソ」


 芹沢は、もはや誰もいなくなったその部屋の中で、かつて志を共にした旧友の名を、小さくつぶやいた。





 *





「なんで言ってくれなかったんですか、もう」


 整備のため、ハンガーに向かう道すがら。

 一緒に歩いているレイが、頬を膨らませながら、そんなことを言い出した。


 そうは言われても、聞かれなかったのだから、わざわざ言う必要もないだろう。

 という反論をしようとしたが、藪をつつくような気がしたので、やめた。

 桂木の妹だけあって、要求を全部口に出してくれないところは、姉そっくりだな、なんて思った。


「じゃあ、その――ニッパーさんは、お姉ちゃんが今どこにいるのか、知っているんですよね?」

「……なんだ、知らないのか? 連絡先の一つくらい知ってるもんだと思ってたが」


 意外なことを聞かれたので思わずそう答えると、彼女はどこか気まずそうに目をそらした。


「それは、その……さっき言った通り、喧嘩別れしちゃったので、それきり。連絡先は知っているんですけど、今更どんな風に話せばいいのか」


 その理由は、思っていた以上に感情的なものだった。

 この感じからすると、桂木のほうも同じ理由で連絡しなかった――いや出来なかったのだろう。


 何ともまあ、姉妹揃って不便な性格をしているものだな、なんて思う。

 こう考えると、感情というものは、異常に冗長でややこしいプログラムのようだ。

 電話端末を起動し、目的の連絡先を押し、コールする。

 これだけ見れば単純極まりないが、感情という処理が入ることで、それは一気に複雑に、そして重くなる。


 本来であれば、ブロックが10個にも満たない簡単なフロー図で表せられるものが、感情によって、蜘蛛の巣のような分岐が出来てしまう。

 それこそ、スパゲティコードなんて目じゃないだろう。


 その複雑さこそが感情の良いところだ。という者ももちろんいるだろうから、これに関して良し悪しはないだろう。

 個人的には、シンプルに越したことはない。そう思っているが。


「そうだな、今は、スプートニク社に――いや、合併したから、所属としてはマーティネス社になっているはずだ」

「え、じゃあ、ひょっとしてあの研究所に……」


 レイの顔が青くなる。

 数週間前に倒壊した、スプートニク研究所に姉がいたのではないかと、危惧しているのだ。


「いや、確かにいたが、倒壊する前に会社のやつと脱出した。恐らくは生きてるよ。今どこにいるのかは、すまないが俺も知らない」

「そう、ですか。でも良かった、無事で……」


 レイは安心したのか、胸をなでおろす。

 そこまで心配なのなら、それこそ連絡してしまえばいいのに。

 まあもっとも、連絡してすぐ出るかどうかは、俺もわからないが。


「あれ、待ってください?」


 するとレイは立ち止まった。

 何か疑問を感じたようだった。


「なんで、ニッパーさんは一緒に逃げなかったんですか?」

「ライカを脱出させるためだ」


 即答した。

 当然だ。


「あのままじゃ、ライカは研究所と一緒に潰れるところだったからな。何とか起動させて、飛ばせるようにしたかったんだ」


 俺がそう言うと、レイは驚いた顔をしていた。

 桂木も同じ顔をしていたなと、ふと思い出した。


「で、でも、それだとニッパーさんが死んじゃったかもしれないじゃないですか」

「それなら、それで終いだ。それだけの話だ」


 すると、レイは何も言わなくなった。

 どうにもこの話をすると、皆一様に、未確認生物でも見るような表情で、言葉を失う。


 所詮機械じゃない。


 かつてあの研究所で、桂木に言われたことを思い出す。

 彼女にとって、ライカは――もとい機械というものは、あくまでも生物より下位の優先順位である、という信念があるのだ。

 それは別に悪いことじゃない。恐らく、生物の本能として、そういう思考があるのだ。

 俺が欠陥なだけなのだろう。ということは、容易に予想できた。


 ほとんどの人間が、そういう正常な思考を持っている。

 話を聞く限り、レイもきっと、そうなのだろう。

 だからなんだ、という話ではあるが。



「大切にしてるんですね、ライカちゃんのこと」



 思わず、足が止まって、俺はレイのほうを見た。

 言われたその言葉が、ひどく予想を外していたからかもしれない。


「ど、どうしたんですか、ニッパーさん?」


 レイが俺の顔を覗き込む。

 何故か言葉を発するのに、少しだけ間を置く必要があった。


「……いや、意外な答えが返ってきた、と思って――大切だと?」


 そう言って、俺は再び歩き出した。

 レイもそれに追従する。


「え? だって、命がけで救おうとしたってことじゃないですか。すごく大切じゃなきゃ、そんなことできませんよ」


 レイはそう言って、少し微笑んだ。


「それに」


 と、レイは続ける。


「ライカちゃんだって、そんな風にニッパーさんに大切に守ってもらえて、凄くうれしいと思いますよ?」


 ……その言葉を聞いて、ふと、疑問に思う。

 俺がライカに対して向ける意識は、大切というものなのだろうか?

 今までそれは、考えたことすらないものだった。


 俺は、ライカのパーツだ。

 彼女の従僕だ。

 彼女というメイン・フレームに組み込まれ、稼働させるための部品。


 そうとだけ考えていた。

 だがそれは、違うのか。

 別の表現が、あるというのか。


「あ、着きましたね」


 レイの言葉を聞いて、意識を視覚へ切り替えると、確かに、目の前にライカのハンガーがあった。


「よし、じゃあライカちゃんの修理、頑張りましょー!」


 そう言って、レイは足早に中へと入っていった。


 彼女に言われた言葉が、気づけばまた、頭の中で駆け回っている。

 これ以上考えるのは無駄だ。そう思い、思考を中断した。


 自分の感情など、いくら考えたところで仕方ない。

 結局は、コンテクストの表し方次第で変わる、哲学的なものでしかないのだ。

 やることは、何も変わらない。

 ならば、考えるだけ無駄だ。


 そう思い直し、俺はレイの後を追い、ハンガーに入った。





 話していた時、結局二人とも桂木の場所を知らずにいたわけだが、それは思わぬ形で、すぐに判明することになる。


 ライカが、桂木シズクからのビーコンを受信したのは、それから数日後のことだった。

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