夢の横浜デート

 研究所で、ライカのコクピットにいる時、いつもそのキャノピィから見えていたものは、モニタリングしている桂木だけだった。

 あとは、人間を排除したがっているかのような、簡素な実験場の壁だけだ。

 こいつが実際に戦場に出るとき、何をキャノピィに映すのか。

 そんなことを考えていたことも、何回かあったと思う。


 ただ現実は、思っていたほど変わり映えはしなかった。


「ドギー1、ソーティ・レディ」


 格納庫中に鳴り響くアラート、そしてライカのエンジン音をBGMに、コントロールタワーからそんな無線が入る。

 初めてラヴェルに来た時に、着陸誘導をしてくれた、あの管制官の声だった。

 格納庫の天井にある、大型の電子パネルに文字が表示される。


 Doggy-1 STBY出撃準備


 それは、ライカが出撃シーケンスに入ったことを知らせるものだった。

 ライカを乗せたリフトが動き出す。

 反動で機体がわずかにきしむのを、ランディング・ギアを通じて感じた。

 あとは全自動で、リフトが滑走路まで運んでくれる。


「ニッパー」


 無線が入る、天神だ。


「わかっていると思うけど、旧横浜エリアは地対空兵器が特に多い。無理だと思ったら、戦果は気にせず、すぐに撤退して」

「それは命令か?」

「そうよ……アナタと出会ってから、理事長は何か変だわ。本来は、あんな無茶苦茶な命令するような人じゃない」

「そもそも前提条件が違う。それだけじゃないか?」

「でも今まで、あんな死んでもいいような言い方、するようなことはなかった」


 ブリーフィング時の理事長の言葉に、フェアリィ達がざわついたのは、そういう側面もあったわけだ。

 フェアリィ相手には、彼はもう少し紳士的な態度を取ったりするのだろうか?

 それこそ、先ほどの天神が言ったように、死んだらそれはそれでよし、なんてことはまず言わない人物なのかもしれない。

 生きて帰ってこい、死ぬことは許さん。みたいな、フィクションでよくあるような、熱血な上官を演じていたりするのかもしれない。


 だが、だとしてそれが何だというのだ。

 やることは変わらない。

 彼が好々爺だろうとタヌキ爺だろうと、俺が爆弾を落とすという予定に変わりはないのだ。


「私も同意見よ」


 すると、無線にそんな声が割り込んできた。

 先ほど話した、ハウンドリーダーだ。


「失礼、改めて――ハウンド隊1番、来栖くるすエリサですわ、私に知己を得たこと、光栄に思いなさい」


 来栖と名乗ったそいつは、まだ何か言い足りないようで、そのまま言葉を続けた。

 彼女らフェアリィも、俺と同じく出撃準備中だろうに。

 すっかり慣れてしまっていて、準備時間を暇にしてしまっているのだろうか?


「ナナの言う通り、フェアリィに任せて、アナタは高高度を呑気に飛んでなさいな。わざわざ死にに行くようなこともないでしょう」

「ご忠告痛み入る、ハウンド1。気を付ける。以上」

「ちょっと、本当にわかったの? 理事長には私から話しておきますから、馬鹿な真似は――」

「ウルフ1、先ほどの命令だが、了解した。タキシングに入るため、無線を切る」

「待ちなさ――」


 来栖がまだ何か言いかけていたが、命令に関係のない内容と判断し、通信を切断した。


 目の前にまで迫ったゲートが開く。

 眩しい日差しと共に、滑走路が見えた。

 そのまま、リフトから降り、滑走路へと移動。


 ヘルメットのHMDバイザーを起動する。

 グリーンライト・チェック。

 FCSリンク、確認。

 FADECエンジン制御RCSチェック機能、オンライン。

 マニューバ・コントロールモード、マニュアル。


「ドギー1、離陸を許可する。ロックンロール」


 少し陽気に、管制官がそんな風に言ってきた。

 スタンバイ。


 スロットルを上げる。

 加速、身体がシートに押し付けられる。

 計器確認、その後、離陸推力へ。


 ランディング・ギアが、地面から離れた。

 ある程度の高度まで来たことを確認し、ギアをしまう。


「離陸を確認した。グッドラック」


 それを最後に、コントロールタワーとの無線は終了した。

 幸運を。

 空に上がるための、呪文を携えたまま。





「こちらウルフ4、ドギー1、聞こえる?」


 旧横浜エリアに入ったころ、大羽から無線が入った。

 現在、高度50m。

 もう少しで海面に届きそうな低高度を飛んでいる。

 ランバーのレーダー、および対空兵器の射角を掻い潜るため、低空から侵入するためだ。


「間もなく作戦領域に突入するよ。高度制限を解除」

「了解」


 だがそれでも、攻撃する時は、ある程度高度を取らなければならない。

 ピッチを上げ、上昇する。

 高度計が爆撃に最適な数値を示すまで、操縦桿はそのままだ。


 景色が変わる。

 港の形がはっきりとわかるところまで上ったのだ。


 東京湾、旧横浜エリア。

 ランバーが来てからすっかり無人エリアとなってしまった場所で、特に顕著にランバーが居座っている場所だ。


 昔は栄えていたのだろう。乱立するビル群は、しかしこの高度からわかるほどに荒廃しており、ゴーストタウンの様相を呈していた。

 奥に、独特の金属光沢をもつ、他の建築物とは明らかに異なる物体を目視確認する。

 それが、密集している。

 ランバーだ。

 ひときわ大きい四角形の建物が、恐らくコロニーだろう。


「私たちが到着するのは5分、それまで持ちこたえて」


 大羽のその言葉に、俺は違和感を覚えた。


「待てウルフ4、どういうことだ? アンタらが来るまでに露払いをしろって命令だったはずだ」

「ハッキリ言って、それは誰も期待していない」


 少し言いにくそうな、しかし淀むことなく、大羽はそう言った。


「理事長が何を考えているかはわからないけど、こんな大規模作戦の先陣を、戦闘機単騎でやらせるなんて、とても正気とは思えない」

「簡単だ」


 俺は、この作戦形式になった理由を、彼女に伝えることにした。

 と言っても、言われたわけじゃないので、あくまで予想だが。


「恐らく、俺がアンタらを後ろから撃たないようにだろう。単騎なら、万一暴走したって、ランバーが片付けてくれる」

「でも、それだとニッパーが死ぬ」

「それがどうしたんだ? フェアリィの人的被害とどう関係がある?」


 そう言うと、大羽は無言になった。

 どうやら彼女自身も納得いってないようだった。

 なぜ誰も彼も、作戦が決まった後であれこれ言うのだろうか?

 仮に進言して聞き入れてもらえなかった結果だとすれば、それで済む話だ。

 俺が死ぬだけなのだから、彼女らには何の痛手もないはず。


 なぜ、彼女らは無関係の俺の生死に拘るのだろうか?

 むしろ、俺やライカのような得体のしれない連中がすぐいなくなるのなら、彼女らも安心なはずだ。

 動作保証がされていないものに命を預けるほど、恐ろしいことはないのだから。


「……わかった、もういい」

「作戦行動に入る」

「了解」


 大羽はそれだけ言い、無線を切った。

 ほんの少しだけ、怒っているような雰囲気を感じた。

 何に対して怒りを買ったかは、皆目見当がつかないが。

 それとも、ただの気のせいか。


 考えたところで、仕方のないことだ。

 思考を切り替える。


 マスターアーム・オン。

 ディスプレイを確認。


 FAEB       4 RDY

 SDB        4 RDY

 BDUmk95    8 RDY

 GUN     2500 RDY

 AAM        4 RDY


 全ての火器が発射可能状態であることを確認。

 対地攻撃モード4へ移行。


<ACCEPT:ATG4>


 ライカが変更の受理をしたことを確認。

 対地攻撃モード移行完了


 アラート。

 レーダー照射を示すものだ。

 鳴ったかと思ったら、それはより騒がしい音に変わる。


「ミサイル! ミサイル!」


 大羽の無線が聞こえる。

 ミサイルアラートだ。


 気づかれたか、だが間に合った。

 フレア射出。

 バンク。

 ミサイルがフレアを追い、機体の横を通り過ぎる。


 HMDでミサイルが来た方向を視認。

 SAMだ。

 縦列に長く密集している。

 距離約10km。


「ドギー1からAWACS、目標を確認、排除する」

「了解……幸運を」


 大羽のその言葉を皮切りに、スロットルを上げた。

 最高出力。

 ちまちま精密爆撃を行っていたら、堕とされるのは目に見えている。

 ここは、無人エリアだ。何かを巻き込む心配はない。

 ならば、出来ることはある。


 即効で決める。

 そのための重武装だ。


 間もなく、次のミサイルアラート。

 数が数だ、せわしない。


「上手にやろうぜ、ライカ」


 火器管制をライカに移譲。

 発射タイミングのみ、マニュアル入力に。

 操縦に集中する。


 アフターバーナー。

 空気の層を突き抜ける。

 ミサイルとの相対速度、マッハ5。

 SAM群との距離、残り5km。


 フレア射出。

 ミサイルヘッドオン。

 ロール。

 桿が重い。


 ミサイル、パス。

 切り裂くような音が聞こえた。

 それを数回。


 SAM、射程圏内。

 付近にあるAAGUNが、こちらに攻撃しようと、砲身を向けようとした。


 もう遅い。

 電子音が聞こえる。

 ロックオン。

 俺はただ、ボタンを押した。


 FAEB    2 FIRE

 BDUmk95 2 FIRE


 ライカが、どの弾を撃ったか表示する。

 同時に、もはや通り過ぎた後方から、爆発音。

 レーダーから、そこにあったSAMとAAGUNの群れが消えた。


 すぐにピッチを上げる。

 180度ループ。

 即座に、180度のロール。

 インメルマン・ターン。


 レーダーで次の目標を確認する。

 今ので全体の2割弱ほどだ。

 まだ敵は多い。


「ドギー1よりウルフ4へ、SAMとAAGUNの一群を撃破した。敵戦力はまだ80%以上ある、そちらは後どのくらいで到着する?」


 フェアリィ達が来る前に、後どの程度敵戦力を削げるか把握するため、大羽に現状確認の無線をする。

 しかし、大羽が応答しない。何かあったのか?


「ウルフ4、大羽」

「……あ、ごめん」

「どうした、何があった?」

「いや、何でもない。り、了解。ウルフ、ハウンド両隊、あと200秒後に到着する。ウルフは3時方向から、ハウンドは9時方向からそれぞれ進入」

「了解した、引き続き作戦を継続する」


 それを最後に、無線を閉じた。

 何かに動揺していた。何だろうか。

 いや、今考えるべきは、次の目標だ。


 ターゲット・セット。

 この分なら、彼女らが来るまでに半分以上は減らせるだろうか。

 それは、終わってみればわかることだろう。

 まずは、生き残ることだ。





 *





「……リリア、今なんて言ったの?」


 同時刻、旧横浜エリアに向かう途中のこと。

 ナナは、ライカの様子をモニタリングしていたリリアの言葉を聞いて、思わずそう聞き返した。


「もう一度言うよ、ウルフ1。ドギー1が敵地上戦力の2割を撃破。ミサイルにアフターバーナーで突っ込んで、躱したと思ったら爆弾をぶち込んでいった」

「嘘でしょ、もう2割やったの!?」


 無線を聞いていたミサが、驚嘆の声を上げる。

 確かに、この短時間でそれだけの戦力を削ぐのは、フェアリィでも難しい。

 驚くに値すると言えるだろう。


 だが、とナナは思う。

 だが、それだけじゃない。


 真に恐ろしいのは、ニッパーだ。

 彼はミサイルの雨の中を、最高速度で突破し、一気に爆撃可能域に到達した。

 いくらフレアを焚いていたとはいえ、ミサイルとの相対速度を考えると、回避行動がコンマ一秒遅れたら、すぐに堕とされたはずだ。

 ライカの重武装だけでは説明がつかない。

 この戦果は、ニッパーのそのバカげた飛び方があってこそだ。


 普通、あんなミサイルの雨の中に居て、突っ込もうなど思わない。

 ありったけのフレアなりチャフなりを焚いて、一時離脱するのが普通のはずだ。

 ヘッドオンして躱そうだなんて、正気の沙汰じゃない。


 ニッパー――彼は、どんな場所で生きてきたのだろうか?

 あれは、覚悟のようなものではない。

 自分の命など、まるで最初から勘定に入れていないような。

 戦闘機をスペックを最大まで引き出すことしか考えていないような。

 そんな気の狂った飛び方だ。


「こちらハウンドリーダー! ちょっと、ナナ!」


 すると、エリサから無線が入る。

 ハウンド隊も同じく、ライカの動きを見ていたのだ。


「なんなの、あの化け物みたいな戦闘機は!? なんでランバーの前で飛べるのよ! あんなのがいるなんて聞いてないわよ!」

「私も驚いてる。まさかあそこまでの制圧力を持つとは……」

「あんな兵器、世界情勢がひっくり返るレベルのものじゃない! あの怪物、どこに隠れていたのよ?」


 エリサのその言葉に、ナナは心中で同調した。

 彼女の言う通り、あんな兵器が開発されたなら、間違いなく大騒ぎになるだろうし、そもそも開発会社がアピールしないはずがない。

 ふと、ナナは初めてライカを見た、あの夜のことを思い出す。

 スプートニク研究所から発進したのをその目で見たので、まず間違いなくスプートニク社が関係しているはずだ。


 あの兵器を公表しない理由、それはなんなのか。

 隠したいことでもあるのか。


 それとも、何か重大な欠陥があるのか。

 人が扱うに持て余すような、そんな欠陥が。


「リーダー」


 と、ミサがナナに話しかけてきた。

 ナナの考えを察しているようだった。


「今考えても仕方ないよ。でしょ?」

「……そうね、ごめん」


 ミサの言葉を聞き、ナナは思考を切り替える。

 そうだ、あの戦闘機にどんなバックグラウンドがあろうと、それは無事に帰った後で、いくらでも考えればいい。


 今やるべきことは2つ。

 この作戦を完遂することと、万一のイレギュラーに備えることだ。


「……いや、待って」


 すると、リリアがそんな言葉を放った。

 緊迫した声色。

 それが示すのは、予想外の事象。

 イレギュラー。


 だがそれは、ナナ達の予想とは異なるものだった。



「不明機、インバウンド」



 その言葉に、ナナは気を引き締め直した。

 このタイミングで不明機が襲来してくること、それ自体はあり得ないことでもない。

 そう思いながら、ナナはリリアの言葉を続けて聞いた。


「数は12、作戦領域にまっすぐ進んでいる。なんだ?」

「友軍なの?」

「IFFでは一応、味方だけど……」


 味方?

 私たち以外に友軍がいるなんて聞いていないけれど。

 ナナは疑問に思いながら、エリサに問いかけた。


「ハウンドリーダー、所属不明の友軍機が作戦領域に侵入する。心当たりは?」

「え? ないわよ。そいつらの信号パターンは?」

「ウルフ4」


 暗に、リリアに不明機体の解析を求める。

 リリアはそれを察し、無線で答えた。


「こちらウルフ4、判明した……マーティネス社の攻撃型UAV? なんでこの空域を……」


 リリアからの返答は、不可解なものだった。

 なぜマーティネス社のUAVがここにいるのか?

 フェアリィの支援として、UAVが随伴すること自体は珍しくない。

 しかしUAVのみで、ランバーを相手にできるはずが――。


 そこまで考えて、ナナは気が付いた。

 いや、待て。

 そうじゃない。


 そもそもなぜ、飛べている? フェアリィもいないのに。


 ランバーを前に、通常兵器は飛べない。

 ランバーから特殊なEMPを喰らい、そもそもコンピュータが破壊されるためだ。

 飛べるのは、フェアリィと、あるとしても、その管制下に入ったUAVが精々である。

 ライカは例外中の例外なのだ。


 ……嫌な、予感がする。

 汚らわしい何かがべっとりと張り付くような、そんな不安。

 それをナナは直感で感じていた。

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