今日の天気は晴れ

 作戦決行までの2週間と数日。

 その期間、ただベッドで無為に寝ていればいいのかというと、無論そんなことはなかった。

 脚が治りきるまでは、精密検査なり精神分析なり、経歴の確認なりを朝から晩まで受けた。


 大半は退屈なものだったが、少し面白かったのは、経歴確認にてスプートニク研究所にいたことを話したときだ。

 その後作られたカルテには、『時折存在しない機関について在籍していたと話す。記憶障害の可能性あり』などと書かれていた。


 表向きにそうしているのか、どこかしらの圧力がかかったのかは知る由もない。

 とはいえ、つまり、あの研究所は初めから存在していなくて、俺のような人体実験をされた被害者などいるはずもない。

 と、公式にはそういうことにしておきたいということが、ありありとわかる診断結果だった。


 この様々な取り調べに対して辟易しきったころ、ようやく脚が完治した。

 1週間と5日だった。


 俺の完治を受け、理事長はライカの整備と調整にGOサインを出したと、峰園から聞いた。

 必ず俺も同席させるようにという指示も一緒だ。

 言われなくともライカの整備には随伴するつもりだったので、それを申請する手間が省けたのは嬉しい誤算だった。

 理由は峰園曰く、現状ライカのことを一番知っているのが俺しかいない、ということらしい。


「これを」


 ライカの整備チェックに向かう道すがら、峰園にそう言われ、紙束を渡された。

 ひとつが『フェアリィ援護用有人戦闘機"トラスニク"に関する構成事項』。

 もうひとつが、『13号コロニー破壊作戦要綱』。

 見出しに無機質なフォントで、それぞれそう書かれていた。


「ひとまずのところ、ではありますが」


 峰園は強調するように口を開いた。


「あなたの戦闘機は、正式に我がラヴェルの保有戦力として登録される流れとなりました。それに目を通しておくように」


 まったく、あの方はなんであんな得体のしれないものを――と、峰園はぶつぶつと呟きながら、歩くスピードを少し速めた。


 目を通してみる。

 まずは、『フェアリィ援護用有人戦闘機『トラスニク』に関する構成事項』。

 そこに書いてあったのは、このラヴェルという妖精の園に所属しているフェアリィたちのことだった。

 『甲は、下記フェアリィ部隊の火力支援を主として運用する』

 ちなみに甲というのは、ライカのことだ。

 様々な部隊が記載されている。

 ウルフ、ハウンド、ジャッカル、フォックス、ラクーン、ディンゴ、コヨーテ。

 そう言った主な部隊名と共に、様々な編成のフェアリィ部隊が細々と記されていた。

 改めて、ここの保有戦力は大したものだ、と思う。


「運用方法はこれだけ?」


 俺は峰園に聞いた。


「まだあの戦闘機について、ほとんどわかってないんですもの、そこはこれから更新することになるでしょう。あなたが今確認するべきなのは、そのあとの事項」


 そう言われ、俺は続きのページをめくる。

 そこには、ライカの搭乗者――つまり俺のことが書かれてあった。


 搭乗者氏名 ジョン・ドゥ

 TACネーム ニッパー

 識別名コールサイン ドギー1


 ドギー――Doggy。

 主に犬用に作られたものを指すときに、この言葉が名前に入る。

 ふむ、確かに、先ほど書かれていたフェアリィ部隊の名前は、全てイヌ科の動物の名前で統一されていた。

 なるほど、ここでは妖精イヌのための存在ということだ、俺は。


 下に描かれている識別マークを見てみる。

 リードに首輪という、妙に不格好な絵だった。


 それにしても、名無しの権兵衛ジョン・ドゥとは。

 氏名欄にかける名前が無いので、こう書いたのだろうことが、容易に想像できた。

 随分と安直だが、わかりやすいのは良いことだ。


 もう一つを見る。『第13号コロニー破壊作戦要綱』。

 言うまでもなくこれには、もう間もなく始まるコロニー破壊作戦についてのことが記されている。

 これがなければ、ライカの調整方針も決めれない。

 もう少し早くもらったっていいくらいの代物だ。


 そうしているうちに、格納庫に着いた。

 ライカがいる。

 以前見た時と変わらない、その姿で。

 整備員らしき人間も、何人か確認できる。


 峰園が咳払いをした。


「あなたには、作戦開始までの残り日数、ここでトラスニクの整備に参加してもらいます。良いですか? 必ず間に合わせなさい」


 それだけ言って、彼女は格納庫から速やかに出て行った。

 どうやら俺にあの資料を渡して、ここに連れてくるためだけにご足労してくれたらしい。

 あのダサいエンブレムは一体誰が考えやがったのか――ということを聞き逃してしまったが、まあ、仕様がない。


 作戦までの日数は、おおよそもう、一週間を切ったくらいだ。

 大急ぎでやらねばなるまい。


 機体はまだいいだろう、初飛行時に被弾もなく着陸できたので、あまり大きな問題はないはずだ。

 問題はコンピュータ関連と言える。


 今回の作戦は、対地目標がほとんであることが、先ほどの資料で分かった。

 ランバーが拵えたSAM対空ミサイルCIWSミサイル迎撃機、その他地上兵器が目白押しだ。

 ライカはまだ、アーマメントに関するテストが出来ていない。

 初飛行時で機銃に問題がないのは確認できたが、それだけだ。

 ミサイルやら爆弾やらを使ったとき、正常に動作できるか確認する必要がある。

 マスターアームを作動した瞬間、ミサイルの信管がオンになりました。なんてことになったら目も当てられない。


「ふむ……」


 長丁場になりそうだ。

 着替えと飯と毛布をここに持ってくる必要があるだろう。

 こんな時に桂木がいてくれたらと、ふと思った。


「おおい」


 整備士の一人に呼ばれる。

 初老で、細身の男だった。


「アンタだな、ニッパーだっけ。こいつのパイロットなんだろう? 早速始めよう、乗ってくれ」


 そう言って、彼はライカのコクピットを指さした。

 キャノピィは既に開いていて、待っているかのように鎮座している。


「わかった」


 それだけ言って、俺は彼女に乗り込む。

 今いない人間のことを考えても仕方ない。

 桂木のことを今考えたところで、俺や彼女に何かしら影響があるわけではない。


 では、それは無意味なものだ。

 脳の動きを重くするキャッシュでしかない。

 そう思い、俺はメインパワースイッチをBATTに入れる。


 ライカが起き上がった。

 お互いが次眠れるのは、日付を大きく跨いだ後だろう。

 そう思った。





 *





 さらに6日後。朝5時。

 D-DAY。

 コロニー破壊作戦当日だ。


 けたたましい電子音が反響する。


「む……」


 その音に憂鬱を感じながら目を開けると、そこはライカのコクピットだった。

 そういえば、と思い出した。

 整備が全て終わった後、最後のダメ押しにと、一人でライカのコア・コンピュータを調整していたのだったっけか。

 時間が無いので急ごしらえだが、少なくとも、これで対地攻撃の確実性は上がっただろう。

 桂木のような専門的な知識が無いので、だいぶ苦労したが。


 欠伸をし、身体を伸ばす。


「あ……」


 ふと、そんな声が聞こえた。

 声のした方を見ると、天神がいた。

 ラダーを登って、外からコクピットの様子を除いているようだった。

 キャノピィは空きっぱなしだ。


「……何やってるんだ?」


 そう聞くと、彼女はなぜかバツが悪そうな顔をした。


「その……そろそろブリーフィングだから、様子を見に。寝坊でもしてないかと思って」

「今から1時間後、だろ? 問題ない」

「ならいいのだけど……ちゃんと寝たの? 寝不足で臨まれても困る」

「寝たさ、ここが一番よく寝れる――すまない、降りたいんだ。よけてもらえるか」

「あ、ごめんなさい」


 彼女はそう言って、ラダーから降りた。

 俺もそれに続き、ライカのコクピットから降りる。

 地面に足をつけて、ふと天神を見ると、ライカをしげしげと眺めているようだった。


「仕上げは……できたみたいね」


 その言葉に、俺は頷いた。

 今のライカは、初めて飛んだ時とは、まるで違うだろう。


 尾翼につけられたエンブレムと、数多の武装がそれを物語っている。

 こいつはもう実験機じゃない。

 名実ともに、ラヴェルの戦闘機となったのだ。


「これ、武装は何を?」


 と、天神。


FAEB燃料気化爆弾4つと、SDB小直径爆弾4つ、無誘導爆弾が8つ。航空ランバー用にサイドワインダーが4つ」

「当たり前だけど、重武装ね。それで増槽はつけれるの?」

「つけれるように調整してる」

「ならいい」


 天神はそういうと、今度は俺のほうに顔を向けた。

 数秒、顔を見つめられる。

 何かと思っていると、彼女は口を開いた。


「ブリーフィングが始まる前に、シャワーを浴びて、髭を剃って、パイロットスーツに着替えなさい。今作戦ではドギー1はウルフ隊の配下に位置づけされている。隊長命令よ、ドギー1」


 何かと思ったが、そんなことか。

 確かに、整備に明け暮れたせいで、髭もろくに剃ってなかったな。


「了解した。ドギー1、命令を実行する」

「ふふ。ドギーって、変な識別名コールサインね」


 俺が了承した旨を伝えると、彼女は思わずと言ったように笑った。

 彼女の笑い顔は、そういえば初めてみた気がする。

 だからなんだ、という話ではあるが。


「……なに?」

「いや、アンタはそんな風に笑うんだな、と」

「人のこと言えないでしょう、まったく」


 何故か不機嫌そうになった彼女は、そう言って踵を返し、格納庫の出口へと足を進めた。


「繰り返すけど、1時間後よ? 遅刻は厳禁」

「了解」


 彼女は俺の言葉を聞き届けると、そのまま去っていった。

 俺もぼちぼち準備をしなければ。

 そう思い、シャワー室に向かう。


 途中で、外に出た。

 雲一つない晴天で、風はなかった。





 ブリーフィングルームに到着すると、すでに俺以外の全員が到着しているようであった。

 正確には、俺と、作戦を説明するはずの理事長以外が。


 扉を開けた瞬間、こちらを睨むフェアリィが何人かいた。

 全員ウルフ隊ではない。

 今回協同するという、ハウンド隊だろう。


「お疲れ様です、ニッパーさん」


 そんな声が聞こえた。

 見るとレイがこちらに小さく手を振っていた。

 落花と大羽もこちらを見て同じような反応を示した。

 天神は一瞥しただけで、特に反応はなし。

 駆藤は……寝ているんじゃないか、あれ?


「ここ、どうぞ」


 にこやかに、彼女は隣の、誰も座っていないパイプ椅子を指した。

 ここに座れということらしい。


「ありがとう」


 それだけ言って、俺はその椅子に座った。


「似合ってますね、パイロットスーツ」


 彼女はそんなことを言い出した。

 確かに俺は今、支給されたパイロットスーツを着ていて、ヘルメットをわきに抱えている状態だ。

 ブリーフィングまで、雑談でもしていたいのだろうか?

 特に断る理由もないので、乗っかることにした。


「そりゃよかった」

「またそんな人ごとみたいに……そんなんじゃ友達出来ませんよ?」

「……そうかもな」


 友達と言われ、そういえば俺にそう呼べる存在などいただろうかと、考えてみる。

 桂木は、少し違うか。23番は、友達と呼べたかもしれない。

 どうにしろ、今の俺には関係のないことだ。


 そういう存在は、場合によってはありがたいかもしれない。

 だが、それだけだ。

 ライカを飛ばすことに、さして影響はないだろう。


「でも大丈夫ですよ! 何だったら、私が最初の友達になりますから!」


 レイはなにやら胸を張って、そう宣っていた。

 何が大丈夫で、どのようにしてその発想に至ったのかは、皆目見当もつかないが。


「そうか、じゃあそれで頼む」

「……もう少し興味持ってくれてもよくないですか?」

「善処するよ」

「もう」


 彼女は呆れたようにそう言って、前に向き直した。

 雑談を終了させたいということだろう。

 無事に済んだようで何よりだ。

 あとは黙って、理事長さまがくるのを待つだけだ。


「ちょっと、いいですか?」


 すると、今度は別の方向から声をかけられた。

 高圧的な声色だ。

 声の方向を見ると、ウルフ隊ではないフェアリィが立っていた。


 先ほど睨んできていたハウンド隊のやつだ。

 資料で見たが、確か隊長だったか。

 艶のある長い金色の髪と、吊り上がった目が特徴的だった。


「失礼、先ほどからあまりに腑抜けた会話をされていたので……今日が大規模作戦だという認識はおありですか、桂木さん?」


 そう言われると、レイは答えに詰まり、しどろもどろになっていた。

 すると、ハウンド隊のリーダーは心底呆れたとでも言うようにため息をした。


「お友達と喋っていたいだけなら、すぐにここから出て行って、教室にでも戻りなさいな。それとも、やる気がないだけなのかしら?」

「そ、そんなこと!」

「邪魔なのよ、あなたみたいな身分違いのフェアリィがいるのは。今回はイレギュラーなのよ。弁えてもらえないかしら?」


 彼女にそうまくしたてられ、レイはただ何も言えず、下を向いて押し黙った。

 見ると、こぶしを握って震えている。


「あなた」


 と、ハウンドリーダーは俺のほうを睨んだ。


「あなたもよ。一体何を言って理事長を誑し込んだのか知らないけれど、あんな旧世代の兵器に出しゃばれては、フェアリィの品位が堕ちるわ。そこの身分違いと一緒にここから出て行きなさい」


 と、彼女は出口の方を指さした。

 ハウンド隊の他の面々は、そんなリーダーの姿に同調するでも窘めるでもなく、ただ静観しているだけだった。


 ふむ、品位がどうのは知らないが、彼女の主張には一理ある。

 要は、信頼性の低い兵器や仲間と一緒に仕事などできない、と言っているのだと予測できる。

 それはわかるし、もっともな意見だ。


 信頼性はそのまま生存率に直結すると言ってもいい。

 それなのに、それが低い相手と一緒に踊れと命令される。

 言われた側からすれば、手の込んだ死刑宣告にすら思えるだろう。

 納得いかないのも無理はない。

 俺だって似たような考えだ。


 とは言え、だ。


「この編成をアサインしたのは誰だ?」

「は? いきなり何を言ってるの?」


 ハウンドリーダーは意味がわからないといったように聞いてきた。

 そのまま俺は続けた。


「少なくとも俺じゃない、桂木でもないだろう。ならば、俺たちに『出て行け』というのは筋違いだ。作戦に参加させられている以上、俺たちにそれができる権限はない」

「な!? よくもぬけぬけと……」

「それに、そもそも作戦当日にそういう変更をするのは、かえって危険性を高める可能性がある。進言するのだったら、もっと前日に言った方がいい」


 確かに彼女の側からすれば、納得できないことが大いにあるのだろう。

 しかしこれは、俺や桂木の裁量を超えた事象だ。

 となればできることは、決まったことをやり遂げることしかない。

 そうではないだろうか?


「座りなさい、エリサ」


 そう言ったのは天神だった。

 エリサという名前らしい。ハウンドリーダーは彼女を睨む。


「レイは私が、ウルフ隊に相応しいと思ったから入れた。戦闘で無様な真似はしない……ついでに、多分ニッパーも」

「それでイレギュラーが発生したら、どうするつもり?」

「だからこそ私たちがいる。もう一度言うわ、座りなさい」


 天神はハウンドリーダーを睨み返す。

 それは驚くほど威圧的で、改めて彼女が最強のフェアリィの一人だということを、確認できるものだった。


「……ふん」


 そう言って、ハウンドリーダーは席に戻った。

 ハウンド隊が彼女を迎える。

 一様に彼女をからかうように笑っており、それに彼女は激昂していた。


「あの、ニッパーさん」


 と、レイ。


「ありがとうございます。私……」

「何がだ?」

「……いいえ」


 彼女はそれだけ言って、視線を外した。

 何に礼を言われたのかはわからないが、彼女が納得しているのであれば、まあいいだろう。


「揃っているな?」


 と、後ろから、男性の声。

 理事長だ。峰園もいる。

 部屋にいる全員が、彼らに視線を向けた。


「遅いですよ」


 と、天神。


「すまない、では、始める」


 理事長はそう言って、モニタを起動した。


 ブリーフィングはつつがなく進んだ。

 エリアは旧東京湾・横浜無人エリア。

 目標はSAM、CIWS、AAGUNが多数。戦闘機型ランバーが2、3機。

 そしてそれらに守られる、ランバーの生成工場。通称『コロニー』。

 これらをウルフ、ハウンドが両面から叩く、といった内容だった。


「ニッパー、お前はライカで、先陣を切れ。フェアリィより先に到着し、可能な限り戦力を削いでおけ」


 俺が任命されたのは、援護ではなく、先遣隊だった。

 周囲が若干ざわつく。


「以上だ、何か質問は――」

「待ってください!」


 理事長にそう言ったのは、ハウンドリーダーだった。


「なぜそのようなことを? わざわざ人を一人死なせるようなものです。そんなことしなくても、フェアリィだけで――」

「死ぬのなら、それまでの話だ」


 理事長のその言葉に、ハウンドリーダーは息をのんだ。

 沈黙が、数秒。


「……ほかにないようなら、ブリーフィングを終了する。出撃準備にかかれ」


 そう言って、モニタが閉じた。


 死ぬのなら、それまで。

 その通りだ。何も難しいことはない。

 飛んで、殺しに行く。やることは何一つとして変わっていない。


 抱えていたヘルメットを見る。

 HMDはまだ起動していない。

 起動するのは、ライカに乗ってからだ。



 本日快晴なり、無風。

 爆撃日和だ。

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