次のデートの約束

 目を開けると、そこはいつもとは違う光景だった。

 スプートニク研究所の待機部屋、2段ベッドの1段目じゃない。

 見えたのは上段のベッドの裏側ではなく、消えた蛍光灯と、窓から入る朝日だ。


 自分の身体を見る。

 腕から血を輸血していた。

 今はもう、服を着ているからわからないが、撃たれた個所を縫合されて巻かれている。

 松葉杖を使えば歩いてもいいとは、俺を治療した医者の言だ。


 未だに信じられない。

 そんな気分だった。

 ライカに乗って、ランバーを堕として、そしてここに来た。

 ラヴェルに。


 手を上にあげる。

 開く、閉じる。繰り返し。

 しっかりと感じる感覚が、自分が生き延びたことの証明に感じられた。


 すると、ノックの音が聞こえた。

 ナースだろうか?


「どうぞ」


 入室を促すと、ドアが開く。

 同時に、いい匂いが漂ってきた。


「失礼します!」


 元気よく言ったその人は、しかしナースではなかった。

 確か、ウルフ隊の5番だ。

 レイと、呼ばれていたっけか。


「朝食をお持ちしました」


 そう言って、彼女はにこやかな表情で、俺に朝食のトレイを渡してきた。


「ありがとう。しかし、なぜアンタが朝食を?」


 思ったことを素直に聞いてみることにした。

 フェアリィというのは怪我人の世話もしなくちゃならないんだろうか。


「あ、実は理事長さんに言伝を頼まれて――途中で看護士さんが朝食を運んでたので、せっかくだから、ついでにと思って」

「強奪したのか? 俺の飯を」

「違いますよ!? 今渡したじゃないですか!」

「冗談だ」

「……そんな真顔で言わないでください」


 もう、と言いながら、彼女は頬を膨らませた。

 朝食を見てみる。

 野菜とハムの入ったサンドイッチ。

 それと、オムレツとウインナーが3本。

 バナナが1本。

 シチュエーションにしては、ずいぶん豪勢だ。


「あ、それで言伝なんですけど、9時に理事長室にきてほしいそうです」


 彼女は思い出したように、俺に本来の要件を伝えた。

 今から約一時間後。

 ゆっくり食べれそうだ。


「了解した。場所を教えてくれ」

「じゃあ、せっかくだし、時間になったら一緒に行きましょう。ウルフ隊も呼ばれてますから」

「わかった、じゃあ後で」

「はい、ではまた!」


 そう笑って言うと、彼女は部屋から出て行こうと、ドアのほうに向かう。


「あ!」


 と、何かを思い出したのか、彼女はいったん立ち止まって、再びこちらに振り向いた。


「そういえば、まだちゃんと自己紹介していませんでしたね」


 そういえば確かに、まだ名前を聞いていなかったか。

 彼女は姿勢を正した。


「私は桂木レイ、ウルフ5です! よろしくお願いしますね、ニッパーさん!」

「ああ、ありがとう、よろしく」

「はい! それでは!」


 彼女は今度こそ部屋から出て行った。

 駆け足で廊下を走る音が聞こえる。

 ほかのウルフ隊と違って、どこかたどたどしい雰囲気を感じる。

 新入りなのだろうか?


「……待てよ、桂木?」


 思わず無意識に口に出た。

 桂木、俺の知っているやつと、同じ苗字だ。

 そういえば、妹がいて、フェアリィをやっていると聞いた。

 じゃあ、ひょっとして、あの桂木レイが――。


 そう思っていると、腹の虫が鳴った。

 考えてみれば、結局昨日は晩飯が食べれなかった。

 そりゃあ腹も空くというものだ。

 疑問は後回しだ。とりあえず、食うか。


「ふむ」


 サンドイッチを口に運んだ。

 美味い。

 価値ある食事だった。

 20分ほどで食べて、あとは桂木――ややこしいから、心の中ではレイと呼ぶことにしよう――レイがくるまで、布団で昨日のことを反芻することにした。





「失礼します! ニッパーさん、行きましょう」


 もう時間らしい。レイが再び部屋に来た。

 松葉杖を持って、なるべく怪我をした方の脚に負担をかけないように立つ。


「だ、大丈夫ですか? 良ければ支えますけど……」

「いや、問題ない。それより、道案内を頼む」


 はい、と言って、レイは俺を先導するように部屋を出る。

 続いて俺も部屋から出た。

 出た先は、綺麗で広い廊下だった。


 いよいよホテルのような景観だ。

 こういった装飾は、フェアリィ達のメンタルケアを考慮してのことなのだろうか?

 まあ、確かにコンクリートが打ちっぱなしの場所に妖精じゃあ、格好もつかないか。


「こっちです」


 などと考えていると、レイが手招きをしていた。

 言われたままに追従する。

 そうして少しの間歩いていると、ふと何か、視線を感じた

 

「ねえ、あれって――」

「うん、昨日の――」


 フェアリィだ。怪しむような眼でこちらを見て、ひそひそと喋っている。

 彼女らだけではない。

 廊下ですれ違ったフェアリィのほとんどが、こちらを認識すると、怯えるように縮こまるか、そうじゃなきゃ露骨に威嚇するような眼でこちらを見ていた。

 敵意だ。

 敵が自分の領内にいるときの反応。

 自分は彼女らにとって、今のところ『敵』というわけだ。


「……ごめんなさい、不快な思いをさせてしまって」


 すると、前を歩いていたレイが、申し訳なさそうに謝ってきた。


「何に対して謝ってるんだ?」


 俺は思ったことをそのまま口にした。


「え? だ、だって、みんなあんな態度取って――ニッパーさんのこと、何も知らないのに」

「なに言ってるんだ? 何も知らないからこそ、ああいう態度をとるんじゃないか」

「えぇ?」


 と、レイは素っ頓狂な声を上げた。

 そんなに意外なことだろうか?


 考えてみて欲しい、名前も顔も知らない初対面の人間が、いきなり自分の家に入ってきたときのことを。

 そんなときに、『この人は良い人かな? 良い人なら友達になりたいな』なんて呑気に考えるだろうか?

 そんなはずはない。


 自分の縄張りに無断で入ってきた。

 良い奴でも悪い奴でも、その時点で侵入者だ。

 侵入者は排除しなければいけない。


 動物というのはそういった行動をするよう、プログラムされているのだ。

 なぜなら、そう行動しなかったものは皆死んだからだ。

 生存本能という、何十億年とアップデートを繰り返してきたプログラム。

 極端に大げさな言い方をすると、彼女らは俺に殺されないために、生存本能で警戒しているのだ。


「で、でも、悲しいじゃないですか。誰だって、邪険にされたら……」


 と、レイは思うところでもあるのか、それに食い下がる。

 自分の意見を通そうと少し頑固になるところは、桂木に似ているな、なんて思った。


「俺の感情は関係ない。彼女たちの反応は当然だ――あえて私見を言うなら、むしろ良いんじゃないか? 彼女らが正常に動作していることの証左だ」


 敵視されていることに特に思うことはない。それは本心だ。

 だからひとまず、レイをフォローするために、そう言った。


 ……が、どうやら間違ったらしい。

 彼女は何を言うでもなく、目を丸くして俺を見ていた。

 宇宙人でも見るような目だ。


「……変な人ですねー、ニッパーさんって」

「そうか」


 総評として、俺は『変な人』で収まったそうだ。

 まあいいだろう。

 それで納得してスムーズに話せるようになるなら、それに越したことはない。


 その後、エレベータに案内され、それを使って最上階まで行った。

 エレベータから降りると、目の前には一つのドア。

 いかにも、だ。


「着きました」


 と、レイは言いながらドアをノックする。


「入れ」


 ドアの奥から聞こえた声は、昨日聞いた声だった。


「失礼します!」


 ドアを開け、レイと共に部屋に入る。


「ウルフ5、桂木レイ! 並びに戦闘機パイロット、ニッパー現着しました!」


 レイの言葉をしり目に、俺は部屋を見渡した。


「おはよう」

「やほー」

「ん」

「どうも」


 どうやら、他のウルフ隊はすでに到着していたようだ。

 天神と、落花――あとの二人は、確かまだ名前を聞いていなかったっけか。

 3番目に喋ったのが、確かランバーを堕としたやつだ。

 斬ったとか言ってたか。

 最後のはAWACSか。

 どちらも声でしか判別できないが、多分合っているだろう。


「昨日ぶりだな」


 と、部屋の奥にいる、デスクに座っている男が言った。

 昨日夜に話した老人だった。


「すまないな、怪我をしているのに、無理をさせてしまったか」

「いいえ、医者に歩いていいと言われているので」

「ならばいい」


 なるほど、理事長だったのか。

 だったら、ライカを別の場所に隔離する権限も持っているのも、当然というものか。


「一つ聞きたいのですが、今ライカ――俺が乗ってきた機体はどこに?」

「ひとまず、特別航空格納庫という場所に入れてある。喜べ、念のため、完全個室だ」


 俺の問いに、彼は淡々とそう答えた。

 とりあえず今のところは、理事長様がライカを保護してくれているようで、内心安堵した。


「なーんだ、芹沢さんとニッパー、会ってたんじゃん」


 と、落花がからかうように間に入って話しかけてきた。

 老人はため息を吐く。


「落花、少し静かにしろ」

「退屈なんだよー。一体なんで私たちも呼んだのさ。そろそろ授業始まるよ?」

「一限目は休め、俺が許可する」


 理事長の言葉に、落花はやった、とガッツポーズをとる。


「理事長、私も召集理由を聞かされていません。全員集まりましたし、ご説明願えませんか?」

「ふむ」


 天神にも催促されると、理事長は顎髭をさすりしばし考えたようなそぶりをする。

 すると、何やら机にあるコンソールを操作し始めた。


「ここからの話は、他言無用だ」


 彼のその言葉と共に、部屋の電気が消え、カーテンが自動で閉められた。

 暗転。

 そしてすぐに、横の壁がスクリーンのように何か静止画を映した。

 プロジェクターか何かだろう。


「これは……」


 天神はそれが何なのかすぐわかったようだった

 いや、この場にいる全員がそうだろう。

 何と言っても、昨日見たばかりなのだから。


「昨日の、バルチャー型?」


 そこに映ったのは、昨日の夜闘ったばかりの、2機のランバーだった。

 衛星写真で撮ったようで、真上から、エレメントを組んで飛んでいるのがわかる。


「これがどうかしたの?」

「次に、これを見ろ」


 落花の問いにそう答えると、理事長は別の画像を見せた。

 これは、波形だろうか?


「お前たちは授業で聞いたな? 天神」

「ランバーの会話波形――でしょう?」

「そうだ。これは先日、お前らの戦闘ログから取得したものだ」


 そういえば、そんな話を聞いたことがある。

 ランバーはEA兵器らしく、電磁波でやり取りをする。

 既存の言語にはできないらしいが、特定のパターンで次何をするのか、くらいはわかるらしい。

 逆に言うと、明確な最終目標や目的はなく、ただ次の行動パターンしか通信しないらしい。


「この波形の中に、今までにないデータが発見された」

「と、言いますと?」


 と、天神。


「優先目標を決定するデータだ。それが暗号形式でやり取りされていた」


 その言葉に、ウルフ隊は皆、驚きと共に、何か思い当たるようだった。

 ランバーの攻撃は基本的に無差別だ。

 虫みたいに、近くにあるものを片っ端から攻撃する。そんなやつらだ。


 だが、昨日のは違うということだろう。

 俺はあの時初めて戦ったからわからないが、飽きるほどランバーと闘ってきたフェアリィであれば、その違和感は確実に感じるはずだ。


「……その暗号は、解析できたのですか?」


 天神がそう聞くと、理事長はコンソールを操作する。


「これだ」


 その言葉と共に、移されたのは、たった1つの、短い文章だった。



 LAIKA


 

 ライカ。

 たったひとつ。

 その名前があった。


「ライカ――これは君の戦闘機の名前だ。そうだな、ニッパー?」


 理事長は俺をじっと見つめて、俺の返答を待っている。


「……そうだ、俺の戦闘機――トラスニクの、パーソナルネームだ」


 そう言うと、全員が言葉を失ったようだった。

 当然だろう。

 俺もこんなこと、寝耳に水どころの話じゃない。


 ライカが、狙われていた?

 なぜだ?

 いや、というよりそもそも。

 なぜやつらが、ライカを知っているんだ?


「つまり、ランバーは最初からあの戦闘機を狙っていたってこと?」


 AWACSの子が、理事長にそう聞く。


「そこまでは断定できない。だがあの戦闘機に、何かしらアクションを起こすつもりだったのは確実だろう」

「信じられないな……」

「おまけにだ、先日こんなニュースがあった」


 また画像が変わる。

 今度はニュース画面のようだった。

 『スプートニク社、マーティネス社と合併か?』

 そんな見出しだった。


「わかるか? ウルフ隊にスプートニク研究所偵察の依頼が来た直後に、このニュースが出てきたんだ」

「なんでわざわざ、そんなタイミングで? なんのメリットもないじゃん」

「さあな。ただ、このニュースが例のランバー2機と無関係とは、どうも思えんのだ」

「またお得意の勘ですか……」


 落花はつまらなそうに呟いた。

 なるほど、昨日の研究所の荒れようは、こういうことか。

 マーティネス社と合併するにあたり、恐らく非合法まみれの研究所が邪魔になったのだろう。

 実験体を全員殺して、高飛びするつもりだったのだ。


 しかし、わからないのはランバーだ。

 わざわざそんなタイミングで来るなんて、偶然にしちゃ出来すぎている。

 企業に操られているっていうんじゃないだろうな?

 そんなネットの三文記事みたいなこと。

 それとも――。


「さて、ニッパー」


 と、理事長が俺に話しかける。

 プロジェクターは切れて、いつの間にか部屋が明るくなっていた。


「ここまで話がこじれた以上、君を簡単に帰すわけにはいかなくなった――と言って、ずっと遊ばせておくほどうちの財政は裕福でもない」


 よく言うぜ、こんなデカい建物作っておいて。


「いいさ、どうせ帰る場所なんかない」

「それは都合がいいな」


 売り言葉に買い言葉でそんな返答をする。

 彼は少し笑っていた。

 そして、彼は天神のほうを見る。


「……天神」

「はい」

「3週間後のコロニー破壊作戦。参加者はどれだけ集まっている?」

「大規模な作戦なので2、30人ほどですが……?」

「10人にしろ。残りはニッパーにやらせよう」


 その言葉に、天神は言葉を詰まらせた。

 何を言っているんだ? というような表情だ。

 他のウルフも同様。


「……気でも狂ったのか、じじー」

「ちょ、ヨーコ!」


 ランバーを斬った子がそんなことを言って、AWACSに制止をかけられている。

 そりゃそうだろう。

 理事長はそんなことを構いもせず、俺のほうを見た。


「興味がある。あの戦闘機が、ランバーとどういう関係なのか。ひょっとしたら、奴らに対して新しい発見があるかもしれん」


 なるほど、実験に使おうってわけだ。

 何か美味い情報が入るならよし。

 しくじっても戦闘機と戸籍のない民間人一人が消えるだけ。

 万一フェアリィに危害が出るよりはよほどいいだろう、ということか。


「理事長、だからって――」

「わかった、やります」


 天神が、俺のほうに振り返った。

 他のウルフも驚いた顔で俺のほうを見ていた。


 ああほら、またあの目だ。

 宇宙人でも、見るような目。


「……正気なの?」


 と、天神。

 随分と難しいことを聞くんだな、と思った。


「知らないし、興味もない」


 だから、そんなふうに答えるしかなかった。 


「作戦内容は聞かなくていいのか?」


 理事長が、何やら笑いながらそう聞いてきた。


「飛んで、殺してこい――以外に何かが?」

「それでいい」


 理事長の目的が何なのか。

 企業にどんな裏があるのか。

 ランバーが一体何なのか。

 そんなことは、大した問題じゃない。


 また、ライカと飛べる。

 それ以上に重要なことなんか、ありはしない。

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