月明かりふんわり落ちてくる夜
ランバーを倒したことで、少なくとも今すぐ死ぬことはなくなっただろう。
ライカの損傷も軽微で、結果だけ見れば上々とも言える。
とは言え、ライカにとっても俺にとっても、今の状況はよろしくはない。
何せ、着陸できる場所を失ったのだから。
「さてライカ、どうする?」
その問いに、ライカは何も答えない。
当たり前だ。この機体に音声入力インタフェースはついていない。
そんなものが戦闘機にあったところで、仕方がないのだから。
とは言え、かなり無茶をしたせいで、脚の傷がかなり悪化している。
適切な治療を受けなければ、壊死して最悪、切らないといけなくなるかもしれない。
せっかくライカ共々生き残れたというのに、飛べなくなっては元も子もない。
それだけは勘弁だ。
「聞こえる?」
すると、無線が入った。
「セラフの人か」
「……さっきも言ったけど、その呼び方はやめて」
彼女は少し辟易しているようだった。
TVで見た、インタビューに答えているときと同じような感じだった。
「自己紹介が遅れた。こちらは第301フェアリィ戦闘航空団所属ウルフ隊、隊長の天神ナナ。そちらの所属と名前もお願いしたい」
セラフの子――天神に言われ、そういえばお互い名乗ってなかったと思い出した。
「こちらは、スプートニク研究所所属、管理番号28番だ」
「名前は?」
「ない」
「……つまり、言えないという認識でいいの?」
天神は俺の返答にやや怪しさを見出したようだった。
それもそうかと思い、補足説明として自分の経歴を話すことにした。
「諸事情で戸籍を失くした。だから申し訳ないが、名乗れる名前がない」
「そ、そう……ごめんなさい」
彼女はバツが悪そうに謝った。
別に彼女のせいでもないのだから、そんなふうに悪びれる必要も無かろうに。
「ごめんね、リーダーってこういうところあるんだ」
と、会話を聞いていたであろう、別のフェアリィが言った。
「ちょっと、ミサ」
「ちなみに私は落花ミサ。ウルフの2番だよ」
彼女は落花というらしい。
「なんか愛称とかはなかったの? 28番じゃ締まらないでしょ」
落花はなおも俺の呼び名を求めているようだった。
もう会うこともないだろうに、なぜそこまで名前にこだわるのだろうか。
とは言え、特段断る理由もないだろう。
自分の呼び名くらいは教えることにした。
「ニッパー。そう呼ばれることもあった」
「ニッパー? なんで?」
「28番だから」
「ああ! なるほど、ウケるね」
「ウケる?」
どういうことだろうかと疑問に思っているとで、静観していた天神がため息を吐いた。
「話をしていい?」
「ああ、ごめんごめん」
天神は何かまだ話があるようだった。
そういえば、結局どうして、彼女たちはこんなところにいるのだろうか?
「端的に言う、ニッパー。こちらの指示に従い、ラヴェルに着陸してほしい」
「なに?」
思わずそんな声が出た。
予想外の言葉に少し驚いたが、考えてみれば、彼女のその指示はもっともであることに気づいた。
目の前に正体不明の、ランバーを殺せる兵器が現れたのだ。しかもフェアリィ以外の。
しかも戦闘機だ。
現代じゃ有人の戦闘機なんて言うのは、もはや珍しい部類に入っていた。
今やほとんどの戦闘機は、フェアリィ援護のために造られた
今の戦闘機に人は要らないということだ。性能的にも、人道的にも。
「ちなみに、断ったら?」
「おすすめはしない」
先ほどより圧を出したような声で、天神は言った。
無線から銃のリロード音が聞こえた。
まあ、そうなるよな。
「俺と、この戦闘機はどういう扱いを受ける?」
「手荒な真似はしないと、約束する」
「できれば治療を受けたい。応急処置はしたが、結構大ケガなんだ」
「それも手配する」
「了解した。そちらの指示に従う」
罠の可能性も考えたが、わざわざ本拠地であるラヴェルに連れていくあたり、その線は薄いだろう。
結果的には渡りに船かもしれない。
スプートニク研究所にはもはや戻れない。
当初は無人エリアに着陸してから、桂木にビーコンを出すつもりだったが。
少なくとも、無人エリアよりは補給も整備も充実してそうだ。
「よし――話はついた。各員帰投」
天神が言うと、フェアリィの面々は同方向に移動を始めた。
腰部分についたスラスターの羽を狭める。恐らく格闘戦形態から、巡航形態への変形だろう。
コウモリの羽のような形だ。
機械でできた、コウモリの羽を持つ妖精。
「ニッパー」
と、天神に呼ばれた。
「どうした?」
「燃料は持つ?」
「距離による」
「ここから300Kmほど」
言われ、計器を確認する。
燃料に余裕はある。ついでに、油圧、回転数、排熱、問題なし。
「余裕はある」
「了解、ついてきて」
彼女は機械の羽を翻し、方向転換。
それに従い、バンク。
緩やかにターン。
月明かりの場所が変わる。
ヨーで微調整。
天神が正面に見えた。
機体を水平へ。
オートパイロットモードを起動した。
メインディスプレイに、文字が見える。
<I HAVE CONTROL>
これで、あとはラヴェルに向かうだけだ。
もう一度、救急キットで応急処置をしておこう。
脚が使い物にならなくなるのはごめんだ。
そう思い、キットを開けると、説明文に大きめの文字で、こう書かれてあった。
グッドラック
ふと、23番の姿を思い出した。
俺が死ぬときは、23番のように死ぬだろうか。それとも、別の死に方だろうか。
どちらでもいい。
一度空に上がってしまったら、どうなろうと自分でどうにかするしかない。
他人は頼れない。
幸運を。他人から与えられるのは、この言葉だけだ。
それで十分だろう。
*
アジア圏第3ラヴェル。
海上に位置するそれは、マーティネス・コーポレーションと、日系企業であるフェアリィ企業『
施設の一つである管制塔、いわゆるコントロールタワーにて、老人と女性が立っていた。
「芹沢理事」
女性から呼ばれたその老人は、しかしその眼光は死んでいない。
女性は続けた。
「先ほど大羽さんから届いた情報ですが――」
「ああ、俺も見た。戦闘機がランバーを堕とせるとはな」
言葉の内容とは裏腹に、芹沢の態度は一貫して冷静だった。
「お前はどう思う、
峰園と呼ばれた女性は、顎に手を当て、しばし思案する。
彼女は理事である芹沢の秘書であった。
「可能であれば、こちらで押収すべきかと。できなければ、破壊も視野に」
峰園は至極当然のように言った。
「ふむ、なぜそう思う?」
「今回ウルフ隊が強硬偵察する予定だったスプートニク研究所ですが、ランバーが潜んでいるという疑念があったと思われます」
「それで、その戦闘機がランバーだと?」
「その可能性があります」
芹沢は峰園の考えを聞きながら、ウルフ隊に与えた仕事のことを思い出す。
スプートニク研究所に、ランバー潜伏の可能性あり。
そして、万一関与の疑いがある兵器があるようなら、警告なしで破壊してよいと。
ウルフ隊には伝えていないが、こうも言っていた。
関与の可能性あるものは破壊してよい。
それは人間も同様だと。
きな臭い。
芹沢が今回の仕事に持った印象は、この一言に尽きた。
そもそも、ランバーが潜伏するなど、聞いたこともない。
ランバーを信仰するテロリストが行ったというならともかく、ランバー自身がそのような行動に出るなど、かつて聞いたことはなかった。
無論、今までやってこなかったから、今回もしないだろうという、楽観的な思想を芹沢は持ってはいない。
しかし、だとして、マーティネス社が言ったことを一から十まで信じていい、ということにはならないのだ。
マーティネス社は何かを隠している。スプートニクも同様だろう。
確たる証拠こそないものの、芹沢はその長年の経験から、自分の持つ疑念に確信を抱いていた。
「ウルフ4から通信、間もなく到着します」
コントロールタワーの職員が伝えた。
妖精たちのお帰りだ。それも、大きな客人を連れて。
「あの、芹沢理事……」
別の職員が、芹沢のほうによって、気まずそうに声をかける。
芹沢はその姿に見覚えがあった。
「……またか」
「はい、外出時間は過ぎていると言っているのですが、皆聞かなくて……」
芹沢はそれを聞いて、ため息を吐いた。
同時に、若いというのは羨ましいな、とも思った。
ウルフ隊はこのラヴェルの1番隊だ。
メンバーも天神ナナを筆頭に、ラヴェルでもトップの実力を持つ者たちで構成されている。
となると、そんなウルフ隊が、他のフェアリィ達の間で話題にならないはずもなかった。
ある者は信仰し、ある者は好意を持ち、ある者は羨望した。
さらにフェアリィは皆、10代の少女である。
その年頃の精神性は、ウルフ隊の神格化に拍車をかけ、今では一種、アイドルのような状態ですらある。
そしてまた、そうした集団のエネルギーというものは凄まじい。
以前も今と同じようなことがあった。
ウルフ隊が遂行した、大きな作戦から帰投してきたときだ。
その時は深夜だったのにも関わらず、滑走路以外がフェアリィで埋め尽くされてるんじゃないかと思うくらい、大勢のお出迎えでごった返していた。
あの時の処理は大変だったと、芹沢は思い出す。
消灯時間はとうに過ぎているというのに、やれ大好きですだの、お姉様だの乱痴気に黄色い歓声が飛び交っていた。
確かに危険な仕事だったので、心配もひとしおなのは理解できる。
とは言え、作戦が終わった後は、ウルフ隊は報告書の提出にSUの状態確認、さらにこちらも各方面に報告と書類づくりと、事後処理はまだまだあるのだ。
その辺をもう少し気遣ってもらえないものだろうか。
芹沢は心の中で誰に届くでもない愚痴を吐き、職員に聞いた。
「誰が気づいたんだ? ウルフ隊以外にこの作戦は告知していないはずだが」
「雲黒さんが、盗聴器を仕掛けていたらしくて……」
「後で課題と反省文を提出させろ」
「は、はい!」
芹沢はこめかみに手を当てた。
またアイツか、と。
まだ研修中の身だが、フェアリィに対しての知識と熱意はもはや病的なほどで、何かにつけフェアリィに関する情報を集めている問題児だ。
ちなみに、ミモリはウルフ隊のファンクラブを創設し、今や会員数は100を超えるということを聞いた。
「峰園、今日も残業申請をしておけ」
「はぁ……わかりました」
これから起こる騒ぎと事後処理の多さを思い、芹沢と峰園は憂鬱になる。
ふと窓の外、空を見やると、遠くから緑と赤の光が見えた。
航空灯。
2つ一組のそれが、6つあった。
「帰ってきたか」
報告にあった戦闘機を除くと、5つ。
5人全員が無事であることを目視で確認し、芹沢は安堵した。
*
「あれが……」
目の前に見えたのは、巨大な『町』に見えた。
大小様々な建造物が、複雑に入り乱れていて、それはなんだか、巨大な生き物のように思えた。
何より驚いたのは、これが海上にあることだ。
複雑怪奇な海上プラント。
ラヴェルというのは、みんなこうなのだろうか?
「すごいでしょ、ニッパー。あそこが私たちのラヴェルだよ」
落花が機体の横にきて、手を振っていた。
「放課後に映画館だって行けるよ」
「放課後? 学校があるのか?」
思わぬ懐かしい単語が出たことに、やや驚いた。
フェアリィとはそういうものなんだろうか。
「私たちは学生よ、正確には軍人じゃないの」
と、天神が補足をしてきた。
「結局、私たちはまだ子供だから。フェアリィでなくなった時のために、普通の学校生活も送る必要があると考えたんでしょうね。ラヴェルを作った人は」
天神のセリフは、どこか他人事のようだった。
その説明に、考えてみれば当然かもしれないと思った。
彼女たちはまだ十代の少女だ。
フェアリィでなかったら、高校か中学に行って、学校生活をしている身分だろう。
それがフェアリィになった途端できないとなると、確かに不自由に思う者も少なくないと考えられる。
つまりラヴェルというのは、疑似的な学園都市ということだ。
世界でトップクラスの軍事力を持つ学校。
そう考えると、なんだかちぐはぐな感じがした。
「で、でも、私は今の生活好きですよ! 制服だってかわいいし」
すると、他のフェアリィが、ひらひらと服を見せびらかすように飛んでいた。
腰まであるコルセット一体型で、SUの脚部に極力干渉しない程度の丈のスカートに、長そでの白いブラウス。
着こなしに差異はあるものの、全員が同じ服装だった。
あれが制服ということだろう。
「おい」
と、いきなり無線が入った。
この声は確か、ランバーの一機を堕としたやつだ。
何だろうと思っていると、無線の主はそのまま続けた。
「さっきのマニューバは、良かった」
「そりゃどうも。それと、こちらこそ助かった。感謝する」
「斬るべき時に斬った、それだけだ」
以上だ。その言葉を最後に、無線は切れた。
礼を言いたかっただけなのだろうか。
そんなことを考えていると、次はAWACSから無線が入った。
「お喋りはそこまでだよ、コントロールタワーから着陸許可が出た。各員アプローチに入って――まずはニッパー、君から」
「了解した。アプローチに入る」
「私はまだ自己紹介してなかったっけ? 着陸したら、みんなで少し話そうか……まあ、私たちが無事だったら、だけど」
少し辟易したような声で、AWACSは言った。
無事とはなんだ? 着陸に自信がないわけでもあるまいに。
「見た感じ、無理そうだけどね」
すると、落花がそんなことを言った。
彼女がラヴェルのほうを指さす。
滑走路がそろそろ近いか。
よく見てみると、大勢の人間がいるように見えた。
着陸の邪魔にはならないだろう。滑走路の両端にいるようだから。
しかし、あれは一体なんだ。
「はぁ……面倒臭い」
天神はそんなことを言って嘆息していた。
一体何だというのだろうか?
いや、そんなことは今考える必要はないだろう。
そろそろ進入適正コースに入る。
アプローチに入らなくては。
今はちゃんと着陸することだけ考えろ。
そう思いながら、ランディング・ギアを出すため、スイッチを押した。
機体の下から音がする。
少し、下の重力が強くなった気がした。
これから堕ちるのだ。
完全制御の墜落。
着陸地点、ラヴェル。
妖精の園だ。
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