月夜と妖精と盗賊と
ライカのコクピットに乗るニッパーを見ながら、桂木シズクは今一つ、形容のできない不安に襲われていた。
ニッパー、もとい実験体管理番号28番は、このプロジェクト発足に伴い作成された、被験者候補リストの中の一人だった。
本社から定められたテストパイロットの要件は一つだけ。
騒ぐ遺族がいないこと。
生活の足しのために、家族に売られたニッパーはまさにうってつけな人材だった。
いや、それ以上かもしれない。
桂木は考える。ニッパー以外の実験体は皆、自分のこれからの人生に絶望したり、自分を売った者に呪詛を吐いたりと、ある種の人間らしい言動をとっていたと思う。
ニッパーは違う。
最初から自分の境遇にあれこれ言うタイプではなかったが、より顕著になったのは、彼がライカと出会ってからだ。
ニッパーが最初にライカに搭乗するのを見たときは驚いた。
まるで最初からそうであったような。
足りなかった部品が戻ってきたような錯覚を感じた。
そもそも彼はライカのパーツとして、最初から設計されていたのではないかとすら思えるほどだった。
最高の適合率を持った、文句の言わない実験体。
それは桂木にとってはこれ以上ないほどの幸運のはずなのだが、彼女は素直に喜ぶことが出来なかった。
彼は人の心を持ち得ていないのではないか。
そんな不安が、ライカと適合している様を見ると確信に変わるようで、それが恐ろしかった。
人の姿をしていながら、人と心を通わせられないもの。
人よりも機械に近い生き物。
桂木はニッパーがそうではないと信じたかった。
なぜかはわからない。
それを認めてしまったら、自分の中で絶対的に正しいと思っていたものが、瓦解してしまう気がしたのだ。
「桂木」
ニッパーに呼ばれる。
その声に桂木はハッとなった。
今はテスト中なのだ、集中しなければ。
彼女は可能な限り思考を振り払い、目の前の戦闘機とタブレット端末を交互に見る。
「ごめんなさい、始めましょう」
気を取り直した桂木は防音用ヘッドセットを装着した。ニッパーもそれに倣う。
ヘッドセットの無線を入れる。テスト開始の合図だ。
先ほどの心情とは言って変わって、淡々と桂木はニッパーに指示を出す。
「コールド・スタート。テスト内容によりコクピット・インテリア・チェックは省略」
「了解」
「ビフォア・スタートエンジン・チェック開始」
「了解、チェック開始」
桂木に指示されたとおりに、ニッパーは慣れた手つきでチェック項目を確認する。
メインパワー・スイッチ
インジケータ ライト点灯 正常
エトセトラ、エトセトラ
数多あるチェック項目に問題がないことを確認し、埋めていく。
同じ調子でスターティング・エンジン・チェック、アフタ・スタートエンジン・チェックと、もはやルーティンと化したそれを、矢継ぎ早に進めていく。
ニッパーはこの時間がお気に入りだった。
コクピットに光が入り、エンジンの振動を感じるときだけが、自分の意識が覚醒しているとすら思えた。
できれば、ライカと本当に、空を飛んでみたい。
それが出来ればどれだけ良いか。
そう思いながらも、実験体の自分には、叶わないことだろうと、どこか冷めたように、ニッパーは考えていた。
テストが進み、本命のアクチュエータ関連であるアビオニクス・チェックまで行った時だ。
突如、実験場のゲートが、警告音と共に開き始めた。
桂木は訝しんだ。
第5は今日のところは、私たちがスケジュールリストの最後にいたはずだ。
では一体だれが?
ゲートが開き、そこから入ってきた人物を、桂木は視認する。
途端、彼女の表情はしかめっ面へと変わった。
「テストは取りやめだ。エンジンを切りたまえ」
桂木とニッパーはヘッドセットの無線越しに、そんな声を聞いた。
高圧的な声、オールバックにまとめた髪に鋭い目。
いかにもエリートの企業戦士と言った風貌のこの男を、二人は知っていた。
キール・セルゲイ。
スプートニク本社、幹部の人間で、嫌いなものは会社に損失を出すもの。
つまり、彼は現状損失しか出していないライカを排除したくて仕方がない。という心持の人物だった。
「どういうことですか? テストの申請は通っているはずですが」
「聞こえなかったのかね? エンジンを切れ」
桂木の抗議を聞くことすらせず、キールは一方的な命令を下す。
スプートニクは旧ソ連時代に設立された名残か、軍隊じみた上下関係の厳しさがある。
これ以上は命令不履行となり、ともすれば厳罰を下される恐れがある。
桂木はそう判断し、諦めてニッパーにエンジンを切るよう指示した。
ニッパーは各計器をチェックし、エンジンのシャットダウンを行った。
広い実験場に、静寂が訪れる。
その場にいる全員がヘッドセットを外した。
「……何か御用ですか? セルゲイ本部長」
「御用ですか、だと? よくもそんなことが言えたものだな、桂木くん。会社の金をこんなおもちゃにつぎ込んで遊び惚けて、御用ですか、とは」
「何度も説明した通り、これは将来、我が社の商品になるものです。おもちゃじゃない」
「これは驚いた。利益を出せる見込みがないものを、君の故郷では商品というのか」
何も言い返せず、桂木は悔しそうに歯噛みした。
キールは尚も続ける。
「いい加減くだらない研究はやめて、フェアリィ兵器の新製品開発でもしたまえ。そのほうがより確実に、妹さんの助けになる」
その言葉に、桂木はただ押し黙る。
こうは言っているものの、実際のところキールは、桂木の妹のことなどつゆほども気にかけていなかった。
ただ現在、一番売れて利益になる商品は全てフェアリイ関係のものばかりだ。
なのに桂木ほどの技術者が、それを放っておいて、時代遅れの戦闘機造りに尽力しているなど、キールからしてみればまるで意味がわからない。
それに、なにより。
「そこのモルモット!」
キールはニッパーを呼びつける。
コクピットからニッパーが顔を出した。
「何ですか?」
「テストは終わりだ。部屋に戻れ」
「終わり? アクチュエータの確認は完了したんですか?」
「聞く必要はない」
「……了解」
彼は思う。この不愛想なガキだ。
こんな親からも見捨てられたような底辺のガキが、おもちゃとは言え、我が物顔で我が社の開発した機体に乗っている。
そればかりかこいつは、桂木に目をかけられ、その時間を奪っている。
それが何よりも我慢ならなかった。
彼女の頭脳は我が社の利益となるために発揮されるべきなのだ。
少なくとも、この薄気味悪い戦闘機と、使い捨てのガキのためのものではない。
そう信じて疑わなかった。
それに、どうせもう、こんなおもちゃどもに付き合う暇は無い。
桂木くんにも、無論私にも。
キールは咳ばらいをし、桂木に何かを耳打ちした。
瞬間、彼女は目を見開く。
「それは本当ですか?」
「後で私のオフィスに来なさい。詳細はそこで」
キールはそう言って、実験場を後にした。
桂木は彼に何かを言われてから、しばらく俯いて黙っていた。
そして、少しの後、ニッパーを見る。
「ニッパー」
「どうしたんだ、桂木?」
「……何でもないわ、ええ、なんでもない」
彼女はどこかぎこちない笑顔をニッパーに見せた。
それが何を意味するかは、ニッパーにはわからなかった。
「テストはどうする?」
「ごめんなさい。テストは延期よ。次の日程は未定」
「未定?」
思わずニッパーは聞き返す。
スケジュールの予定が未定となることは、今までなかった。
「部屋に戻ってて、後で大事な話があるの」
桂木はそれだけ伝えると、重い足取りで実験場を出て行った。
残ったのは、ニッパーとライカだけ。
「残念だったな、ライカ」
返答がない。当たり前だ。
わかってはいるが、ニッパーはライカに話しかけた。
「いつか、本当に飛べたらいいな。そこにいるのは俺じゃないだろうけど」
ニッパーはコクピットから出て、地面に降りた。
ライカを見上げた。
「俺が死んでも、ライカは飛んでてくれよ。空がどんな場所か、見てきてくれ」
そう言い残し、彼も実験場から出て行った。
ゲートが閉まり、照明が落ちる。
暗闇の中に、ライカは一機だけ佇んでいた。
オフモードの
*
同時刻。
高度1万メートル、日本領空。
人の住んでいない無人エリア。
スプートニク社の研究所から50Kmほど先。
そこに4機――いや、銃器を持った4人の影があった。
月光に照らされたそれらは、皆一様に羽のようなスラスターを身に纏っている。
脚には、遠目から見れば腿まであるブーツに見えるものを履いている。しかしそれの用途は、ブーツとは程遠い。
大出力のブースターによる超起動を可能とする脚部装備。
そして、制服なのだろうか。皆一様に、腰まである、コルセットと一体になったような黒いスカートと、白いブラウスを身に着けていた。
少々メルヘンチックともいえるその服装は、SUの無機質的な見た目とも相まって、より彼女らを非現実的なもののように見せた。
4人のフェアリィが、月光の中飛んでいた。
正確には、さらに高高度3万メートルで飛んでいる者もいるので、5人だ。
「こちらウルフ1。ウルフ4、リリア、レーダーに反応は?」
フェアリイの一人が、高高度にいる仲間に無線でそう聞いてみる。
彼女の名は
最近セラフ章という、誰より多くのランバーを破壊した者への勲章を与えられた。 その小柄な体躯とは裏腹に、フェアリィを代表すると言っても過言ではない少女だ。
「レーダーに感なし。今のところ、静かな夜だよ」
高高度にいるフェアリィ、
だが、空戦の主導権を握るためには、彼女のレーダーが必須だ。
「ていうか、本当にランバーなんかいるのか? 眉唾じゃない?」
ナナの隣で並行して飛行している、ウルフ2、
ナナはそれを聞いて、そう思うのも無理もない、とは思った。
今回ナナの隊――ウルフ隊が飛んでいるのは、ランバーの潜伏情報を手に入れたからだ。
情報提供元は『マーティネス・コーポレーション』。
ごく最近フェアリィ兵器業界に参入したばかりながら、その先進的かつ高性能な商品の数々で、数年で業界のトップシェアにまで躍り出た、一大企業である。
昨日早朝、そのマーティネス社から打診が来た。
曰く、日本内にランバーが潜んでおり、極秘裏に兵器開発を行っていると。
ランバーに関しては、今現在でもわかっていることはほとんどない。
だがそれでも、人間に扮して活動しているなど、ナナは今まで聞いたこともなかった。
怪しいのは間違いない。
「けれど、だからと言って無視はできない。でたらめなら、正直それが一番」
それがナナの考えだった。
表情を一切変えず、諭すようにナナはミサにそのまま言う。
それにミサは何も言わず、ただ肩をすくめた。
「ヨーコはどう思う?」
「関係ない」
ミサの問いにウルフ3、
腰まである長い髪と相まって、ナナ以上に小柄に見える。
その薄い色素の肌と黒い髪は、日本人形を彷彿とさせた。
彼女だけ持っている得物は銃ではなく、高出力のエネルギーを一定部分に宿し続ける、斬撃兵器。
俗にいう、レーザーブレードだ。
「いたら斬る、いないなら斬らない。それだけ」
「ま、アンタはそうだろうね」
ナナはため息をするミサをしり目に、後ろにいるウルフ5を見た。
ウルフ5は、今回の偵察任務から、新たにウルフ隊に加えられた新人だ。
ラヴェルでの研修が一通り終わったばかりの新人であり、未熟な点が目立つ。
だが努力家な点があり、ナナはそこを評価して、入隊を許可した。
「ウルフ5、航行に問題はない?」
「は、はい! 問題ありません!」
ウルフ5、
レイにとって、自身の憧れであるナナの隊に入れたことは、これ以上ない幸福だった。
いつか天神さんのような立派なフェアリィになるんだ。
彼女はそう息巻いて、そしていつも姉と衝突していた。
ずっとフェアリィになりたかった。
人類を、そしてたった一人の大切な家族を守るために。
なのになんで、シズク姉さんは認めてくれないんだろう。
「どうしたの?」
ナナの声に、レイはハッとした。
頭を左右に振って、陥った思考を振り払う。
「ぼうっとしないで」
「す、すみません!」
ナナの注意を聞いて、レイはやってしまったと思った。
その時だ。
スプートニク研究所まで約15Kmの地点。
「バンディット2、インバウンド」
リリアから、敵機が領域内に入ってきたことを告げられる。
敵機、つまりランバーだ。
ナナは機銃を構える。
「タイプは?」
「両機ともバルチャー、6時方向」
バルチャー。
速度と攻撃力に優れる、強襲タイプのランバーだ。
後ろから、しかもこんな場所にバルチャー型が?
どういうことかとナナは一瞬思う。
しかし今は、そんな暇は無い。
一刻も早く迎撃態勢を取らなければ。
ウルフ隊は6時方向に振り向く。
「速い、20秒後に接触!」
「ウルフ・リーダーより各機」
焦らず、しかし迅速にナナは指示を出す。
「ウルフ2、ウルフ3はエレメントを組んで一機を迎撃、私とウルフ5でもう片方をたたく」
「「
「ウ、ウィルコ!」
指示伝達が終わるともうすでにランバーが目視できる距離まで迫っていた。
月光で反射する金属光沢は、忌々しくも宝石のように美しい。
2機、同時に来た。
「左をやる」
「
「エンゲージ」
ヘッドオン。
ドッグファイトが始まった。
*
「……本部長、貴方はそれでいいのですか?」
キールに呼ばれ、オフィスに入った桂木は、その体を震わせていた。
それは恐らく、嫌悪感からくるものだろうと、彼女は直感した。
人の業という、彼女にとってあまりに受け入れがたい罪。
「これはもはや私個人ではなく、本社の意向だ。決定は揺るがない」
「では、実験体は……28番はどうなるんです?」
「くどいぞ」
キールは心底うんざりしたように舌打ちした。
「我が社はマーティネス・コーポレーションと合併する。私にも君にも、それ相応のポストが用意されている。何が不満だというのだ?」
「答えになっていません! 28番は――」
「処分に決まっている」
その言葉を聞いて、桂木は言葉を失った。
キールはそれを幸いとでも言うように、その詳細をつらつらと説明しだした。
「本日0時を持って、この研究所及び、君が担当しているプロジェクトに関する資料をすべて破棄する。これは命令だ」
桂木はただ、目を見開いて、呆然と目の前にいるキールを見つめた。
これは何? どうしてこんなことに?
ただ、人を守りたかった。妹を守りたかった。
それが、この結果なの?
大量の人体実験。非人道的な人身売買まがいの行為。
私は結局守るどころか、会社にそそのかされて、人を殺してきただけじゃない。
ごめんね、レイ。
お姉ちゃん、多分間違えちゃった。
「返事は?」
キールの声が、まとまらない脳内に侵入してきた。
「ッ――了解、しました」
桂木は何とか声を振り絞って、そして逃げるようにキールのオフィスから退室した。
彼女は駆け出した。
せめて、せめてニッパーを助けなきゃ。
そう思いながら、必死で彼の部屋へと向かっていく。
それだけは間違いなく、良いことだと信じたかったのだ。
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