第2章 捨てられ編
第21話 いきなり今日ですか?!
「お嬢様、大変です」
「なによ、メアリー。明日テストなんだけど」
学園から帰宅し、夕飯まで勉強しようと机に向かっていた時、珍しくメアリーが慌てて部屋へやってきた。
「ミカエル様がいらっしゃいました」
「一人で?」
「いえ、この間の女性ともう一人……年配の女性とご一緒です」
アン・ガッシと、誰をいったい連れてきたんだろう?
部屋の扉がノックされて、メアリーが扉を開けると、執事が扉の外に立っていた。その表情はなんだか暗い。
「お嬢様、旦那様がお呼びです」
「そう……今行くわ」
悪い予感しかしないけれど、私は教科書を閉じて席を立った。部屋を出ようとすると、私の後ろからついてこようとしていたメアリーが執事に呼び止められる。
「メアリー、おまえは部屋を整えておきなさい」
「しかし……」
メアリーは、私付きの侍女だ。私が家にいる時は、私が用事を言いつけない限り、私の側に控えているのが常だ。
もしかすると、この間ミカエル達が来た時に、メアリーが口を出したから、今回は同席させたくないのかもしれない。
「メアリー、机の上はまだ片付けないでね」
「お嬢様……」
「大丈夫よ」
執事の暗い表情、いつもはポーカーフェイスなメアリーの心配気な表情、私が感じてるザワザワする胸の感じ(多分、アンネローズが不安に思っているんだ)から、全く大丈夫だとは思えなかったけれど、空元気でもいいから笑ってみせる。
「お嬢様、こちらへ」
執事の後について廊下を歩き、連れてこられた場所は応接室だった。
執事が扉をノックし、お父様の入室を許可する声がして扉が開かれる。
目の前では、お母様が涙を流しながらアン・ガッシと抱き合っていて、前にいきなり捨てられた時の光景と重なる。あの時は寒い外でのことだったし、執事もミカエルの隣に立つふくよかな女性もいなかったけれど。
「座りなさい」
お父様が私に向かって言い、執事が扉の近くの椅子を引いて私に頷いた。
私がその椅子に座ると、お父様はふくよかな女性を指さして話しだした。
「彼女はダリル。以前にサンクトガル病院の看護婦をしていて、お母様……マリアを担当してくれていた人だ。今は辺境のザワ地区で看護婦をなさっている」
つまり、今、お母様とアンが抱き合っている現象の理由を持ってやってきたと?
「僕が探して来たんだ。アンの母親の境遇に似た女性が入院していたと証言していた看護婦が、彼女ならばわかるかもって教えてくれてね」
ミカエルが誇らしげに言う。
「それで、ダリルさんが彼女の何を証言したんですか?」
「違うよ、ダリルが証言したのは、ゴールドバーグ夫人とその娘アンネローズのことさ。ねぇ、ダリル」
ミカエルがダリルさんの横に立ち、その太い腕に触れる。
「はい。ガッシさんのことは知りませんが、伯爵夫人とその赤ん坊のことはハッキリ覚えています。赤ん坊はまだ産毛みたいな毛しか生えていませんでしたが、生まれた時はキラキラした金髪でしたよ。あと、お尻に三連の黒子がありました」
お尻に黒子?
そんなものがあるかなんて、自分ではわからないし、この場所で見せてみろって言われても絶対に嫌!
私はしっかり椅子につかまって、絶対に立たないとアピールする。
「アンのお尻には可愛い黒子があるって、僕が証言します。しかも三つ並んだ」
キリッとしてミカエルは言うが、女子のお尻の黒子を見たって、堂々と証言する精神はどうなのかな。お父様も苦々しい表情になっちゃってるじゃない。
「私の娘は金髪だったのよ。しかも黒子まで同じなら、やっぱり私の娘はこの子なのよ。私はちゃんと自分に似た娘を産んだじゃないの!私が赤ん坊を産んだふりをしたんだって言っている人達だって、この子を見れば私がおなかを痛めて産んだってわかる筈よ」
そんなことを言われていたなど初耳だった。
アンネローズの記憶にもないから、きっと私の耳に入らないようにしていたんだろう。
「マリア」
お父様がお母様の側に行って肩を擦ると、お母様は今までの感情が爆発したように涙ながらに語りだした。
結婚して不妊に悩んでいたこと。愛人を許すように言われたこと。やっとできた赤ん坊は自分にも夫にも似ていなくて、浮気をしたんだろうとか、妊娠したふりをして赤ん坊を買ったんだろうとか言われたこと。
娘が大きくなるにつれ、さらにそんな影口は酷くなり、自分でもこの子は本当に自分の子かって思うようになってしまい、本当は顔を見るのも嫌だった……って、さすがにそれは酷くない?
優しかったお母様との思い出があるだけに、その裏ではそんなドロドロした感情を抱えていたのかと思うと、人間不信になりそうなくらいショックだ。
「あなた、私は二度とあの子の顔なんか見たくないわ。早く追い出してちょうだい!」
アンを抱き締めながらヒステリックに叫ぶお母様は、すでに私が知っているお母様ではなかった。
「アンネ、一応……君の尻を確認できたらと……」
お父様が言いにくそうに口を開いたが、もちろん見せるつもりはないし、さっきのお母様の告白を聞いてしまった後では、私のお尻に黒子が三つあったとしても、このまま家族として顔を合わせていくのは難しい気がした。
「ないです。そんなものはないです。……それでは、私は出て行くんですね」
「早く出て行きなさい!図々しい。その洋服だけは、着ていくことを許すから、さっさと目の前から消えて!」
私は椅子から立ち上がると、最後に貴族子女として習ったカテーシーを披露する。この足の引き方とか、腰を曲げる角度に姿勢……すんごい練習させられたなぁ。
「今までお世話になりました」
これでさっぱりするよ。私は一人でだって生きていける。へそくりとドレスに縫い付けてあった宝石は学園のロッカーに隠してあるし、特待生試験の時期があるから、もしかしたら一度学園は退学になっちゃうかもしれないけど、中途学年からの編入も可能だって聞いてるから、試験を受けたらエドと同じ学年になるかもしれない。絶対に入れる自信はあるもんね。
絨毯にポタリと落ちる水滴。
あれ?おかしいな。絨毯が歪み、ポタポタと水滴が落ちる。せいせいする筈なのに、なんで私泣いてるんだろう。
「お嬢様……」
執事が私にハンカチを差し出し、私は頭を起こしてそれを受け取ると、顔をゴシゴシと拭いた。擦って赤ら顔になった私の頬は、そばかすがより目立っていることだろう。こんなにみっともない娘が自分の本当の子供じゃなくて良かったって、つくづく思っているんだろうな。
「二度とお会いすることはないと思いますけれど、お元気で」
最後に笑顔を作ってから応接室を出て行く。もちろん引き止める人は誰もいなかった。
屋敷を出るとすでに真っ暗で、門も見えないくらいだ。せめて月明かりがあれば良かったのにと、月も星も隠れた空を見上げる。
「お嬢様!」
ランタンを手にした執事が屋敷から出てきた。
「これ、旦那様からのお手紙です。あと、アン・ガッシ様の長屋の場所はご記憶にありますか?あの方の部屋の隣、あそこをお嬢様にとのことでした。あと、少なくて申し訳ないのですが、これは私から」
屋敷の中から執事を呼ぶ声がし、執事は自分の財布とランタンを私に渡した。
「裏に辻馬車を呼んであります。お代は支払い済みですから、それをお使いください」
「セバス、色々とありがとう」
「お嬢様、お元気で」
涙ぐむ執事に抱きつき別れの挨拶をすると、メアリーへの伝言を頼んだ。
「メアリーに挨拶してないの。メアリーにも今までありがとうって伝えてもらえる?」
「必ず伝えます」
メアリーのことだから、きっと本物のお嬢様にも淡々と仕えることだろう。ただ、私以外にあんなにズケズケ物を言うのは、かなり問題だと思うから、少しは控えた方が良いと思う。まぁ、メアリーだから大丈夫か。
「じゃあね」
執事を呼ぶお母様の声が大きくなったから、執事の背中を押して屋敷に戻す。
私の持ち物は、使い古されたランタンと、執事の財布だけだった。
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