第15話 日記

 大きな一枚岩のテーブルを挟み、ミカエルとアン、エドと私が向き合って座っていた。会話もなく静まり返った応接室の扉が開き、執事に呼ばれてすっ飛んできたお父様とお母様がやってきた。


「これはエドモ……」

「挨拶はいい。急な来訪で悪いな」

「めっそうもございません」


 執事に言われたからもあるのだろうが、さすがにお父様は第三王子のエドとは面識があったようで、礼を取ろうとしてエドに止められた。

 ミカエルは、平身低頭な様子のお父様を不思議に思ったようだが、それでもエドが第三王子だとまだ気が付かず、怪訝な様子でお父様を見ていた。


「実は、アンネからこいつらのことで伯爵に話がある」


 エドが私を愛称で呼んだからか、お父様はまじまじと私とエドを交互に見た。


「失礼ながら、アンネとはどのような?学園では同級ではないと記憶しておりますが」

「伯爵様、この男はアンネの婚約者ではないのですか?」

「なにを馬鹿なことを!エドモンド様がアンネの婚約者なわけがないだろう!エドモンド様、この者が失礼なことを申しまして、大変申し訳ございません」


 お父様に怒鳴られたミカエルは一瞬唖然としながらも、アンの目の前で怒鳴られたのが納得いかなかったのか、悔しそうに唇を噛み締めた。


「気にするな。アンネとは確かに学年は違うが、親しい友人だ。俺のことは聞いていなかったか?」

「いえ、全く」


 悩むことのないお父様の返答に、何故か私がエドに睨まれたが、エドはゆっくり息を吐くと、私が持っていたアンの母親の日記に触れた。

 私はそれをテーブルに置き、みんなに見える状態で読み上げ始めた。


「これは?」

「私の母の……母親だと思っていた人の日記です」


 アンが両手を握り締め、フルフルと震えながら言う。


「そう……それで、これがなんだと。……エドモンド様、申し訳ないのですが、私はこの男とは、いえ、この男の家門とはすでに縁を切っております。そっちの平民の女に至っては、視界に入れるのも不愉快なんですが」

「そんな……」


 鎮痛な面持ちで涙を流すアンを、ミカエルは立ち上がってギュッと抱きしめて叫んだ。


「伯爵様!ご自分の娘に、なんて酷いことを!」

「この子が私達の娘?まさか、この日記に書いてある取り違えた娘がアンネだとでも?!ふざけたことを言わないでちょうだい!」


 お母様は否定をしながらも、その視線はアンに釘付けになっており、その髪色目の色を何度も確認するように瞳が動いていた。


「……わかりません。でも、伯爵夫人を拝見した時、懐かしいような気持ちになったのは事実です」


 アンの震える声に、お母様の目が大きく見開かれ、その手がアンに向かって伸ばされる。アンも立ち上がりお母様に手を伸ばそうとして、しかし小説のように二人が抱き合うことはなかった。


 お母様の手をお父様がつかみ、自分に引き寄せたからだ。そんなお父様を見て、ダメ押しとばかりにミカエルが叫ぶ。


「伯爵様!アンは四月に、誕生日を向かえて十八になりました。王都で孤児院と併設されている病院は、サンクトガル病院しかないんです」

「サンクトガル病院……アンネが生まれた病院だわ。あなた、この子は……」


 感動の親子の再会。

 私はこの後で放置されて屋敷を追い出されるんだわ。


 覚悟を決めて目をギュッとつぶった。


「ちょっといいか。この男のさっきの話では、彼女は春に生まれたと言っていたよな。四月とは聞いてない」


 エドの低い声が応接室に響き、私はエドに手を握られて目を開いた。


「はい、そのあたりじゃないかってだけです。私が生まれた時、アンブロシアの花が咲き乱れていたからアンと名付けたと、母親から聞いてます」


 アンブロシアは国花だ。確かに春を象徴する花ではあるが……。


「アンブロシアは、春を代表する花ではありますが、満開は二月終わりから三月始めです。四月は新芽が美しい時期ですから、いくら多少時期がずれたとしとも、満開は過ぎているかと」


 応接室の隅に控えていたメアリーが口を開いた。


 というか、いたのか!気配がなかったから、全く気がついていなかった。


「あ……新芽が美しかったと言っていたかもしれません。そうです、言い間違えました」


 アンは一瞬動揺したようだが、すぐに涙目の顔に笑顔を浮かべて持ち直した。


「それと、確かに王都では孤児院と併設されている病院はサンクトガル病院のみかもしれませんが、郊外へ行けばそれは普通です。私の田舎でも病院の隣は孤児院や養老院、寺院などです」

「そう……ね。確かにそうだわ。私の実家の領地でもそうでした」


 お母様はメアリーの言葉にクールダウンしたのか、顔色は普通に戻り、お父様に促されて椅子に座った。その時、アンの顔が一瞬だけれど、凄い形相になったのを見たのは私だけ?


「しかしですね、当時からサンクトガル病院に勤めている看護婦の話では、伯爵夫人が入院していた時期に、確かにアンの母親とおぼしき女性も入院出産したと」


 ミカエルがムキになって言うと、エドはわざとらしく大きくため息をついた。


「貴族のお手つきになって子供を生む女性が、そこの女の母親だけだと思うのか?そんなゴシップ、王宮に行けばいくらだって聞こえてくるぜ。それに、サンクトガル病院は国立病院だよな。国立病院で乳児の取り間違いなんて不祥事、実際にあったとしたら大問題だ。違うか?伯爵」

「その通りでございます。私はそんなことは有り得ないと信じております」


 アンのことを否定するお父様の言葉に、アンは唇を震わせてボロボロと涙を流す。お母様は、そんなアンを不憫に思ったのか、手を伸ばそうとしてお父様にその手を止められていた。


「この話は、国立病院の不祥事にも関わる。一度うちの機関で精査する必要がありそうだ。伯爵、一旦この話は俺に預けて欲しい。おまえ達もそれでいいな」


 アンの母親の日記をエドが取り上げて立ち上がり、横柄な様子でミカエル達に言うと、ミカエルは納得がいかなかったようでエドにくってかかった。ついでに、エドのところまで歩いてくると、エドの胸ぐらまでつかんでしまい、それを見たお父様の顔色が見事に蒼白になる。


「おまえ何様だ?!高位貴族の子弟のようだが、アンネと婚約しているなどと嘘をついたり、人の家の事情に勝手に首を突っ込んだり!」


 エドはニヤニヤ笑いながら、胸ぐらをつかまれたまま微動だにしない。ミカエルのへなちょこな力ぐらいでは、押されも引かれもしないということらしい。


「何様?俺か?」

「おまえ以外に誰がいる!」


 お父様、紙みたいに顔が真っ白だよ。お母様も倒れる寸前みたいな顔になっている。


「エドモンド・キングストーン」


 面白がってか、エドが自分で名乗るつもりがなさそうだった為、私がミカエルに告げた。


「は?」

「だから、あなたが胸ぐらをつかんでる相手の名前よ。エドモンド・キングストーン、つまり第三王子殿下よ。よく見ればわかるでしょ」


 ミカエルは間抜け面をさらして、エドを見上げた。そんな顔でも綺麗なんだけどね。


「第三王子……殿下」

「それで、いつまでつかんでいるつもりだ」

「あ……」


 ミカエルは飛び退るようにエドから離れると、腰を直角に折って頭を下げた。


「申し訳ございません!」


 エドはつまらなそうな顔になると、制服の乱れを直して鼻を鳴らした。ミカエルを馬鹿にしたその態度にも、ミカエルは頭を上げることはなかった。


「もういい。それで、この件は俺が一旦持ち帰る。それでいいよな」

「あの!」


 アンが両手を胸の前に組み、キラキラした瞳をエドに向けた。


「正しいお作法とか知らないので、話し方とか、もし失礼になったらごめんなさい」

「なに?」

「その……私の本当の家族について調べていただけるんですよね?」

「まぁ、それが目的ではないけど、そうなるだろうな」

「ならば、私にお手伝いさせてください!」


 美少女に上目遣いでお願いされ、断る男子はいないだろうな。

 エドはアンに恋心が芽生えている頃だろうし、二人で調べたりしたらグッと距離が縮まったりなんかして……。


 二人のやり取りを見るのが嫌で、私は視線をそらした。

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