第4話 ヒロイン登場

「……ゴールドバーグのお嬢様」


 アハハ、本物のゴールドバーグのお嬢様は、あなたがせまって一夜の慰み者にしようとしていた彼女ですけどね……ということは、まだ誰も知らない事実だから伏せておく。


「あなた、バード組の方よね?私の婚約者に手を出すなんて、お名前を聞かせていただけるかしら。お父様からバード組にお話してもらわなくては」

「いや!いえ、名乗るほど立派な名前はありませんので。さすが!ゴールドバーグのお嬢様の婚約者様。着ているお召し物が立派ですね。ちょっと埃がついていたので、はらっていただけですぜ。あ、御髪も乱れて。あ、こちらを落とされてますぜ」


 男は、ミカエルから手を離すと、ミカエルの衣服を整えて髪をなでつけ、ミカエルが落としたお土産にしたパンケーキの包みを拾った。


「止めろ、触るな!」

「いやぁ、それにしてもお美しいですね。美男な上に、懐も深いときてる。よッ、色男」

「おまえは僕を馬鹿にしているのか!」

「とんでもございません。平に平にお許しください」

「こちらの女性に、二度と関わらないと約束するのならば、許そう」

「はい、二度と関わりません!」


 男は、ピューッと走って逃げて行った。


「お嬢さん、怖かっただろう。大事はないか?」

「はい……その、ご貴族様のおかげで、本当に助かりました」

「ご貴族様は止めてくれ。ミカエルと。君はアンでいいかい?」

「はい、ミカエル様」


 何を見せつけられているのかな?

 ずぶ濡れの婚約者の心配はしないけど、見るからに怪我はなさそうな美女の心配はするんだ。


 ミカエルがアンの肩に手をのせ、二人向かい合って見つめ合っている。その二人のウットリと相手を見つめる視線は、明らかに恋に落ちた瞬間のものだった。

 アンは『平民ですがなにか?!』のヒロインだけあって、私と同じ年の筈なのに完成された美女で、腰までのびた金髪は緩やかにウェーブして華やかに彼女を彩り、宝石のような緑色の瞳はキラキラと輝き、プルんとした唇はキスを待っているようだった。

 このポテンシャルは、間違いなくヒロインだ。


 そんなアンがミカエルと並んでいると、宗教画のように美しかった。


「……ックチョン」


 濡れたままでいたせいか、場を白けさせるようなクシャミが出た。


 そして、無視ですね。


 確かこの後、ミカエルはアンを家まで送って行くんじゃなかったっけ。そこで、かなり際どいイチャコラな場面があった気がする。


 はい、浮気確定。今はまだ私が婚約者ですからね。

 これは確実に小説通りの内容になりそうだわ。赤ん坊の私が自力で彼女と入れ替わった訳じゃないのに、私が憎まれて捨てられるの。


 このままじゃ、私の記憶のように二十歳で衰弱死……するかな?今の私なら、平民としても生きていけるんじゃないの?


 まず、世を儚んで無気力になんかならないし、ミカエルに対して「なんで?どうして?」なんて無意味な執着は抱かない。何よりも、平民の暮らしとか出来そうな気がする。自分で働いて、自分でご飯を作るとか、当たり前のことだもんね。日本人的感覚で言えば。


 ただ、この世界での生活の仕方がわからないから、火の付け方からまずは勉強しないといけない。あと、仕事をするのならば、キングストーン学園卒の肩書は大きいから、なんとしても卒業までこぎつけないとだ。


 キングストーン学園は、貴族の子弟が多く通う六年生の学校だが、優秀な平民は特待生として無料で勉強を学べるようになっていた。また、学園生ならば学食の提供は無料だから、学園にさえ通っていれば、餓死することはない。


 アンネローズは、天才ではないがコツコツ努力型の為、今でもそこそこ勉強はできる。そして私も勉強することは嫌いじゃない。一応難関大学にストレートで合格もしたからね。


 あと一年のうちに特待生を目指す!

 そして、平民の生活を覚える!


 これが私の目標かしら。そうしたら、こんなところで時間を潰すのは無駄以外の何ものでもないわね。こんな美男美女に割り込めるとも思えないし。


 ただ……、やられっぱなしなのは気に食わないから、一つだけやり返したいことはある。

 最終的にはどうせ関係なくなるんだから、私の手で婚約破棄することだ。


「ミカエル、私は先に屋敷に戻ります。びしょ濡れになってしまいましたから」


 ミカエルは、初めて私の存在を思い出したのか、「アッ……」とつぶやくと初めて私の方を向いた。

 私の惨状に驚いたようだけれど、アンの側を離れるつもりはないらしい。


「ああ、そうだな。アンネは屋敷に戻った方がいい」


 はいはい、アンネね。私は屋敷に戻りますよ。で、あなたどうしますか?


「馬車を使うといい。僕の馬車に迎えにくるように伝えてくれ」


 あの馬車はうちの馬車ですから、もちろん私が使いますよ。


「ミカはどうするの?」

「僕……は、この襲われたお嬢さんを、家まで送り届けようと思う。ほら、怖い思いをしたと思うから」

「そんな、私なんか……」


 ミカエルはアンに向き直ると、その手を握ってキラキラしい笑顔を浮かべた。


「紳士として当然のことだ。それに、一人で帰してさっきの奴が待ち伏せなどしていたら危ないからな」

「ありがとうございます」


 婚約者の目の前で違う女とイチャイチャして、さらにずぶ濡れの婚約者は一人で帰すのが、どうやらミカエルの中では立派な紳士の行為らしい。


 ミカエルはアンに家の場所を聞くと、その場所に馬車を寄越してくれと言う。パンケーキの包みも渡された。多分、中身はゴミになっている気がする。見た目を気にしなければ食べれるとは思うが。


「じゃあ、アンネ。今日はとても楽しかったよ。また、連絡する」


 いつもならば、軽いハグでもして別れるのに、ミカエルはアンの手を離すことなく言った。


 はいはい、邪魔者は消えますよ。


 私は軽く会釈をすると、グチョグチョと音のするヒールを鳴らして馬車まで戻った。もちろん、一人でだ。


「お嬢様、いったい?!」


 私の格好を見たメアリーが、珍しく慌てた声を上げた。普通の貴族の令嬢は避暑地でも水遊びなんかしないし、ずぶ濡れになるようなことはしないからだ。


「メアリー、あなたにお願いがあるの」

「はい、早く帰ってお着替えを。というか、ミカエル様はいかがしました?こんな状態のお嬢様を放置して」

「着替えには、私一人で帰るわ。あなたには、ミカのことを見てきて欲しいの。そして、見たままを私とお父様に報告を」

「はい?ミカエル様はどこに?」


 私はさっき聞いた住所を伝え、ついでにさっきの出来事も伝える。


「……」


 メアリーのこめかみがヒクヒク動いている。かなりのご立腹な様子だ。


「行ってくれる?帰りは辻馬車を拾ってね。これ、辻馬車代にして」


 ミカエルがくれたアメジストのブローチを外し、メアリーの手に乗せた。


「わかりました。高値で売り払って、辻馬車代に当てさせていただきます」


 メアリーは、ブローチをしっかりと握りしめて馬車から下りると、肩を怒らせながら早歩きで行ってしまった。


「ハッ……クチ」


 私は御者に声をかけて、屋敷まで一人で馬車に乗った。


 ★★★


 私が屋敷について、ゆっくりお風呂に入って冷えた体を温めていた頃、メアリーは王都裏路地の見すぼらしい小さな家の前にいた。

 家といっても、数軒続く長屋の一つで、プライバシーなどないような薄い壁に仕切られており、簡単な台所とトイレがついた一間だった。


 メアリーは、アン・ガッシの家を確認すると、その右隣の家の戸を叩いた。


「はいよ、開いてるからお入り」


 中から声がし、戸を開けると赤ん坊を背負った女が遅い昼ご飯の準備をしていた。


「あんた誰だい」

「メアリーと申します。お隣りのアン・ガッシさんについてお聞きしたいというか……、お隣りの様子を伺わせて欲しいというか」

「アン?ああ、また男関係の面倒事かい」

「また……ですか?」


 女は、風が入るから戸を閉めてくれと言うと、見ず知らずのメアリーを部屋の中に招き入れた。


「あの娘、男好きする見映えしてるだろ。しかも、花売りなんかして道に立っているもんだから、しょっちゅう男を引っ掛けてきちまうんだよ。さっきも、ずいぶんと見てくれのいい男を部屋に引き入れていたね」

「この人ですか?」


 メアリーは、アンネローズと一緒に描かれているミカエルの肖像画を取り出して見せた。

 お給金以上の仕事はしませんと、かなりクールにアンネローズに接しているメアリーだが、実はかなりの小動物アンネローズ好きで、うちのお嬢様が一番可愛い!と内心は萌えまくっていた。

 そんなものは全く、微塵も、これっぽっちも言動には表れていないが。


 ミカエルが描かれているのは、ただのついでだ。


「ああ、そう、これこれ。この美形よ」

「今も隣に?」

「いるんじゃない。なんなら、そこの壁の穴から覗いてごらんよ」

「穴?」

「そ。うちの馬鹿が夜中にこっそり覗いているのよ。私が寝てると思って、本当に男って馬鹿よね」


 壁に聖女の肖像画がかかっており、穴はその下にあるという。

 女がメアリーに協力的なのは、女の夫がアン・ガッシを性的な目で見ているからだろう。


「ねえ、ねえ、あの美形、いいとこのボンボンよね。貴族でもおかしくないわ」

「貴族ですよ。うちのお嬢様の婚約者様です」

「まッ!婚約者のいる男を引き込んだのかい。しかも貴族の婚約者なら、やっぱりお貴族様だろ」

「そうですね」

「いつかやると思ったよ。鞭打ちの刑かい?焼きゴテの刑かい」

「お嬢様はそんなことは求めませんよ」


 聖女の肖像画を外すと、小さな穴が開いていて、メアリーは台を借りてその穴から隣を覗いた。


 ミカエルが躓いてアン・ガッシの手をとっており、ベッドに座ったアンは、その手に自分の手を重ねていた。


 小さいけれど、しっかりと声も聞こえてくる。


『僕は、君のような美しい女性を初めて見たよ』

『そんな……私なんてただの花売り娘です。ミカエル様とは、住む世界が違います』

『ああ……君が花売りなんて。沢山の男達が、君の美しさを目にするのかと思うと、腹立たしくて男達の目を潰してしまいたい』

『そんな恐ろしいことをおっしゃらないで』


 ミカエルは、アンの隣に腰を下ろすと、力強く抱きしめた。


『怖がらせてごめんよ。でも、僕の本心だ。花売りの仕事をしているから、さっきのような男に言い寄られるんだろう。君を隠してしまいたいよ』

『仕事をしなくては、食べていけないんです』

『ご両親は?』

『母がいましたが……三年前に亡くなりました』

『じゃあ、今は一人で?』

『……はい。働くのは、たいしたことじゃないんです。でも、一人は寂しくて……』


 アンは涙を一筋流し、ミカエルはその涙を拭うように瞼にキスをした。


『ミカエル様……』


 見つめ合う二人。そして、二人の距離はゼロになり……。浮気現場をバッチリ目撃したメアリーは、深い息を吐いて目を閉じた。アンネローズの悲しむ顔が目に浮かび、怒りが抑えきれなかった。


「すみません、ちょっとあなたも確認してもらえますか」


 メアリーが台から下り、小声で女に穴を指し示す。女は赤ん坊をおんぶしたまま、台に上って穴に片目を当てる。


「あらあら……。やっちゃってるじゃない。まぁ、やっぱりお貴族様はヒョロヒョロね。体だけならうちの旦那のがいいわ」

「もしお願いしたら、証言いただけますか?あと、証拠を集める為にたまにお邪魔しても?」

「ああ、旦那のいない昼間ならいくらでもおいでよ。証言は……正直面倒事に巻き込まれたくはないねぇ」


 女は、壁から目を離さずに言う。


「こちら、些少ですがご迷惑料です」


 メアリーがアンネローズから貰ったブローチを机に置くと、女は素早く振り返ってそれを確認し、大きく頷いた。


「よしきた、証言でもなんでもしてやるさ」

「じゃあ、私はこれで。またお邪魔すると思います」

「はいよ、証言する為にも、どこまでやるか見張っていてあげるよ」


 女は、覗き穴に向き直ると、メアリーに手だけ振った。メアリーは、頭を下げてから家を出た。


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