第2話 私はアンネローズ・ゴールドバーグ
「お嬢様、いい加減に起きてください」
私はガバッと起き上がった。肩を揺さぶられたから驚いたのもあったが、救急車を呼ぶ声を聞いた気がしたのだが……。
カーテンが開けられ、明るい日差しが部屋を照らした。
フカフカの天蓋付きの大きなベッドに、馬鹿みたいに広い部屋。家具はアンティーク調で、細かい飾り彫りのお高そうな一式だ。まるでお嬢様の部屋みたいな場所で目が覚め、私はこれも夢かなと辺りをキョロキョロと見回す。
「アンネローズ様、今日はミカエル様とお約束があるんですよね。私はちゃんとお時間に起こしましたからね」
アンネ……ローズ?
昨日ネットで読んでいた小説、あれの主人公が……アンネローズ・ゴールドバーグだったよね?
髪をかきあげようとして手を見て、思わず自分の手を二度見してしまう。
ガリガリで骨ばっていた筈の手が、それなりに肉付きのある健康的な手になっているではないか。ペタンコを通り越して抉れてるんじゃないかってくらい真っ平らだった胸は、それなりに膨らんでいる。(本当にそれなりにくらいだが)
ベッドから飛び降りると、いつもならば急に起き上がると目眩に襲われるのに、頭痛もなく歩くことができた。
「いつもは寝起きが悪いのに、ご婚約者様とのお約束だと、動きも素早いんですね」
鏡の前まで小走りで行くと、そこには健康そうな一人の女子がいた。
寝ているときに絡まないようにか、茶色い髪の毛は緩く三つ編みになって胸元に垂れ、グレーの瞳はパッチリと大きめだ。鼻は小さく、口はやや大きめで、絶世の美女ではないにしろ、可愛らしい顔立ちではないだろうか。
ソバカスさえ散っていなければ。
まぁまぁ、普通に可愛らしい少女と言って差し支えないだろう。
なんとなく、自分の顔のような気もするが、違和感が半端ない。
顔に手をやると、鏡の中の少女も頬を手で押さえ、片目をつぶると、鏡の中の少女も片目をつぶる。
「お嬢様、鏡を何度見てもソバカスは減ってませんよ」
この失礼な口をきくのは……侍女のメアリー。私よりも五つ年上で、私が十三の時から私の専属の侍女をしている。いつも淡々としていて、お給金以上の仕事はしませんと、悪びれることなくお父様にも言ってのけた鋼の精神の持ち主だ。
他の貴族子女は専属侍女と仲良くキャッキャッしているが、うちの侍女はいつもこんな感じで……って、なんでこんな情報を知っているのか?
確実に初めましての自分と、メアリーを知っている自分が混在している。
鏡の中の少女はアンネローズ・ゴールドバーグ。ゴールドバーグ伯爵家の一人娘で、十七歳になったばかり。三年後に結婚予定の婚約者が一人。
そして、鏡に映ってはいないが、私の思考の殆どを形成しているのは川上瑠奈、今日二十歳になったばかりの純日本人だ。髪の毛も染めたことがないから真っ黒だし、カラコンも入れていないから茶色っぽい黒目で、もっとのっぺりした顔をしている。まぁ、痩せ過ぎて目だけはギョロギョロと大きかったが。
どちらも自分だという認識がある。
「メアリー、ドレスに着替えたいんだけど」
「その前に顔を洗ってもらえますか。着替えてから洗われると、ドレスが濡れてしまいます」
「そうね、うん。顔を洗うわ」
どこで顔を洗うのか……、良かった。覚えているわ。
一度しっかり考えないと出てこないけれど、アンネローズとして経験したことは頭に入っているようだった。
部屋についている洗面所で、顔を洗い歯を磨いて戻ってくると、シンプルなドレスが一着用意されていた。こんなようなのを好んで着ていたような気がする。茶色とか、紺色とかグレーとか、色合いも地味なら形もシック、柄物などほぼ着たことがないと思う……うん、ないな。
思い返してみても、こんな地味なドレスの記憶しかないから、アンネローズは自分に自信のない、目立ちたくないタイプの女子だったに違いない。
両親の言う事をきくいい子ちゃんで、婚約者の言う事には常にイエスマンだったかな……そうそう、自我がないタイプだった。
瑠奈としての自分が、客観的にアンネローズを分析する。
地味と言えば、瑠奈も地味なタイプではあったが、アンネローズほど没個性ではなかったと思いたい。
「メアリー、もう少し可愛らしいのはないかな」
最低の婚約者とはいえ、婚約者と会うのなら、少しは可愛らしい格好をしておいた方が良いだろう。万が一本物のアンネローズよりも好かれたら、ミカエルもアンネローズの出生の秘密を暴かないかもしれないしね。
「可愛らしいですか?お嬢様のドレスはだいたいこんな感じですが……、奥様のドレスをお借りしてきましょうか」
「お母様の……」
頑張って思い出してみると、金髪で緑色の瞳の美女が思い浮かんだ。なるほど、これは実はアンネローズとは親子じゃなかったって言った方がみんな信じるよね。
赤ん坊の取り違えなんて、普通に有り得ないことをすんなり信じたあたり、両親もアンネローズを可愛がってくれていた反面、王都の薔薇と有名だった母親の娘がこれか……くらいは思っていたんだろうな。
「サイズはそんなに違わないでしょうから、着れなくはないと思いますが」
「お母様のは、可愛らしいというよりは大人っぽくてエレガントよね。私には似合わないわ。うん、メアリーが用意してくれたのでいいわ」
「では、こちらのブローチをつけたらいかがでしょう」
メアリーは、綺麗なアメジストのブローチを出してきた。ミカエルが誕生日にプレゼントしてくれたもので、私はつけるのももったいなくて、ずっとしまい込んでいたのだ。
ミカエルにしたら、せっかくプレゼントしたのに、一回もつけたところを見たことなくて、プレゼントしがいがなかったことだろう。
「ありがとう、これをつけて行くね」
ドレスに着替え、部屋に運んでもらった朝食を軽めですますと、メアリーにお化粧をしてもらいながら、情報収集というか、自分の記憶とのすり合わせを行う。
私はアンネローズ・ゴールドバーグ伯爵令嬢、伯爵家の一人娘だ。今年十七になり、キシュワード王立学園の二年生ということだ。趣味は特になくて、勉強はできる方らしいが、運動神経はいまいち。というか、はっきりと運動音痴だと言われた。
友達はいない……いない?!学校に通っているのにボッチなの?と思わず自分のことなのに尋ねそうになったよ。友達と思い浮かべようとしても、誰の顔も思い浮かばないから、本当に友達はいないらしい。
婚約者はミカエル・ブルーノ、子爵家次男でアンネローズの二つ年上だ。この世界はあまり筋肉質でなく、ナヨッとした男子がモテるのだが、まさにミカエルは男子としては華奢で見た目は中性的で麗しく、王都で一位二位を争うくらいの美青年として有名だったりする。婚約した時なんか、美少女かなって、しばらく見惚れてしまったくらい完璧に美しく、私はどうやら一目惚れをしてしまったらしい。彼から貰った物は、小さな物でも宝物箱に入れて大事にしていて、他人から見るとゴミだよね?というものまで取ってあるようだ。
その宝物箱を見ると、一つ一つから幸せな思い出が頭に思い浮かぶ。キラキラした可愛らしい思い出に、ため息しか出ない。
私が宝物箱を閉じると、メアリーも私の準備を終了したようだが、鏡を見ると薄化粧でソバカスは隠されてはいなかった。
「コンシーラーとかはないの?」
「コンシーラー?」
「化粧でソバカスを隠せたりしないのかなって思って」
「ああ、白粉を厚塗りすれば隠せると思いますが、ミカエル様が厚化粧を好まないからと言って、お嬢様はいつもは眉を整えて紅を差すくらいですよね。派手で今時な感じはミカエル様の好みではないからと、ドレスも柄物は買われないし」
この地味さ加減は、ミカエルの好みか……。
アンネローズの時は、ミカエルに好かれたいのと、ミカエルの言うことを盲目的に信じていたから、言われるままに地味娘に徹していたようだが、全くもってもったいない。十七歳の女子、もっと可愛くなれる筈だ。
「化粧品見せて」
私のソバカスは薄いから、そこまで白粉を厚塗りしなくても隠せるだろう。実際に自分で化粧をしてみると、ほぼソバカスは目立たなくなった。寝不足のクマを隠す為に、化粧はかなり研究したんだよね。
ナチュラルメイクは、実際にはバリバリのフルメイクなんだからね……と思いながら自然に見えるメイクを心がけた。
「お嬢様、いつのまにそんな特技を……」
特殊メイクと言われなかっただけでよしとしよう。
元からパーツは悪くないからね、メイク次第で可愛いにも綺麗にもふれるのよ。
そうしている間に、ミカエルとの約束の時間になり、ミカエルが屋敷に到着したと侍女が知らせにやってきた。
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