1 すべてのはじまり
司野は同じクラスの問題児で、本来、頭脳と体力の両方に振り分けられるはずのパラメーターのほとんどを、体力の方に振り分けてしまったようなやつだった。背は高く、図体は高校三年生に見えないほどがっちり、としていて鉛を叩いたような低い声で喋った。
そんな司野に僕は時折、殴られていた。
別にいじめなどという一方的なものではなかった。僕もまたにやり返すこともあったし、僕自身悲しいとか、辛いとかいう感情は不思議と湧いてこなかった。それは単純に僕に感情を上手く表現する能力が欠けていただけかもしれないが。
要するに、司野は僕をいじめていると思っているけど、僕はそうは思っていなかったのだ。結果的に僕は面倒なやつに時間を奪われている。ただそれだけだった。
それでも周りの連中は心配していたらしく、司野が僕を殴り、教室を出て行くと何人かの生徒は僕に声をかけてきた。
だが、僕はそいつらに対して僕は何も反応を示さず、教室を出て行くのが毎日だった。
司野はただ快楽的に僕を殴っているだけだ。
その標的が僕だから気にしていないものの、それが他のクラスメイトに移りでもすれば、それは完全にいじめになってしまうに違いない。この問題は僕が受け止めることで、なんとか大事にならずに済んでいたのだ。だから、他の連中を巻き込むわけにはいかなかった。
しかしそんな僕でも、司野を許せなくなったきっかけがある時、起こった。
その日、僕は課題の提出で教室に戻るのが遅れていた。いつもなら放課後、僕が司野に何発か殴られたところで終わるのだが、その日は僕が教室にいなかったせいで別のやつが司野の標的になっていた。
司野は僕の時と同じように手加減なしに、そいつの顔面を殴っていた。
「今日は冬平がいないから、代わりにお前だ」と言っていた。
一発、二発、僕はその光景を眺め、そして三発目が飛び出した時に抑えきれなくなって、司野の後頭部を通学バックで殴った。
思った通り、司野の興味は僕へ移った。
「おう。なんだ、居るんだったら言えよ。余計な犠牲者が出ただろ」
司野は笑っていた。
その日はいつもより多く殴られた。
僕が教室を出ようとした時、代わりに殴られていたやつが僕に向かって「逃げんなよ。おかげで酷い目に遭った」と吐き捨てるように言った。そいつの目には色がなかった。
帰り道、そいつが言っていたことを思い出した。
「おかげで酷い目にあった」。
確かにそうだった。僕がいつもの時間に居なかったせいで、他のやつに被害が及んだ。考えようによっては、僕があいつを殴ったようなものだった。
だが、その時僕はそれを軽く流せなかった。
僕の中で何かが破裂していた。
僕が原因で酷い目に遭った?
違うだろ、と思った。
僕が居るはずのところに、たまたまあいつがいただけだろう?
いつも僕が受けている仕打ちを受けて、僕に同情するどころか、言いがかりをつけてくるなんて異常だと思った。正直、腹が立った。
この怒りを抑えるために、今自分にできることを考えた。そして、アパートの角を曲がったところで、ふと一つの手段に思い当たった。
司野先を殺してしまおう。
待っているだけでは、状況は改善されない。自ら行動を起こさないと、状況なんて変わるはずがないのだ。自分で殺せばいいじゃないか、と思った。自分の手で元凶を排除する。そうすればじっと耐える必要もない。この状況を今すぐにでも、終わらせることができる。
残念なことに、この時の僕には物事を正常に判断できるほど余裕と冷静さは残っていなかったのだ。
自分がこれからやろうとしていることが、どれほどのことなのかを理解できていなかったのだ。
様々な殺人の方法を調べた。
相手を脅迫し、遺書を書かせて自殺させる方法や、深夜人けが少ない高台から、飛び降り自殺を装って突き落とすとか、毒殺とか、轢殺(れきさつ)とか。
だが、どれも現実味にかけていた。
殺人のプロでもないのだから、そう簡単に成功するはずがない。ましては僕のような小心者に人を殺すという任務が遂行できるとも思えなかった。
外が暗くなるまで携帯を眺め続け、そろそろ正気に戻る頃合いだろうと勝手に思っていたその時、ひとつのサイトに目が留まった。
『ダークウェブで殺人依頼をする方法』
すぐさまそのサイトを開いた。
内心に高ぶるものがあった。
もしかしたら、これこそが僕が探していたものかもしれない、と思った。
サイトに目を通す。画面をスクロールさせながら、いっきに文章を読んだ。
これなら司野を殺せる。
そう思った。
『殺人代行サービスにもいくつか、種類があります』
あの後もダークウェブと何度か、依頼の打ち合わせのようなやりとりが行われた。
『一番安価なプランですと、刃物で対象者を殺す、または高所から落下させ、死体を処理場まで運搬します。中間の価格でしたら、毒物で殺害したのち、さきほどと同じ方法で処理します。一番高額なプランに行くと、対象者に精神的苦痛を与え、徐々に自殺へと追いやります』
「随分、リアルに説明してくれるんだな」
『はい。依頼者の方々との齟齬が生まれないように、できる限り詳しい情報をお伝えするように心がけていますので』
「そうかい」
僕は少し考えてから、こう送った。
「・・・プランは分かった。それで一体、いくらになるんだ?」
それが僕にとって一番重要な点だと、言えた。いくら僕に意志があったとしても、手持ちが足りなくては始めようにも始められない。理由が理由だから、誰かに貸してもらうという訳にもいかないだろう。
僕がそう訊くと、メールの相手はしばらくしてメッセージを返してきた。
『八十万円。丁度です』
僕はそこに表示された数字に、かなり驚いた。
そして、その後で冷静になってもう一度考えてみた。
確かに自殺に追い込むのはかなりの時間と労力を必要とするものだ。
だから、このくらいの値段がしてもおかしくはない。いや、これが妥当な値段なのだろう。彼らも好意でやっている訳じゃないんだ。仕事である以上、利益を求めるのはおかしな話ではない。
とはいっても、流石にそんな大金は持ち合わせていなかったため、僕は再安価のプランに変更してもらうことにした。多少、雑な手法ではあるが、その道のプロに任せれば心配はいらないだろう、と思い。
だが、返ってきたのは僕が期待していた答えとは大きく違っていた。
『少し勘違いをされているようなので言っておきますが、一番安価なもので八十万円になります。それより値段を下げることはできません』
耳を疑った。
「どういうことだ。最安価で八十万なんて、高すぎるだろう?」
『そう言われましても、私の方では対処しかねます。これは決まりですので、払えないようでしたら、プランの実行はできません』
メールの相手のきっぱりしすぎている返信に、僕は心の中で僅かな怒りを感じた。
結局、世の中は金がすべてを動かすんだな、と思った。
財力のある者が自分たちの欲望を叶え、それがない者たちは指をくわえて見ているしかない。結局のところ、人間性なんか後回しで、金さえあればこの世の中では自分のなりたい自分になれる、というわけか。
なんとか怒りを抑えて依頼を取りやめる返信を送ろうとしていると、向こうから長々しい文章が送られてきた。
『通常、再安価のプランはさきほども申し上げた通り八十万円が限界です。もちろんその値段を下げることもできません。ですが、こちら側も検討したところ、これならあなた様のご要望の値段に近づけることができるのではないかと結論が出ました』
僕は黙って続きを読んだ。
『こちらの機関では代行人の能力や成績によってランクのようなものが一人ひとりに付けられております。そこで、そのランクに入っていない、いわゆる最下層の代行人に依頼をするというのはどうでしょうか? こういうことを言うとあなたは、最下層の人間には任せられない、とお思いになるかもしれませんが、安心してください。いくら最下層とは言いましても、きちんと実技演習は行っています。失敗することがない、とは言えませんが、そうなる可能性はほとんどないと思ってもらって構いません。もしあなた様がこのプランをご希望であれば、お支払いは先ほどの四分の一、二十万円で結構です』
二十万…………。
自分の貯金を頭で数えてみる。
それくらいの金額はなんとか持っていそうだ。だが、そうなると生活費のほとんどを費やしてしまうことになる。考えろ。考えるんだ。
頭だけでは抱えきれず、僕は押入れの中から通帳を取り出して、そこの数字を確認した。
考えて、考えて、考えた結果。
僕はやっとのことで答えを出した。
「そのプランで頼む」
画面の向こうでは『かしこまりました』という機械的な文章だけが答えた。
十二月十日。要するに今日だが、僕は司野とその他の数人と出かける予定になっていた。司野に強制的に参加させられたという事実は言うまでもないだろう。もとより僕は強制でもさせられない限り、あまり外出をする性分の人間ではないのだ。
財布と携帯をバックに詰め込み、僕は待ち合わせに遅れないように少し歩くペースを速めて、指定された場所へと向かった。
駅前に着き、携帯で現在時刻を確認しようとしていると、背後から聞き覚えのある声がした。
「冬平、おっせえよ」
司野だった。
「悪いな」
僕は軽く手を挙げた。
司野が僕に対して何か言いたそうだったが、それを遮断するように司野の後ろから見たことのない男が姿を現した。
「君が冬平君かい? ハジメから話はよく聞いてるよ」
「冬平君、ハジメと同じクラスなんだって?」
「それがどうした?」
「いや、ハジメはクラスではどういう感じなのかな、と思ってね」
「残念だが、僕は司野だけじゃなく、ほとんどのクラスメイトに興味がない。知りたいなら本人に聞いた方がいい」
「そうだね。じゃあ、好きな飲み物はなんだい?」
「コーヒーだ。よろしく」
僕はそう答えると、携帯に目を移した。
司野が言うには、もう一人来る予定のようだ。
僕はそいつが柿本みたいなやつじゃないことを祈りながら、近くのベンチに腰かけた。
できることなら、今すぐにでも引き返したかった。
「待たせてごめんね」
数分後、司野の機嫌が悪くなりそうな予感を感じ取っていると、司野たちが現れたのとは逆の方向から女子の声がした。
驚愕とはこういうことをいうのだろう。僕はその声の主をよく知っていた。振り返ると、そこには同じクラスの金緒さんが居た。
金緒さんを嫌っている人なんて、どこを探してもいないだろう。当たり前だが、そのクラスの大半に僕は含まれていない。
そんな金緒さんがどうしてここに居るのか、僕は少し考えて理解した。
司野はクラスの女子の前で僕に恥をかかせ、それを噂に広めでもして楽しもうと考えているのだろう。確かに、クラス中に噂を広める役割として金緒さんはうってつけだ。
司野のくだらない目的のために呼び出された金緒さんを、僕は不憫に思った。
「よし、それじゃあみんな揃ったし行こうぜ」
司野が携帯を上着のポケットに入れ、不敵な笑みを僕に向けてきた。
「ハジメ。どこに行くんだい?」
柿本が司野に訊いた。
「もう決めてあるって。カラオケ行こうぜ、カラオケ。な? 冬平も得意だからな?」
「なるほど」
柿本が納得したように頷いた。
「確かにこの人数で行くと面白そうだね」
「だろ?」
面倒なので、僕も「ああ」と頷く。
「金緒さんも、カラオケでいい?」
司野が訊くと金緒さんは、少し戸惑った様子で「うん」頷いた。
「じゃあ決まりな。二人とも、冬平に期待しとこうぜ」
不思議と司野に対して怒りの感情は湧いてこなかった。
それは、もうすぐいなくなる司野に対して、心の余裕ができていたからかもしれなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます